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お好きなように、どちらでも...で、そうなるといいですね。 Comme tu veux...et, Dieu le veuille! 
先日2月20日付でこのブログに掲載しました『出て行け、ウヰリアムソン君! Partez! ....Non! Quittez, Mgr. Wiiliamson!』において、2月23日より「通りすがり」とおっしゃる論客が今年1月21日以降、主に欧米で騒がれているFSSPX(聖ピオ十世会)とヴァチカンの間の諸問題とそこから派生する事項について多数意見をくださるようになりました。いただいたご意見とのやりとりはエントリーの主題から外れつつあるとブログ主として判断し、ここで新たにエントリーいたします。ここに立ち寄られる、または集われるみんなたちの真摯なご意見をコメント欄にいただけましたら幸いです。

以下、前出のエントリーコメント欄でのこれまでのやりとりになります。
「通りすがり」さまのコメントはで表します。
なお、「通りすがり」さまのIPアドレスは既に確認しており、おそらく同一人物であることをお知らせしておきます。以下、ご一読後、各自、コマを進めてくださいまし。
Commented by 通りすがり at 2009-02-23 10:08 x
 とても、興味深い内容で、ブログのこの記事を読ませていただきました。聖書の黙示録の中で、またカトリックの公式的な聖務日課の中でも見受けられた言葉の中に、「最後の時に信仰を持つものがどれだけいるか」という主キリストの言葉がありとても心に響いた記憶があります。
 近代主義を代表する多元主義や相対主義の流れは次第に天主の存在を忘却させるとする内容の聖ピオ10世教皇の回勅(教令)に目を通して、信仰の危機は現代のことを言っているのだと確信しました。

Commented by 通りすがり at 2009-02-23 10:08 x
また、中には私的啓示だとして距離を置く人が多い、ファティマの聖母の第三の秘密に関して、B16教皇(当時ラッツインガー枢機卿)が、第3の秘密は信仰の危機についてだと仰ったことも確かに現代は信仰の危機が大問題なのだというメッセージを投げかけているのだと思っています。
 だから、そのような信仰についてよりもウィリアムソン司教の発言をメディアが取り上げて騒いで、B16教皇を叩く論調をはるのは、この社会(西洋に限らず)が反キリストであることの証なのであり、また教会内部でも教皇に一致しているように見せかけていざ破門解除に至ると教皇は間違った選択をした、と堂々と主張する司教団がいたりするのは、まさに信仰の危機とは内部から瓦解していることを意味しているからではないでしょうか?



Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 16:37 x
★ 通りすがりさま、はじめまして。
B16はFSSPX を創立し、教皇からの返答を待たずに4司教を叙階したルフェーヴル師本人が既に帰天していること、そして、FSSPXのフェレー総長から先のモツ・プロプリオの内容だけでは不服、不十分ゆえ4司教の破門を解除していただきたいという書状を数回にわたってもらったことで破門解除「のみ」をしたに過ぎません。教会内問題はこれで完結です。
FSSPX の受け入れについては「少なくとも」二年先と言われていますし、それまでの間FSSPXに所属する聖職者が聖務を行うことを許可していません。(既にFSSPX 側はこの教皇側の命令を無視しています)
ウヰリアムソン師の発言についての問題は社会平和においての問題であり、FSSPX 側が主張する「教会内の敵」による陰謀やら「教皇が敵に丸め込まれないように祈ろう」というのは抜本から論点がずれていると思います。

続きます。

Commented by ma_cocotte at 2009-02-23 16:42 x
★ 人間だったら戦争より平和を望むのが本能で、それを各国元首が理想としていること。その各国元首のひとりがB16に過ぎない。ウヰリアムソン師の発言はまだ完成を見ていないこの世の平和を、過去の不安定な形に戻すくらいの勢いがある内容です。世間がB16教皇を叩く論調が存在するのも第二ヴァチカンを境にしての変化でしょうね。第二ヴァチカンを破棄したら、B16が何をしても臣民は「はっは~」と平伏せばいいのでしょうか?第二ヴァチカンの会議場にいらしたB16が教皇となった今、それを望んでいると?確かコンクラーベで選ばれた方ですから、それは彼に票を投じた枢機卿方の意の表れ。話がつながらなくなって来ませんか?


Commented by 通りすがり at 2009-02-24 09:02 x
ma-cotte様
 わざわざご返答ありがとうございます。
私は今の教会のあり方、または典礼のあり方に疑問を持ち続けて調べてるうちに、聖ピオ10世会の存在をネットを通して、知りました。
 破門解除に至る経緯に関して、マコッテさんの誤解があると思います。
聖ピオ10世会のフェレー総長によれば、破門解除を求めるように再三手紙を出すように促したのは教皇様のほうだと仰っています。エクレジアデイ委員会のホヨス枢機卿がそのように求め、最後通牒までだしてきたので、ローマ(教皇)の権威にすがることが聖ピオ10世会当初からの考えであったので、手紙を出し続けていたそうです。
 信仰の話をしたいというのが、聖ピオ10世会側の考えであり、さまざまに解釈できる部分が存在する第2バチカン公会議の成果である公文書に関してお話したいと言うのが本音なのだと思います。

Commented by 通りすがり at 2009-02-24 09:12 x
後、人間は平和を求めることが本能だとするマコッテさんの考えは、人間には原罪が存在することをお忘れではないかと考えてしまいました。おそらく、教会内の事情を知る人なのでカトリックの方だと存じますが、もし、人が本能に従ったら、社会は秩序を乱すのだと思います。だからこそ、理性に従って行動することが求められ、平和を希求することが必要なのだと思います。
あと、補足ですけれど、聖ピオ10世会は第2バチカン公会議を受け入れていますし、ルフェーブル大司教はその成果である公会議文書のうち信仰に関する部分と典礼に関する部分に疑問を投げかけているに過ぎません。どうでも良いように解釈できるので、カトリックの信仰を失ってしまうと警告をしていた一司教なのです。

Commented by 通りすがり at 2009-02-24 09:26 x
 あと、ウィリアムソン司教の発言で、ナチによる600万のホロコーストの否定に関してですが、マコッテさんはマルコポーロ廃刊事件をご存知ですか?
 否定派のなかには、イスラエル建国(シオニズム)を可能ならしめた理由としてネオナチによる600万のホロコーストが重要な位置を占めているので、これを否定することは国連中心に動いてきた世界を転覆させることだとして、ユダヤ系組織や欧州連合から強い圧力がくるのだと主張しています。
 歴史にタブーがあってはいけないと思っています。当時フランスの良心とまで言われたフランスの一神父様は、10年前ホロコーストに関して歴史的検証が必要だろうと仰ったことにユダヤ系組織がもう抗議し、欧州で火種になったことを思い出せば、ホロコーストを既成事実化した現在、覆せないものになっているのだと思います。



Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 17:27 x
★ 通りすがりさま、承ります。
が、教皇さま、ベルトーネ国務長官、カスティヨン・オジョス枢機卿はじめとするエクレジア関連の方々各自が公開している今回の経緯と、フェレー師が2月4日以降、オジョス枢機卿からの再三頼まれたことで破門解除(FSSPX側では破門撤回)を願う書面を送ったという話のどちらを信じたり、支持するか、通りすがりさんの自由です。
というより、フェレー総長さまはどなたに従順を誓われているのですか?
なんか司教任命式の式次第を拝見したいですね。おそらく伝統に則ってらっしゃるから一字一句、つっかえることなく行われたと思いますけれど、まさか当時の教皇名と任命式が開催された土地の教区長名が抜けていた?まさかね。


Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 17:37 x
★ 次に、

 > 理性に従って行動することが求められ、平和を希求すること

ですが、ウヰリアムソン師に通りすがりさんがご忠告申し上げたらいかがですか?
人間には残念ながら原罪が存在するから平和を乱そうとそそのかされることがあるのです。(と、公教要理や宗教の授業で習いませんでしたか?)平和を求めるのが本能と私が書いたのは「神=平和」であるからです(もちろん「神=愛」でもあります)。つまり神を知る個人が平和を望まないという話の流れは既にロジックが壊れています。私たちはひとりでも多くのひとに平和そのものである神を知ってもらうため、多くの宣教師が異教の土地に出てもいます。その手段として暴力をカトリックが勧めていますか?残念ながら神そのものの捉え方が異なったり、宣教手段において武力が用いられることを容認されていることで、個人の平和を壊そうとする者やら物、団体が現れたら、自らの平和を守るために防衛するでしょう。それも神を知る個人が神を愛を知ればこその本能の表れのひとつです。

Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 17:55 x
★ W師の発言ですが、宗教を超えた大地の平和を壊せるほどの発言だということ。平和を希求することを促すのではなく、その逆に向かって扇動する発言をFSSPX高位聖職者としてなさった。
今日のZENIT 英語版にスペイン司教団から教皇さまへこの件について書状が送られた旨、掲載されました。
http://www.zenit.org/article-25180?l=english
アルゼンチン政府がウィリアムソン師に追放令を出したことも。
http://www.zenit.org/article-25174?l=english
次に、ホロコーストについての貴意見ですが、隣近所に身内を収容所で失った人、腕に刺青を携えた本人などがいないからそうおっしゃれるだけでは?
ナチスの強制収容所に収容されたのはユダヤ人だけでないこと、ご存知ですか?それにフランス国内には既にナチスの収容所があり、そこにはガス室も解剖室、焼却炉も現存して公開されています。
ところで、
  
  >当時フランスの良心とまで言われたフランスの一神父様

とはどなたですか?
「フランスの良心」という枕詞ですが、神を冒涜したかのような発言をするとマスコミが喜んで使いますが。代表例が現大統領サルコです。


Commented by 通りすがり at 2009-02-24 19:08 x
マコッテ様
 いくつか質問がございましたので、返答します。
フランスの良心とまで言われ方は、アベ・ピエール神父様です。
先ほどネットで調べましたら、ウィキペディアに簡単な紹介がありました。
ホロコースト否定論者が極右の人たち(腕に刺青を携えた本人と表現されているようですが)といわれるのははたまた誤解です。政治的に左派の方でも600万人のホロコースト否定論者はいくらでも存在します。
 収容された方が、ユダヤ系の人たちだけではないのは、マキシミリアンコルベ神父様の存在をご存知のカトリック信者の方はだれでも知っています。

 

Commented by ma_cocotte at 2009-02-24 19:41 x
★ 通りすがりさま、
ラベ・ピエールですが、司祭妻帯、女性祭司、ホモセクシュアルの同棲などを支持した方で、FSSPX思想とは真っ向から反対の立場ですね。
彼は性関係のあった秘書の隣に今は永眠していますよ。
彼が「フランスの良心」と世間で例えられたのは、現カトリックの考えと違う考えを公にされた方だからです。宗教を越えた左派のアイドルであることは間違いありません。そして、「腕に刺青を携えた本人」というのは収容所に収容された本人を指します。極右ではありません。
一昨年帰天されたリュスティジェ枢機卿はご両親が収容所に送られ、母上はそこで帰天、ご本人はフランス国内のカトリック信者に匿われてた方です。
通りすがりさんがどなたに従順なさるのも通りすがりさんの自由です。以下の言葉、プレゼント。

「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するなら
それを信じよう。 イグナチオ・デ・ロヨラ」
「教皇と一致していない人はカトリック者ではありえない。 ドン・ボスコ」


Commented by 通りすがり at 2009-02-24 23:06 x
 アベ、ピエール神父様に関しては仰るとおりです。だから、政治的に左派の方でもホロコースト否定論者は存在すると言うことです。
 「腕に刺青を携えた本人」を読み間違えて、上の件を取り上げたまででしたので、ホロコースト否定論は割愛しましょう。
 フェレー総長のことですが、ローマ教皇に従順ですよ。しかし、多くの教皇によって異宗教間のエキュメニカル運動を排斥され続けたのに、今のエキュメニカルを推進なさった前教皇にたいしては、厳しい批判をしていたまでです。
 しかし、教皇空位派とは違い、聖ピオ10世会は教皇の位階秩序を尊重していますよ。それが今回の破門解除の大きな要因だったのではないでしょうか?

Commented by 通りすがり at 2009-02-24 23:17 x
>宣教手段において武力が用いられることを容認されていること

そんなことは許されていませんよ、昔から。
大神学者聖トマスアキナスは、生命を殺める正当な理由は3つあると主張しています。そのうちの一つに「正しい戦争」とあり、宣教手段において武力が用いられたことは歴史上知りえませんが正当な信仰を守るべきときに戦争がなされたというのは、オスマン帝国がヨーロッパ本土に襲撃したときなど限られています。
 ウィリアムソン聖職者が上の発言をしただけで、マコッテさんの上記の発言につながるのは論理的飛躍があると思いますが。


22日から23日に変わる時点で以上のコメント交換になりました。

さて、あらためまして 通りすがり さま、最新二つのコメントについての返答をいたします。まず、フェレー総長は現時点でローマ教皇に従順ではありません。破門解除と同時に聖職停止が命じられているにも関わらず、FSSPXの会員が違法ミサを続けているのはなぜですか?

次に、
>宣教手段において武力が用いられることを容認されていること
そんなことは許されていませんよ、昔から。
わたくしは、異教徒が宣教手段において武力が用いられていることを容認されている場合を示したつもりなんですが。拙コメントの中で「その手段として暴力をカトリックが勧めていますか?」と既に問いかけ、その後に続く「残念ながら神そのものの捉え方が異なった」をカトリック内の団体にあてたつもりはまったくありません。
今回の四司教破門解除とウヰリアムソン発言と教皇庁の動きを曲解したイスラームのモロッコ移民がベルギー国内においてユダヤ系の一般家屋のポストに次々と放火した事件が既に発生していますが、論理的飛躍も何も世界中から集まった人々が共存し、互いに共通部分を見つけつつ、互いの違いを尊重しあいながら理想的平和を構築しようとしている社会に、カトリックがその平和を乱す発言を支持するのでしょうか?教皇さまみずからが平和を軽んじると?教皇さまが再び欧州内の異教徒を高い塀と厚い門の内側に閉じ込めるつもりですか?

通りすがりさん、ひとつ忘れていることがありませんか?
現教皇ベネディクト16世は今は教皇であっても、もともとは独逸の一教区司祭です。
教区司祭は教区民のために働きます。まさか聴罪を一度も経験されたことがないまま、階位を昇られた?これまで一度も独逸国内の世俗の罪を聴いたこともなければ赦したこともないとでも。年齢から拝察してホロコーストについて知りたくなくても聞こえちゃってませんか?それとも、B16ご本人がホロコーストを否定している証拠がありますか?ミギだろうがヒダリだろうが身辺に収容所の犠牲者もいなければ、市井でナチに殺められたヒトもなく、見たことも聞いたこともないからホロコースト否定発言ができるンぢゃないでしょうか。フランス人のラベ・ピエールがそれらを否定できるなら、それはそっち方面でのお勉強が熱心すぎて、記憶していた事実をすっかり忘れちゃったんでしょうね。ま、ご自分から修道生活を去られたラベ・ピエールと、破門解除された高位聖職者の立場とは異なります。例えるなら、世界に広がる大企業において中間管理職が平社員を束ねる役目があるにも関わらず、ウィリアムソン師のお口から出た私見は孤立しているに過ぎません。ガス室否定だけでなく、9.11についてのウィリアムソン師の私見も世界中の反米派が喜んでくださいますね。ウィリアムソン師が時にミギと、時にヒダリと手をつなげるのもとてもカトリックです。

現時点で国際人種差別委員会はリチャード・ウィリアムソン司教に対し、証拠を挙げて自論を正当することを認めており、それができないなら前言撤回し謝罪という流れは問答無用の命令ではありません。ですが、ウィリアムソン師は教皇庁からの2月4日付の求めに対し自論を撤回できる証拠を教皇側から出すよう願っていますよね?ヴァチカンからの証拠提出が条件でウィリアムソン師が前言撤回する可能性はあると。なぜウィリアムソン師はご自分で調べないのでしょうか?  http://www.struthof.fr/

そして、以下、
フェレー総長のことですが、ローマ教皇に従順ですよ。しかし、多くの教皇によって異宗教間のエキュメニカル運動を排斥され続けたのに、今のエキュメニカルを推進なさった前教皇にたいしては、厳しい批判をしていたまでです。
だから?多くの教皇とはどなたでしょうか?
FSSPX の会憲に「死人のごとき従順」(perinde ac cadaver)なんて言葉がないから厳しい批判を段取りを踏まず(← ここ、重要)にできたのでしょうか?


