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なんとなく特別な週末を迎えた。
2009年2月22日。
なんとなく特別な週末を迎えた。お仏蘭西的には日曜日は週明けなんだけど。
というのも、二日後24日に私の母のはじめての祥月命日を迎えるが、2008年2月23日は土曜日でまもなく日付が代わる時刻に突然電話がなって父から母が他界した旨の知らせを聞いたのだ。涙なんか微塵も出なかった。翌週の水曜日の飛行機で帰国することが決まっていたから木曜日の午後に帰宅すると父親に話したら「何、言ってるんだ!?」と怒鳴られたことも覚えている。電話を切った直後から空だか宙を浮いたような感覚の中に私は入ってしまい、こんぴーたの前で航空会社の連絡先を探したり、それがうまくできずにとりあえず横になったり、明け方には妙な寝汗で目が覚め、再び机の前に行き、と。横になろうが直立だろうが私はウトウトと、まさにそういう感覚の中にいたと思う。後になって私が妙な寝汗で不快感を感じた同時刻に母が脳を献体するために手術台の上にいたことも知った。偶然ですけれどね。
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ココんちの仏蘭西びと♂がおそらく洗礼を受けた洗礼台。現在はまったく使われていないようだ。

夜が明けて、その日は日曜日だったからココんちの仏蘭西びと♂と一緒に教会に行った。その教会は彼が生後まもなく幼児洗礼をいただいた教会で、私たち二人が婚姻の秘跡というものをいただいた教会でもあるから、彼は教会に着くなりまっすぐ香部屋に飛び込んでその日の司式司祭に私の母が亡くなったことを告げた。すると、その神父さまが私の母の名前を尋ねてきたので、彼が私の母が異教徒であることを話したが、その神父さまはそんなことは構わないから教えなさい、と彼にびしっとおっしゃったそうだ。そんなことを私は宙だか空の中にいたので何も知らず、ミサが始まってしばらくして聖人名でもない私の母の名に「-さん」がくっついて読み上げられた時には驚いたし、不謹慎にもちょっと「さん付け」に笑ってしまった。異教徒なのに母の名を読み上げ、そのミサに参列した人々が皆、一瞬でも遠い異国の異教徒の母のためにまで祈ってくれたこと、いくら感謝しても感謝しきれなかったりする。

今月はじめ、8日だったと思う。
この昨年2月24日、おそらく世界中で最初に母の死を思い祈ってくださった神父さまが2月2日に帰天され、5日に既に密葬が済んでいたことを知った。自分が情けなくなった。10,000kmも離れた日本で死んだ母の通夜にも葬儀にも私は出席できたのに、同じ市内に住む一司祭の葬儀にも出られず、彼の帰天を知った時に彼は既に土の下だった。再び自分が空の中に誘われたかのような感覚に襲われた。この神父さまと同じ司祭館に昨年9月まで共に住んでいた助任司祭からこの神父さまががんらしいということは2週間ほど前に聞いており、それなりの覚悟を私もしてはいたが、まさか入院後たった3週で帰天されるとは。後日、同じ助任司祭から聞いた話では腎臓癌の末期だったそうだ。この神父さまは定年を数年後に控え、昨年9月に長年住み慣れた小教区教会から地元の公立病院付司祭として異動になった。異動後たった5か月での帰天というのも何か意味があるように思えたりもする。

