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ヒトをヒトが決めた枠から出し「ひとつ」にまとめようとするヒト
きょうび、この広い世界を遠い目で眺めての傍観ばかりではなく自分の隣近所にも立派なことを口にして、ヒトを自分の思い込みやら主観でいとも簡単に選り分けるヒト がゴロゴロいる現実ですが、ヒトを自分ひとりの好みで選別し分けることは容易、簡単な作業です。この世におけるちょっと前の(いや、現在もだな@某所)暗い過去のように、対象物を左右に分ければ、その後の生死さえ決定されたりできますから。
さて、この世にある国境はもちろん、外見の違い、能力の違い、貧富の差、個人の思考やら嗜好の違いでできる選り分けの柵をどうやって外そうかと努力しているヒトビトもこの世にはいらっさるようです。

2008年末ですが、テレビ画面で何度もお目にかかったのが、マルセイユの移民居留区のド真ん中の一室に修道院 Fraternité Saint Paul à Marseille を置いたアンリ・カンソン Henry Quinson 師です。
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こちら(↓)、カンソン師がこれまでに呼ばれたテレビ、ラジオ番組一覧です。
http://pagesperso-orange.fr/frat.st.paul/HenryQuinsonMoineDesCitesTV.html


このヒトがなぜこうも2008年年末になって引っ張りだこの僧侶になっているのでしょ?
どうも父上がエイメリカびとであり、そちらの流れでユダヤんとの血のつながりがあるにもかかわらず、今もマルセイユのイスラームがマヂョリティの移民居留区ど真ん中に修道院を構え住み続けていることや1989年秋に出家するまではエイメリカはニュウヨオクで仏蘭西びとが想像できないほどの贅沢な暮らしをしていたヲールストリートで大活躍のトレーダーだったことが2008年末の社会情勢に当てはまりすぎだったからみたいです。カンソン師が登場する番組では毎度、国際金融危機をどう読むかとシトー会修道士に質問し、特に12月20日以降はガザ問題についての意見もカンソン師に求められていました。

カンソン師がマルセイユの移民向け団地の一室に修道院を設ける前、彼はシトー会という観想修道会の修道士でしたが、この同じシトー会に所属する7人の修道士がアルジェリアはチビリヌ Tibhirine にある修道院から誘拐され、2ヵ月後に全員が遺体で発見されるという事件が1998年にありました。http://fr.wikipedia.org/wiki/Assassinat_des_moines_de_Tibhirine
仏蘭西ではこの事件を「殉教 martyr à Tibhirine」と表現されたりもしますが、この2008年12月20日からきょうに至るまで、1月6日は既にトゥールーズのシナゴーグとその周辺で破壊行為が行われている事実から言っても、このようなアイデンティティを背負っているカンソン師がナニモノかに狙われる可能性が限りなく高いのです。でも、カンソン師はおん身をかばうこともなく、堂々とこれまでのカトリックとしての奉献生活をイスラーム・マヂョリティ環境の中で続けています。
2008年12月27日を過ぎてからのテレビ番組登場だったかと記憶していますが、カンソン師が語ったことでとても我が心に響いた話がありました。それはカンソン師がマルセイユの移民団地の一室で続けている補習援助において、或る移民の子が銀行員という仕事に興味を持ったけれど、何せ自分の身内はもちろん親戚にも近所にも銀行員をナリワイにしているヒトがいないので知る術もなく、こうして元は銀行員(厳密にはトレーダー)だったカンソン師に「銀行員とは何ぞや?どんなことするの?僕にもできる?」と相談してきたそうです。事情を知ったカンソン師はこの子に銀行員の使命はもちろん、銀行員になるための受験の準備を手伝い、見事、この子はCDI(Contrat à durée indéterminée、=無期限雇用)で試験に合格したそうです。この吉報はカンソン師本人も達成感があったようです。前後左右上下を見渡しても銀行員がひとりもいない環境で、単純にその仕事を夢見た移民の子女を現実の世界にカンソン師が誘い送り出せたことは、路頭に迷う子羊を導く牧人のようでもあります。私もこのエピソードに感動しつつ、これまた思い出したことがひとつありました。それは昨年秋に手にしたイエズス会発行の小冊子「仕えるために」第32号の冒頭が2008年1月に選出された 総長アドルフォ・ニコラス師 から贈られた文でした。