ついでにもいっちょ
しかし、教皇空位派とは違い、聖ピオ10世会は教皇の位階秩序を尊重していますよ。それが今回の破門解除の大きな要因だったのではないでしょうか?
......違うと思う。..._| ̄|○
この場を借りまして、こんな新聞記事でも読んでみましょ。

法王に相次ぐ批判…ホロコースト否定の司教「破門解除」

【ローマ=松浦一樹】ローマ法王ベネディクト16世がナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を否定する英国人司教の「破門解除」を決定し、各国のユダヤ教徒ばかりか、カトリック教会内部からも痛烈な批判を受けている。▼教会保守派である法王の指導力を疑問視したり、政治センスの欠如を指摘したりする声もあり、「法王は無謬(むびゅう)」とされるバチカン(法王庁)では、異例の事態となっている。▼法王は先月24日、スイスを拠点とする超保守派修道会に属する司教4人の破門を解いた。その中に、「ガス室は存在しなかった」と公言するなど、ホロコーストを史実と認めない英国人リチャード・ウィリアムソン司教が含まれていた。▼法王の決定を受け、イスラエルのユダヤ教最高権威である大ラビ庁は、バチカンとの関係を「無期限で中断する」と一方的に宣言。法王の母国ドイツでは、メルケル首相が「ホロコーストは否定されてはならない」と批判した。▼法王は「英国人司教の言動を、知らされていなかった」と釈明。今月12日には「ホロコーストを否定し、矮小(わいしょう)化することは犯罪行為に等しく、耐え難いこと」と述べ、事実上謝罪した。▼しかし、ほぼ同時期に、「ハリケーンが米南部を直撃したのは地元民が罪深いから」といった過激発言で知られるオーストリア人神父を、法王が司教補佐に任命していたことがわかり、騒ぎは収拾どころか拡大。オーストリア司教区が法王の決定に「不信認」を突きつけたため、神父は任命を辞退した。▼バチカンの失態が相次いだことで、法王批判は、カトリック教会内部からも噴出。バチカンで対ユダヤ教関係を担当するドイツ人のカスパー枢機卿はラジオ放送で、「法王庁内で意思の疎通に問題がある」と発言。ウィーン大司教区からは「信者の教会離れに拍車がかかっている」との苦言も飛び出している。▼バチカンは1960年代以後、他宗教との対話促進に力を入れてきたが、神学者出身で、保守色が濃厚な現法王が就任した2005年以降は「対話はむしろ後退している」(伊レプブリカ紙バチカン担当記者)との見方が強い。法王は06年にも、イスラム教が暴力を容認しているとも取れる発言を行い、イスラム諸国の反発を招いた。度重なる騒ぎに、教会の長としての法王の求心力を疑問視する声さえ出始めている。

2009年2月23日22時49分 読売新聞



....以上ですけれど、実は 通りすがり さんが一体ここで何を目標に定め、何を求めてコメントを書いていらっしゃるのか、凡な私にはわかりかねている次第です。Aidez-moi, svp.
FSSPX が正しく、ウヰリアムソン師のお考えが正しい。
ただそれだけを証明にいらしてる? ¢( ・_・) ハテ?
書き遅れましたけれど、「平和と一致」を掲げる国境を越えた巨大組織に所属する団体ならば、その団体の責任者は平和と一致の実現に努めるはずです。破門解除されたなら、今年2月4日付公文書 にある団体の最長上からの求めに応じること。命じられたことや社則を守ること。それに不平不満を持つのなら面倒くさくても社則を守り、段取りを踏んで、改善に努めること。それを何一つできないから1988年においても、今においても、傍観している世間が批判しているに過ぎない。FSSPX 認可まで少なくとも2年は要すると言われているし、ウヰリアムソン師発言以降のFSSPX側の言動から2年後の認可はありえないとまで言われ始めています。一致のために努力するのは双方であり、妥協するのが教皇側だけというのは何か違うというのが私個人の感想です。

Dieu le veuille! 
神様が通りすがりさんの思い通りになると、通りすがりさんにはいいことですね。

le 25 février 2009, Roméo


【追 記】 通りすがりさん、曰く
ルフェーブル大司教はその成果である公会議文書のうち信仰に関する部分と典礼に関する部分に疑問を投げかけているに過ぎません。どうでも良いように解釈できるので、カトリックの信仰を失ってしまうと警告をしていた一司教なのです。
1988年、ルフェーヴル師の独断による4司教任命直前にルフェーヴル師のもとを離れて教皇庁に庇護を求めた団体(FSSP)、2005年にFSSPX から追放された司祭に任された神学校(IBP)、いずれも現在、教皇庁から認可された修道会、神学校であり、彼らは1962ミサのみをあげており、ヴァチカンに戻り、ヴァチカンの指導において何ら信仰を失ってはいないと公にしています。
ついでに、以下は2009年1月8日現在のフランス共和国内、共和国軍、スイス、ルクサンブルグ、ベルギーとローマ市内で1962ミサをあげている教会のリストです。 Nouvelle autorisation とあるのは司教認可が新たに下りたことを指します。
Messes traditionnelles en France
http://www.amdg.asso.fr/lieux_messes_spv.htm
この現状で敢えてFSSPX のミサに通う理由は何でしょう。
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by ma_cocotte | 2009-02-25 00:21 | 破門→波紋→和解→破壊 | Comments(121)
Commented by 通りすがり at 2009-02-25 09:45 x
マコッテ様
わざわざ、コーナーまで作っていただきありがとうございます。
荒らしためにコメントを投稿したのではないと言うことだけはご理解ください。

ただ、私が主張したかったことは、始めの投稿にありましたように、現代は信仰の危機があるということ、それを今回の4司教の破門解除を通して述べたかったことでした。しかし、マスコミはこぞって教皇様によって受け入れられた4司教のうち一人の司教をホロコースト否定論者だとして叩きにでましたので、信仰の話が政治的な問題へとすりかわったことに疑問を抱いていたのです。

そして、私が投稿をした際、返信の中でマッコトさんのコメントに事実誤認がございましたので、返信を重ねてしまったしだいです。
Commented by 上同一人物 at 2009-02-25 09:52 x
いくつか質問がございましたので返信いたします。

>多くの教皇とはどなたでしょうか?(エキュメニカル運動反対について)
第2バチカン以前の教皇
教皇レオ13世は、確かアメリカで行われた諸宗教の万博を反対なされました。
教皇聖ピオ10世はシヨン運動(世界統一宗教を模索)を排斥
教皇ピオ11世は「モルタリウム・アニモス」において、エキュメニカル運動を排斥、
教皇ピオ12世回勅『ミスティチ・コルポリス 」にて真の教会はカトリックのみと主張。
などです。(以下参考HP)
http://amateur-gregorien.hp.infoseek.co.jp/fromecum.html
http://fsspxjapan.fc2web.com/

>ウィリアムソン師は教皇庁からの2月4日付の求めに対し自論を撤回できる証拠を教皇側から出すよう願っていますよね?

願っているかは分かりませんが、1980年代に彼が研究した段階で、自分の意見は正しいとウィリアムソン司教は語っております。もし、新たな事実を発見した場合自説を撤回するし、それまでに時間は掛かると仰っているのみです。(独週刊誌デア・シュピーゲルとのインタビュー参)

 追伸 スパムコメントになっていたので名前変更


Commented by 通りすがり様へ at 2009-02-25 12:11 x
ma_cocotte様ではありません。

コメントのやり取りを読ませて頂きました。もう十分では無いですか・・・。荒らしでは無いとおっしゃっていますが、ma_cocotteさんが過去コメントでおっしゃったようにこの場で問答するよりも、ご自分が危惧している事を教会に訴え働きかけていく事に労力をおしまれた方が宜しいかと思われます。もう十分あなたのおっしゃりたい事はよく分かりました。

>>ただ、私が主張したかったことは、始めの投稿にありましたように、現代は信仰の危機があるということ、それを今回の4司教の破門解除を通して述べたかったことでした。しかし、マスコミはこぞって教皇様によって受け入れられた4司教のうち一人の司教をホロコースト否定論者だとして叩きにでましたので、信仰の話が政治的な問題へとすりかわったことに疑問を抱いていたのです。

Commented by 上記同一人物 at 2009-02-25 12:12 x
この点については多くの人々が懸念している問題ではないでしょうか。もし本当に教会を良き方向へと導きたいと考えていらっしゃるならば、様々なブログに出没し問題提起を投げかけるというスタイルを取るのではなく、ご自分でブログを立ち上げご自分の信念に基づいて発信していかれては。と提案させて頂きます。

もしブログを立ち上げられましたならどうぞお教え下さい。ぜひ読ませて頂きたいと思います。ご検討宜しくお願い申し上げます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 17:05
★ 通りすがりさま、貴コメント拝読。
ええっとですね、根本どころか抜本的に通りすがりさんが信じ込まれている
ことに誤解があり、その信じていることが事実として存在していないこと。
それに通りすがりさんが気付かないまま信じているんですよ。

まずその一つ目。

  >現代は信仰の危機があるということ
  >それを今回の4司教の破門解除を通して述べたかったことでした

どんな信仰の危機でしょうか?FSSPX がその危機にどう関わっているのですか?
そして4司教の破門解除は信仰の危機のために実現したのではなく、
教会の一致のための第一関門として実行したに過ぎません。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 17:11
★ 次に、

 >マスコミはこぞって教皇様によって受け入れられた4司教のうち一人の
 >司教をホロコースト否定論者だとして叩きにでましたので、信仰の話
 >が政治的な問題へとすりかわった

これ、摩り替わったのではなく、まったく別次元なんですが。しかも、
四司教の破門解除は信仰の話ではなく、教会組織上の解除に過ぎません。
組織のことと信仰を絡めるならば、FSSPX なる団体を教皇庁が認可し、
そこの所属聖職者に聖務停止解除を出すまでに最低二年要するんですよ。
そう、教皇庁側が見積もっています。
1月21日以降、FSSPX 会員が世俗を招いてミサをあげるのは教皇さまの
意に反します。なぜ破門解除されたのに教皇さまのおっしゃることを
受け入れないのですか?
ウィリアムソン師問題ですが、多くの有名全国紙HPにおいて宗教面
ではなく社会面で扱っています。四司教破門解除は宗教面です。
話は摩り替えられておらず、メリハリがあります。逆に信仰と世俗問題を
ごちゃまぜにし独善的関連付けをして「すりかえられた」と伝える方に
無理があります。ヲッチャーだからこそそういうからくりが鮮明に見えると
言うもの。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 17:22
★ で、エキュメニカル運動を反対した教皇さま方ですが、第二ヴァチカン
以前の教皇さまの名を挙げられても「そりゃ、当然でしょ」としか言えません。
例えば、1970年代でも異教徒の葬祭に欠礼する聖職者、修道者方は多数
いらっしゃいました。
参考HPがFSSPX会員の手によるもののみを私に提示されても、
まあ、これからの(最小期間で)2年を教皇庁に委ねる立場にしか
ないんで(と、私が書いた意味、わかりますか?)。まさに相容れない部分
のひとつでしょ。
真の教会はカトリックのみとエキュメニカル運動はまったく別次元ですよ。
エキュメニカル運動をしたところでカトリックは唯一真の教会であること、
なんら変わりません。
・・・・って、中学校の宗教で未信者の子でも学ぶくらい基礎の基礎です。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 17:30
★ 1980年代にウィリアムソン師がどのような研究をなさったか、原著
論文で国際一流紙に掲載記録がないのでしょうか?
社会学だとしたら、ウィリアムソン師は欧州各国の収容所痕におみ足
運ばれて、例えばそれが偽造だとしたら科学的分析も公開されての
立証と自論の公開で、それが掲載雑誌の委員の審査で認められたこと
での掲載のはずです。
新たな事実も何も。B16がアウシュヴィッツ訪問したことも、見れるのに
見ないままで現在に至っているのではありませんか?

何と言うか、世の中を逆メガホンで見ている印象があります。

それにしてもFSSPXが信者に繰り返す「信仰の危機」とは何でしょう・・・。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 17:39
★ 通りすがり様へ とコメントを書かれた方へ。
四司教破門解除からウィリアムソン師発言の問題に摩り替わったことが
懸念される、と書かれ、更に「本当に教会を良き方向へと導き」とありますが、
「教会の一致」について今回は「破門解除のみ」です。FSSPX に自由を
与えたどころか、会員全員に聖職停止と現時点でヴァチカンの認可なく
一般教区や修道会との交流を禁じています。つまり破門解除されたことで
FSSPX の活動は以前にも増して制限されたというか、世間の目が
厳しくなりました。これは事実です。例えばパリのサン・ニコラ教会の
様子がテレビで流れるたびに「L'église illégale 不法教会」という
枕詞が付く事が多い。これ、教会内の諸法でも不法ですが、民事でも
不法です。教区財産または市の財産に不法滞在しているので。
ヴァチカン傘下に一歩でも入ったなら、こういう面でもクリアにしないと
世間の目じりが下がることは難しいです。

Commented by 上記のコメントに関して at 2009-02-25 18:52 x
★ 通りすがり様へ とコメントを書かれた方へ。のコメントに関して・・・。

ma_cocotte様、勉強不足でありながら差し出がましい事をし、大変失礼致しましたm(__)m。そして丁寧なコメントとアドヴァイスをありがとうございました。(*^_^*)
Commented by あんとに庵 at 2009-02-25 18:58 x
おお。なにやらデジャ・ヴなやり取りというか、この手のやり取りっていつもエンドレスでありますね。
「信仰の危機」は教会の多くの人が考えてることですね。宗教改革、近代啓蒙主義の時代とまぁ色々語られて来ている。というか実は古代からずっとそういう事言ってたりする。カトリックの伝統芸ですな。
ま、そういうわけで現代にあってもとりわけどこかのセクトのみが考えているわけでもなかろう。更にそれを乗り越えるのに手段が一つしかないわけでもなかろう。(現に伝統典例を守る別のグループは問題を起こしていない)
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 18:59
★ 上記のコメントに関して と書かれた方へ。
1月21日の破門解除の文書、1月24日に一般に発表された内容では
ヴァチカン側の考えや立場が不鮮明かもしれません。が、2月4日付で
公開された布告文の内容は、ヴァチカンの現在の考えが明瞭に
書かれていると思います。

http://malicieuse.exblog.jp/10303143/

1988年の破門の理由から現在の問題点や対FSSPX の現在の立場まで
簡潔に説明されています。ぜひご一読ください。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-25 19:06 x
むしろピオ10世会は別な形で兄弟間の離反を招くような、つまり叙任権に関わるような性急な手法をとったり、教区への説得や根回しを怠り、司教許可を取らずに活動するなどという行為、更にはいたずらに信徒達に不安をまき散らすかのような声名の数々(変な共産主義陰謀論まであるのには驚いた)は、彼らが批判する典礼を破壊し続けたり原則を曲げるようなリベラル急進的な立場の聖職者達と同様、私は「教会の危機」へ加担したと考えています。
共同体の中で振舞うには独善過ぎるその考えそのものが、危機を生み出すというのは保守も革新も同じ。どちらも排外的なのはいいかげんにして欲しいと思っていますよ。
中道を行こうとするベネディクト16世の苦悩を慮って欲しいものですな。ゐりあむとか、アブラハモビッチとか。足引っ張り過ぎだろ。欧州では激しくデリケートな問題であるホロコースト問題なんぞに言及するは一聖職者として線越。おまえはジャーナリストか?リベラルな司教でもそういう世俗の事柄に積極的に言及するのがいますが、困ったものですな。
Commented by 通りすがり at 2009-02-25 19:52 x
 マコッテ様へ
>摩り替わったのではなく、まったく別次元なんですが(否定発言のこと)