私は教区司祭の埋葬についてまったく知らないのだが、彼が所属した教区HPや訃報が掲載された新聞HPなどをインターネットで確かめて、彼が生まれ故郷の小さな墓地に葬られたことを知った。苗字に「ド de」が付く方だったから、どうも一族の墓所で永遠の眠りに付いたようだ(↓)。
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2月14日、前々から予定していた訪問先に行く途中、その墓所に寄ってみた。数百年前までは獣道でそこにアスファルトをしいただけのような道を抜けた向こうにある山間の小村の小さな墓地。その真ん中に彼と同じ苗字の墓石がいくつかあった。大きな新しい墓石の側面には複数の人物の名前が掘り込まれていたけれど、その中に1885年生まれで名前の前の敬称にラベ L'Abbé (=司祭、修道院長)が付いた人がおり、もしかしたら私たちの教会婚直後に司祭館でアペリティフの準備をしてくださったこの神父さまがアジア顔の私に気をつかわれて話してくださった南アジアに渡ったことがあるイエズス会宣教師だった叔父上のことではないかと想像した。が、苗字にド de が付く子沢山の家ではひとりや二人、司祭や修道者が出るのもついこの間までの仏蘭西の伝統だったので多分私が思いついたことはハズレだろう。イエズス会修道司祭なら一族の墓所ではなくイエズス会の墓に入るだろうしね。
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この神父さま、ドつきの出自にもかかわらず、もろ1968思想のカトリック司祭で伝統軽視はもちろん、信心業を全て否定していた司祭だった。昨年夏に前出の助任司祭から漏れ聞いた話ではこの神父さまがこういう思想なのに、兄弟姉妹のうち数名がFSSPX の礼拝に通っているらしいとのこと。同じ一族なのにね、そういう分裂を招いているのも仏蘭西共和国内の其処此処彼処にゴロゴロ転がっている家庭内問題だったりもする。私個人はカトリックの学校で見聞してきたカトリック的信仰生活とこの神父さまが自他共に実践していることにあまりにもギャップがありすぎて付いていけなかったけれど、そんな伝統を軽んじるこの神父さまが聖櫃に向かって挨拶する時の所作の美しさ、典礼準備のために集った若者たちの前で聖書朗読と解釈について指導する際の眼光の鋭さなど我が脳に焼き付いてしまい忘れることができない。幼い頃から身にしみこませた習慣や所作を成人してから選り好んだ思想で自分から消し去ることはできなかったのだと思う。

1968年に絡む思想について天においての真贋やら善悪は私にはまったくわからないし、まさに天に委ねるべきことだろう。何から何まで思考の一致がないのは親子関係でも同じこと。日本から離れて住む私には両親とほぼ同世代のこの神父さまが「私のパパ」でもあった。なんか理由はないけどそう決めていた。今の私にとってこの神父さまがこの新天地で一番最初に異教の名前である私の名前をしっかり覚えてくださったこと、一昨年のノエルの準備に参加してくれたアフリカ系移民の母息子がおり、その息子の名前がクリスタムール Christ-Amour (=キリスト-愛)と聞くなり二人で目を合わせて感動を分かち合ったこと(私は内心、学校でいじめに合わないか心配になった)、いつも笑顔で私のほっぺに優しくビズしてくださったこと、・・・そういうことばかり思い出しては感謝するばかりだ。お葬式には行けなかったけれど墓参できただけでも良かった。メソメソしている私にココんちの仏蘭西びと♂は、今は天国で私の母がこの神父さまに最初に祈りを捧げてくれたことや私に優しくしてくださったことに礼を述べているよ、と慰めてくれる。それが本当だといいな。だけど、まだ私の心のどこかでは一年前に母を祈りで見送ってくださった方が土の下というのはどこか割り切れないままでいる。

母は24という数字がつく日に亡くなり、カトリックの典礼暦だと24の付く日は重要な祭日であることが多い。一周忌にあたる今年の2月24日は偶然にも仏蘭西ではMardi Gras マルディグラ(=脂の火曜日)という日で世界中のカトリックが復活祭の準備のための節制に入る日(Cendres、=灰の水曜日)の前日だ。今ではハロウヰンというエイメリカのお祭り騒ぎに圧されてしまったけれど、本当ならこのマルディグラに仏蘭西のお子たちはお菓子をもらうために町内を仮想して練り歩くのだ。もし母が生きていたら、かわいい子供たちのためにたくさんのお菓子を準備したことだろう。私の友達が実家に遊びに来るたびに、帰り際に大きな紙袋を渡して「ほら、広げて」とジェスチャーしつつ、その袋の中にたくさんお菓子や果物を入れて楽しそうだった母を思い出す。今朝、父からの電話で一周忌を前にいただいたものをお仏壇に捧げたという話をもらった。もう母は永遠にお腹の空くことのないどこかにいるはずなのに。


