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隠れても無駄、無駄。
私が4歳になってまもなく耶蘇幼稚園に入園して最初に学んだことは、人っ子ひとりいない場所で何をやらかしても神さまはすべてご存知であり、私たちそれぞれを守護する天使が私たちの善行も悪行もチェックしているということでした。以上、文字を覚えるより先に、手を合わせて祈ることの次に学びました。
きょうび電脳域を徘徊していると 自分が選んだ 匿名で団体や人物をイニシャルで表現しつつ批判したり貶めたりすることを楽しんでいるヒトが多く、その中にはカトリックさんもおり、こーゆー方々における神や天使の存在とは何なのだろう?と 信者であろうがなかろうが カトリック環境に育つ園児や児童が持つ罪悪感や正義感と比較しつつ考えることが私にはしばしばあります。幼い子供でさえ畏れて互いに気をつけあっていることを大人ができないという不思議。電脳域で自他を偽り批判、悪口、嘘を語ったところで誰が許し赦してくれるのでしょう?そのような愚行をヒトが許しているのであって、神さまはそういう愚を行った本人が改心するまで赦しません。信心業に熱心で文字で表現されていることのみを金科玉条扱いする「立派なカトリック」さんなら他に対して何をやらかしても無条件で天国直行なのでしょうか?天国門前のペトロと、近年40年はパードレピオも加わり神のみ旨を聞いてひとつの魂の受入のために彼らは門を開くんぢゃないですかねい?例えばいくらパードレ・ピオを敬愛していると多言しても、神さまを知った子供ならば躊躇う行いをコソコソと続けていたら、たとえロザリオを唱えようがベールをかぶって跪こうが「なかったことになる」どころか、むしろパードレ・ピオを悲しませることになりましょう。神さまもペトロもパードレ・ピオも優しいけれど甘くないねー。

そーんなことをローマ巡礼中にふと思い起こしてしまうような出来事に私は遭遇しました。
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今回、私が参加した巡礼旅行ではローマに到着した初日午後と翌日午前はキリスト教が伝来する以前のローマについて徹底的に学びました。その後、教会訪問を始めましたが、この巡礼の最初の訪問先は聖パウロ大聖堂 la Basilique Saint Paul hors les Murs ↑ でした。2009年3月、見ろよ、ローマの青い空ぁ 060.gif
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この主聖堂 ↑ の右奥に小聖堂 ↓ がございまして、この巡礼初のミサがあげられました。
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¢( ・_・)  あれぇ? 何だかちょと違う?

状況を整理してみますと、
いつ?     日曜日(主日)の午後、
どこで?    イタリアはローマ市内のヴァチカン飛び地の聖堂
誰が?     フランス人である司教 さまが
何を?      背面ミサ
どうした?   フランス語 による Paul VI 典礼文 であげた
ンですねー。へぇ×∞ 
今年2月下旬から3月はじめまで北関東から延々とローマ典礼の背面ミサについて拙ブログに送信続けられた 匿名 さーん、他の電脳域では別のHNで大活躍中でらっしゃいますが、今もご多忙の合間に拙ブログにおみ足運ばれてらっしゃいますか?匿名さんからいただいたコメンツのおかげで私の知らないところで「典礼土●脳」という言葉まで私はいただきましたが、どうも何もかも天主さまはご存知で、無知無能の私を哀れに思い、こうしてローマ典礼の背面ミサについて直に教えてくださいました。この事実について結果だけを見れば、匿名さんが長期間に渡ってコメントを書き連ねたことは要らぬ余計なお世話だったかもしれませんが、ヒトなんか神の掌で転がされているひとつの魂に過ぎないので匿名さんからいただいた数多なコメントも神さまの計画のうちなのかもしれません。Only God knows

このミサが母国語で唱えられた背面によるローマ典礼であげられたという事実は単なる偶然に過ぎませんが、匿名さんとのコメント交換からたった2週間で我が目で拝見できるとはあまりにタイムリーでヴぃっくりしました。匿名さんが私宛に
読者に教授なさるのなら、正しいことを伝えないと信用が
なくなりますよ。
とコメントを残されたことも天主さまがご存知だからこそ、こういう場を私に示してくださったのです。私の立場上、典礼本の中身を逐一見れませんが(私なんぞには典礼書の中身が白紙だって構わん)、背面のPaul VI ミサにおいて司式司祭がどのような所作をなさるのかはぢっくり拝見することができました。感謝、感謝の Deo Gratias 。そして、匿名さんが
>1990年代に、典礼秘跡省が、ノヴス・オルドを背面祭壇であげる方が
>良いこともあると、文書で出していることは、ご存じですね。
と私に質問されましたが、どうやら公文書についての既知は二の次、三の次のようです。というのも、この小聖堂には 司祭と世俗が対面できる祭壇が存在しない のです。ほれ ↓
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もし私が参加した巡礼団が祭壇の位置を第一に重んじるなら、対面ミサのできないこの小聖堂を選びません。もしどうしてもこの小聖堂で対面ミサを絶対あげたいなら売店やら隣の修道院からダンボールを持ってきて対面ミサをあげてもいいでしょうに。今、この聖堂にあるものでそこに集う者が心をこめてごミサをあげるってぇのが基本中の基本なんぢゃないでしょうか。自己の要求や満足は祭壇の配置やミサの形や文面で満たされるのではありません。
そう、神さまが教えてくらしゃったような勘違いを私はしちゃいました、まる
小聖堂を出たら主聖堂では夕ミサが始まっていました。
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主聖堂にはこのような祭壇があるので対面のごミサです。世俗席は満席、告解室も長蛇の列で、本格的なローマ巡礼が始まるなりイタリアのカトリックの物凄さを見せ付けられ良くも悪くも私にはショックでした。祭壇の後ろ ↓ も満席ぢゃったよ。眼福、眼福。
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ヒトが感じる「余計なお世話」も、ヒトが判断する「奇跡」と同様に、実は「神のみ旨」によるものか「悪魔のそそのかし」によるものかは私たちはもちろん聖域に住まう方でも安易に判断しません。これもまた、Only God knows.
私にしてみれば執拗に狐につままれた、はたまた、幹にとぐろを巻いた蛇からの誘いを拙ブログで見たからこそ、このローマ典礼の背面ミサが神さまからの贈り物だと勘違いできました。「匿名」なる書き手を介す必要もなければ、狐や蛇の戯言に惑わされることもないと神さまからお返事をいただいた独善勘違い~。聖パウロ大聖堂の敷地に松や椰子は根付いてもサボテン はまったく生えていませんでした。ローマ市内ではサボテンが雑草のように乱雑に生えていたけれど。
サボテンが伸びっぱなしで放置されているのは
市井の温情。
ローマではサボテンが枯れるまで放置されるように、電脳域でも枯れるまで踊れるなんて本人は達成感があって満足だよね。Bof

