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ネ + 申 = ネ申、神という字とそっくりだけれど神ぢゃない。でも、実は同じ意味だったりして。
日本語は便利だなあ、と思いました。(・_・)
でも、アルファベットや表音文字の組み合わせで言葉を表現する国は大変なんだとわかりました。最近のマレーシアでこんなことがあったようです。

「アラー」の使用禁止、残り4地方でも
3月11日8時33分配信 NNA

 「アラー」をはじめイスラム教徒にとって神聖な言葉の非イスラム系出版物への使用を禁じる措置に、残っていた4つの州も近く従うもようだ。▼国営ベルナマ通信によると、この措置はもともと、カトリック系週刊誌「ヘラルド」がアラーの言葉を掲載したことに端を発し、アブドラ首相の宗教顧問を務めるアブドラ・ジン博士が、イスラム教への敬意を高める目的で提唱した。イスラム教の教義解釈などを行う全国ファトワ評議会が使用禁止を決定し、10の州が公示していた。▼残るペナン、サバ、サラワク各州と連邦直轄領の4地方は、最高権限者であるスルタンがいないことから、ほかの州のスルタンで構成されるマレー統治者会議が示した規定に従う形となったようだ。▼禁止対象となる言葉は、「アラー(神)」、「ソラト(祈り)」、「カアバ(聖地、聖殿)」、「バイトゥラー(神の家)」の4つ。




前々からマレーシアという国は一神教の異教、つまりユダヤんやクリスちあんのヒトには生きるのが難しい国だと聞いてはいましたが、イスラーム教徒なら使える単語も異教徒だと使ってはならないようですね。以下のような、上よりもそっと詳しい記事も見つけました。

マレーシア、カトリック紙の「アラー」使用やはり禁止か
2009年03月02日NNA
CJC=東京】イスラム教徒が国民の多数派を占めるマレーシアで、政府は、イスラム教関係以外のメディアが「アラー」という言葉の使用を禁じていた。その後、制限事項を撤廃するなど出版規制が改定された。▼カトリック教会の英字紙『ヘラルド』紙のローレンス・アンドリュー編集長は、発行許可更新の際に制限が付けられなかった、として使用したことが問題となった。アブドゥラ・ジン首相府相(宗教問題担当)は2008年1月4日、イスラム教徒以外が「アラー」という言葉を使用することは、許可更新後も引き続き禁止であり編集長の発言は誤解に過ぎない、と語った。さらに国内治安省(内務省)が2月、「イスラム関係者のみ使用できる表現」とし、禁止を命令した。アンドリュー編集長は「イスラム関係者以外の者にも使用が認められる」と主張。撤回を求めて裁判で争う方針を表明した。▼政府側は、「アラーという表現を使用する権利の問題は裁判になじまない」と主張したが、ラオ・ビーラン判事は、裁判で争われるべき権利として同年5月5日、クアラルンプールで政府側の請求を退け、提訴を認めると判示した。▼『ヘラルド』紙はこの1年以上、イスラム教関係組織やメディアの批判キャンペーンの対象になって来た。原理主義の影響が強まっていることにもよるが、政教分離型の憲法の下で、実際の司法レベルではイスラム教の影響が強いことも影響している。▼政府は積極的に問題解決に当たるというよりも、穏やかな解決法を探ろうとしていた模様。▼保安相が2月16日、「アラー」の使用禁止を命令、裁判に訴える、と官報に掲載した後で、内務省は、キリスト教出版物は奥付または表紙に「キリスト教徒のみの出版物」と表記すれば、「アラー」の表記が許される、との指示を発した。▼『ヘラルド』紙とクアラルンプール大司教区の提訴に対する第1回審理が27日に行われる直前の措置だった。同紙側は不十分ながら前進だ、と評価していた。▼しかしシェド・ハミド・アルバル内相は28日、「官報掲載までに誤りがあったと思う。事態を徹底調査しなければならない」とメディアに語った。使用禁止は裁判所の最終判断が出るまでは有効だ、と述べている。



