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おくれなかったことでの呵責
昨日の朝、映画「おくりびと」のDVDがココんちに届きました。



おくりびと [DVD]


海外に在住する日本びと向けのネット通信販売からこのDVDの予約販売の知らせを受け、この映画がエイメリカのアカデミー外国語映画賞を獲得した直後だったこともあり予約しました。先週火曜日に発送完了のメールが届き、同じ週の土曜日には手元に届くのですから私たちが住む地球は本当に便利になったものです。

映画の予告編も見、あらすじも読み、電脳上での噂話も見聞しての予約でしたが、いざDVDが入った日本製の頑丈な封筒を手にしたら封を開けるのに気持が躊躇ってしまい、土曜日の夕方になってようやく封を開ける気持になれました。

想像していたより淡々とした映画でした。物語というよりは医学部に例えるなら症例報告の列挙のように思えました。ひとつひとつの症例、いえ、納棺の形とその例に登場する人物の感情表現は「こんなことあるだろうな」と観ているこちらも冷静に判断したりもしていました。
主人公にとって初めての症例、ではなくて「納棺の例」ですが、死後2週間が過ぎた独居老人の遺体に関わる例で、主人公の心身が五感で他人の死を知ってしまったことで、主人公の心身がどのように反応するかが美しくリアルに表現されていたように思いました。我が身に振り返って思い出したのが、某医大に奉職した数日後に上司から病理から解剖の電話を受け取ったら、解剖室に行き、ヒトの脳、上腕三等筋、肝臓などをいただき、研究室にて肝臓の血抜きを行うという仕事を命じられた時のことです。その命令を聞いた時の私の顔はおそらく主人公が就職先の上司から仕事内容を聞いて悟った瞬間の表情と似たようなものだったかもしれません。私は上司からの命令を断りました。すると上司がこの映画の主人公の上司と同様、
慣れればなんともないよ。
と私に言ったんですね。この上司ではないけれど、他の医師からは病理解剖の際、最初のメスのひと入れでヒトの血液は天井にまで届くほどまだ飛ぶことを教えられたことも未だ忘れられません。もし私が上司に反発することなく魚屋さんで見かけるクラッシュアイスを敷き詰めた発泡スチロールの箱を持って病理室に行ったとしたら、この映画の主人公が初仕事に挑んだ時のようなうろたえや失態を私は間違いなくしました。なんせ遠足のバスの中で誰かがもどしただけで、私の五感はすぐさま反応して顔色が変わってしまうほどですから。毎度そういう現実に出っくわすたびにその場に鏡はないから自分で分からないまま、私の顔色に気付いた他人がすぐいたわってくれたりする...私もヨソサマにそういう様子を認めたら手を差し伸べる。やっぱりヒトはひとりで生きるのは難しいのかも。

映画を観続けているうちに昨年春の、2月27日午後3時から実家で行われた母の「納棺の儀」なるものを思い出してしまいました。納棺の儀が始まる一時間前に葬祭センターの方が二人の女性を連れて来ました。映画を観てわかったことはこの女性ふたりがまさに納棺師だったことです。母の場合、納棺の儀が始まるまではドアを閉め、納棺師お二人と母だけで着替えを行い、リンゴの保護ネットを母の頭部から取り、髪型を整えてもくださいました。パジャマを着ていた母が寝たきりになる前に通院の際に好んで着ていた洋服に着替え、儀式を始める直前に母の三面鏡のひきだしに入っていたディオールの口紅を母の唇に乗せました。私のせいで母は4日もの間、巨大なドライアイスを両肩に乗せていたので、映画のように美しく固く握られた両手をはずすことができなかったのでしょうか。母の服は背面にはさみを入れて着せられた形になりました。母がいつか私の結婚式で着ようと決めていた色留袖が仕付け糸が通ったまま、母の寝室の枕元に置かれていたこともあり、この着物を母が長年のへそくりをはたいて作ったことも知っていましたが、一度も袖を通すことの無かったこの色留袖をそのまま棺に納めました。一昔前ならば故人の愛用のものを「あの世でも探さないように、困らないように」と棺に納められたのに、近年の火葬においては棺の中に納められるものも限りがあるようです。金属や革製品が納められないことで、なんとも中途半端な装いで母を天に送ってしまったことは今も胸中複雑になったりします。
納棺の儀が始まり、その場に集まった身内が清水を含んだコットンで母の身体を軽く拭きますが、コチコチに固まった母の指と、まだ生きているかのようにモチっとした母のふくらはぎの感触は今も覚えています。お化粧はしたけれど母が常にコンプレックスを持っていた短く薄い睫もそのままで、マスカラを乗せたらいいのかしら?と内心で不謹慎にもクスリと笑いつつ思ったりもしましたが、元気だった頃の母がマスカラを使っていたこともなかったので自然の睫のままの母の方が「私の母」ですね。今となっては骨しか残っていませんから「あれで良かった」と残された者は自分に言い聞かせるしかないのです。

