<< 年の始めの例験しとて、 今年は寒いと実感したのだ。 >>
なんだかなー、もー。
数日前から巷で話題のこの話題(↓)。


無責任な飼い主減らせ、自民議連が「ペット税」導入論

2008年12月28日03時14分 読売新聞

自民党の動物愛護管理推進議員連盟(会長=鳩山総務相)は、犬や猫などの飼い主に課税する「ペット税」の導入に向けた議論を近く開始する。▼動物を飼ってもすぐに捨ててしまう飼い主を減らし、ペットを取り巻く環境改善につなげる狙いがある。議連では、ペットを購入する際に一定額の税金を全国一律で課すことを想定している。▼近年、ペットの飼い主が「飼うのに飽きた」などといった安易な理由で、ペットを捨てるケースが増えている。2006年度末時点で全国の自治体に引き取られた約37万4000匹の91%が殺処分され、社会問題化している。▼環境省はペットの引き取り数を17年度末までに約21万匹に抑える方針を打ち出しているが、財政難にあえぐ自治体は十分な対策を講じる余裕がないのが現状だ。この自治体の対策費の不足分を補う財源として、ペット税が浮上した。▼ペット税の税収は、〈1〉ペットと飼い主の特定につながる鑑札や体内埋蔵型マイクロチップの普及〈2〉自治体が運営する動物収容施設の収容期間を延長するための運営費〈3〉マナー向上の啓発運動費用――などに充てる方向だ。▼議連では、「ペット税導入には、動物愛護団体からも前向きな声が寄せられている。飼い主ばかりではなく、ペット業者にも『大きく育ち過ぎたから処分してほしい』といったモラルの低下が見られるという。新税導入で殺処分減少に効果があるかどうか、検討したい」としている。



ふーん。
そこはかとなく不透明でよどんでいるように見えます。
ペット税はどこにかかるのでせうか?上の文章だと飼い主とペット業者の双方でしょうか?だとすると(生き物に対してあまり良い言葉ではありませんが)購入時に消費税のごとく扱われるもの?いろいろ検索をかけてみたら、このペット税は自動車税や固定資産税などと同様にペットの飼い主に対して課税されるものらしいです。想定されるこの課税による効果は
マナーの悪い飼い主、動物を虐待する飼い主、すぐに飽きて捨ててしまう飼い主など、こういう性質の方々は税金を払ってまで買おう、飼おうとしなくなるだろうし、逆に本当にペットのことを大事にする飼い主が多くなるだろう
だそうです。そうでしょうか。自己快楽につながるならお金払うのでは。仏蘭西のお金持ちは新車を購入し、税金を払う前に売って、新車を買ってるそう。半年単位で買い替えですってよ。そういう半年で売られた新品同様の中古車を買ったのがココんちです。それに、税金を払う義務だけでペットを大事にする飼い主が多くなるという考えも楽観すぎというか、「お金を払うこと → だから、大事にする」なんて心の貧しいヒトの発想に思えてならないンですが。税収の使用目的を見ますと、マナー向上の啓発費用とありますが、マナーとは具体的にどのようなマナーなんでしょうか?公で他人さまと揉めない基礎はマナーでしょうけれど、動物の虐待や「飽きて捨てる」というのは飼い主が生命の重さや尊さをまるでわかっていないから実行できるのではないでしょうか?ペット業者の「大きくなりすぎて(売れなくなったから)処分して欲しい」だけでなく、純血種を好む客のニーズにこたえて儲けようと考えが優先すると健常でない犬猫が出生したことですでに処分している話も漏れ聞いています。そういう動物を保健所から引き取って養子縁組している人々も日本國内にもいらっさいます。