 はい、別次元です。説明が足りませんでしたね。この聖ピオ10世会の一連の出来事をウォッチングしてきた私にとって、数年前から例の自発教令「モートプロプリオ」が出るでるとされていたのに、多くの司教の反発でB16教皇は出し惜しんで来ましたが、2007年夏にようやく公表されることが一部メディアに取り上げられました。
 つまり、メディアの関心はトリエントミサが全ての司祭にとって執行可能かどうか(もしくは新ミサと相容れるか)、ひいては教皇のお立場はどうなのかがメディアの関心ごとだったと記憶しています。
 
 今回の破門解除に至るまで話題となるべき典礼の部分、そして聖ピオ10世会が主張なさる信仰の危機といわれる部分に焦点がようやく移るのだろうと思われていたのが、去年なされたウィリアムソン聖職者のインタビューが、破門解除前の3日前に放送されたわけです。
 いつのまにやら世間はそっちを騒ぎ出し、肝心な破門解除までの経緯は無視され、教皇がなさった事までを批判する側にメディアはまわりました。
 ですから摩り替わったと申し上げたわけです。
Commented by 通りすがり at 2009-02-25 20:11 x
 マコッテ様へ
>どんな信仰の危機でしょうか?FSSPX がその危機にどう関わっているのですか?

 はい、現在のカトリック教会を見ればご存知ではありませんか。聖職者、修道者、修道女の召命の減少、カトリック信者の減少、聖職者のスキャンダラスな事件の増加、カトリック信者の離婚・堕胎・中絶の増加などカトリック教会が本来の教会の姿ではなくなっているというのが聖ピオ10世会の立場だと思います。FSSPXは、その本来の姿をもどすために、第2バチカン公会議で通された公文書の見直し、特に信仰の教義の部分と典礼やエキュメニカルの部分の見直しを求めていたと思います。

 ですから、第2バチカン公会議の公文書が曖昧であるゆえに、その適用においても現在のような大きな混乱(典礼においてカレーライスミサやフォークミサ、御聖体にバターを塗るなど)が起こされているなか、FSSPXは第2バチカンの負の遺産を背負わなかった故に、信仰のお話をしたいと仰っているのだと存じます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 20:26
★ あんとに庵さま、
通りすがりさんからFSSPX が信者に語っている「信仰の危機」の中身に
ついてコメントをいただきましたので、どうぞご覧ください。

こういう中身についての説明が戻ってくるだろうとは予想していましたが、
案の定だ・・・_| ̄|○

あんとに庵さんが一つ目のコメントで書いてくださった「信仰の危機」は
カトリック教会の中からそう判断し、この2000年の歴史の中で繰り返されて
いる問題点であったりしますね(だから、公会議が開催されているんだし)。
私が今、ちょっと考えてしまっているのはあんとに庵さんがくださった二つ目の
コメントにつながるかもしれないことです。「信仰の危機」が時の流れで
あるとして、その危機に直面した教皇さまが聖俗に促すことは、その問題に
果敢にカトリックらしく立ち向かい、楽を選ばず、自ら率先して苦に向き合って
それを喜びに変えるということですね。光明、希望を与えてくださる、という
表現が良いでしょうか?

続きます。
Commented by 通りすがり at 2009-02-25 20:30 x
アントニオ様へ

>古代からずっとそういう事言ってたりする。カトリックの伝統芸ですな。

 はい、信仰の危機はいつの時代にも起こりうるものですが、現代ほど信仰の危機が叫ばれるにふさわしい時期はないのではないでしょうか?
聖職者、信徒の趨勢について聖ピオ10世会の小野田司祭が2007年3月5日のブログ(CREDIDIMUS CARITATIS)調べています。

 どうぞご興味がありましたらご参考に。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 20:31
★ 教皇さまが聖俗に向かって説教壇から「恐れるな!」と諸問題に
カトリック的な進軍を促し、その先に必ずや慶事があるだろうというのは
なんか良くも悪くもカトリックがラテンな宗教だと思わざるを得なくなりますが、
(ここんとこ、カトリック諸国のカルナヴァルの中継を見ているもんで(爆笑)
どうもFSSPX は本物のカトリックと名乗りながら、支持者を追い詰めて
パニックに陥らせようとしている内容の文章が多すぎるように思えるのです。追い詰められた方の発言がまさに上にある通りすがりさんのご意見。

FSSPXが吹聴する1988年段階、最近の教会内陰謀説などは本物の
カトリックならば避けるべき、疑心や妄想による自己快楽に誘われていませんか。
こんな内容、扇動する方も、乗ってしまった方も告解もんだよなー、と
思うのは私だけでしょうか。同じカトリックの中に対し、裁き方がピューリタンであって
カトリックの連綿とつながる裁きやら赦しとかなーり違うように見えて
なりません。どうでしょうか?
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 20:39
★ 通りすがりさま、
通りすがりさんはカトリックの信者さんですか?
それとも現在はFSSPX から発信される文書や情報のみをご覧になっている方?
私が何度も通りすがりさんに問いかけていますが、1988年に「信仰の
危機」という理由でルフェーヴル師が教皇を無視した司教任命について
会員に同意を促した際、それに危険を覚えてFSSPXから離れ、教皇庁の
庇護の下に入った方々と、教皇庁が1988年エクレジアデイと同月に
認可した彼らの修道会FSSP についてどう通りすがりさんは捉えて
らっしゃいますか?

欧州の場合、もし
FSSPX と FSSP(または教区)が同日の同時刻に近隣で1962ミサをあげる
場合、前者に集う聖俗は教条原理主義、後者に集う聖俗は伝統主義と
呼ばれ、この二者は同じ典礼のミサにあずかっても、教会生活において
考え方、実践していることがまったく違います。
通りすがりさんはこういう恵まれた環境を前にしたら、どちらのミサに
あずかりますか?
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 20:46
★ > ALL
通りすがりさまから参考としていただいた「ピオ10世会の小野田司祭の
2007年3月5日のブログ」のURLは以下になります。

ttp://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/f4e762caca78ce25367235f39823af85
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 20:54
★ 通りすがりさま、あらためまして。

あのー、いったい誰からいただいた情報ですか?
日本語で表現されている電脳世界に限って申し上げますと、SSPX、
カトアク同好会の欧州事情、みこころのナントカやらフマネ・ヴィテ
で喧伝されている欧州カトリック事情ですが、ぜーんぶ欧州のFSSPXの
文書のみの翻訳と脚色ですよね。私、それらに書いてあることを自分の
足と目で確かめ周っていますが事実無根がほとんどで、疑った私(先方
から見ればそう取られて当たり前)が謝る繰り返しなんですけれど。

  >数年前から例の自発教令「モートプロプリオ」が出るでるとされていたのに、
  >多くの司教の反発でB16教皇は出し惜しんで来ましたが、2007年
  >夏にようやく公表されることが一部メディアに取り上げられました。


誰がこんな嘘を流しているのですか?
2007年はじめには一般の地上波メディアで流れており、信者でなくても
見聞しちゃってましたけれどね。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 21:05
★ 通りすがりさん曰く、

  >メディアの関心はトリエントミサが全ての司祭にとって執行可能か
  >どうか(もしくは新ミサと相容れるか)、ひいては教皇のお立場はど
  >うなのかがメディアの関心ごとだったと記憶しています。

誰がこんな嘘を?
1988年7月以降、各教区長判断で1962ミサはあげられています。
典礼形式がなんであろうと教区長の認可が必要なんですよ。そして
教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、毎年1月に
システィナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも第一ヴァチカン公会議
以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。FSSPXが言う聖伝のミサが
誕生する以前の典礼です。
次に、
 
  >今回の破門解除に至るまで話題となるべき典礼の部分、そして
  >聖ピオ10世会が主張なさる信仰の危機といわれる部分に焦点が
  >ようやく移るのだろうと思われていたのが、去年なされたウィリアムソン
  >聖職者のインタビューが、破門解除前の3日前に放送されたわけです。

どちらからの情報でしょう?破門解除(1月21日)の翌日にウィリアムソン師
の発言ビデオが流れました。続
Commented by 通りすがり at 2009-02-25 21:14 x
 マコッテ様へ

 ちょうど時間がマッチしているみたいですね。
私は事実をただ伝えようとしているだけで個人的な質問に関しては本当は差し控えたいとは存じますが、あえて申し上げましょう。

>通りすがりさんはカトリックの信者さんですか?
 
はい、現行のミサに預かっている普通の信者です。

>FSSPX から発信される文書や情報のみをご覧になっている方?

いいえ、様々なカトリック系のHPを拝見しておりますが、特に良心的な聖ピオ10世会のHP、現在の教会を憂いているFSSPXについて研究するようになった次第です。

Commented by 通りすがり at 2009-02-25 21:15 x
マコッテ様へ

>教皇庁が1988年エクレジアデイと同月に認可した彼らの修道会FSSP についてどう通りすがりさんは捉えてらっしゃいますか?

 私の意見ですか?FSSPの選択(ルフェブル司教と袂を絶つ)は間違いではなかったと思います。しかし、バチカンへと回帰しために、新しいミサも命令により執行せざるを得なくなるのではと危惧をしています。何故なら、ブラジルのカンボスではトレントミサしか挙げていなかったのに、バチカンの保護のもとに入ると新しいミサへと誘い、日曜日は新しいミサのみを捧げるよう通達があったと聞き知っています。
 なお、この件に関しては聖ピオ10世会の意見ではないことを申し上げます。

>恵まれた環境を前にしたら、どちらのミサにあずかりますか?

 はい、これも私見ですがその時にはそのような問題はなくなっていると思います。何故なら、教皇によって伴自的破門解除がなされた後、フルコミュニオンが達成されればおのずと、トリエントミサのカトリック信仰の豊かさと美が教会を覆いつくして、どの教会でもトリエントミサが行われるようになるからです。そうすれば私は、今のまま教会へ通います。
それが希望です。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 21:16
★ それに、現時点でヴァチカンに連なるカトリック教会側において
典礼についてなんら問題は生じていません。それは上の本文最後に
書いたとおり、ご覧いただければフランス国内だけで旧ミサがどれだけ
あげられています?ほぼ全県であげられています。
FSSPX から分かれたFSSPもIBPも教皇庁に認可され、管轄聖堂も
任されています。もし1962ミサにあずかりたいなら教区長認可がおりた
聖堂と司祭によるミサに世俗が行けばいいのです。


  >いつのまにやら世間はそっちを騒ぎ出し、肝心な破門解除までの
  >経緯は無視され、教皇がなさった事までを批判する側にメディアは
  >まわりました。

メディアは批判しているヒトを紹介しているだけですがねぇ。
カトリック教会内は破門解除「だけ」で、FSSPX の認可まで最低2年は
待つ。将来、教皇が認可したらそれに批判はしない。ただその経緯に
至るまでに意見を申し出る場合、教会内の決まりに則って意見している。

破門解除までの経緯についても教皇側やエクレジアデイ担当司教方が
公表している文書で十分ですね。一致のための最初の一歩、これが
全てです。

続く
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 21:26
★ >ですから摩り替わったと申し上げたわけです。

というわけで、摩り替わってなんかいません。
破門解除は解決済み。
ウィリアムソン発言は教会内問題ではなく、社会事情です。
教皇が国家元首として、部下の暴言で謝罪するのも当然。
この5月、教皇さまがシリアとイスラエルを訪問せざるをえなくなりましたが、
もしものことがあったらFSSPXはどう責任を取るんだ?って私は小耳に
挟んでしまいました。国も教会も軍もどこまで教皇さまを守りきれますかね?

 >聖職者、修道者、修道女の召命の減少、カトリック信者の減少、
 >聖職者のスキャンダラスな事件の増加、カトリック信者の離婚・
 >堕胎・中絶の増加などカトリック教会が本来の教会の姿ではなく
 >なっているというのが聖ピオ10世会の立場だと思います。


第二ヴァチカン公会議前でも同じ問題はありましたけどね。
これらの問題については昨年9月にB16が来仏された時、ルルドでの
司教団会議開幕の席上で要理教育の再考と徹底化を厳しく命じられ
ましたが。

Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 21:29
★ 更に、  
  >FSSPXは、その本来の姿をもどすために、第2バチカン公会議で
  >通された公文書の見直し、特に信仰の教義の部分と典礼や
  >エキュメニカルの部分の見直しを求めていたと思います。

FSSPX はフランス極右政党FN 党を賛美していますが、この政党の
党首は離婚経験者ですし、彼を継ぐだろう長女は未婚のまま出産し、
相手の男性とはその後離別していますけれど、なぜ信仰指導をなさらないまま
ネオナチや人種差別を支持する政党賛美をなさるのでしょう?
  >典礼においてカレーライスミサやフォークミサ、御聖体にバターを
  >塗るなど)が起こされているなか、FSSPXは第2バチカンの負の
  >遺産を背負わなかった故に、信仰のお話をしたいと仰っているのだと
  >存じます。

一度許した応用を消去するのは許可するより何倍もの時間と労力を
必要とします。こういうミサで救われた人が一人でも現れてしまった事実が
既にあるなら、各自の立場で批判は控えるべき(ただし、大原則。
早い話、見なきゃいい。
カレーライスミサ、聖体にバターを塗るとはいったい何ですか?
日本国内ですか?
Commented by anbai at 2009-02-25 21:34 x
今リロードをしたら、大変なことに… …o(;-_-;)oドキドキ

通りすがりさま>
先日来、困惑しながらここでのやり取りを拝見しております。

ご投稿拝見しておりますと、少なくとも現状のカトリックに大変な問題意識と鬱積したご不満を抱えておられるようにお見受けします。
しかし、個人的には、現在、教区の今ある状況の中で、良くないところの改善のため動いている聖職者・修道者・信者さんたちはおられると思っています。私が呑気なのかも知れませんが、どうしてこんなに悲観される方が居られるのかと大変にビックリしております。
キリストのからだたる教会も、やはり人間組織でしょう。その時代その時代に、様々な問題を抱えてしまうのは仕方ないことかと。第二バチカンに原因を一元化されるのは…こちらには分かりづらかったりします。
Commented by anbai 2 at 2009-02-25 21:37 x
通りすがりさまのお話含め勘案しても、やはり「破門撤回」というのは『バチカンとピオ10世会との和解・一致』といったお話の中の一つの転機に過ぎず、結論とは思いません。問題はまだまだここからであるということなのではないかと私も思っておりますし、事の推移を見守っていきたいと思います。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 21:38
★ 通りすがりさま、