納棺の儀を実家で終えてすぐ、母の棺は通夜と葬儀を行う葬祭センターに移動になりました。母の肉体が二度とこの家には戻ってくることはないということをわかっていてもつらかった。通夜の際も、葬儀の際も、母の身支度を整え棺に納めてくださった女性二人を見つけることはできませんでした。あの時は「あの二人はどこからやってきてどこに去ったのだろう?」と不思議にも思いました。この映画を観るまで、あのお二人は密室でカチカチになった母とプロレスのように戦っていたのではないかと私は想像していました。もし「おくりびと」の主人公のように優美に見えるほどの無駄のない動きで準備してくださったのだとしたら母が一番喜んでいることでしょう。母しか知らないのですから。通夜や葬儀の際、母に対面してくださった方々から母が美人さんと褒めていただけたり、幼馴染の方々からは子供の頃と代わらない母の表情があってうれしいという言葉もいただきました。でも、通夜のお清めが終わって棺の中の母を見たら、おでこあたりにあざのような斑点ができ、口が少し開き始めていました。翌日、お葬式を終えた後は斑点が更に増え、口元から見える歯の数が一本増えていました。既に脳を献体しているので母の死をわかりきっているはずの自分なのに、顔の様子が変わったことでこの肉体に既に魂がないこと、否が応でも母の死をいっそう具体的に私は知ることになりました。

DVD「おくりびと」を観ているうちにこうして一年と一ヶ月ほど前の母との別れが妙にリアルに思い出されてしまい、もしかしたらこの映画は今の私が観るにはまだちょっと早すぎたかな、とも映画半ばで後悔するような思いを感じ始めましたが、結局途中でDVDを止めることもなく最後まで観てしまいました。映画の中の数々の症例において主人公の反応も、遺族の反応も、私自身が身内を見送ったからこそ自分が経験したことにあてはまることを冷静に摘み取れたのかもしれません。母を送る前の私だったら恐怖感が先になり、観る勇気さえ持てず、もし鑑賞したところで感想もまるで違っていたと確信しています。

火葬場で母を待っている間、お坊様といろいろお話しました。浄土宗のお坊さまでしたが、どこかカトリックの神父さまのようと申しましょうか、これまでご自分が関わったお葬式での失敗とそれについてどうご自分が反省して変わろうとしているのか面白おかしく話して下さるのです。が、拝聴していてもその失敗談を伺ったところでお坊様を軽蔑する気持にはまったくなれませんでした。志を持って増上寺にあるお坊様になるための学校に通い、お葬式に携わるようになっても最初は恐くてしようがなかったそうです。でも、或る時、ヒトの死ほど荘厳なものはなく、その荘厳に携われる自分の役目に誇りを持てるようになったそうです。そう思えるようになったのも先輩にあたる方々と亡くなられた方とそのご家族あってのことです、と。拝聴しているこちらも母の死がなければ出会えない人々に多く会うことができました。この方々と関わったことで私の知らない世界を知り、私の中の死生観がかなり大きく修正されつつあります。「~されつつある」と書くのは今も私は葛藤している最中で死を喜んで受け入れられるほどの悟りにまだ至っていないからです。