2006年度の時点で約37万4000匹中の91%が殺処分され、2017年度までにペット引取り数を21万匹に抑えたい、などと読むと過去の『キャンプ』を連想しなくもありません。なんかハツにズキっと来ます。殺処分改善は数字の減少というより、繰り返しますが飼い主の「生命」についての意識にあると思うんだけどなあ。
仏蘭西ですが、野良犬も野良猫も警察や憲兵隊が見つけると、管轄内の動物愛護協会(La Société Protectrice des Animaux 略してSPA)に連れて行き、後はSPAにお任せになります。SPAのホームページの 養子縁組コーナー だけでなく、ココんちあたりだけかもしれませんが、国営放送地方局で毎週末のお昼の時間にこの地方の動物愛護協会であずかっている犬猫などの動物が映し出され自己紹介後、養子縁組希望の方は以下の電話番号へ!というスポット番組が流れます。決して見るからにかわいい子犬や子猫ばかりではなく、中年~老年、時に障害を持つ動物であることもあります。ココんちの一匹もSPAで引き取った猫です。

仏蘭西というかEU諸国では動物を伴ってのEU国内国境越えでも動物用パスポートとマイクロチップが既に義務となっています。ココんちの猫たちもワクチン接種の際、一度にマイクロチップ挿入をお願いしたところ割引になりましたし、マイクロチップのナンバーは農業省に登録され、証明書が後日送られてきました。が、マイクロチップは見た目ですぐわからないので内耳の刺青が見直されてもいますが、どうしても薄くなってしまうことや、数年前には捨てるために耳を切り落とされた犬が発見されたこともスキャンダールで紹介されていたことがありました。これまで共に住んでいた犬猫が邪魔になった途端「捨てよう」と思いついてしまうと、真夜中に車に乗せて自宅から遠く離れた場所に捨てるという桃太郎侍にぶった切っていただきたいようなことをするヒトもいます。

こういうことを思いつく人間、哀れです。

今月初め、東京都下にお住まいの或る著名人が野良猫に餌をあげ続け、集合住宅に住んでいることもあり、同じ建造物に住まう当人以外の9家庭が訴えたというニュウスが流れました。訴えられたご本人は 隣人が嫌がっても猫に餌を与える理由 として
猫にも『先住権』があり、餌をやらないと死んでしまう。
地球には犬も猫も小鳥も、花や植物も同じように生きている。
人間の癪に障るからといって、この世から消してよいはずがない。
とおっしゃったそうです。行を代えてみましたが、はっきりとした3つのテーマがありますよね。一行目はたまたま猫で訴えられたから猫についてのこの世の先住権を出して「食わなければ(ヒト同様)死ぬ」と。二行目はヒトや猫だけでなく他の生き物の生命が平らに等しく地球にあること。三行目は「人間の癪に障る」ことで「殺める」こと、つまり強者の弱さで弱者を殺めることに反対であることを述べてらっしゃる。三行目にドキっとしました、私。
だけど、この訴訟の話題についてたまたま猫に餌を与えているだけだったり、猫と同居しているだけで猫派という枠に押し込められ、その猫派に所属するヒトの主観が強いあまりに世間のバランスから外れているがごとくの扱いや、猫の公衆の粗相の悪さが猫嫌いの五感に響いて癪に障るので猫派はこういう人々のために自分への甘やかしを改めた方がいいという意見も見ました。日本國では野良犬はいないし、散歩も飼い主が丁寧にお掃除していることも事実です。全員かどうかは存じませんが。
一方、仏蘭西ではどうかというと公衆での犬の粗相を掃除する飼い主はまずいませんので、歩道には犬の落し物がごろごろ転がっています。それを踏むとBon chance!と言う習慣もありますが、その後の靴底掃除など犬の臭いと馴染みない者にはチャンスどころか苦行です。特に枯葉のシーズン以降は雨でよれた枯葉と犬の落し物の区別が色だけでなく感触でも分かり難く、しばらくしてから立ち上る臭いで泣けたりします。不思議なのは仏蘭西の犬は♂も♀もしゃがんでpipi (ピピ、小用)します。道路の端に立つ電柱に片足をあげて用を足す♂を見た記憶がない。ああ、よそンちの車のタイヤにピピを引っ掛けている犬が散見されますね。散歩中も犬の飼い主は小用も歩道のど真ん中でさせて、その後は放置で去ります。ココんちの場合、隣家2軒、向かいの一軒には犬がいます。各お宅、犬の用は庭で足させています。片付けもしません。芝や花卉の栄養にでもなるのでしょうか。もし仏蘭西だったら公衆衛生マナーは犬派の方々にまず義務付けしていただきたいものです。犬派だけでなく、警官や憲兵のパトロールは時に馬で行われ、馬の落し物も歩道や公園に放置されたままです。農業国家ですから牛馬羊が車道でお散歩なんてことも地方なら見られ、もちろん落し物があり、走行の車はそれを避けることもできません。臭いですよ。所変われば品も価値も常識も変わって、猫に関わりないヒトから彼らの主観と偏見で猫派という枠に押し込められたり、猫原理主義者扱いされたヒトビトだけに改善を要求できなくもなります。お互いできることをするのが最初の一歩です。
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ノエル直前のクリスマス市に出ていたお子達のためのポニー試乗会。