  >バチカンへと回帰しために、新しいミサも命令により執行せざるを得
  >なくなるのではと危惧をしています。

1988年から現在に至るまでFSSP 会員が一般教区聖職者と関わることは禁じられています。つまりFSSP の誰かがノブスオルドに興味を持っても
司教さまに認可をいただかない限り、あげられない。それが事実です。


  >何故なら、教皇によって伴自的破門解除がなされた後、フルコミュニオン
  >が達成されればおのずと、トリエントミサのカトリック信仰の豊かさと
  >美が教会を覆いつくして、どの教会でもトリエントミサが行われるよ
  >うになるからです。

トリエントミサとカトリック信仰の豊かさはひとつで語れないと思いますが。
確かにトリエントミサは美的要素が強いですけれど、ノブスオルドの
ラテン語典礼とどう比較するとよいでしょうね。


  >そうすれば私は、今のまま教会へ通います。
  >それが希望です。

司教認可がおりればいいですね。それが先。
Commented at 2009-02-25 21:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-25 22:00 x
あれ?非公開で送信しちゃったかな?
ま・ここっと様>書いたのが判らなくなってしまったので、公開をよろしくお願いいたします。

にしても、なんでこうもみんなクローンみたいに同じ事いうんだろう。どーも、マルクス主義以降の時代。60年代以降というか、反社会的反知性主義的な仲間うち的世界をつくるセクトが増えているのが気になる。
一見すると保守と名乗っているけど主張や方法論は典型的セクトの手法と同じなんだよね。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 22:24
★ 以下、あんとに庵さまから2009-02-25 21:52付でいただいたコメントです。
文字数の関係で二つに分けます。

======十======

なんだかなぁピオ10世会の小野田神父のブログって共産主義陰謀論が載っていてトンでも過ぎるということで、世間のネットブックマーカー達に晒されてましたな。
陰謀論というとイタリアのコミュニストが911テロでCIA陰謀論を語っていたけど、どっちもどっちなぐらいの思考停止状態なので、この手のはカルトっぽいので信用していません。まぁ、どうも頭の悪い人は引っ掛かりやすいようです。左にも右にも馬鹿はいると言うことですな。
ここで繰り返されているのもいつか見たよう判で押したような主張。ピオ10世会について擁護する人はどうもそんな感じで壊れたラジオのように同じ事を言う。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 22:25
★ (続き)
はじめの頃はおっしゃることも一部もっともだと思って、賛同する部分もありましたが、なんせここで展開されているようにまったく同じような反応や主張に、まるで新興カルト宗教のような雰囲気を感じてしまい、最近は違和感を感じています。思考クローンというか、洗脳されておるようでなにか不気味なんですよ。悪いけど。
客観視が出来ない。批判が出来ない。皆が同じ主張をする、敵を想定し陰謀論を語る等、典型的なカルトっぽさを帯びつつあるので危険水域に達しつつあるんではと心配しますね。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-25 22:36 x
ま・ここっと様>
有り難う〜。ごめんなさいお手数おかけしてしまいまして。

ほんというと、ピオ10世会の方々については、同情というか、あの糞馬鹿馬鹿しい日本のカトリックの無茶苦茶な体たらくからしても、彼らの気持ちは判るところはあるんですが。こんなにも同じ主張を繰り返されるのを耳タコで聞かされると流石になぁ。なのに、ま・ここっとさんは同じ事を何度も丁寧に説明しているので頭が下がります。
自分の主張が何故通らないのか考えたほうがいい場面でも、要求しかしない。自己弁護に終始する状態を見ていていいかげん呆れてしまっています。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 22:37
★ あんとに庵さま、
ウヰリアムソン師は9.11が米軍によるものだと主張しています。どうも
時にはヒダリと、時にはミギと意見を一致させるというよく言えばカトリック的、
でも現カトリック内部にもW師は文句があるのだから、反社会だか現実逃避
が身に染み付いた司教さんなんぢゃないでしょーか。

教皇庁側が「教会一致のために破門解除を第一歩にしていずれFSSPX
の認可」と言っているのに、破門解除直後からFSSPX側が「教会内に
敵がいる。教皇よ、敵に騙されるな」と分裂招く発言をしているという奇怪さ。
まったく教皇側の意向を抜本からわかっていない、わかるつもりはない
としか見えません。
破門解除を求めながら解除されたところで教会と一致する気がさらさら
ないと傍観者に判断されても、そういう種を蒔いているのも明らかに
FSSPXですよね。
単に教皇のみを自分の陣地に閉じ込めたい願望だけで教会のことなんて
考えていないように見えます。変な「本当のカトリック」
Commented by ma_cocotte at 2009-02-25 22:55
★ 更に、あんとに庵さま、
どうも信頼している方から与えられた御題が既に架空なのに、その御題に
基づいて熟考し過ぎて答えを出して、信頼している方からハナマルもらってる
ようですね。
この件、典礼については日本のカトリックが動かない限り、日本限定で
延々とはびこる問題になるのでは。早いとこ、司教認可で1962ミサを
あげりゃあそれだけで一筋の光が差すのではないでしょうかねぇ。
こんなヴァチカンの名が出てきても事実無根の島国伝説で、カトリックの
ようでカトリックでないヒトビトを養殖放置していていいんだろうか。

堕胎の話も現カトリック批判にリンクするのが変。
堕胎する本人もそれを共助した家族、医師も全員破門ということを論客さんが
知った上での批判を書いているのかそもそも疑問。この破門があるから、
法律で堕胎が認められても、信者の医師は堕胎を断る権利があるのに。
いかにもスキャンダラスに現カト批判を語られても、批判のポイントが現実の
カトリック的問題点とズレがあるように思います。第二ヴァチカンと
なーんも関係ない各自の良心の問題であり、当事者が教会に相談
すべきことだろうに。
Commented at 2009-02-25 23:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 00:36
★ 鍵23H39@250209 さま

 >これだけは訂正してください。
 >これは、まぎれもないノヴス・オルド(パウロ6世の新しいミサ)です。
 >ノヴス・オルドを背面祭壇であげておられるのです。
 >〝第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ〟??
 >〝FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼〟??
 >これは、違います。式文を見て、所作を見れば明らかです。

私はL'Osservatore Romano 紙の記事で、その説明を読みましたが
違うのですか。訂正を私が貴殿の指摘のみで勝手にしていいものでしょうか?
OR紙以外でも以下、2008年1月13日のミサ後の記事です。
http://www.la-croix.com/photo2/index.jsp?docId=2325870&rubId=4085
モツ・プロプリオ後、第二ヴァチカン公会議後の祭服で背面ミサを
あげる形がありますね。この記事の写真もそうです。

今調べていますが、やはりどうもPaul VIミサ以外のrite romain です。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-26 01:37 x
911テロに関してコミュニストと同じってのはなんだかなぁ。笑
ピオ10世会の人は日本の司教が特定の政治問題に肩入れしずぎと批判する人も多いのに、右方向に政治思想なピオ10世会司教の言質は庇うっていうダブスタで「身内のいうことはなんでも鵜呑にしてしまうカルト的スタンス」を体現してしまうことに気付いたほうがいいと思う。そもそもその歴史事実をあきらかにする事がカトリックになんの関係あるのか?とか謎です。

とりあえずバチカンの方針と異る反体制な人々ってのは右も左も困った状態なのが多いのでなんとかなって欲しいです。

日本のカトリック教会も反知性主義が蔓延していて困ったものです。岩下壮一の本が読まれてないとか、あのレベルの神学者がでてこないとか情けないですな。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 05:12
★ あんとに庵さま、
教区長認可をもらった司祭があげる1962ミサとFSSPX のミサを比べると
後者が彼らにとって本物だそうだ。1998年エクレジアデイ委員会発足
10年記念式典が開催され、そこには歴史ある4大修道会を筆頭に教区
や各修道会から識者を招いて伝統典礼について討議が行われています。
記念写真はこちら ↓
http://www.fssp.org/fr/annivpape.htm
教皇さまはじめ彼らは偽物なのか?教区認可の下1962ミサがあげられている
教区はじめドミニコ会、クリスト・ロワ会、ベネディクト会、複数の観想修道会、
アウグスチノ会などが本物でない・・・・ううううん。1970年代に創立された
(元)教区立修道会が真贋判断できることなのでしょうか?
そして例のモツプロプリオ後、FSSPX と FSSP がそれぞれ司祭、侍者、
神学生向けの1962ミサDVDを出したそうです。
FSSPX(ピオ十世会)のDVD ↓
http://www.laportelatine.org/communication/videotheque/dvdmesse/dvdmesse.php

FSSP のDVD ↓
http://www.fsspdvd.com/

FSSPのDVDはカスティヨン・ホヨス枢機卿がDVD内にも推薦者として
登場します。どちらを買うだろう?
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 09:27 x
多くのコメント参考にさせて頂きました。私には難し過ぎて???が多い部分もありますが、何だか以前とは違って冷めた目で読ませて頂いています。私はどちらかというとどうでもいいや・・・。的な気持ちになってしまいました。(^_^;)
最も大事な事はキリスト者としてどう生きるべきか。ではないでしょうか。教会と言っても人間の集まり。弱さもあれば足り無さもある。でもそれぞれが自分の信念に従って真剣に生きている。人間の目線からではなく、神の目線で物事を見て、判断して、キリスト者として、聖書の教えを心を込めて感謝し読み深め、祈り黙想しキリストと親しくなること。それを一番最優先させると自ずと解決の糸口が見えてくるものだと固く信じております。どのような反論がこようともこの思いは決して変わることは無いと思います。過去において教会が大きな危機や腐敗に陥った時、また新たな時代の変換が求められている時、偉大な影響を与えたのはやはり聖人と呼ばれる方々神に対する愛の強さとの厚い信仰と神に委ねる心でした。その中で神に対する愛が一番多くの人の心を動かすことになったのではないでしょうか。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 09:42 x
マザーテレサは愛の実践を通してキリストの愛を宣教なさっていました。彼女の伝記などを読むと教会の在り方についての述べている記録は無きに等しいのではないでしょうか。ただ愛を実践して欲しい。それも自分の傷みを伴った愛について特に語っておられました。聖フランシスコは教会が強大な権力と富を得て、おごり高ぶっていた時代、主に呼ばれ、徹底的な清貧と兄妹姉妹の交わりの中で愛の交わりの中で生きることの大切さを生き方で示されました。どのように腐敗していようと教会に対しての愛情は深く徹底的に服従することで私たちに模範を示して下さいました。子供たちの教育が不十分であった時代には聖ドン・ボスコが登場し彼らを導くために重要な役割を担って下さいました。教会学校など子供たちの要理教育を指導される方などは彼の著作や聖伝を参考にされると非常に良いのではないかと思われます。大聖テレジアの時も、小さき花のテレジアの時も、その時代その時代の転換期にあたり大きな影響を与え人々の心を動かしたのは論じることではなくキリストの愛を実践し、教会に従う心を強く持っていながら大胆かつ自分の思いではなく、神の思いは何かを一番に大切にしていらっしゃた方々でした。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 09:48 x
私も偉そうな事を言える立場の人間ではありません。 ma_cocotteさんがどこかしらのコメントで<フランスでは灰の水曜日>の前日は<脂の火曜日>という言葉が私の心にズンときました。事実私は明日から節制だと思い、おいしいものを食べに外食に行ったからです。自分の欲望は限りなく本当に弱いものだと反省させられた次第です。

信じてもらえるかどうかは分かりませんが、日本に<ピエタ>という小雑誌があります。東京四ツ谷のサン・パウロで売られたいた本とは呼べない青表紙の小雑誌。72ページほどしかありませんが恵み多い祈りが数々紹介されている本です。その中の一つに祈りではありませんが、自分が信者になって下記の箇所を読み、ひどく心打たれ自分の生きる指針となっている主のメッセージがあります。その箇所をご紹介して終わりにさせて頂きたいと思います。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 10:07 x
司祭に対する非難について(主からムッター・フォーゲルへの啓示)
「例え司祭が誤りに陥っているとしても、人は決して司祭を非難すべきではない。むしろ私が再び彼に聖寵を与えるように祈りと償いをすべきである。例え彼が私の模範に従って生きていない時でも彼のみが私を完全に代表する。」(ムッター・フォーゲル著:世界的愛、南ドイツ・アルティンク、聖グリニョン発行所,p.29)(1929年6月29日)司祭が誤った時には攻撃によってではなく祈りによって彼に救いの手を差し伸べるべきである。私自身が審判者となろう。私以外のほかの誰も審判者になってはならない。「誰でも、司祭への非難を述べる者はそれを私に向って述べたことになるのである。子よ、決して司祭攻撃されることを許すな。彼を擁護せよ。」(1937年6月28日)「子よ、決してあなたの聴罪司祭を裁くな。むしろ彼のために多く祈り、またマイ木曜日、私の祝された母の手を通して(彼のために)聖体拝領を捧げよ。」(1939年6月18日。) 
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 10:07 x
「決して再び司祭について常軌を逸した言葉を受け入れるな。また例えそれが真実であっても彼等にちて不親切な言葉を話すな。司祭達は皆私の代理者であり、私の心はそれによって不快になり、侮辱を受けるであろう。もしあなたが司祭に対する非難を聞くならばめでたしを1回祈りなさい。」(1939年6月28日)「もし司祭がふさわしくない状態で聖なるミサを捧げているのを見たら、彼について何も言わず、ただ私にだけをれを告げよ。私は祭壇上で彼のかたわらに立っている。」「ああ私の司祭等が何にも増して清らかさを愛し、ミサの聖なる犠牲を清らかな手と心で執り行うよう、彼等のために多く祈れ。例えふさわしくない司祭によって執り行われた時でも、確かにこの聖なる犠牲は一つにして同一のものである。しかし人々の上に呼び下される聖寵は同じではない。」(1938年2月28日)聖職者達の元后マリア、彼等のために祈りたまえ・・・。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 10:18 x
何箇所か入力間違いがあり失礼致しました。キリストの御心の喜びとなる生き方を奉献することが出来ますよう、私を含めて全てのキリスト者にあなたの聖寵と愛と恵みをお与えくださいますように!私たちの弱さ・足り無さを越えて聖霊に導かれ愛によって愛のうちに一致し、悪魔の狡猾なる罠からお救い下さいますように。全世界の叫びを聞き、すぐに助けて下さいますように!
Commented by at 2009-02-26 12:43 x
もうなんだろうなあ、そういうこというなら第四次十字軍の話とか蒸し返すよこっちもぶりぶり。

というようなことはおいておいて、いままで出てきた話題のなかで一つだけ気になることがあったので、この機会に書いて置きます。

ピオ10世会ではカトリックの堅信を認めないとか。水は認めても膏は認めないということなんでしょうね。それはあちらのご自由でしょうけれど、あらあらと思いました。東方正教会ではカトリックの水も膏もみとめていて、なのでカトリックから正教に移られた方は帰正式の折「誤った教えを離れる」旨宣言して正教徒となりますが、しかし正教であらたに附膏を受けることはなさいませんのです。これはカトリックから帰正した人に聞いたので間違いありません。膏が必要なのは sacrament ではないプロテスタントからの場合だけなんだとか。それを認めないとわざわざにおっしゃる……。