ちょっとだけ、センチ。


le 22 février 2009, Isabelle

ココらへんは冬休みに入りました。春は近い。
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by ma_cocotte | 2009-02-22 18:13 | 『?』なたわ言 | Comments(15)
Commented by tama at 2009-02-23 08:48 x
お母様の一周忌にあたり、心よりご冥福をお祈りもうしあげます。ま・ここつとさんは随分辛い思いをなさいましたのですね。じーんと心に迫るお言葉に涙しています。ミサでお名前を告げてくださつた神父様まで、2月になくなられましたとは!!2月はま・ここつとさんにとつて、とてもお辛い思い出が重なる月になりましたね。ま・ここつとさんに今日、明日と心を寄せて、ロザリオの祈りをお捧げしたいとおもつております。
お父様からのお電話、うれしいですね。ご仏前にいろんな果物、お菓子などお供えなさつたことでしょう。
私と同年のお父様、一年しかちがわなかつたお母様は私には心のなかでとても身近な方になつております。わが娘より、少し若いま・ここつとさんはやはり私の中では娘のようです。だから、良き旦那様とともに、お幸せでいらつしゃいますように!といつも願つております。
お母様は神父さまとま・ここつとさんのお話をなさつていますよ。それを想像しながら、少しやすらかに明日のご命日をお迎えくださいますように!1
Commented at 2009-02-23 09:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-02-23 09:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Lucia at 2009-02-23 11:53 x
ma_cocotteさま
お母様のご最期を看取ることができなかったというお悲しみを分かち合いながらも、私も
「メソメソしている私にココんちの仏蘭西びと♂は、今は天国で私の母がこの神父さまに最初に祈りを捧げてくれたことや私に優しくしてくださったことに礼を述べているよ、と慰めてくれる。」
というご主人様の優しいお慰めを繰り返したいと思います。
イタリアでお世話になった方々、私より若い、そしてずっとお元気だった、友人さえも、旅立ってしまいましたが、この世では一度も顔を合わせたことがなかった私の両親も、その皆様に私がお世話になったことのお礼を申し上げていると、私は信じています。
そして、肉体から解放されたお母様は、ma_cocotteさまに常に寄り添っておられると信じています。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 17:17
★ tama さま、この一年を振り返るとあっと言う間のようにまず思えますが、
この一年で二度も里帰りしたことなど思い起こすと、例年になく自分が
行動した中身の濃い一年だったように感じています。
私の母は生後一年で実母と生き別れたまま、この世で再会することは
ありませんでした。確か母が33歳の時、実父が癌で亡くなりました。
ふくよかだった祖父が40kgあるかないかでこの世を去り、釜から出て
来た時は当時の抗がん剤などのせいで、用意した壷の半分も骨が
なかったそうです。33歳の女性がそういうことを目の当たりにしたせいか、
その後、一人娘の私に母が語る親への思い、死の恐怖もろもろ、私自身にも
トラウマな部分があります。母の晩年も言葉も思いのまま発せず(時折
発作のごとく正しい発音で発したこともある)、経管栄養で生きてきた母が
今は肉体の苦痛から解放されて、生前、追い求めていた両親と再会でき
ているとしたら、娘の私も幸せと安堵の気持になることが親孝行なのかも
しれませんね。難しいです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 17:25
★ 鍵09H45@230209 さま、
うぉおお、その長崎にいらっしゃる方とはどなたでしょう?
この春は私の恩人が長崎異動になりそうで、今の私もまさに鍵さんと
同じ心持だったりします。近いようで遠いですね。関東近県なら発作的に
電車に飛び乗って会いに行っても日帰りできる気軽さがありますもん。

