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御茶ノ水では新しいものから消えていく。
御茶ノ水のカザルスホールが2010年3月をもって閉館するのだそうです。
日本大学よりお知らせ
日本大学カザルスホールの使用停止について 
本学は、このたび懸案事項でありましたお茶の水キャンパス再開発計画の策定に着手するに当たり、同キャンパスに所在する日本大学カザルスホールの貸し出しを含む使用を、平成22年3月31日をもちまして停止することといたしました。▼平成14年に本学が同ホールを教学上の施策として取得以来,学外の皆様にもコンサート専用ホールとしてご利用いただいてまいりました。同ホールへのご愛顧に対し、衷心より感謝申し上げます。▼また、同ホールの使用停止に伴い、平成22年4月以降のご利用をご検討いただいておりました皆様には、ご迷惑をおかけすることとなりますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。

なんだか妙に寂しくなりました。BGMはまさに パブロ・カザルス 「鳥の歌」 ですわよ。
カザルスホールとなりの雑貨屋さんは私のおサボりスポットだったんだけどなあ。おそらくあの角地に建つ主婦の友ビルとカザルスホールが壊されることになるのでしょうか。

御茶ノ水は私にとって縁(えにし)のある町です。他人さまに「ココ、千代田区なのよ」と言われなければ千代田区であると確信できないほどの下町っぽい雰囲気と活気と臭いが充満した界隈と言えますが、神田から飯田橋まで走るJR線路の千代田区側には其処此処彼処に江戸や明治、大正、昭和の建造物がどーんとあったりして、入り組んだ路地に自ら喜んで迷い込めば健全なホーンテッドマンションを一時間ほどで満喫できたりします。

少し前、御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口から水道橋駅に向かう途中にある文化学院の校舎が壊されたことに寂しさを覚えましたが、その更に少し前に明治大学の威厳ある校舎が建て替えられた時も寂しかったです。こうなってしまうと御茶ノ水駅の聖橋口からニコライ堂を左に見つつ日大歯学部に抜ける坂道の路地が異次元ワンダートリップ最後の砦でしょうか。あの路地ってひげもぢゃで黒のスータンをおめしの正教会司祭が三井海上の近代的高層ビルを背にのんびり歩いていたりしてね。で、JR線路のうなぎ道(つまり平行に走っている道)はおそばの出汁やらそろそろ取替え時だと感じざるを得ない揚げ油のキツい臭いが鼻に入りつつ、パチンコ店からの喧騒が耳に入り、そんな雰囲気に不釣合いな画材店檸檬や丸善書店からは若いだろうにどこか老けたような雰囲気を醸し出す学生が出たり入ったりして。私が御茶ノ水駅の文京区側で働いていた頃は文化学院だけでなくまだ芸大音楽学部付属高もあったので、御茶ノ水橋口のスクランブル交差点では小柄で華奢な女の子が自分より大きな楽器を抱えてよろけていたり、ドでかいキャンバスを持って油絵の具の臭いをプンプンさせてたことも「御茶ノ水」と聞けば我が五感で今も思い起こせることだったりします。ああ、御茶ノ水橋口の改札前でいっつもカセットかけて踊っている浮浪者のおぢさんがいたっけ。御茶ノ水橋口を出て駿河台とは反対、右に折れ橋を渡って丸の内線入口に向かえば、医科歯科正門前のババ下着露店の様子と真冬の焼き芋屋の匂いも思い出します。あそこの小さな郵便局の眼鏡のおねいさん、今、どうしているのでしょう?