なんだか大変なことになってしまっているんだなと、改めて思いました。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 14:51 x
失礼ですが、私は過去、数え切れないくらい何度も黙想会や講和に預からせて頂いています。そして修道院内の内情も詳しく知っております。その中で学ばせて頂いたこと・・・。よりしっかりとした神学を学ぶことは非常に大切。周りの騒がしい野次馬的な意見に翻弄されるのは大変危険であり一致の妨げとなる。(ニュースやインターネット報道などは発信者側の意図的かつ個人的感情が介入している)それらに振り回されて教会が分裂したらなら悪魔の思うツボ。神は自分が最上に良いと思った事を長上の反対を押し切っても実行するよりも、長上に相談し受け入れられなければその最良の事よりも従順を選ぶことの方がはるかに良き業であることを様々な聖人伝の中で示しておられること。人は間違いだらけ・弱い人間の集まりであること。けれどそのような足り無さいっぱい間違いだらけいっぱいの人間にこの世界を支配させている神の思について思いめぐらす事の大切さを知って欲しいこと。自分が見て、感じて、祈り、確信を得たことでない事を受け入れ人を非難することは、人を裁くことに等しい。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 14:54 x
人を裁くことは神様の御心を喜ばせない生き方。人を非難することはたやすい。けれど神の御心を喜ばせる生き方は、心の喜びであり十字架を伴うものでもある。祈りの中で神に全て委ねる心を培う事は美しく謙遜な生き方。

全ての人は聖人になるように呼ばれています。私たちは賢明に主の御心を賛美し、主の栄光のために愛に生きる生き方に呼ばれているのです。

以上。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 15:49
★ イエズスのペトロさま、
思うに、ですが、光を当てて見ている面が今回の問題と異なっていませんか?
各自の霊性、聖性を育てる信仰生活の「決まり」において、FSSPXの
聖務日課はおそらく多くの方が賛同するかと思います。
イエズスのペトロさんがマザーテレサを例に出されましたが、ここに
書かれたことは奉献する者へのより良い導きですよね。このFSSPXの
問題においてマザーテレサを例に出すなら、ロレットの会憲から離れて、
新しい修道女会を作るためにどれほどマザーが大変な思いをされたか、
という面です。そして、修道女会創立者として会憲、会則を決め、その
認可をいただくためにどのように動いたか、ということ。
アシジのフランシスコは中世に生きた方ですので、会を作るにしても
20世紀の世界とは異なったかもしれません。でも、映画でもヴァチカンに
霊的兄弟たちとおみ足運び、教皇謁見がかなう場面があります。

続きます。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 15:58 x
追記・・・鰤様
>もうなんだろうなあ、そういうこというなら第四次十字軍の話とか蒸し返すよこっちもぶりぶり。

どのような解釈を持ってこのようなコメントをされたのか理解に苦しむところですが、カトリックという語源の意味は<普遍>を表わしていると何かの講義で聞いたことがあります。

どの時代、状況においても普遍的かつ永遠で変わらないものがあります。古代キリスト教の聖人方の教えは確かにその時代時代に影響されているのは事実としてありますが、それでも彼等は私たちのキリスト者の模範として教会に認可され教会の祈りの中に加えられ大切にされています。

古代の聖人方の教えが古臭いというのなら聖書は2000年も前の書物。しかもまだまだコミュニティーや信仰の基盤が確立されていない不安定な時期に書かれている書物です。その書物を研究者方が生涯に渡り研究されている事は古臭く馬鹿らしいことなのでしょうか。再度申し上げますが理解に苦しみます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:03
★ イエズスのペトロさまが転載された「主からムッター・フォーゲルへの啓示」
についてですが、FSSPX と教皇側両方に向けてここに残されましたか?
その点がぼやけてしまうと、この手の文章は第二ヴァチカン前の啓示ですし、
都合よく利用されかねません。
啓示文章だから脇が甘くなったり、時系列がなくなるのは常です。コーラン
がその例筆頭になりますね。この内容だけだったら教会法もいらないし、
叙階も任命もいらない(司祭を裁かないために必要な儀式と考える異教徒
が出てきますよ)、修道会の会憲も会則もこの啓示を最優先したらどう
なりますか?
カトリックの世界において教会法もあれば、誓約、会憲もあります。
カトリック校なんぞ未信者として入学が認められても、厳しい校則は
信者、未信者平等に守らなければならないことでした。

現在のFSSPX ですが、カトリック教会の決まり事から外れたことを
「信仰の危機」という御旗を挙げて21年間続けており、良い方向に
むかう働きかけをしないで、むしろ批判を売りにしていることに問題が
あります。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:08
★ 今年2月4日、教皇庁から発布された公式声明文の中に以下の
文があります。

La gravissima pena della scomunica latae sententiae, in cui detti Vescovi erano incorsi il 30 giugno 1988, dichiarata poi formalmente il 1ー luglio dello stesso anno, era una conseguenza della loro ordinazione illegittima da parte di Mons. Marcel Lefebvre

La gravissima pena は日本語に訳せば「重篤な罪」です。更に
ordinazione illegittima da parte di Mons. Marcel Lefebvre 
というのはマルセル・ルフェーヴル大司教が ordinazione illegittima
違法叙階 を行ったと。

イエズスのペトロさんが書かれた啓示が過去にあっても、教会はこの
件について「罪」や「違法」という言葉を使って表現しています。
イエズスのペトロさんが書かれた祈りが生かされるとしたら、この公式
声明文の一番最後の段落に当たるかと思います。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:09 x
ma_cocotte様
いいえ、光を当てている部分が異なっているとは感じておりません。申し訳ありませんが。<修道女会創立者として会憲、会則を決め、その
認可をいただくためにどのように動いたか>という点ですが、これはマザーが新しい修道会を作られることを神が望んでいるという事を確信し、それを実現するために手段として公的手続きをされたのです。全ては神のため。貧しい姿をしたキリストを救うためだったのですよ。愛から出た行動であってキリストへの愛の答えの行動であったと私は解釈していますし、それ以上のものは彼女の中には無かったのではないでしょうか。ロレットっ修道院を出られた時もマザーは思い悩み祈りました。そしてきっと迷いの中にもいたたまれない衝動があってどのような困難や誹謗中傷を受けようと神を愛するが故に彼女はロレットを去ったのです。それ以上のものは何もありません。続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:14
★ The Holy Father asks accompaniment in prayer from all the faithful, that the Lord may enlighten the path of the Church. May there be an increase in the determination of the pastors and all the faithful in support of the delicate and heavy mission of the Successor of the Apostle Peter as "guardian of the unity" of the Church.

おそらくいただいた祈りはこの件に限らず、教会裁判となった場合、
「検証→裁き→赦し」までのプロセスで裁かなければならない側の助けに
なると思います。
日本国内でFSSPXが売りにしている1962ミサなど典礼や奉献生活に
ついては、日本国内で1962ミサがまったく行われていないことで勧誘の
材料になっていますが、カトリックとして国境を取っ払って世界を眺めるならば
典礼も奉献生活もFSSPXに頼らなくてもFSSPX以上にしっかり1962ミサと
奉献生活を守っている修道会は複数あり、全て教皇庁が認めている会です。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:18 x
ma_cocotte様
何故第二ヴァチカン前に出されたものを否定してしまうのですか?何故、この祈りが罪で違法なのでしょうか。失礼ですがma_cocotte様側の私の文面に対する解釈がとても片寄っているように感じるのは私だけでしょうか。私はFSSPXもピオ10世会も全く支持しておりません。というかどうぞご勝手にという感じです。そうではなく私自身が教会に身を置いて感じたこと、見聞きしたこと、様々な書籍を読ませて頂き考察し自分の信念として抱いているものです。第二ヴァチカン公会議前の啓示は全て偽りに満ちていて、真実ではなく、時代錯誤で、今の時代に会わないのでしょう:か。私はそうは思いません。B16は毎朝7:00、ご自分専用の聖堂で背面式ミサをされているそうです。第二ヴァチカン公会議の話を持ってきて、それは新しい時代にそぐわないからおかしいと言っているのと同じだと思いませんか。人それぞれ神を賛美したい気持ちは持っている。皆神を愛しているのです。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:25 x
ma_cocotte様
申し訳ありませんが、私は英語が読めません。せっかくアドレスを教えて下さったのに申し訳ありません。

私が紹介したあの祈りを異端視されるのでしたら、どうぞそうなさって下さって結構です。私はあのメッセージをこれからも大切に自分の中に育て、どのような司祭であったとしても神に呼ばれて選ばれて司祭になられたのです。私は自分が修道者になりたくてなりたくてしょうがなかったのに、なれなかった。それは神様の望むところではなかったから。主の選びは神聖で私たちの理解の範囲を超えるものがあります。別にウイリアムソン師を庇護しているつもりは全く!ありません。ただ祈り彼やその背後にある教会の認可を軽んじている団体に対して憐れみの心を起こすと共にメッセージのみに片寄るのではなく、キリストの御体の一部として存在している彼等に回心の時が訪れる事を祈り求めるばかりです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:26
★ 少し前にエントリーしましたが、
http://malicieuse.exblog.jp/10049103/
フランス国内で最近、B16から任命された司教、補佐司教は二人とも
トラディショナリストです。
おひとりは聖マルチノ共同体の方。
http://www.communautesaintmartin.org/
この会はパウロ六世時代の奉献生活習慣を守っています。
もうひとり、リヨンの補佐司教に任命された方はパリ市内で1962ミサを
あげる教区教会の主任だった方です。

さて、FSSPXが教皇庁から認可されないのはなぜでしょう?
この件、破門解除は組織上の話であって、赦しについては触れていません。
司教という身分があっても司教座もなければ、教区民も持たず、世界中の
ピオ礼拝所に秘跡を授けるために教皇とのつながりもなければ、教皇へ
報告することもなく飛んでいるというのは、それだけでカトリックとはちょっと
違いますね。FSSPXの認可だけでなく、この4司教に司教座が与えられるのか、
まずは解除された以上、現教会の秘跡の真贋を喧伝して、再堅振を
FSSPX内でいただくなんて勧めは止めるべきでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:34
★ 鰤さま、
そう、「再堅振の勧め」ですね。
私もだいぶ前、日本語版で読みました。
香油も偽物、授ける際の典礼文も偽物であり、FSSPXの司教による堅振
(彼らは「堅信」ではなく「堅振」という第二ヴァチカン以前に当てられていた
漢字表現を今も使っています)だけが本物だから再堅振を、というものでした。

で、鰤さんが書かれている「霊的」な重要さを彼らは見させないで真贋を
当事者に判断させるように持っていっていますね。ところが、彼らの違法
行為においては「霊的」部分を前に出して「信仰の危機」とのトッピングで
教皇無視の司教任命、教区長認可なしの主日礼拝を世界中で続けている
ことになります。
単純にこれだけの大組織なんだから、面倒な決まり事でも各自が守らなかったら
とっくのとおに消えてなくなってます。しかもヴァチカンって貧乏所帯だし。
この四旬節、フランス国内の教会はヴァチカン含めた教会援助献金
キャンペーン実施中です。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:36 x
ma_cocotte様
イエズスキリストは、何故、12使徒にユダを選ばれたのでしょうか?彼は始めは熱心な布教者でした。けれど自分の弱さ足り無さを主に指摘されながらもふて腐れ、受け入れようとはしませんでした。そんなユダをイエズスは見捨てましたか?彼を追い出し別の使徒を選ばれましたか?その方がイエズスにとっては楽だったはずです。自分の心を悲しみと落胆で覆い潰す人間を排斥した方が居心地がいいですから。けれどイエズスは死ぬ間際まで、ユダが自殺するまで彼を排斥することはありませんでした。いつも傍におき、彼を見守り、指導し、愛を与え、回心を促し、彼のために多くの犠牲を喜んで引き受けました。彼の霊魂の救いのために、、また後々、次世代を担うご自分を信じる全ての人に真の愛とは何かを示すためにユダのような使徒が現れた時、ご自分がどのような愛と態度取られたのかをご自分の生き方を通して教えて下さったのではないでしょうか。再度申し上げますが上記のような事を書いたとしても、私はFSSPXもピオ10世会も支持しているのでは決して!無いことをお伝え致します。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:42
★ イエズスのペトロさま、

  >何故第二ヴァチカン前に出されたものを否定してしまうのですか?

私、否定なんてしていませんよ。
そして、

  >これはマザーが新しい修道会を作られることを神が望んでいるという
  >事を確信し、それを実現するために手段として公的手続きをされたのです。


この返答からして、既にスポットを当てている面が今回の問題で着目
せねばならない点と違っています。というのも、

  >全ては神のため。貧しい姿をしたキリストを救うためだったのですよ。


FSSPX の創立も同じ目的が含まれていますよ。
でも、マザーの修道会は現在、教皇庁が認めた修道会ですが、FSSPXは
そうではありません。なぜですか?FSSPX から分かれたFSSP もIBPも
教皇認可済の修道会です。なぜだろう?
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:46 x
ma_cocotte様
付け加えさせて頂きますが、日本という国は信仰のいかんに問わず、外国の文化を独自に発展させ自分たちの文化に変えていく器用な民族です。ミサの典礼の形式においても、日本文化を取り入れたミサ形式はないか、外国の文化をそのまま取り入れるのではなく、日本人の心にしっくりといくようなミサ形式は無いか模索しているところです。その流れに対して私は全く急進的な動きは感じられませんし、むしろ良いことだと感じています。けれどもし、かりに私は聞いたことがありませんが通りすがりさんがおっしゃったように<パンにバターをぬって食べるミサなどがあるならば眉をひそめざるをえません。また聞いたところでは、野外ミサでダンボール箱を祭壇にしてミサを上げた例もあるようです。そのようなミサはおおめに見てこのようなミサでも救われる人が居るとma_cocotte様
はおっしゃっており、FSSPXもピオ10世会の行いに対しては敏感に反応していらっしゃる。それってどうかな?と思うのです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:51
★ イエズスのペトロさま、
英文ですが、辞書で単語を引けば、文法は中学程度のものです。
単語の意味を並べるだけでも何を最後に持ってきて、何を求められているか
分かります。

  >私が紹介したあの祈りを異端視されるのでしたら、どうぞそうなさって
  >下さって結構です。


誰も異端なんて言っていないのに、なぜそこまで飛躍するのですか?