神の夢を抱いて


 私たちの周りを見回すと、夢を売る商売をしている人々が数多くいます。しかし彼らの売る夢ははかなく消えてゆく夢、ちっぽけな夢です。今日の世界で一番強く求められているものは、もっと壮大な夢を見てその実現を目指す才能です。お金では買うことができない夢、言い尽くすことができない夢を生み出す力です。きっと私に求められていることがある、きっと私が心をこめて、力を尽くして貢献できることがある、という夢を抱く力です。その夢は、心の渇きをいやす夢、人間らしい生き方を追求する夢、正義を求める夢、自分が受けた素晴らしいものを分け与える夢、愛と平和の共同体を創り上げていく夢、一人ひとりが神の子として大切にされる社会を構築する夢です。しかし、このような夢を実現することは容易なことではありません。
 イエズス会員とはこのような夢を抱く存在です。イエズス会員が歩まなければならない道は、険しい道です。さまざまなチャレンジに遭遇し、厳しく問いかけられる道のりです。いかなる安心感も許されない生き方です。唯一の心の支えは、希望です。この希望は会員の個人的な資質や会が担っている事業体の業績から生まれるものではありません。罪びとである私たちに、神が召し出してくださったしるしとして与えられているものです。私たちは個人としても、会全体としても、ただ希望のともしびを頼りに歩み続けます。
 この希望に生きる人の特徴の一つは、自分だけが希望を持つのではなく、他の人にも希望のともしびが点るように奉仕することです。これは、イグナチオの『霊想』の特徴でもあります。『霊想』を受けて、イエスと深く出会って、変えられ、新たな人となったのであれば、その人は『霊想』を他の人に授けて、その人をイエスとの出会いに招いて、その人が変えられるように奉仕します。『霊想』を授けることだけではなく、他の分野でも会員は同じように働きます。会員はそれぞれの分野で良い仕事をしなければなりません。しかし、それだけでは不十分です。たとえばソーシャルワーカーとして働くならば、その働きによって自分自身も変えられながら、現場で接する人が変えられて行くように働く。自分にとらわれず、もっと共同体を大切にする人、物心両面で分かち合いを大切にする人に変容するように促すのです。教育についても同じです。自分の利益のために競争する人ではなく、自分自身と現実を異なった観点から見ることができる人、社会の中で抑圧され、貧しくされている人々とともに、その人々に仕える人に成長するように教育を通して促すのです。これがイエズス会のやり方です。
 イグナチオ以来、私たちは愚かな失敗を経験してきましたが、この使命を担うように努めてきました。この使命は、日本において、そして世界において、教会の中で、まだまだ数多くの分野で必要とされています。



やっぱり格好えええ、ぢぇずいっとぉおおおっっ!

アンリ・カンソン師はカトリックの両親に育てられたカトリックであれど、イエズス会員ではなく、シトー会員からこうして現代カトリックの道を築いている最中の方ですが、ニコラス総長がおっしゃることと相通ずる考えが多々あるように思えました。拙ながら私がそう思えた部分を赤に転じてみました。銀行員なんて人によっては簡単な夢かもしれませんが、移民にとっては壮大な夢で、なんのとっかかりもない・・・フランスではまだそんな現実もあるのです。けれども、いくら壮大な夢を語られても、神様がその人に与えられたタレントでは難しいなら、その人にとってのより良い現実に導くのも、時に厳しくとも先人の務めであるということを忘れちゃいけません。優しくても甘くはないのです。

この世の中には長い歴史の中でヒトが決めた国境や身分の違いがあり、もしそれらが原因で神なるモノが個人に与えた才能が押しつぶされてしまうのであれば、それを数歩、数十歩先を歩むものが導き、自分と共に歩む友として人生と言う道を歩いてもらう、ということ。金持ちが貧者にお金を分けて天秤に乗って同等になるのは理想かもしれませんが、そうではなく知る術がないヒトに知っている者が教えること。この世には栄誉ある職業というものがあるようですが、例えば「死ぬために生まれたヒト」という身分の家に生まれたヒトに医者や弁護士などになれる力があるなら先人はその人に貼られた身分の箔を取っ払って年齢に応じて教育と生活指導で導き、実現する。例えばそういう身分の子供がカトリック環境の中で育つうちに「神父になりたい」と告白して、その身分を理由にカトリックの世界が断るでしょうか?上の文はイエズス会員向けではありますが、私たちにも応用できる語りかけでもあります。
自分の教養や悦楽を自分のためにだけ保ち続けるのは、きょうび21世紀において個人の信仰の有無に関係なくキリスト教の土壌ではまだ喜ばれる言動ではないのでは・・・と、サルコぢ一座を傍観していて感じ入ったりもしています。政治家であれ、芸能人であれ、スポーツ選手であれ自分のタレントで大金を得たヒトはそれにがめつくならずに世間に還元しているヒトが多いのがフランスだったりします。サッカー選手ジネディン・ジダンがずっと続けているチャリティ活動 http://www.ela-asso.com/default.htm も知られるところでしょう。例えばカトリックのエラい坊さんが、長上さんの方針で高い教養を身につけるチャンスを与えられ、それを脳に刻み込んだとしてそれを凡な世俗のために使わなかったら、ニコラス総長が語りかけ求めていること
貧しくされている人々とともに、
その人々に仕える人に成長するように
教育を通して促す
とズレてきます。
「小さくされたヒト」が誰かに大きくしてもらったら、次に自分は自分の周りの小さくされたヒトを大きくするのであって、自分が延々と乳飲み子のままではいられないのです。いずれ誰もがこの世から離れるけれど、離れてもその精神が受け継がれ、ヒトがそれぞれのタレントを思い切り生かせる社会を作ることが理想でしょう。でも、理想(=夢)の実現は容易ではないんだな。
しばしば耳にする「小さくされたヒト」が自分より大きく見えるヒトを自分と同じ「格」のヒトになってもらうことが強者が弱者に示す理解とするってぇのは実は抜本から違っていたりなんかして。相手の立場の互いの理解について傲慢⇔謙虚、謙遜と混同してはいないかと。