生前、おしゃれだった母が聖母と対面して「噂どおり美しいわぁああ」と
喜んでいてくれたら、とこの一年、何度も想像していました。
だけど・・・こんなところでなんですが、最近破門解除された方々の思想では
異教徒に天国はないのだそうです。この一ヶ月はなんかそれだけで
考え込んでしまったようなところがありました。本文中に書いた帰天された
神父さま(教区司祭)も、私が昨年帰国した時に異教徒の母の名前を
主日ミサで出して会衆に祈りを求めてくださった神父さま(SJぢゃ)も、
母の衣料を引き取ってくださった修道女会のシスターも、メソメソしている
私に母が聖母と共にいらっしゃると慰めてくださったのですが、どちらを
信じてよいのやら。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 17:36
★ 鍵09:53@230209 さま、
母のことも鍵さまのことも私には天秤にかけられることでもなければ、
優先順位をつけられることでもありません。こういう時、いつも思い出すのが
小テレーズですね。幼子が両親に無邪気に何でも語れるように神さまや
聖母にお話する、とでも申しましょうか。私たちは齢を重ねるとどうしても
社会的立場やら風貌で自分に厳しくなる。これは社会性においては一番
大切なことですが、もしかしたら祈る時だけは幼稚園に入る前の子供に
値するほどのエゴを神さまや聖母に示していいのかもしれません。
なんか、遠藤周作の小説に登場したキク(← だったと思う)という女性が
たまたま入った聖堂で不平不満をぶーたれるシーンを思い出したりも
しますが。
突然帰天されてしまった神父さまですが、長年いらした教会の主任から
病院付司祭に異動となり、何かタガのようなものがほつれてしまったのでしょうか。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 17:40
★ 鍵09:53@230209 さま、
神父さまは新任地でたった5か月での帰天です。予定では病院付きを3年ほど
勤めて、教区司祭ですから定年後にはそれなりの自由もありました。癌発見から
たった3週間での帰天となると、それまで痛みを隠されていたのかと想像
するとこれまた複雑な気持にもなります。明るい水色の瞳と、ドつきならではの
仏蘭西語の単語の選択が印象的な神父さまでもありました。恩師がまた
ひとり帰天・・・寂しいけれど、それだけ私の道も短くなっているのだと最近
実感しています。

きょうの件、ぜひ次の機会に!「社会平和」もまずはひとつ屋根の下が
平和であることだそうです。同じ会のシスターがそう私におっしゃいました。
鍵さん、不幸の中に入ってしまうのではなく、まずご自分が幸せを作り、
多くの方を幸せに導いてくださいね。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 17:48
★ Lucia さま、
一人ひとりの祈りを花に例えて、それを束ねて神さまや聖母に捧げることを
私が通っていたカトリックの学校では定期的に行われていました。当時の
私はそういうことを軽んじていましたが、自分の母の死を自ら受け止めたことで
ようやくその霊的花束の意味とその花々がいかに大きく束ねられ天に届くか
実感できたように思います。傲慢なんですよ、私。まだまだ慢心ばかりで、
生前は遠く離れたところに住む私を疑っていた母も今はすべてお見通し
でしょうから、残りの道はかなり短くなっていますが、私も熟考をできるだけ
して謙遜を身につけられるようにしないと、母が天国で私のために再び
頭を下げっぱなしとなってしまいますね。
Commented by Lucia at 2009-02-24 09:32 x
ma_cocotteさま

最近破門解除された方々の言われることが支離滅裂で、教皇様からも厳しいご指導があったことをどうか思い出して下さいね。
それにしても、随分罪深いことを言われる方がおられるのですね。そんな方たちには、もう一度しっかり聖書を研究し直していただかなければ…。