例えば仏蘭西だったらヒトを犬派と猫派に他人が仕分けすること自体、子供に「あなたはパパとママンのどちらが好き?」とうっかり質問して大人に厳しく注意されることに値しますね。生きているモノの形はどうであれ生命をいとおしむ心が第一です。自分が共に住める条件が合うからたまたま同居しているのが犬であり、猫であり、ハムスターであり、爬虫類であり、各家庭の条件が合えば複数の類の動物と住むだけです。一番お気軽なのは窓辺でスズメに餌付けすることですかね。仏蘭西という国なので心理的な勧めでもあるでしょうが、子供がいる家庭には犬猫両方が飼われていることが多々あります。そして、学校でも定期的に動物と触れ合うアトリエを開いています。外見は違いますが、言葉を借りるなら「地球には犬も猫も小鳥も、花や植物も同じように生きている。」のであり、それぞれに魂があります。それを外見や習性の違いで派に分け、飼い主の特徴づけするのはいかがなものでしょう。
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最近、ココんちの玄関先によく現れる猫です。窓越しにご対面。ココんちから10mちょっと先のムッシュウの家の猫で、ラプラドールとも同居です。

ちなみに私は犬も猫も苦手です。くしゃみや鼻水などのアレルギーも持っています。子供の頃は今にも増して愚か者だったので我侭でセキセイインコを買ってもらい、途中で飽き、母が鳥たちの最期まで面倒を見続けました。が、私が実家を出たところで一人で生活していたら畜生(敢えてこの語を用います)と同居せずに済んだものの、人は一人では生きられず誰かと共に一つ屋根の下に住むことになったなら、自分の我ばかり通せない現実も心身に痛いほどいくつもあります。今、私が猫と住んでいるのは同居人個人の希望だったからに過ぎません。日常の私は例えるなら漫画「綿の国星」のトキオのお母さんです。猫との係わり合いに緊張してしまいます。もちろん犬もそうです。たまたま猫と住んでいるだけで猫派の主観強い者というレッテルを貼られたところでハズレです。動物を毛嫌いする両親と生きてきた私も、新しい同居人のせいで猫と暮らしたことで、こんな畜生でも時には同居人より優しい心といたわりを知っていることもわかりました。魂、心です。外見ではありません。それがわかって嫌いになる方向に自分を誘うことはできず、好きになれる良さを探そうと努力しています。私の両親は戦争を経験し、自分が生きていくことに精一杯で、いくら物質に恵まれた時代になっても他の動物に対し優しい気持を持つのが難しかったことも同情しています。かつて親が口汚い表現で犬猫はじめとする動物を見下すことに私は同調できませんでしたが、それでも私の親なのです。