で、このアンリ・カンタン師ですが、今晩(2009年1月12日)、国営放送 France 3 の人気番組Vie privée vie publique に登場します。

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← 今晩のゲストです。後列右がアンリ・カンソン師。
これまた、いつもどおり、彼ったら格好よすぎ。

番組のアーカイヴにはカンソン師について以下のように紹介されていました。
Pourquoi Henry Quinson, riche golden boy, a-t-il renoncé, lui, volontairement, à 28 ans à sa fortune et à sa vie facile pour devenir moine ? Un témoignage fort, à méditer...
ほんと、どーしてでしょうねぇ。才色兼備のキラキラ輝く黄金のお金持男子が齢28歳にして、自分の運命と才能で勝ち得た富も栄誉も何もかも捨てて一文無しの修行僧かいっっ!? 黙想したところで金になるんかいっっ!?

数々の番組に魅力的な彼がおよばれしたことでの収入も団地家賃と食費になっちまうんですねい。おフランス国内で興味ござる方はぜひ、今宵、ご覧あそばせ。
20時35分からですよ。サルのせいで番組開始が早まりましたからね。
(ベルギーでもご覧になれるンぢゃないかな

le 12 janvier 2009, Tatiana
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by ma_cocotte | 2009-01-12 18:44 | 『?』なKTOりっくん | Comments(9)
Commented by Lucia at 2009-01-13 12:05 x
世界を見回すと、誰でもが感心し、誰でもが「それは素晴らしい!」と言えるような生き方について語り、実践している方がおられるのですね。
もし、すべてのキリスト者がカンソン師のような選択をしたら(カトリック教会の中では、それは彼が選択する前に、神様が彼を呼ばれたから、その呼びかけに応えた、ということになるのでしょうが)、世界平和の達成には一歩も二歩も近づけるのでなはいでしょうか。
ただ、「お金持ちが天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい」とイエス様も言われたとおり、自分が豊かな生活に甘んじていると、そのことさえ当然の権利と考えるようになって、富をイエス様の教えに従った目的のために使おうとは考えなくなるのが、一般人なのでしょうね。
Commented by ma_cocotte at 2009-01-13 17:43
★ Lucia さま、昨晩、カンソン師が登場した番組を拝見しましたが、
彼はパリのScience-Politique出身の銀行員で、育った環境も
ニュウヨオクとパリの最高級地にある住まいとプライヴェートビーチ
つきの別荘が「あたりまえ」だったそうです。その彼がシトー会に
入ると決めて、母親が「シアンス・ポを出てチーズを作るの?」と
彼に言ったそうです。シトー会の環境に篭りきりですと、確かに
身につけた教養が埋没しかねず、その点に着目した彼は修道院から
出て、移民団地のど真ん中に「底辺でもがく移民難民を持ち上げる」
目的をひとつに掲げた小さな修道院を造り、自分の教養を彼らに
教え続けているのですね。勉強だけでなく、食事のマナーや言葉
づかいも教えているようです。知る術がなくて藁を探すヒトがいるなら、
その藁になってみよう、と決意することは簡単のようで簡単でないと
私は思います。強い藁でないと自分が一緒に沈みますものね。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-01-13 17:45
★ 必ずしも金ある者が無一文になることで、教養ある者が無教養に
なることで世の中のバランスが良くなるのではないわけで。そこを
勘違いしている弱者も多いこと。実際、頭のいい人に実行してもらい、
お金を与えてくれる人に期待しているだけの弱者がいます。
南米などはこの勘違いがはびこっていることで社会・政治問題が
起こっているわけで。