どうかそんな方たちの言葉に惑わされず、「福音書」に記されているイエス様の御ことば、信頼できる神父様やシスターのお言葉に身を寄せてくださいネ。
Commented by tama at 2009-02-24 09:41 x
あらためてお母様ご自身の悲しみを知り、母上様のま・ここつとさんに寄せられた愛情がただならぬものであつたように推察いたしました。実母に生別され、父上には33歳でお別れ。ご自分の長男は生後すぐなくなられ、ま・ここつとさんだけが、生きる楽しみだつたことでしょう。よくミツションに入れてくださいましたこと!お母様の心の奥に「娘をこの学校にあずけなければ・・」という強い思いが湧いてきたのでしょうね。有り難いことですね。
私はS,21年にミツションにはいりましたが、父が新しいもの好きで、入れてくれたのです。まさか、娘がカトリツクになるとは夢にも思わず、結婚式にはうろたえたようです。その時は母はこの世にはいませんでした。
今日はご命日。私も心をこめて、ま・ここつとさんと自分の両親を思い出す日にしたいとおもつております。

Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 18:08
★ Lucia さま、ひとつ前のエントリーに通りすがりさんという方が
FSSPX側の立場で意見をたくさんくださいました。ぜひお時間があります
時にご一読くださいませ。
FSSPX はマザーテレサが臨終洗礼を授けずに人々を旅立たせることに
対立意見を持たれてますね。死生観については「望みの洗礼」の解釈が
まるで違うのではないでしょうか。フランスには幼児洗礼を受けただけで
それを天国直行切符と独善解釈して好き勝手している人がたくさんいるし、
そういう人に限って成人洗礼者を頭ごなしに馬鹿にしたりもします。
ミッション国からの移民に慇懃無礼な憐れみを表現するフランス人も
たくさんいます。神さまの下で愚かな人が多いのは必ずしも宣教国では
なく布教国だったりもするのです。「天国に入るのは難しい」、本当ですね。
教皇さまが平和を壊す手伝いをするなんて私には考えられません。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 18:17
★ tama さま、私の母校のシスターがtamaさんと同じことを私に
話してくださったことがありました。実は母が当初考えていた私の入園先は
別の幼稚園でした。約2時間かけてとんでもない満員電車で通園することを
祖父が反対したことで母が思いついたのがカトリックの幼稚園でした。
母校のシスターも、母の服をさしあげた某修道女会のシスターもその時点で
母が心の声を聴いているのですよ、と慰めてくださいました。その真贋は
私も死んでみなければわからないかもしれませんが、妙にすーっと
心にしみいって納得できた言葉でもありました。
私の母も戦後、女学校の同級生の妹さんが私の母校に通っており、
公立女学校の母たちはてろんてろんの生地の制服だったのに、我が
母校はイタリアから直輸入のサージをシスター方のお裁縫で作った上質の
制服制帽だったことと、おやつにチョコレートが出ていると聞いたことを
思い出しての選択だったそうです。母らしい選択です。(笑
Commented by rice_shower at 2009-02-24 21:30 x
一年ですか.....。
お母様は、もうすっかり貴女の心に棲家を移されているのでは?

ところで、あまり人には言わないのだけど、私の誕生日が12月24日なんですよね。
で、若い頃には、結構ロマンチックな二人だけの誕生日を過ごした記憶が無いでもない。 逆行性妄想、幻覚かも知れぬが.....。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 23:07
★ rice_shower さま、

そうですね。この不可知なモノとの関係の所在については哲学域に
あたるのでしょうか?不思議な感覚に襲われるものです。
夫は私たちの間に母がいつもいる、と言います。
そんなの、照れませんか?(爆笑

rice_showerさま、クリスマスイヴがお誕生日なんて、「俺様な夜」で
ブイブイだったんでしょー?過去に脚色なんてそれだけ齢を重ねた
証拠かもしれません。今こそ今の幸せを実感してくださいね。
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