もしかしてマレーシアという国ではイスラム教徒に「キリスト教徒のみの出版物」を買う自由もないのでしょうか。イスラム教徒がキリスト教徒のみの出版物の中の「アラー Allah」という単語でイスラームがイスラームにおける神と混同してしまうことを恐れているとしても、それは内輪の教育の問題でしょうに。異教の解釈を知ってこそ、イスラーム命になると予想することさえ恐れているのだとしたら、大英帝國育ちのウッサマさまの前例があるから?
上の記事について調べてみたところ、マレーシアで販売されているカトリック週刊誌ヘラルド The Catholic Herald はマレーシア国内で約14,000部発行しており、読者数は約850,000人。英語、マレーシア・バハサ語、タミル語、中国語の4か国語で印刷されているのだそうです。私個人はその昔、「神」という単語をアラビア語にすれば「アッラー」なのだと習いましたが、マレーシアのようにこの単語を使える資格がイスラームでなければならないとなると、異教徒は神をどう訳せばよいのでしょうか。日本語の新聞だったら、このように命じられたらとりあえずカタカナの ネ の半角と、その右隣に漢字の「申」を置けば ネ申 となり、漢字の「神」に見えなくもないし、神の字が横広がりなので
こいつぁ春から縁起がええわい、七福神 v(^▽^)v
と、その場を丸く収めることもできなくもありませんが、広い世の中、そんな文字遊びができるのは日本國くらい、そんなオチで丸く収められるのはウマシカま・ここっつぁんのまわりくらいです。

21世紀に入って9年も過ぎれば個人の宗旨を尊重しての政教分離は当たり前だと思うのはまだ早いようで、イスラームのような政治も宗教も生活も包括した宗教で原理化が進んで、他宗教との区別が好まれるようになるといずれ差別が生じかねません。マレーシアにはそんな香りが漂い始めているかも。ただし、このヘラルド紙の使用言語にアラビア語がないのになぜ「アッラー Allah」という単語を用いた文章が掲載されたのでしょう。もしかしたら記事の内容に問題があるのかもしれませんね。

変な話、「神 Allah」という単語を使いたいだけなら改宗すりゃあ使えるンですよね。
( ̄□ ̄;)ア? そゆこと?
信教による使用言語制限なんて宣教妨害でしょうけれど、寄留先の異教国でこう決められちゃあ、異教のガイジンは「出るのも自由、いるなら守れ」でしょう。
上の記事を眺めれば、マレーシアには「全国ファトワ協議会」なるものもあるようです。ドキドキ。この3月8日は「女性の日」で、仏蘭西でもテレビ画面にこの日にちなんでの映像が流れましたが、その中に火傷による損傷で顔の皮膚がつれたままの女性たちによるデモ行進の様子がありました。仏蘭西ではたまにイスラームを信じる移民の間で、男性からのプロポーズを断った女性が男性から火を放たれて火達磨になってしまったというニュウスが流れたりしますが、まさかデモ行進できるほどの犠牲者がいるとは思いませんでした。現状を甘く見すぎていた私、猛反省です。

マレーシアがイスラームにおける理想平和国家をより早く実現するためには、マレーシアから異教を排除してしまうのが手っ取り早く簡単な方法でしょう。改宗を求めたところで異教徒が受け入れるかどうかは世界の歴史を振り返ればわかること。
でも、山を登らず、山の裾を周っても辿り着く終点は同じなら、息を切らして汗をかき、時には杖を突いて山の頂上に辿り着き下界を見渡せば裾野に広がる神が創造した自然の美しさも、ヒトが創造した諸々の美も醜も一つの身体にある二つの目に入ってきます。そして山頂から裾野を舐めて遠方に目を移せば大海が見えることもあれば、地球が丸いこともわかります。でも、同じ山の向こうにある終点を目指すにしても裾野を周る道を選べば汗もかかず疲労も少なく到達できても、その道を選んだ者は道路際の様子しか知ることができません。同じ終点に向かうとしても、自分ならどちらの道を選ぶでしょう?苦労をしても山を登り、頂上から世界を知り、下山して、人々に自分が見たこの世の素晴らしさを話せた方が良いのではないでしょうか。

マレーシアという国が国民に世界を知ってもらっては困るなんて思っていなければいいですけれど。世界を知ったところでイスラームを棄教するような国民ではあるまい。え?そうなの?ユダヤの律法もイスラームの啓典のうちのひとつですが、神の語を使うことがイスラム教の敬意の表れであり、イスラム教徒でなければ神の語を使ってはならないとは十戒にはないのにね。「神の名をむやみに呼ぶなかれ」は全知全能の神を知るこの世の万民への言葉でありましょうに。これからのマレーシアはどういう国になっていくのでしょう。こういう形での浄化、多民族の結束を進めるのでしょうか。仏蘭西でも神聖賢愚帝サルコぢ一世がしばしば口にされるナシオナリズム Nationalisme やらコミュノタリズム communautarisme の問題点につながらなくもない話題かもしれません。

le 11 mars 2009, Rosine
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by ma_cocotte | 2009-03-11 16:07 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
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