  >別にウイリアムソン師を庇護しているつもりは全く!ありません。
  >ただ祈り彼やその背後にある教会の認可を軽んじている団体に
  >対して憐れみの心を起こすと共にメッセージのみに片寄るのでは
  >なく、キリストの御体の一部として存在している彼等に回心の時が
  >訪れる事を祈り求めるばかりです。

これまで何度も書いていますが、ウィリアムソン師発言は教会内の問題ではなく、
社会問題です。教皇が批難の対象になってしまうのは、彼が所属する
団体の最高責任者だからに過ぎず、このことで動いているのも国家元首
としてです。ここにカトリック教会内の「赦し」について絡めない方がいいですよ。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 16:53 x
ma_cocotte様
私が伝えたいことが全く伝わっていないようですね。がっかりです。<でも、マザーの修道会は現在、教皇庁が認めた修道会>当たり前です。<FSSPXはそうではありません。なぜですか?FSSPX から分かれたFSSP もIBPも教皇認可済の修道会です。なぜだろう?>私の感じていることを全く歪んで受け取られているようで残念です。何度も言うようですが、こちらのブログのコメントを読ませて頂いて大体の事は把握させて頂きました。その上でこのコメントを差し上げておるのです。その点ご理解下さい。
第二ヴァチカン公会議後前は神を神聖視し過ぎる傾向がありましたが、公会議以降はその反対に聖なるものに対する尊敬の念が薄れてきていると感じているのは私だけでしょうか。形から入る祈り。御像や御絵から受けるインスピレーション、啓示は様々あります。はっきり言って何も無いがらん堂の集会所のようなお御堂に私は深い悲しみと寂しさを感じざるをえません。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 16:54
★ 2月はじめの教皇庁からの文書で、カトリック生活習慣を少なからず知る
欧州各国はウィリアムソン師がその週末土曜の日没前までに長上に謝罪
すると予想していたけれど、ウィリアムソン師はそれをせず主日を迎えました。これでThat's all でしょ?主日前にウィリアムソン師がどこかで
告解し、この件に触れているとしたらそれは私たちの与り知らずです。
だから、教皇vsウィリアムソン師の件はその主日翌日から欧州では
触れていません。

  >キリストの御体の一部として存在している彼等に回心の時が訪れる事を
  >祈り求めるばかりです。

まさにそのことを最後の段落で教皇側文書が促しているのではありませんか?
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:02 x
<ここにカトリック教会内の「赦し」について絡めない方がいいですよ。>
いいえ、絡んでくる問題だと思います。ひどく密接している問題です。社会問題を信仰者としての視点で見ることに何の問題があるのですか?区別する方がおかしくありませんか?私たちは社会に属している人間です。社会で生きている人間です。そして修道召命を受けていない私たちは、その社会の中でキリスト者としてどのように生きるべきかを模索し、神から頂いた個々の使命を全うすることを求められています。それを軽んじてはならないのではないですか?もっともっとキリストの思いを深め祈ってみてください。私はまだまだですが、神の赦しは本当に私たちちっぽけな頭で考えるほどに狭くて固いものではありません。もっともっと奥深いものです。そして神の愛も。カルト的な団体に過去所属していた事があるからこそ見えてくるものが私にはあります。彼等もまた真剣に祈り求めているのです。ただ、神のみ旨を取り違えて歪んで解釈しているだけなのです。勧誘という事が起こってくると大変重大なことです。続く。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:06
★ イエズスのペトロ さま、
教会の組織上の問題に、創立者の霊的啓示などからの創立経緯を
例に挙げても、FSSPXが当初教区立修道会として認可された段階で
解決済みのことではないでしょうか?ルフェーヴル師だって同じです。
2005年にFSSPXを追放され、現在はIBP(神の牧者神学校)の長上
であるラゲリ師ですが、彼は教皇B16の前で直にはっきりとご自身が今も
ルフェーヴル師を敬愛している旨を述べ、ところがルフェーヴル師帰天後の
FSSPX なる組織がルフェーヴル精神から遠く離れてしまった危機と
良心の呵責を述べたとご自身のブログで明言されています。
彼を引き取った教皇庁側が彼らに民事訴訟で奪還したボルドー近郊の
敷地建物聖堂を任せ、諸事情から教皇庁立としたことで、教区世俗
(1968派を中心としています)が教皇庁に不満を表明する署名運動も
ありました。

  >ミサの典礼の形式においても、日本文化を取り入れたミサ形式はないか、
  >外国の文化をそのまま取り入れるのではなく、日本人の心にしっくりと
  >いくようなミサ形式は無いか模索しているところです。

FSSPX が受け入れない点のひとつですね。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:13
★   >また聞いたところでは、野外ミサでダンボール箱を祭壇にしてミサを
  >上げた例もあるようです。

これは問題ないでしょ?司祭が聖別すればいいだけの話です。
それこそナチの収容所内で聖務日課を守った方々がどのような場所で
何を祭壇にしていたか慮ることを忘れないようにしましょう。
ロザリオがなけりゃ、十本の指がある。ダンボール箱しか祭壇にあてられ
ないなら、それこそ司祭の聖なる両手で清めていただければよろし。

   >そのようなミサはおおめに見てこのようなミサでも救われる人が居ると
   >ma_cocotte様はおっしゃっており、FSSPXもピオ10世会の行い
   >に対しては敏感に反応していらっしゃる。それってどうかな?と
   >思うのです。

フォークミサだろうが、野外ミサだろうが、教区長認可を得た方が司式する
場合と、教区長認可なしの方が司式するFSSPX (しかも、今年1月21日
以降は彼らの公での聖務は認められていません)の礼拝にあずかることは
同列比較できません。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:15 x
<まさにそのことを最後の段落で教皇側文書が促しているのではありませんか?>はい、その通りです。私も ma_cocotteさんのブログで紹介して下さった記事を読み、上記の点を促している事を知り安心致しました。

話戻ります。前コメントで書かせて頂いたように行き過ぎた急進的な思想やミサ形式、教会から古き良きものを捨て去ってしまおうとする動きは確かに存在しています。日本でもそれは強く感じられることです。私がどこかの団体に属しているとか、特別な書物に傾倒しているとかそういう問題ではありません。何かがおかしい。何かが狂い始めている。そう直感のようなものです。だからこそ憂慮の念を抱きながらも今は状況をうかがっているというのが今現在の私の取りべき道です。

そんな直感を感じているのは私だけではないはず。だからこそ、純粋で真っ直ぐで神様を心から賛美したいという思いを抱いている人たちが、何の疑問も持たず、彼等の話を鵜呑みにしてFSSPXやピオ10世会などに心惹かれてしまうのではないでしょうか。今現在の教会に強い求心力があったならこのような問題は防げたかもしれないと思いませんか?
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:21 x
<これは問題ないでしょ?司祭が聖別すればいいだけの話です。
それこそナチの収容所内で聖務日課を守った方々がどのような場所で
何を祭壇にしていたか慮ることを忘れないようにしましょう。>
申し訳ありませんが、それこそ論点がずれております。(T_T)確かに当時は戦時中で物の無かった時代です。手元にある祭壇に出来そうなものがダンボールしかなければやむを得ないことでしょう。けれど現代はいかがですか?この物がありふれている時代にわざわざダンボールをしようする必要があるのでしょうか。ミサを大切に考えているならば、神を神聖なものとして捉えていたならば、ありえない発想です。そう思われませんか?大事な大切な人のおもてなしにma_cocotteさんは心を込めずにはいられませんか?大事な優しいだんな様を喜ばせたいと部屋を飾り付け、料理に手をかけ、住みよい住まいにするために工夫を凝らしたりしないのですか?それを神様にあてはめるのはおかしい事ですか?
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:23
★ 1962ミサを含め、フォークミサも典礼聖歌集だけのミサも天使ミサも
教区長から認可ある司祭があげ、ヴァチカンに正しい道筋でつながるなら
世俗がどのミサにあずかることを誰も咎めはしません。ミサにヴァリエーション
を与えたのはJPIIです。私の記憶にあるパウロ六世時代はひとつの
ミサの形、黒の聖歌集のみだったんですよ。ところが1980年以降、
典礼文まで応用が出た。私が通っていたカトリック校では当時、子供用
典礼はまったく用いませんでした。聖母行列は4歳の子供であっても
文語体の世界で一時間以上過ごさねばなりませんでした。この学校を
出て、教会学校奉仕に出た私は子供用典礼文、聖歌があることに驚き
ました。野外ミサも私自身が小学生時代から経験していますが、祭壇が
ダンボールであることを批判した方ははじめてお目にかかったかも。
あるもので空間を作り、司祭に聖別していただき、みんなでミサにあずかる
ことの意義を何か勘違いしてらっしゃいませんか?
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:29 x
フォークミサだろうが、野外ミサだろうが、教区長認可を得た方が司式する場合と、教区長認可なしの方が司式するFSSPX (しかも、今年1月21日以降は彼らの公での聖務は認められていません>すみませんが、私がいつフォークミサや野外ミサを非難しましたか???私はフォークミサの重要性をとても感じております。子供たちが飽きずにミサに預かることが出来ますし分かりやすいです。またフォークミサもやりようによってはとても美しく賛美形式で東京四ツ谷のイグナチオ教会で行われているのに参加した事が数回ありますが素晴らしいものでした。また野外ミサだって昨年、ペトロ岐部と188殉教者列福式は野外ミサでしたよね!でも荘厳に行われた。十分に敬意を払って心を込めて行われました。それは素晴らしい感動的な式だったそうです。今、時代は本当に転換期を迎えています。司祭不足、修道者不足で日本はてんてこ舞いです。だからこそ信徒たちの自立を促す動きが日本カトリック教会の中で大きな課題となってきています。その点に関しては仕方ないとして・・・。続く。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:39
★ イエズスのペトロさま、
<ここにカトリック教会内の「赦し」について絡めない方がいいですよ。>
いいえ、絡んでくる問題だと思います。ひどく密接している問題です。社会問題を信仰者としての視点で見ることに何の問題があるのですか?

教皇庁でさえその点を割り切っているのに、イエズスのペトロさん個人が
そう思ったところで、世界の対応は何にも変わりませんよ。

何度も書きますが、修道会創立者の意図から眺めるのではなく、その
団体がヴァチカンという親方から認可を得るためのプロセス軽視が問題に
過ぎません。
現在のヴァチカンに認可していただくためには会憲の変更が必要でしょう。
それを段取り踏んで、責任省庁からお墨付きをいただき、最終的に教皇の
名の下に認可になります。
インターネットでも修道会によっては第二ヴァチカン前後での会憲の違いを
提示している会もありますよ。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:39
★ えーとですね、スマートに書きますが、ヴァチカンとFSSPX の諸問題は
教会内諸法を軽んじたこと、事務手続き上を軽んじていること、現時点に
おいて会憲、会則を改める必要があることです。四司教破門解除となり、
この最後の点において最短でも2年はかかる、と。当然だと思いますよ。
二年でも早いくらいぢゃないですかね。

ピオに関わったヒトがゴロゴロいる欧州では、彼らが再び現カトリック教会に
戻る際に聖俗共、最低一年の要理期間が設けられています。その間、
場合によっては聖職停止や聖体拝領停止もありえます。

ピオと同じ信仰生活のこだわりを持っていても教区長認可の教会に
通うヒトとピオの礼拝に通うヒトは分けて見ます。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:41 x
信徒が中心となって教会を運営していくとなると、様々な問題が浮上してくるのは明らかです。それを否定しているのではありません。どこかで歯止めをかけないと、どこまでも突き進んでしまう可能性がある。

私も黒皮のカトリック聖歌集の時代に洗礼を受けた世代です。とてものんびりゆったりしていて、居心地が良かった。

話戻りますが、は~。では、ma_cocotteさん、リビングとテーブルがありながらダンボール持ち出してご主人のご両親におもてなしなさって下さい。それがma_cocotteさんにとっての真心であるならば。私は嫌です。心から大切に思っている人をおもてなしするならば、やはり思いを形にしたいし、美しく飾り喜んでもらいたいと思うし、自分があなたを大切に思い愛していることを感じて欲しいと願います。私は別の方法でおもてなしするでしょう。ma_cocotte様はダンボールでどうぞ♥
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:50 x
<ピオと同じ信仰生活のこだわりを持っていても教区長認可の教会に
通うヒトとピオの礼拝に通うヒトは分けて見ます。>

この点が私にはひっかかります。あのですね。問題視されている団体に所属している人たちは自分達が何をしているのか、分かっている人は皆無に近いのです。はっきり言って一般の正当(正統?)なカトリック信者様がたより熱心でよく祈ります。それは本当に心から善意でしている事で、狭い空間の中で洗脳とも言える教えに耳を傾け信じ、世界のために一生懸命祈っているのです。別に彼等のドンが行っている<教会内諸法を軽んじたこと、事務手続き上を軽んじていること、現時点において会憲、会則を改める必要があることです。>この点において私は何の異論もありませんし、彼等を擁護するつもりも全く!ありません。その通りだと思います。しかし、彼等のあの熱心さに私たちは見習うべき点をあるのではないかと感じることがあります。エキセントリックになるのは良くないことですが・・・。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 17:56
★ で、イエズスのペトロさま、

  >第二ヴァチカン公会議後前は神を神聖視し過ぎる傾向がありましたが、
  >公会議以降はその反対に聖なるものに対する尊敬の念が薄れてきていると
  >感じているのは私だけでしょうか。

イエズスのペトロさん含めてパウロ6世時代を知らないヒトが第二ヴァチカン
をきっかけと思い込んでいること、問題がありますね。

神を天主様と呼び、主任司祭のオートリザシオンと従順や謙遜の美徳は
むしろ現代でも個人が率先して守るべきではありませんか。
これらを軽視するよう勧める聖俗がいますが、それを自分の良心に耳を
傾けて判断するのは個人にあります。

いくらキリスト教とユダヤ教の歴史土壌の国々を舞台に騒がれているから
と言って、報道各社スタッフには異教徒もいれば無神論者もいることを
忘れちゃいけないし、キリスト教の中でもカトリックばかりではない。
そこに赦しの概念をカトリックのパターンだけでこの諸事件を見よ、と
いうのは難しいですよ。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 17:58 x
エホバの証人やモルモン教と同じです。教えは異端なのに、関わっている人たちは善意ある人ばかり。こちらが見習わなければと思うことしばしばあります。自宅に訪問する彼等の熱心さには頭が下がる思いです。人柄も温和で目の輝きが美しい。異端な団体に属していながらも聖性は培われていくものなのでしょうか。だからこそ、人を裁いてはならないのです。裁くのは神お一人です。

また、 ma_cocotteさんが警告していらっしゃる諸団体に問題があるとしても、その団体に属している事で救われている人たちが少なからずあるということも事実ではないでしょうか。同じような事を以前 ma_cocotteさんのコメントの中で何回か見つけたことがあるのですが・・・。

繰り返しになりますが、私たちは裁くのではなく、祈り彼らが回心するようたびたびミサに預かり、告解し、ロザリオをくくり、聖なる生活を心がけ、全てを神に委ねて動向を見守ることが一番なのではないでしょうか。まずは家庭から。それもまた ma_cocotteさんのコメントの中にありましたね。終わります。お付き合い頂きありがとうございました。m(__)m
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 18:12
★ >はっきり言って何も無いがらん堂の集会所のようなお御堂に私は深い
 >悲しみと寂しさを感じざるをえません。

そう思って、黙って祈祷書や聖歌集にご絵を挟んでいる方も多いですけれど。

 >FSSPXやピオ10世会などに心惹かれてしまうのではないでしょうか。
 >今現在の教会に強い求心力があったならこのような問題は防げたかも
 >しれないと思いませんか?

聖職者方がこのエントリーをご覧になってますことを希望します。
としか、私の立場では申し上げられません。


  >この物がありふれている時代にわざわざダンボールをしようする
  >必要があるのでしょうか。

物がありふれているのは日本とアメリカだけではないですか?
そのダンボールを祭壇にしたミサはどこであげられたものですか?
釜ヶ崎、山谷、寿町など以外の場所ですね?聖堂内ですか?

  >ミサを大切に考えているならば、神を神聖なものとして捉えていたならば、
  >ありえない発想です。


いや、ミサ聖祭をあげるヒトの格が重要でしょう。モノではない。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 18:18
★ イエズスのペトロさま、

  >すみませんが、私がいつフォークミサや野外ミサを非難しましたか???