ああ、思い出が御茶ノ水駅前パチンコ屋の玉だ。出てくる、出てくる、止まらない。

私が物心ついてまもなく、祖父が癌治療のため千代田区側の大学病院に長期入院したことで、私は母と一日おきに御茶ノ水に通っていました。それが私個人の御茶ノ水との縁の始まり。その2年後に祖父が亡くなり、私が小学生になってから課外授業で琴を習ったことで当時の日仏会館ホールが私の初舞台の場所になりました。恵比寿に引っ越してしまった今、あそこはどうなっているのでしょう?確か医科歯科の研究所の近くでしたよね。
私の母が昨年亡くなって、父方の墓を確認したら、大きな甕に入った先祖の骨が出てきました。江戸時代に神田にあったお寺が杉並に引っ越したことで、土葬された骨を甕に集めて共に移動したのでしょうか?神田という地名は神田駅あたりだけでなく御茶ノ水、水道橋駅の千代田区側に用いられていますから、私の無意識のうちに御茶ノ水あたりに足が向き、散策すれば妙に落ち着ける心地になれるのかもしれません。血が騒ぐというより、血が落ち着く。

そんな私にとってカザルスホールってぇのは御茶ノ水あたりで一番新しい建造物のひとつという意識が強いです。もちろん現在は明治大学新校舎ビルがあるし、文化学院の新校舎もそびえているんでしょうけれど。あのあたり、以前は国鉄(JR)線路から皇居の間まで、最高で9階までのビルディングしか建てられないという決まりがあったので、その決まりが解除されてからの高層建築物が妙に目立ったりします。その代表は御茶ノ水の聖橋口前の駅前ビルや三井海上のビルでしょうか。カザルスホールは主婦の友ビルと明治大学の学食の間に建った、なんつうか、あの界隈の千代田区とは思えない下町と喧騒からポツーンと垢抜けた人工的西洋風外観を持つ建物とでも申しましょうかねぇ。対面の明治大学の旧校舎とは数十年の年齢差でも良い雰囲気を醸し出していたと思います。でも、その明治大学の威厳ある校舎が消え、カザルスホールの個性と手を取れる建造物が周囲になくなってしまったし、カザルスホールが含まれるビルは低層建築だからぶっ壊して収益が期待できる高層ビルを現在の持ち主である日本大学は建てたいのかな?

カザルスホールは磯崎新氏の設計で、ホール内には立派なパイプオルガンがあることでも知られています。サントリーホールのパイプオルガンの音響とよく比較しませんでしたか。1987年のオープンですからバブルの産物のひとつなのかもしれませんが、2003年に主婦の友社から日本大学に譲られたことでこの運命。ううううん。元々は大正時代にヴォーリーズの設計による主婦の友ビルがここにあって、3度目の大工事になるのですね。

自分勝手な言い分なら、自分の脳みそに明治大学や文化学院、日仏会館にカザルスホールの姿を刻めたことだけでも、「私は良い時代に巡り会えた」と感謝することにします。今度帰国したら神田明神から湯島聖堂、聖橋を抜けて、ニコライ堂と日立本社の間の曲がりくねった道を抜けて神保町交差点から御茶ノ水橋に戻るという散歩でもしてみましょうか。うーん、これぞ本物の「横道にそれそう」だ。それくらい御茶ノ水の裏道は面白い。毎度、新しい発見があります。

