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生 き る 。 生 き て 行 く 。
2009年3月12日、ココんちあたりは深い靄に包まれたまま夜が明けました。
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↑ 2009年3月12日午前7時49分、モヤモヤ~なココんち ↑

きょうは私の母の誕生日です。
昭和9年(1934年)生まれでしたから、もし今もココにいたら75歳。
昨年2月24日に母は永眠し、28日に私は母を見送り、3月26日にココんちに戻りました。ココでのいつもの生活に戻ってすぐ、母が2月に旅立ち、3月に誕生月を迎えるのだからと、晩冬から春の始まりに咲く草木を選んで庭に植えました。
こうして今年の3月12日を迎えましたが、私の計画は頓挫。椿も木瓜も蕾は持ったものの開花してくれませんでした。ですが、今朝、台所前の日陰に花が咲いているのを見つけました。
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こうして写真を眺めると、雑草と呼んでもいいラムズイヤーの方が立派に繁り、美しいです。白く小さな花に寄ってみましょう。
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あまりにひ弱な、虚弱なヒヤシンスです。茎もなければ、葉は既に虫に食われて穴が空いています。2月だったか土を耕している時に私がうっかり真っ二つに割ってしまった球根が花をつけたのです。とてもお花屋さんの店先に出るような芳しい香りを放つ美しいヒヤシンスではありません。

でも、うれしかった。
半分に割れた球根をゴミ箱に捨てなくて良かった。
私は断面が丸見えになった球根を土に埋めることで土に戻ると思ったけれど、真っ二つになってしまった球根は土に戻るより「生きよう」と真っ暗闇の土中で決意したのでしょう。土の下でひたすら地上から染み入る朝露を飲み、生きて、生きて、大きくなって、こうして今日、花を咲かせたのです。外見は雑草より控えめでも、ひと花摘み取り、鼻のそばに寄せればヒヤシンスのあの華やかな香りがします。香りは目に見えなくても、私が摘んだひと花は自らがヒヤシンスであることを香りで証明してくれました。

花のいのちは短いけれど、私が埋め返した球根は断面が見えるほど身が欠けてしまっていたけれど、こうして花をつけるまで生きたヒヤシンスならば、花を咲かせた後に地中でいくつかの子球根を産むことでしょう。そして、子球根は来春に美しい花を咲かせようと母球根から栄養をもらって育ちます。一方、私が半分に割ってしまった球根は子球根たちに身を吸われ、しなび、やがて土に戻り、使命を果たして生涯を終えることになります。

半分に割れ、半分を失ったたヒヤシンスだって日陰に埋め捨てられたにもかかわらず生きることを諦めませんでした。身が半分になっても生きて、生きて、こうして地上に花を咲かせました。私は外見も内面も親にとって納得行かず、満足いかない存在ですが、親から命をもらったからにゃあ生きるしかない。この白いヒヤシンスのように。みすぼらしくても、ひ弱でも、こうして花を咲かせたことで喜んだ私がいるではありませんか。大喜びしたのは世界中でたったひとりだけれど。そんな大きな喜びを私に与えてくれたのも、日陰でひっそりと蕾を開いたあまりにも地味なこのヒヤシンスの花です。泥をかぶっていても、虫が食っていても私には気にならない。花を開いてくれて、ありがとう。

母の誕生日の朝、こうして開花した小さな白いヒヤシンスに「生きる」ことを教えてもらいました。これから先、私の身がどう変わり、私の周りの環境がどうなるか私にはわかりません。
でも、生きよう。生きてみよう。生きて行こう。
我が身がしなびて土に返る日まで生きてやる。
私が割ってしまった球根もそう。球根の立場になってみれば、突然私に身を二つに割られ、それまで南向きの良質土の中に埋まっていたのに、日陰の粘土のような土に私の判断で埋め替えられてしまいました。粘土のような土では地上から届く水も少なければ、土が重過ぎて根を思うように張ることもできません。それでも「生きる」と決めたのは球根自らです。私ではありません。私はこんなひどいこと、かわいそうなことを球根にしたのに、この球根のことをすっかり忘れていました。私が何をしたのかこうして開いた花が思い出させてくれました。
来年はいくつのヒヤシンスが土を割り、白い花を咲かせ、芳しい香りを放ってくれることでしょう。来年生まれ来るヒヤシンスを既に待っている私がココにいます。

le 12 mars 2009, Justine
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by ma_cocotte | 2009-03-12 18:05 | 『?』なたわ言 | Comments(3)
Commented by tama at 2009-03-14 10:42 x
お母様のお誕生日に見つけられたヒヤシンス、ま・ここつとさんに生きる力をあたえてくれましたね。ありがたいことです。ヒヤシンスはまた「宝石の一つでもあり、透明で橙、赤、褐色をおびたジルコンの美しい結昌」と広辞苑にありました。
また多田智満子さんの「花の神話学」には「ヒヤシンスの墓」というエツセイがあります。アポロンのこよなく愛したヒュアキントスと円盤投げの競技をしていたところ、円盤がヒュアキントスの額にあたつて、額が割れ、少年は死ぬのです。そのヒュアキントスの墓からヒヤシンスがさくのです。つづきます。
Commented by tama at 2009-03-14 10:53 x
ただこの美少年ヒュアキントスが花に化生したのはヒヤシンス(ゆり科)ではなくイリス・ゲルマニカというあやめ科の植物であろうとも言われています。
二つに割れたヒヤシンスの球根からこんな連想がでてきました。「割れた」という共通点、死と新生、がだぶりましたね。
咲いた花はま・ここつとさんのまさに宝石です。どうか、いつくしんであげてくださいね。畑の土が柔らかそうで、こういう土と接しておられるから、御元気なんだな~とうれしくなりました。お母様がみまもつていてくださるのを、今日も実感しました。
お母様が生きられなかつた75歳を私はもう4ヶ月も生きさせてもらいました。大事に命をまもつてゆこうとおもいました。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-14 17:48
★ tama さま、不思議でした。
3月12日の朝に卵のようにぽっこり、心なしか光って見えました。
上の写真でもわかりますが、おそらく通い猫が踏みつけたり、冷やかし
たりしているので頭頂が醜くなってしまっています。
私が土を耕すために埋まっていた球根をほぼ真っ二つに割ってしまいました
が、半分になっても土中で生きていたんですね。だからこうして花を
つけた。感動しました。他人がどう思おうと、本人が生きていくなら
こうして生の途中の証を見せてくれるのです。私の予想どおりに球根は
なってくれませんでした。「土に戻ってたまるか」と思ったのかもしれませんね。

球根を埋め替えた場所は日当たりの悪い粘土のような土なのです。
だから根張りに勢いがあるハーブの刺し芽場所になっています。
白い花が終わったら、掘り起こして日のあたる場所にもう一度植え替える
ことに決めました。
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