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この一年、生きてこれた、生きていられた。
2月24日になってしまいました。
きょうは私が生まれてはじめて迎える私の母の祥月命日です。
本当なら一周忌で帰宅するのでしょうけれど、母の場合、私の父方の実家の墓所工事を昨夏行ったこともあり、納骨が9月の彼岸に行われ、その際、お寺さんの承諾の下、一周忌の法要も共に済ませていただいたのでした。

この一年、私は生まれてはじめて母無しに生きました。
なんとはなしに母からすぐお迎えが来ちゃうンぢゃないかな、と内心思っていました。でも、来ませんでしたね。天国で退屈な思いをしていないのか、天国から眺める一人娘の生き様があまりに面白いのか。
既に私は実家を出て10年になり、昨年2008年2月24日まで母と一年以上会わなかったことは数度あります。でも、間に海や川があっても同じ地球の上、大地でつながったどこかに母が「いる」、母の「存在」を確信できる、たとえ母が言葉さえ思うように発せず、経管栄養だけで生きているだけの「存在」でも娘にとっての母は心のビタミン、栄養でありました。そりゃそうですよね、自分がこの世に飛び出るまでの毎日、母から栄養をもらって既に育てられていたのですから。でも、その母を今はいくら地球を何周まわったところ見つけられません。お墓の下に母の存在の証となる燃えカスが収まっていることはわかっちゃいます。でも、その存在の中にあった魂までが燃えて昇華してしまったとは私には思えません。母の存在と言う栄養剤を欠いても、私がこうして今も母から呼ばれることもなく生きているのは、母の死を通してヒトがこの世に生かされていることを何とはなく悟ったからかもしれません。

母無しのこの一年、母を亡くしただけでなく私にも喜怒哀苦楽いろいろありました。でも、私が自ら「すぐ死にたい」と思うことはありませんでした。昨年2度の帰国で、複数の友人、知人から「人生はこの世ですべてが終わり、死の後は無なのだ」という考えも聞きました。それならそれで、私が今生きている地球は美しい星なのでできるだけ長くこの世に生きて愛でたいと、我が身に纏わり着く世知辛いことは横に置いて素直にそう思うのです。

子供がいない私だからこんな風に思えるのでしょうか。母が亡くなったところで、子供がいれば「いつ呼ばれても、ま、いっか?」なんて微塵も思わず、「これからはこの子のために生きよう」と自分の立場を置換できますか。ただ、「いつ呼ばれてもいいや」と内心思いつつも、その日を迎えるためにはそれなりの物心両方の準備がいるようにも思えるので「今すぐ呼ばれちゃうのはちょと困るかも」と私の心が死に対してもぢもぢしていたりもしています。そんな自分の心の中の葛藤が面白くもあります。
生きぃているから悩むんだ。
掌を太陽に透かして見れば、真っ赤に流れるボクの血潮~♪
これからの私の余生は死ぬための準備をするためにあるのかなあ、擦り傷をおえば赤い血が出る私の手もその準備のために必要なんだね、たぶん。どうせ塵に戻るんだから、親からもらったこの身体を使わなくっちゃ。

この一年、母の死を通してたくさんたくさん学んだこと、知ったことがあり、私にとってのきょう2月24日は一周忌というより一周愛です。母が「親が死なないとわからないことがある」と、私と口論になるたびに言っていましたが、それはきっと、何より愛ですね。一年経って母の愛、友からの愛、私が受け止められないほどいただいていることを実感しています。このいただいたたくさんの愛を私も分けていきましょう。
数日前、田口芳五郎 という方が生前に残されたこんな言葉を見つけました。
私が今日あるのは、母の祈りです。
ああ、ああ、本当にそうです。私もそう。
母が毎朝晩かかさずお仏壇に手を合わせていたことを思い出しました。

le 24 février 2009, Isabelle
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by ma_cocotte | 2009-02-24 18:56 | 『?』なたわ言 | Comments(11)
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-25 00:45 x
父方の祖母が亡くなった時、御葬式に行けなかった私と叔母二人電話で思い出話などしておりました。その話の中で叔母がポツリと『子供なんて産むんじゃなかった。』と呟いた瞬間、自分の母の顔が思い浮かびました。