時に導く人間が時に厳しく教養やマナーを教えることでくじけるな、
と弱者側にもわかってもらわねばなりません。
Commented by tama at 2009-01-13 21:51 x
あらま~不思議!フランスの時間か、と思つていましたら、日本で夜8:30からみられましたよ。でもトレーダーで活躍しているところで停止?
マルセイユの修道院のつつましいこと!フランス語がわかれば、いいのですが・・時々しかわかりません。いいお顔をなさつていますね・・やつぱり、神様の業ですね。呼ばれたとしか、考えられないです。自分は何によばれているのかしら?しきりに考えたことでした。ありがとうございました。
Commented by ma_cocotte at 2009-01-13 22:54
★ tama さま、こちら ↓ の一覧から彼が登場した番組を見ることも、
聴くこともできるようです。

http://pagesperso-orange.fr/frat.st.paul/HenryQuinsonMoineDesCitesTV.html

昨晩もご本人が召命の瞬間を語られましたが、或る朝目覚めた瞬間だそうです。
泣いて、泣いて、その日の午後、銀行に退職届を出したのだそう。
さきほど、神父さまにこのことを話して、神父さまご自身の召命について
伺ったら、彼の場合は子供の頃から心のどこかに既にあり、それを拒もうと
あらゆる手段を用いたらしいです。それでも拒みきれなかったようで。
いろいろな形があるものです。召命は聖側やら修道者だけではないので、
こうして生命をもらって生かされている自分ができることをするのが
各自のミッションですね、きっと。

カンソン師についてはどの番組でも「悪魔の試み」のような意地悪い
質問が必ずと言っていいほど出ますけれど、そういう時でもひるまず
聡明で謙虚な返答が出てくるところが「やっぱり違う」と思わざるを
得ません。
Commented by きなこもち at 2009-01-15 12:38 x
tama さまの言われるようにほんと爽やかないいお顔をなさっていますね。
サルコぢのどす黒~い現世我欲まみれの顔を見てしまった後のいい口直しになりました。
Commented by きなこもち at 2009-01-17 16:17 x
人の喜び=自分の喜び、そしてそれが更なる行動のエネルギーになって共感するひと達を引き寄せてどんどんその輪が広がって・・
サルの金銭や名誉欲とちがってカンソン師の「真心」というエネルギーが人々の心を動かしているように思いました。
Commented by ma_cocotte at 2009-01-17 16:47
★ きなこもちさま、
与え与えられたものがどこかで止まって昇華やら消化されてしまうのではなく、
連鎖や清流が私たちの目に見えることが理想なのかもしれません。
カンソン師が今、実際に動いて実践していることやニコラス総長の
文面でもそれを私たちひとりひとりにもできることで実践して欲しいと
語りかけられているように思います。
人間が作った差別や区別、境が原因で、生まれながらに持った才能が
あるのに埋もれたままでいなければならないヒトに「教育をとおして」
その才能が開花するよう導きますが、もし開花できて自ら富を得られる
ようになった人は、その富をひとりガメるのではなくて、自分がしてもらった
ことを他者にする。この連鎖が途切れると、不思議なもので「人間による
差別、区別、境」が誕生しますよね。
サルコぢの提案はいつも私たちに求める出資の先に彼の一族と友人企業
ばかりです。彼を中心とする人脈の強化を私たちに手伝えと。泣けますね。
Commented by ma_cocotte at 2009-01-17 16:48
★ きなこもちさま、
与え与えられたものがどこかで止まって昇華やら消化されてしまうのではなく、
連鎖や清流が私たちの目に見えることが理想なのかもしれません。
カンソン師が今、実際に動いて実践していることやニコラス総長の
文面でもそれを私たちひとりひとりにもできることで実践して欲しいと
語りかけられているように思います。
人間が作った差別や区別、境が原因で、生まれながらに持った才能が
あるのに埋もれたままでいなければならないヒトに「教育をとおして」
その才能が開花するよう導きますが、もし開花できて自ら富を得られる
ようになった人は、その富をひとりガメるのではなくて、自分がしてもらった
ことを他者にする。この連鎖が途切れると、不思議なもので「人間による
差別、区別、境」が誕生しますよね。
サルコぢの提案はいつも私たちに求める出資の先に彼の一族と友人企業
ばかりです。彼を中心とする人脈のいっそうの強化を私たちに手伝えと。
泣けますね。彼の周りは他者に施せるほどの超ウルトラ大金持ちですから。

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