私はヒトも犬も猫も性格が良ければ好きですが、状況把握もせずに生命を軽んじ、情けもない性格ならそういうヒトも猫も犬も好きになれません。そして、毎年春に木の皮を破って新芽を見せる木々や花々には生きる力を教えてもらっています。

各地で野良猫を捕獲しては避妊手術を行い、養子縁組を続けているボランティアの方々がいますし、殺処分待ちの動物(主に犬、猫)の救済活動を続けている方々もいます。私はそういう活動をしている方々とも交流ありますが、彼らは犬派でもなければ、猫派でもなく、まず第一に生命を考えて、自らが動いています。上に掲載した訴えられた某氏も既に地元行政に相談し、避妊手術や養子縁組活動を続け、当初20匹以上いた野良猫が現在は4~5匹になったと彼を訴えた側が認めてもいます。こういう活動は映画でもゲームでもないので、それこそ個人の癪に障っただけで根こそぎ消したり、リセットしたり、何もなかったことにもできません。こんなことでも各自ができることしかできません。

私個人が私の生活を中心に希望していることは一度同居した人も猫も私も同居前より不幸にならないことを心がけて普通の生活を続けることです。公共においてもマナーを守りつつ、より良い共存をすること。ココんちの来年は今年よりちょっと幸せになれればよいですが。

le 31 décembre 2008, Sylvestre
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by ma_cocotte | 2008-12-31 01:41 | 『?』なたわ言 | Comments(3)
Commented by Lucia at 2008-12-31 18:27 x
日本では最近、イグアナや大蛇のようなとんでもない動物が捨てられているので、こんな法律が考えられたのかも…。
ma_cocotteさんのご近所の猫さんも愛らしいですね。
でもma_cocotteさんが猫にも犬にもアレルギー体質だったとは…。私は調べて見たら犬に対してはアレルギーが検出されましたが、幸い猫さんは大丈夫でした。殆ど外出しない今では、猫さんはとても大切な友です。
Commented by ma_cocotte at 2008-12-31 20:30
★ Luciaさま、
昔、「みなしご」という言葉をよく耳にしましたし、乳児院や孤児院という
施設もありました。今はそれらの施設は家族がいても家族と一緒に
住むことが難しい「新しいみなしご」をあずかるという中身に変わって
いたりします。動物を人が作り出した紙や缶のように捨てられる
感覚自体、命がどこから来るかわかっていない結果ではないかと
思ったりしています。
肉体が朽ちるほど魂は成長するとおっしゃった方がいますけれど、
ヒトにしろ、その他の生き物にしろ、こういう時代になってしまうと
本当に灰に戻る肉体より魂で価値が判断されるような気がして
なりません。拙宅なんぞ時にヒトである同居人より猫の情の方が
深く、私の愚かささえ慰めてくれます。ヒトが傲慢になって、人で
なければ捨てられるなら、どちらの魂が健全でしょう?
会話がうまく成り立たないのが寂しくもありますが、ほんと友ですね。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2008-12-31 20:34
★ こうして偶然にも一緒に住むようになったのも何かの縁でしょう。
お互い出会う前より幸福を感じられる日常を送れれば、と努力している
つもりです。
私のアレルギーは毎朝の鼻水くしゃみ程度で死に値するものでも
ありませんし、なぜか朝だけなのです。生きていられるならこれくらいの
アレルギーはいいかな、と。こちらで紹介されたことですが、犬猫などの
動物と暮らし、撫でるだけで血圧が穏やかになるそうです。薬アレルギーを
持つ私にはヒトの手で作られていない自然の薬でもあります。

上に載せた訴訟された方の主張は「神の創造物にある敬意」の
意識が底辺にあるように思います。世間に迷惑をかけるのはいけ
ないことですが、裁判所や行政が間に入ることで良い方向に
改善されればいいですね。フランスの犬派の意識も司法行政で
変えてもらえないものか(犬の糞を公道に放置することは既に
罰金刑扱いなんですが(深いため息)
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