私と母は、共にこだわりが強いせいか相性が合わず母と衝突する事がしばしばありました。今現在得ている病も何かしら関係があるようです。けれど、家庭人であることに心から幸せを感じる人で、強い母性を持っている人でもあります。

どんなに衝突しても、傷つき傷付け合う事が過去、現在しばしばあったとしても、私の事を心から愛してくれています。召し出しが無く家に帰った時一番喜んでいたのは母でした。私が病を得て通院するようになって担当医から説明を受けた時、自分自身を責め泣きそうな顔してがっくりしていたのも母でした。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-25 01:04 x
叔母のあの一言は、私にとっては衝撃的でした。母親に望まれない生を受けた子の思いはどのようなものなのだろうかと・・・。

私は母の思い描いた人生を歩みませんでした。いつもがっかりさせるような事ばかりの人生でした。けれどそんな私を母は、決して見捨てませんでした。私の弱さ足り無さよりも母性の方が勝っているのです。

叔母と話をした次の日、私は涙を流しながら彼女に今までの自分の所業を謝り、そして見捨てずに守り続けてくれていること、私が存在している事を呪わないでいてくれることに心から感謝していることを告げました。母も涙目になりながら、「私がそんなことを思うわけないじゃない。大丈夫よ。心配しないで。」と言ってくれました。

人は年齢を重ねても両親の存在がこの世にあると思うだけで安心するものなのですね。ma_cocotte さんのお母様はきっと今キリストの御顔を仰いで新しい生を受けて喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。私はそう信じます。キリストの愛は計り知れないほど深くて恵みに満ちています。本当に感謝です。お祈り致しますね。(*^_^*)
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 01:51
★ イエズスのペトロさま、私も両親の思い描いた人生を歩めず、今も
帰省のたびに寝ても覚めても父から恨み言を述べられ続けています。
カトリックの学校に入ったことも父が今もって恨んでいることのひとつです。
世間様に対し何一つ自慢できることはないけれど、それでも親ですし、
自分自身はその親あっての存在という現実です。
人間は誰も何かしら不十分ですから、別項でも話したとおり、互いの
凸凹を補い合いながら互いを助け合い、高めていくことが大切ですよね。

欠点があったとしてもみんなで上を向いて歩けることが理想だと思います。
一緒にそうできるようにしていきましょうね。ね?

親子の関係はある時点を境に逆転するような気もします。母が娘のように、
父が息子のように自分より天真爛漫にいろいろおしゃべりしてくれたり、
相談を持ちかけられたり。そういう時点で過去に拘り過ぎると、互いに
硬くなって笑い合えることも笑い合えなかったりもします。そんな貴重な
機会を失ってしまうのは寂しくもあります。どうぞご両親と楽しくね。
イエズスのペトロさんから花束が届いて一番喜んでいるのは母です。
どうもありがとう。
Commented by tama5136 at 2009-02-25 08:27
私は父が亡くなって15年、母が亡くなって13年経っています。『会いたい時に会えない』という悲しさは年々増してきました。特に結婚式、子供の出産など人生の節目は自分が1段大人になる証、その時に隣にいてくれないことは本当に悲しかったです。
今、どんな気持ちで私たちを天国から見下ろしているかはわからないですが、『無』でなく魂だけどこかに存在してもらいたいと思っています。
ただ亡くなったことで全てが失われたわけではありません。マココットさんがおっしゃる『親の愛』、周りの人を思いやる気持ち、1人で生きていかなければならない責任感等多くのものが身に付いたと思っています。なので親が亡くなったことで成長できたとちょっとプラス思考で考えています。

『私が今日あるのは、母の祈りです。』
とってもステキな言葉ですね、私の母はクリスチャンでいっつも祈っていました。当時私には理解できなかったですが、今なら何を祈っていたかわかります。宗教の種類は別にして家族の幸せを祈るのは愛のある証。