le 30 mars 2009, Amédée
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by ma_cocotte | 2009-03-30 18:31 | 『?』なKTOりっくん | Comments(6)
Commented by rice_shower at 2009-03-31 13:00 x
内容とは無関係かもしれませんが、美しい写真を見ながら、こんな曲を聴いてみました。
オリジナルはザ・タイガースで、さすがに貴女もご存じないでしょうが。(私とて当時小学校低学年だったはずですが、この曲に意味もよく分からず聴き入ったのを憶えています)

白い鳩は今も廃墟の空を飛ぶのです。
つくづく人間が嫌になります。
結局は神も仏もないのか、と無信仰だし、かなり唯物的ではあるけれど、人智を超える何ものかを求める心を失った時、人は人でなくなる、と思う“超物主義者”(今思い付いた)の私は慨嘆するのでした。
Commented by ma_cocotte at 2009-03-31 15:02
★ rice_showerさま、
鳩ですが、仏蘭西語だと白鳩と色ある鳩では単語が異なるのです。
らくだもひとこぶとふたこぶでは単語が違う。それだけ太古の昔から
人の生活に密着していたからこその細分なんだろう、と想像しています。
ローマは大空を鳩、かもめ、鳥が気持良さそうに飛び交っている町でした。
地上は意外にもゴミゴミ。車の渋滞を久しぶりに見たし、巻き込まれもしました。

rice_showerさんのコメントの後半3行ですが、自己の思いの表現を
絵や彫刻に表すとしたらどうでしょう?
全知全能の神がいると言いながら、自分の都合で神を粘土のように
こねくりまわしている人はかなーりいますよ。上の最初の段落で言いたい
ことはその点です。神は「何でも許す」「何でも赦す」んだって。Bof

ローマ滞在中に同じ巡礼団にいたフランス人数名が教会美術の「リッチ」
に憤慨したのです。キリストの生涯と重ならないって・・・・・・

......アホかと内心思ったのでいずれエントリーしたいと考えています。(笑
Commented by rice_shower at 2009-04-01 17:35 x
人智を超える何ものか.....それを神とする思考経絡が形成されないのですね、私の場合。
そういう脳みそをこねくりまわして生きて来たし、これからもそうやって生きて行くのでしょう。

ところでローマと言えば、私にとってはフェリーニの街。
金と暇が出来れば、一月でも滞在してみたいものです。 (イメージ過剰かも知れないが)
Commented by ma_cocotte at 2009-04-01 20:15
★ rice_shower さま、

  >人智を超える何ものか.....それを神とする思考経絡が
  >形成されないのですね

それでよろしいのではありませんか?
一生かけて追求する生き方で、人生の終わりに自ずと答えが見えて
来るのかもしれませんよ。私のような凡人だと「誰彼が○×と書いているから」
と自分で読んで納得したことで完結宣言しちゃいがちですが、そこで
自分が結んでしまうと、その筆者を信じたに過ぎません。読んだところで
疑ったり、確かめたりして自分のための「答え」を見つける作業は人生に
おいて止めてはならないことではないでしょうか。
最近、「敬虔な誰それ」とか「尊敬する誰それ」という枕詞で、人物を信じ
込ませる文章を散見して気持悪さを感じています。見えないモノを疑っても、
真実を求める思いがあれば何らかの答えがいつか見つかりますよ、きっと。

で、ローマですけれど、パリから一時間ちょいなのに根こそぎ違う自然と
文化で驚きました。知る喜び。
Commented by きなこもち at 2009-04-03 10:23 x
目の覚めるような青空、なんて素敵なお写真でしょう。
いやな事を忘れてしまいそうです。
大聖堂の天井の高さがすごいですね。
お写真だけでも眩暈がしそう・・・
あらためて自分の小ささを感じてしまいます。でも威圧感の無い不思議な心地よさに包まれそうです。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-03 15:36
★ きなこもちさま、
この写真の空の青さには私もヴぃっくりしました。
3月末のローマが冬のような寒さに戻ったという異常気象のおかげかも?
私にとって初めてのローマは知らないことばかりで本当に勉強になりました。
聖パウロやサンタ・マリア・マジョーレはじめいくつかの大聖堂はローマ
市内にあれどヴァチカン市国の飛び地扱いだそうで、これらの聖堂は
威圧感あるほど荘厳であり、豪華ですが、教会の伝統芸術が見事に
受け継がれ表現されている空間でもあるようです。
で、聖堂内の雰囲気ですが、1980年以前の日本国内のカトリックっぽい
雰囲気が残っていて懐かしくなりますよ。タイムスリップしたような錯覚を
覚えました。
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