le 4 février 2009, Véronique

耐震構造の問題、日本國の気候の問題等等、ツルツル脳なりにわかっちゃいるつもりですが、子供のように素直で素朴な思いを述べるなら、上智のクルトゥルハイムや青山学院の間島記念館、ベリーホール、明治学院やら東京大学などの古い建造物が残されている一方で、歌舞伎座はじめとして消えていく建造物もある。雙葉の旧聖堂や有楽町の三井ビルも良かったねぇ。仏蘭西のように外見のみを残し、中身を全て壊し、内部を再建築するなんてできないのでしょうか。無念であります。っくぅうううう。
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by ma_cocotte | 2009-02-04 18:55 | 『?』な日本國 | Comments(8)
Commented by tama5136 at 2009-02-04 23:33
勿体無いですね~。残したいいい建築ってたくさんありますが、寿命や再開発で次々と消えていきます。
再開発が必要ないような開発をすりゃよかっただけなのに・・・さすが計画性のない日本人。今の政治家も一緒。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-05 03:44
★ たまころさま、もったいないですよね。
カザルスは適度な広さと音響の評判は良かったのに。
建造からたった23年で取り壊しとは驚きました。
お茶の水あたりの道路幅で高層ビルはアンバランスな気がしてなりません。
明治大学の本館も文化学院も4~5階くらいしかありませんでしたが、
道幅にも木々との調和もしっくりで、良い空気を醸し出していたと思います。
そんなに高層ビルって魅力あるのかしら?いっそ学生や会社員が憩える
公園を造ってくれた方が御茶ノ水らしくていいのに。
Commented by Mark W.W. at 2009-02-06 00:56 x
今までのところ、人生で二番目に長く過ごしたところなので、お書きになっている隅々まで懐かしく目に浮かびました。今の姿はよくは知らないのですが。懐かしい。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-06 01:48
★ まるくす先生もお茶の水にご縁ある方でしたか。
ご贔屓の喫茶店はどちらで?(笑
最近はお茶の水から水道橋の間の開発が進んでいるのではないでしょうか。
日立本社の裏から神田までのレトロな雰囲気はまだ健在ですね。

カザルスホールが消えるのは寂しいです。外見だけでなく中身、
醸し出す雰囲気、広さ、音響など好感もてる空間でした。残念。
Commented by siojake at 2009-02-06 21:46 x
寂しいですねえ。
カザルスホールは新しいものって認識、うん、そうでした。サントリーってちょっとモワンモワンした音に聴こえることがあったけど、ここは心地よかった。ネットニュースで消えるって読んだ時、寂しさと共にああもったいねぇ~何で!!!と思ってしまいましたよ。

神保町から御茶ノ水は中学生の頃から慣れ親しんでました。
書道道具探したり、山用品求めて徘徊したり、もちろん本屋の数々に音楽方面、あとアテネも通ったっけ。駅近くの喫茶店「穂高」はセーラー服ではとても入れず、友人といつか行こうと眺めていたなぁ。

お江戸からどんどん街の息吹きが消えてくようでせつないです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-06 23:01
★ siojake さま
「小ホール」やら「サロン」という消えそうだった言葉が復活したのは
カザルスホールの誕生がきっかけだった記憶があります。それまでは
大きなもの、もっと大きなものという方向にしか人々の目や気持が
行っていなかった。そこできゅうんと小さくなっても豊かな空間みたいな
売りではありませんでしたっけ。主婦の友というモガモボの会社と
磯崎氏などのコラボも今となっては面白いですね。そんな貴重な創造物が
たった20数年で壊されるのは信じ難い事実だったりします。

江戸の変容には追いついていけませんね。残りの人生が短いからこその
私らしい実感なのかも。
Commented by とおりすがり at 2009-03-16 13:03 x
昔のビルが好きだったので、カザルスできたときはバブリーな建物だなぁと避けてたんですが、あれはヴォーリズのだったのか、新しいのは磯崎だったのか、主婦友が日大に売ってたのか、と、しょちゅう近くを通るわりには、まったく知らないまま月日がたっておりました。

こちらで閉鎖を知って、そういえば中見てないな~と思い至り、サイト見たらランチタイムコンサートなるものを近々やってるようなので、行ってきます!ありがとうございました。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-16 16:13
★ とおりすがりさま、ぜひぜひ。
これからの季節、あの界隈のお散歩は楽しいですね。お茶の水から
東西南北どちらに足を伸ばしても充実した時間を過ごせることと思います。
カザルスができたての頃は建物の色が妙に浮いて見えましたね。
今は少しは落ち着いた外観に見えるでしょうか。
広すぎず、狭すぎず、高すぎず、低すぎず、とても良いコンサートホール
だと私は思います。こんな短期間で姿を消すのは寂しいです。
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