母の命日は自分にとってもう1つの誕生日だと思っています。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 16:50
★ たまころさま、
たまころさんは年齢では私より年下であっても、人生においては私の
先輩です。貴コメントを拝読しつつ、ぐーっと来ました。親を失うのは
つらいし、こちらが親を求める時にいない寂しさ。だけど、この一年、
そういう思いに直面するたびになぜか頭に浮かんだことは「それでも
子は親を見送るのも務めなのかもしれない」ということです。俗に逆縁の
不幸と言うようですが、子が親より先に旅立つのは親にとってどれほどの
心痛でしょうか。私の母は、私より前に生まれた最初の息子を生後数日で
見送りました。父がふと「お前まで先に言ったらママはどうなってしまった
だろう」とつぶやくことがこの一年何度かありました。介護が大変だった
事実があればこそ、もしそういう逆縁の不幸が二度続いたら、父自身が
面倒見切れなかったということに気付いてこそのつぶやきだったように
思えます。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 16:52
★ たまころさんのお母さまはクリスチャンだったんだ・・・
ああ、そうか。なんとなーくたまころさんの文章から伝わるものがありましたよ。
一日一日に感謝することとか、お食事の前にたまころさんが思うこととか。
お母さまが伝えたこころがたまころさんに自然に身について、子供たちに
奥様に伝えられていくんですね。これぞ、まさに家族だ。
私の母が毎朝毎晩、自分の父親や亡くなった息子の位牌に手を合わせて
いる姿、懐かしいです。今は父が毎朝毎晩それを受け継いでいます。
私も母の命日が自分の第二の誕生日となんとなく思っていたところ。
どうしても一周「忌」より一周「愛」なのです。
Commented by at 2009-02-26 13:11 x
心静かにお過ごしになれたようで、よかったです。特別な日って、やっぱり誰にでもあるものだと思うのです。空に風にいない人を思うこと、日にちを限ったことではないけれど、やはり特別に濃くおもわれる日というものはあるように思います。

「私が今日あるのは、母の祈りです」素敵な言葉ですね。なくなった祖母ふたりを思い出しました。私も祖母の記憶はお仏壇と切り離せません。いろいろな彷徨をして、しかし祈るということがどんなときにも人には許されているということを教えてくれたのは、自分には祖母であったように思います。
Commented at 2009-02-27 22:22 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-28 00:55
★ 鍵22H22@270209 さま、

  >赦し赦されること、受け入れ受け入れられることを拒まないようにしよう

ぐぅうううううっと来ました。
おそらく、多くのヒトが「赦すことの難しさ」を思い知り、それがまさに
十字架のようでもあり、人生のカルワリオの道を歩んでいるのでは
ないでしょうか。私の場合、こうして独立して家庭を持ったことでこの
難しさを痛切に実感したりもしています。多分、この難しさから解放
されたかの気持を味わえるのは生きているうちにあるかなあ・・・という
くらい重いけど、これ以上重くして行ってはならないのでしょうね。
きょうは金曜日で、近所の教会でおじいちゃま、おばあちゃまに混ざって
十字架の道行に参加して来ました。母のことやらいろいろ脳裏を過ぎりましたが、
喜んで悩んで光明を見出すにはまさに今がその時期ですね。

おばあさまのため、お祈りいたします。
Commented at 2009-03-01 23:22 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-02 03:43
★ 鍵23H22@010309 さま、
お気遣い申し訳ありません。この手のことは定期的にあることでもあるので、
そのたびに気をつけてはいますが難しいです。
死ぬ瞬間まで「知る喜び」を持つというのは人生を半分も過ぎると
生きる楽しみになりますね。肉体は老いていきますが、魂育てはこれから。
3歩進んで2歩下がると実感されるのはそれだけ丁寧に魂を育ててらっしゃる
証拠です。良いことですよ。一緒に楽しく寄り道しながら前に進みましょうね。
こちらの田舎菓子は何を混ぜて作られているのか分かるくらい素朴かも
しれません。小麦粉、塩、砂糖、バターの味が数秒のうちに全部、脳を
刺激するようなメリハリがあると思います。
小梅ちゃんはしょっぱく、しゅわしゅわ、甘酸っぱい。あれは新鮮でした。
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