貴女がこのミサの形を非難していると、どこにも書いていませんが・・・。


 >私はフォークミサの重要性をとても感じております。子供たちが飽きずに
 >ミサに預かることが出来ますし分かりやすいです。

私は子供には大人の伝統典礼をしっかり教え込む方に賛同しています。
フォークミサや子供のミサは主日以外が理想です。私個人は主日に
フォークミサ、子供のミサにはあずかりません。

  >ma_cocotteさん、リビングとテーブルがありながらダンボール持ち
  >出してご主人のご両親におもてなしなさって下さい。

ですからね、どこでダンボールミサがあげられたのですか?
「ない」場所で「ある」を求めるのではなく、ない場所でいかに「ある」を実現
するかでしょう?0から「ある」を見出せますか?
思いを形にするにしても美しく飾るにしても先立つものが必要です。
それがほぼ0として、闇の中からダンボールを見つけたら、それを聖別してミサを
あげることに何の問題があるでしょうか?
Commented by イエズスのペトロ  at 2009-02-26 18:26 x
<物がありふれているのは日本とアメリカだけではないですか?
そのダンボールを祭壇にしたミサはどこであげられたものですか?
釜ヶ崎、山谷、寿町など以外の場所ですね?聖堂内ですか?>

再度申し上げます・・・。(T_T)

<<確かに当時は戦時中で物の無かった時代です。手元にある祭壇に出来そうなものがダンボールしかなければやむを得ないことでしょう。>>
と書かせて頂きました。お忘れですか。その点は柔軟に対応する事に対して否定はしていませんよ。

<いや、ミサ聖祭をあげるヒトの格が重要でしょう。モノではない。>
では、どうぞ ma_cocotte様はダンボールでミサをお願いして下さい。私は私なりの思いを込めてミサに預からせて頂きます。お粗末様でした。主の平和がありますように!!
Commented at 2009-02-26 18:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 18:34
★ イエズスのペトロさんへ、

  >彼等のあの熱心さに私たちは見習うべき点をあるのではないかと
  >感じることがあります。

うちの近所の司祭もイエズスのペトロさんと同じこの意見↑をおっしゃってますよ。
だから一致のために教区長認可に結びつけるよう準備するのではないですか?
・・・・・って、教皇庁がこの一ヶ月繰り返し表明していることでもありますが。

  >だからこそ、人を裁いてはならないのです。裁くのは神お一人です。

教会裁判所担当司祭にそうおっしゃってください。

 >ma_cocotteさんが警告していらっしゃる諸団体に問題があるとしても、

警告も何もカトリックがカトリックの違法に加担しちゃまずいだけでしょ?
我が地元にピオ聖堂があります。1962ミサを見たいからと教区司祭に
行っても良いか質問すれば、同じ市内にあるこの聖堂ではなく車で一時間
かかっても教区長認可のおりている1962ミサにあずかりなさい、と言い
ます。もちろんそこに集っているヒトひとりひとりの信仰をわかっていてもです。
無知は罪にならないけれど、知っていて遂行するなら罪ですから、赦しが
必要になります。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 18:43
★ 鍵18H33@260209さま

えと、もしかしてNJくんですか?
HNからちょっとそんな直感が閃きました。
このキーワードでわかったら、もう一度以下に鍵コメントをください。
よーく左下の「非公開コメント」に罰点を入れたか確認してから送信くださいね。
Commented at 2009-02-26 18:48 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-02-26 18:50 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 19:03
★ 鍵18H48@260209 さま、
貴信拝読。
エネルギーとはほど遠く、こんなこと、ニュウスで流れなきゃ
あっしには関係ないことっす、です。
どちらに加担することもなく流れを見ていければ、と考えていますし、
フカビュウ時代ではないのだから、ヒトとしての不行き届きには冷静な
見方と、その先の赦しが必要だと言い聞かせながらエントリーしています。

よろしくご指導くださいませ。

ところで、鍵さんはどちらに?
富士山より東?西?瀬戸内海?
もしかしたらどこかでお目にかかってますでしょうか?
私、昨年9月の叙階式とその後の祝賀会におりましたよ。
Commented at 2009-02-26 19:09 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 19:32
★ 19H09@260209 さま、

NJと同じ会にいらっしゃいますか?
入口の違いと扉の枚数の数の多さの違いについては、母校の
シスターから説明をもらっています。
私も荘厳なミサを好んでいますが、見たこともない1962ミサを先だって
見たことで現実を知りました。
カトリックは奥が深いですね。死の瞬間まで「知る喜び」を神に感謝ですね。
もしブログなど持ってらっしゃるのでしたら、ぜひURLをお知らせくださいませ。

こちらこそよろしくお願いいたします。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-26 20:56 x
ん?途中から説教が始まっていて驚きましたぞ。
ピオ10世会の問題を話すのにいきなり説教に変わっていたのはなんでだ?流れが読めん。メタな自分の信仰告白や教会論を書きはじめたらキリがないというかそういうのは自分のブログでやることでしょう。
イエズスのペトロさんは論点を絞って書いて欲しい。色々な要素を持ち込みすぎて、伝えたいことがさっぱり理解出来ない文章になりすぎています。
・・・・結局ナニがいいたいんだ????
という感じで、なにがなんだかわからんのですよ。

救われている人がいるなら問題ないというなら世の中一般にあるカルト問題からも逃げることになる罠。それに「熱心な人」の問題ではなくて、あくまでもそれを導いている組織(指導者レベル)の問題を語っているのにそこを混同するのはおかしい。オウムにも熱心で救われたと感じていた人はいた罠。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 21:37
★ あんとに庵さま、す、すまん。
私が凡人、かつ、私の文章が拙いせいです。
鍵コメさんから「秘跡論と教会論の混同あり」という指摘もいただきました。
「主からムッター・フォーゲルへの啓示」の転載をいただいたところで、
この文の内容だけだと叙階の秘跡を受けていたら司祭は何をやっても
赦され、世俗の(内心何に気付こうと対外的には)盲目従順を連想しかねない。
FSSPX はかつての聖側の権威の回復を教皇側に求めることも公言して
いることから見ても、知らず知らずのうちに助け舟を出してしまう可能性が
ありますよね。
そんなことは実はどーでも良くて、「信仰の危機」と唄いながらその危機を
解決するのではなく、自分たちを甘やかして不法ミサを続けて21年目を
迎えていることに誰も気付いていないと思ってンのか?21年あれば
冷戦会談だろうが、事務手続きだろうが面倒でも自らアクションして
できたのではないか?という疑問点に絞られるに過ぎないし、今回の
破門解除で認可まで双方、法やら段取りに則って努力せいっっ、としか
傍観者は言えないんぢゃないですかねぇ。
ウィリアムソン?国際人種差別委員会あずかりに過ぎん。(笑
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-26 22:02 x
<フカビュウ時代ではないのだから、>

時代も何もありません。
フカビュウは永遠に続く教会の一致の礎(いしずえ)です。(-_-;)

これはとても大切な事です。
軽んじてはなりませんよ~。(T_T)

別に私のような考え方を持っているからと言って、問題ある諸団体の入り口になる可能性があるという懸念は飛躍し過ぎです。びっくり致しました。

司祭を甘やかす?え?何ですかソレ\(◎o◎)/!召し出しについて ma_cocotteさんは、どのような見解をお持ちなのでしょうか。一般人と同じに捉えていませんか?修道者の生き方が一番素晴らしいという幻想はさすがにもう抱いていませんが、彼等が自分の使命を果たすために神様から特別の恵みを頂いているのは事実です。多くの霊魂を救うために。彼等は何故妻帯せず独身を貫いて全てを神に奉献し生きる決意をして叙階式に預かるのか深くお考えになった事はございますか?適当な気持ちで修道者になぞ決してなれません。恵みが無ければ召し出しを生き抜くことは不可能です。
Commented by イエズスのペトロです。 at 2009-02-26 22:10 x
イエズスは使徒を派遣しご自分の権威を彼等に与えられました。そのような見方が片寄っていると思われるのでしたなら、もう一度要理の勉強をなさった方が宜しいかと思われるのですが。失礼な物言い失礼致しました。m(__)m

まあ、実際、神聖視される事をひどく嫌がっている司祭も多くいらっしゃいますが。それはそれでいいのではと思っています。ご自分の使命を全うされているのなら、司祭ご自身がどのような考え方を持っているかは自由ですから。

でも、実際に修道生活の真似事をさせて頂きましたけれども彼等も人間、弱さ足り無さ・間違いいっぱいありますが、本当に愛すべき方々。召し出しって神秘です。私たちには計り知れない選びです。これは私自身が体験して魂の奥底から思い知らされた事実です。だからこそ私は召し出しのある人たちを大切にしたいという思いが強いのです。それはペトロの切実な思いであり、徹底的にキリストに従う姿を証する人々への感謝と愛の思い。そしてそんな彼等に救われた過去を持つ自分の個人的な深い感謝の念からコメントさせて頂きました。それでは。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 22:25
★ イエズスのペトロさま、
   >別に私のような考え方を持っているからと言って、問題ある
   >諸団体の入り口になる可能性があるという懸念
誰もイエズスのペトロさん個人の考えに一度も触れていません。
私または他の論客が世間一般の話を書いても、イエズスのペトロさんは
ご自分にあてはめて「私ならこうする」とばかり書き連ねています。
司祭各自の召命も奉献生活も今回の四司教破門解除、ウィリアムソン師
発言問題にも関係ありません。あくまでも前者はカトリック教会の組織上の
問題であり、後者は教会外の国際社会上での問題です。
各自の信仰に触れた文書が教皇側から出ておらず、破門解除宣言、自
論についての前言撤回命令、現状におけるFSSPX会員の立場の説明のみです。
B16におかれましては前者は教皇の立場、後者は国家元首かつW師
の最高責任者として世間に看做されての対応です。
現代は不可謬ではない、徹底政教分離の時代だから、このエントリー内に
掲載した記事のように
   >度重なる騒ぎに、教会の長としての法王の求心力を疑問視する
   >声さえ出始めている。
という意見が世界に発信できるのです。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-26 22:27 x
ま・ここっとさま>
いや、ま・ここっとさんは話を戻そうと努力してるのにどうしてああハイパーでメタな説教方向にいこうとするのか・・・というかイエズスのペトロさんの主張のほとんどは「そんな事は既に教会における当り前の前提であって、そこから踏み込んだことを話しておるのだが?」と言いたい話ばかりであり、ま・ここっとさんは問題点のみに絞って話しているので読んでいても噛みあってないですね。
段ボールのやりとりに到っては呆れました。全然人の話を読んでない。対話にすらなっていない。

まさに「信仰の危機の時代に歯止めをかける」という前提で、今回のピオ10世会をめぐる案件は何故、どこが問題となったのか?ということを語っているわけで、その前提の部分持ち出されても「だからナニ?」とか、「空気読まずに、メタ説教でもしにきたのか?」という印象でしかありませんでした。

批判は否定ではない。ということを先ず念頭においていただきたいですよね。存在そのものを完全否定しているわけではない。問題点を省みて、そこを修正すればいいだけの話だと思うのです。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-26 22:40 x
イエズスのペトロ様>
ぶろぐを拝見しにいこうとしたら重すぎて途中でフリーズしました。読めませんでした。ご免なさい。

説教はもういいです。あと、文脈を無視した揚げ足取りなどは無駄な行為です。リソースの無駄使いです。まずここではじめに語りたかった論点を明解にし、そこから離れないことです。しかし今の時点では論点が鰻のようににゅるにゅると変わっているようなので(しかも現時点では「不可謬について」のようである)かまってちゃんか?と思うしかありませんな。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 22:41
★ イエズスのペトロさま、

  >イエズスは使徒を派遣しご自分の権威を彼等に与えられました。その
  >ような見方が片寄っていると思われるのでしたなら、

イエズスさまの使徒はイエズスさまに従い、各自、善良なユダヤ教徒
ですよ。法にも、生活習慣にも従っています。
FSSPX は教会の法を軽んじていることに問題があるのです。教皇さま
への愛を総長名で文章で公開したところで、この一ヶ月で教皇側が明示した
求めをひとつも守っていません。

it has not changed in any way the juridical situation of the Fraternity of St. Pius X, which for the moment does not enjoy any canonical recognition in the Catholic Church.

現状において、イエズスさまの使徒とFSSPX会員をなぞらえるのはちょっと
違うと思いますけれど。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 23:06
★ あんとに庵さま、
庵主さまの南の島では定期的に神父さまがいらして家庭のミサをあげていただき、
昨年は司教様がおみ足運んでくださいましたが、もし庵主さまの家にダンボール
しかなかったら、神父さま方は星飛雄馬の親父のごとくひっくり返したり、
立腹されたりするのでしょうか?
私が知る神父さまもシスターも目の前に出されたものでポジティヴに
動きます。
インドの山奥に第三修練にいらした神父さまは日本だったら価値の
つかない安値のカリスとチボリウムを愛用していました。
なんか上のやり取りは私が知ってるカトリックと違う気がする。
神父さまのマジックハンドより祭壇の質で喜ばせる・・・・う~ん。

いつかあんとに庵さんのおうちのお庭でミサ。(夢~
あるものでなんとか理想の空間を集う者の力と善意で作れるといいですね。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-26 23:18 x
ま・ここっとさま>
秘跡論的には段ボールでも祭壇になりえますね。司祭はそこで怒りはしないでしょう。ですから厳密な秘跡論に従うならばま・ここっとさんのおっしゃる通りです。

イエズスのペテロさんが主張したいのは「神に捧げるものは最良でなくてはいけない」という伝統的な考えであり、これもまたその通りであるとは思います。というのも清貧を重んじた聖フランシスコですら聖杯は大変贅沢とも言えるようなものを用いておりました。神に捧げるものは最良の「美」という概念があったのですね。この点に関してはわたくしも同意出来ます。ミサは非日常である神の国の再現でもあると思うからです。ベネディクト16世も『典礼の精神」でそうした事を指摘しています。

ですが、それがかなわない場合は段ボールでも、簡素な聖杯でもミサを挙げることは出来るでしょう。おっしゃる通り、モノではないのですね。

それが噛みあってないのがすごく変だった・・・・。

うちの島なんか教会ないから私んちでミサだもんな。でも最高の神の被造物である自然を目の前にミサできますんで。最高の美空間かも。



Commented by ma_cocotte at 2009-02-26 23:40
★ あんとに庵さま、
ダンボールの例で釜やら山谷、寿町の名を出したのは0をどう考えているのか知りたかったからでもあるが、私(=イエズスのペトロさん)の家の話をされてもそれは私にはよそんちのことですし、拙宅の備品をご存じないイエズスのペトロさんからダンボール蔑視を聞くのも何か良心黄信号を感じます。
「最良のもの」を中心に語り合うなら、拙ブログでもこれまで何度も極上の一品を紹介していますし、たいていの教会には「特別の日の大切な聖品」がありますよね。昨年、日本の某教会で典礼委員長のご好意で拝見したことがあり、写真を撮ろうとしたら主任司祭の許可を取らずにいかん!とビシっと叱られました(この方は偶然、私の小学校の大先輩でもあった)。
この話に通ずるのが現在のFSSPXの態度です。世俗でもこうして守っていることをなぜ守らないのか。面倒でもイヤでも決められたことは守るのが原則で、反論するにしても聖側のプロセスを守るべきだと私は思ってます。
上の話で私が気になっている点は召命があれば、叙階していれば「イエズスは使徒を派遣しご自分の権威を彼等に与えられた」だから・・・という話の進め方です。恭順と謙遜は世俗のみではないはず。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-27 02:08 x
そーなんだよな。
ほんとはこういう話の持っていき方(ミサにおいては最良の美であって欲しいという話)をすれば、まここっとさんだって同じ事を常にブログでおっしゃっているわけで。きちんと秩序立てて説明もせずに、いきなり「あなたは段ボールでもてなせ」という無礼な話にいってしまうのか?話法として突然飛ぶんで、解説を要しますな。

元のソース(野外ミサで段ボールはいったい何処で誰が主催したか)についてま・ここっとさんが訪ねているのにそれへの回答もない。
揚げ句、鍵コメの人との対話に割り込み、文脈も分らず揚げ足取りしてるようでは、本気で対話しようと来ているのか、己の信仰告白ついでに、他者のことをけなし(例・カテキズムを勉強しろ等)に来てるのか?判らない。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-27 02:23 x
>召命があれば、叙階していれば「イエズスは使徒を派遣しご自分の権威を彼等に与えられた

秘跡論的には司祭の権威は秘跡の施行に与えられているわけで、それ以外の要素においては間違いをおかす普通の立場と変わりはないわけですね。その論拠についてはアウグスチヌに遡る。ペラギウスとの論争で出てきた話だったっけ。なんかその辺り。

で、叙階の「手続き」「上長(教皇)の承認」という「秘跡」ではない部分で教会ヒエラルキアを無視した行為が為されたことが問題。教会論としては違法なことを為したわけで、叙階の秘跡論的な問題ではなく、大きな枠組みとして使徒継承される「教会」という神秘体の無視はまぁ、そりゃ不味いよなという話ですよね。
叙任権闘争とか、これも歴史長いなぁ・・・。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 03:33
★ あんとに庵さま、実は殴られたかのようなショックを受けたです。
ご自分からカトリック修道生活経験があるとおっしゃりながら、以下の発言。

 >確かに当時は戦時中で物の無かった時代です。手元にある祭壇に
 >出来そうなものがダンボールしかなければやむを得ないことでしょう。
 >けれど現代はいかがですか?この物がありふれている時代にわざ
 >わざダンボールをしようする必要があるのでしょうか。

これが抜本から何か違うというか、カトリックにおける優先順位の違いが
あるのではないか、と。清貧をどう捉えたらいいのでしょうね。思い出したのが
某引退司教がかつて提案したヴァチカン美術品売却案ですね。そして、
四旬節に入ってフランス国内の教会は教会献金を集めており、その一部は
ヴァチカンに送金されると地上波の普通のニュウスで司教を招いての
解説が流れたのです。ヴァチカンの現在の資金は地方中堅都市程度
だそうで、フランスだから国民に協力を求められるのでしょうが、洗礼、
結婚、葬式をどこに世話になっているんだ?って。
続く
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 03:45
★ 世間では物がありふれているかもしれないけれど、先人が残した遺物を
丁寧に使い続けているのがカトリックではないのでしょうか?フランスだと
アイロンがきいたウールのスータン、美しいサッシュをしめた司祭はピオで、
木綿で袖が刷れて、ひじあてをあてがった木綿で色のあせたスータンは
教区司祭だったりするんだけどなあ。(資金力の謎に着目すべし)
「信仰の危機」を理由に時間がなくて無断叙階し、その後21年間、信仰の
危機を理由に無認可ミサと堅信。だけど、一方で無断叙階を知って、
教皇に助けを求めた人々が作った修道会(FSSP)の認可はエクレジアデイ発布
と同月となると、数ヶ月で修道会認可できる術をもっているヴァチカンと
話し合うだけの時間は無断叙階前にいくらでもあったとしか思えないですね。
どうも理由と現実が結びつかないけど、ま、破門解除だからもういい。
これからはFSSPX認可までが注目すべきところでしょう。
Commented by イエズスのペトロ at 2009-02-27 08:36 x
✝主の平和
短いお付き合いでしたが、今まで本当にありがとうございました。もう訪問することは無いと思います。昨日、コメントのやり取りをして熱中し過ぎ、今日体調を崩してしまい、発作の症状が起こっています。担当医から1時間以上パソコンに向かうなと言われていたのに・・・。反省です。

主がマコッテさん始めコメントを入れていらっしゃる方々、またこちらのブログに訪問なさっている全ての方に主の愛と恵みと祝福がありますよう、心からお祈り申し上げます。

コメントした内容について私の信念は変わることは無いと思われますが、時おりマコッテさんを侮辱するような表現を使用し、愛に欠ける文面があったこと、心よりお詫び申し上げます。m(__)mそして今もいつもお母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。今までありがとうございました。それでは。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-27 11:56 x
ま・ここっとさま>
そうですね。修道生活は世俗にモノが溢れていてもそれから解脱出来る価値観の集合体ですからね。それに現代でも、結婚当初、先立つものがなくて段ボールを食卓にせざるを得なかったという友人も知っていますから。モノがありふれている日本でも苦労してる人はおるんだが。それでも感謝して生きてるって価値がまぁキリスト者ですな。

ピオ会の財源に関してはたしかに謎ですな。だがそれをいい出したら清貧であるはずのフランシスコ会は・・以下略。
Commented by イエズスのペトロ様 at 2009-02-27 12:05 x
体調を崩すような書き方は宜しくありませんな。ま・ここっとさんに対し数々の無礼発言や意味不明のロジックも、お身体が疲れてしまうほどに感情に任せて書いているからだとお見受けいたしますが、ご病気の場合、そうした行為はしないことが賢明です。ネットというマス媒体では公にした言論の責任を問われます。病気を口実に責任を取らないという甘えは残念ながら赦されません。

しかし、勿論ナニかを読んでご意見などを表明したいというのは自然です。ですから悪化させないために、まず祈ってからカキコすることをお勧めいたします。きちんと伝わることを書いているか?相手の主張を誤って認識していないか?論理が飛躍していないか?祈り、そして自らの言葉に対し厳しく検証するのですね。
自分の言論の責任を取れないような書き方を続けていては寧ろ病気が悪化してしまいます。

Commented by あんとに庵 at 2009-02-27 12:06 x
上のコメはわたくしのコメです。
うっかり名前欄に、コメントタイトルを書き込んでしまいました。
イエズスのペトロさん宛です。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 16:17
★ あんとに庵さま、
庵主さまのコメントを拝読して思い出したのがモッキンポット神父さまです。
彼が私に「他人に厳しく自分に甘いのはよくないね。他人に優しく、自分に
厳しくなければ」とおっしゃったことがあります。だけど、モッキンポット
神父さまは決して「他人に甘く、自分に厳しく」とはおっしゃっていません。
優しさは時に厳しいですね。でも、その後、いかに愛情や慈愛を示すかも
愛ゆえに叱った側には忘れてはならないですね。
教皇B16はFSSPX問題では枢機卿時代から関わる職にばかり偶然
着いてしまいましたが、1988年にピオから分派したFSSPを認可しても、
2008年の二十周年までローマ管区を持つことも認可しませんでした。
20年は赤ん坊が成人式を迎えるくらいの長い年月だけど、ローマ管区と
聖堂をひとつ任された喜びはたいそうだったらしいです。2007年には
FSSP に女子小志願院の設置も認可されたので、これからいっそう発育
する可能性が高いでしょう。20年目にして大きなプレゼント、やっぱり
教皇さまはパパなんですね。日本にも管区が作られればよいのにねぇ。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 19:09
★ イエズスのペトロさま、お大事ください。
もういらっしゃらないと書かれていますが、いちおう今回いただいたコメントから
私が思うことを以下に。
教会のためには私の信念を冷静に眺め、教会のためにはその信念を
どう生かすかということを熟慮、内省することも必要かと思います。時には
自分が納得できないまま自分側の形を変えることもあること。その納得
いかない苦渋も捧げてください。そして、修道会に入り奉献生活を経験さ
れたこと、勉強を積まれたこと、講話も多々聞かれたとのこと、それらを
ココで披露したところで何になりましょう?
一度たりとも召命を識別し奉献生活の経験があるのなら、後になって
他人を「侮蔑」したと自らがそう表現できる行動を取るのはカトリックと
してよろしくありませんよ。侮蔑そのものを忘れましょう。

続く。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 19:16
★ 私なりにイエズスのペトロさんのご心身について思ってはいますが、
このような電脳空間で自らを強者と思わせるような名乗りをあげつつ病気を
出すのなら、その数倍、(何も私事を語らずに)拙ブログに集う方々をご自分を
思う以上に思いやる努力も心のどこかで常に意識されてはどうでしょうか。
おそらくイエズスのペトロさんより祈ってるヒト、カトリックについていろいろ
ご存知の方、長上さまやら養成さんにビシバシされているヒト、心身に
不自由を持つヒトも拙ブログを覗いているかもしれません。
互いの不足は補いあいましょうよ、ね?
聖マルチノが馬上から乞食にマントを投げたのか、それとも馬から
降りて乞食の肩にマントを優しくかけたのか、そこまでの動作の記録は
残っていなくても、自分だったら後者でありたいと思いませんか。
この一ヶ月の教皇さまを思い、FSSP はネットヲッチャーにノヴェナ参加
を求めました。「誰よりも私が立派に祈る」を強調するよりも「共に祈る」
ことを上つ方は求める。これ、深い意味があると思います。
「この世には雑草や小花があるからこそ薔薇や百合が美しいのです。」
テレーズの姉上の言葉です。
Commented by あんとに庵 at 2009-02-27 19:57 x
ま・ここっとさま>
お疲れさまです。
議論になってしまうとどうしても感情が高ぶり、自分自身の言葉に客観性をもてなくなってしまうということは誰でもありますね。ただ、現実空間やメールのやり取りならよいのですが、このような公開されたマスの場というのは、その言葉のみで判断される辛辣な世界ですから、心が折れやすい空間といえます。
疾病を抱えておられる方にとっては辛いとは思いますね。
しかし、疾病を口実に何を言ってもいいようなことは赦されませんから結局自分に返ってきて更に辛くなってしまう。なのでネットをやるのはお勧めしないです。

公に文を書くと言うのは己を客観視しないといけないんで結構大変ですね。多数の人に批判されようと最後までそれを負う覚悟はあるのか?とか。自分が間違えたなら、自分自身の主張に固執せず修正するとか。マス媒体であるがゆえに信頼性のないことは言わないとか、色々。悩ましいです。わたくしも常に失敗してます。だから気軽に書ける場ではないなぁと。

とにかく、イエズスのペトロさんはすこし休まれた方がいいですね。主の平和がありますようにわたくしも祈らせていただきます。
Commented by ma_cocotte at 2009-02-27 20:52
★ あんとに庵さま、そうですね。
電脳上でも箔なり泥を他者に塗って去るのは簡単ですが、それが事実と
異なる場合、塗られた本人がそれを拭い取るには何十倍もの時間が
かかりますね。
それぞれのブログコンセプトもありますから、「わたくしを見て!ブログ」も
あれば「俺様ブログ」もあると思います。もちろんそういう方々にステージを
提供しているブログもあるかもしれません。
残念ながらこのよござんしたブログはそのどちらでもありません。
いろいろな事柄もここに集う人々の良心の声に従ってより良い何かを
見出せたらいいなあ、と。たとえお料理ネタでも「そこに○×を加えてください」
だけでも私にとっては「知る喜び」です。
心に乾きがあるなら、心に穴が開いているなら、神さまの愛で補われますように、
と、ココんちの♂♀の婚姻の祝福してくださった神父さまがしばしば
おっしゃいます。これ、自分のことでも他人様のことでも祈りを通して願えますね。
ヒトとヒトとの間の溝も神さまの愛で満たされますように。
Commented by 匿名 at 2009-03-05 07:01 x
ま・ここっと様

★2009-02-26 00:36のコメントでご紹介くださった(2008.1.13)仏語の記事は読みました。

>今調べていますが、やはりどうもPaul VIミサ以外のrite romain です。

とありますが、現在もパウロ6世の新しいミサ(ノヴス・オルド)以外のローマ典礼だと考えておられますか?
Commented by 匿名 at 2009-03-05 07:06 x
昨日から「スパム・コメントに判定されています」という表示がされ、なかなか入力できません。参照記事のURLの羅列がまずいのでしょうか?
試し試しの入力です。
どうぞ気長に御容赦ください。資料の提示ができないのです。少しずつ分ければいいのでしょうか?
Commented by 匿名 at 2009-03-05 07:11 x

L'Osservatore Romanoは場所が分かりませんでした。

仏語の記事と一部重複しますが、その翌日(2008.1.14)の英語の記事を一つご紹介します。
http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=55933

★2009-02-25 21:05のコメントで
>そして教皇さまが毎朝7時に小聖堂であげている背面ミサも、
>毎年1月にシスティナで行われる幼児洗礼式での背面ミサも
>第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサで、イタリア語の典礼文です。>FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼です。

と説明されていますが、
・>「第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ」
・>「FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼」
とL'Osservatore Romanoに書いてありましたか?

Commented by 匿名 at 2009-03-05 07:15 x

★以下はま・ここっとさんの2008.1.16.の記事「言いだしっぺは」のコメント欄に書かせていただきます。
(写真と動画があるので・・・。どうぞ、検証してください。)
Commented by ma_cocotte at 2009-03-05 15:59
★ 匿名さま、

 ・>「第一ヴァチカン公会議以前の背面ミサ」
 ・>「FSSPXが言う聖伝のミサが誕生する以前の典礼」
 >とL'Osservatore Romanoに書いてありましたか?


と、最初から私はずっと書いていますが、なぜ読まないでご自分の思いを
書き続けられるのですか?
OR紙には上述に加え「ルターがあげたであろう典礼」とありました。
そして上に書きましたがPaul VI の典礼文は仏蘭西語で言うところの
Rite Romain といい、大改革されたトリエントミサ典礼文以前の
典礼文を元にされているということも既に書きましたが、それでも
どうしてもPaul VI が生み出したかのようにこの場で主張したい
匿名さんご自身に理由があるのでしょうね。

がんばってください。
Commented by 匿名 at 2009-03-05 23:15 x
ま・ここっと様


★2009-02-26 00:36のコメントでご紹介くださった(2008.1.13)仏語の記事は読みました。これです。
http://www.la-croix.com/photo2/index.jsp?docId=2325870&rubId=4085 

②の繰り返しになりますが、
L'Osservatore Romanoは場所が分かりませんでした。
アドレスと日付を明記してくだされば、読みます。

場所が分からないから、読めないのです。

★>OR紙には上述に加え「ルターがあげたであろう典礼」とありました。

「典礼」と訳されていますが、どの単語が使われていますか?

「ルターがあげたであろう典礼」を、2008.1.13.教皇様がシスティナ礼拝堂であげられた、と書いてあったのですか?

私が提示した英文は読んで下さいました?
http://www.cwnews.com/news/viewstory.cfm?recnum=55933



Commented by ma_cocotte at 2009-03-06 00:29
★ 匿名さま、
私も探しましたがOR紙記事については検索できませんでした。
cwnews の英文は読みました。で、何か?
別エントリーのコメント欄にも書きましたが、匿名さんの目的は何でしょうか?
私の稚拙な文章の一文が原因で典礼の間違いを貴殿が正すにしても、
それが正されたとしてウヰリアムソン師関係の問題に光明が充てられ
ますか?
教皇さまの前でウヰリアムソン師が美しいミサを正しくあげれば教皇さまが
受け入れるなんて話は聖俗どちらにもまったくありません。教皇さまは
公でウヰリアムソン師が私見について撤回することを求めているのです。
それについて欧州の世俗がメア・クルパという語をあてがって表現する
のは特別なことではないと思いますが。早い話、どの典礼文でも
構わない。Paul VI ミサのラテン語典礼文から引用してもトリエントでも
モサラベでも、ミサ典書以外でも構わないでしょう。もちろん報道記事から
眺めたら、ですけれど。
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