映画の中で私が一番どきりとした瞬間は、主人公が納棺師という仕事に巡り会ったことはそれまで身内の死に関わることがなく、実母でさえ自分は看取ることも葬儀にも参列せず骨壷になった母と対面したことでの因果応報ではないか、と主人公による淡々とした語りが流れた時でした。私にも思い当たる節があります。主人公は祖父母の死は幼少期で記憶がないと語っていましたが、私も母の死まで身内や友人、同僚の死に深く関わったことがほとんどなく、母方の祖父、父方の祖母、母の大叔父の葬儀で親戚として参列したことしかありません。そして兄弟姉妹のいない私がこうして海外に住んでいることについて父母からどれほど叱られたことか。父からの恨み節は現在進行形であります。私の現状を話したところでヨソサマからたびたびいただく「一人っ子なのによくおうちの方が許したわね」という言葉も私にはハツを一突きする刃だったりします。私は日本に生まれ育った日本人だから因果応報という言葉は聞く度にドキリとします。両親の思いに従わずに我を貫いて海外にこうして住んでいることも良心の葛藤やら呵責を感じることは日常お茶飯事です。母との間については既に結果を見たことで、これからの私にどんな運命が待っているのかわかりません。もし因果応報があるなら私の残りの人生もいっそう波乱万丈でありましょう。他人さまから見たらネガティヴな、因果応報と呼べる私の運命であろうと、自分に与えられた運命はたとえ自分にとって不満であったり恐ろしくあっても、背を見せずに向き合い、考え、できることならまずはやってみるしかないのでしょう。

仏蘭西はきょうから La semaine sainte (聖週間)と呼ばれる週に入り、この日曜日はRameaux らも、=枝の主日というお祭り日で、イエズスさまがエルサレムに入城したことを省みる日なのだそうです。この祝日には教会で聖水で祝別した枝を配るので、午前中に旧市街に出ると多くのヒトが青々とした枝を持ち歩く姿が目立ちました。この枝は自宅に飾り、これまで飾ってあった枝はココんちあたりでは土に埋め塵に戻します(ゴミ箱に捨てることは厳禁なんですと)。
枝の主日の前日に「おくりびと」のDVDが届き鑑賞したことで、きょうの午後、古い枝を土に埋める際、何か厳かな思いが心に広がりました。「おくり枝」ですね。この世の生きとし生けるものは全て、いずれ塵に戻るのです。

le 5 avril 2009, Rameaux
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by ma_cocotte | 2009-04-05 15:51 | 『?』なたわ言 | Comments(11)
Commented by tama at 2009-04-07 18:03 x
私も「おくりびと」を観ました。モツクンが素敵だし、周りの俳優さんも全部うまかつたですね。
ある女性納棺師は「仕事は?」と聞かれたとき「葬儀関係です」といつていたのを、今では「納棺師です」と胸をはつて言えるようになつたと、新聞で読みました。いままでは母親がいやな仕事、とおもつていたけれど「うちの子は納棺師なんです」といえるようになつたそうです。

夫の死後用意していた着物は私と看護婦さんとで、着せました。まだやわらかくて、温かいからだでした。納棺師さんにはお世話にならなくて済んだのです。サンタ・マリアというカトリツクの施設でしたから神父さまが真夜中に起きてくださり、祈つてくださいました。続きます。
Commented by  tama at 2009-04-07 18:16 x
枝の主日は教会の隣の幼稚園運動場で、聖歌を歌い、神父さまが枝(棕櫚ですよ。フランスは棕櫚だけじゃないみたいですね)を祝福してくださつて、行列して、教会にはいり、ミサにあずかりました。昨年の枯れた枝を灰の日の前に教会にもつてゆくのを忘れていて、どうしようか、と悩んでいました。土に埋めるとお聞きして、そうしようと思い、心が晴れました。いいこと、教えていただいてうれしかつたです。
でも、マンション住まいの方は古い枝をどうするんでしょうね。2-3年分ためている方もあると聞いています。
いただいてきた枝は今、玄関に活けてあります。

独立できる娘を持つということは親にとつて、何よりの安心、喜びです。お父様も心の底ではきつと、そのようにおもつておられますよ。自立できない娘に泣いている親が日本には激増していますからね。
Commented by anbai at 2009-04-07 21:49 x
 リアル葬儀社勤務の義弟がおりますが、映画を見て勤務先に電話してくる方がやはりおられるみたいです。
 しかし、現場では孤独死・自殺・事件もののご遺体も扱うわけです。とても口では言えない・筆舌に尽くせない状態のご遺体を納棺することもあるわけで、「その事実に耐えられる」人が来るのかどうかと言ってます。
 また多くの葬儀社では、納棺だけでなく葬儀の一切を担当し、喪主である方をヘルプすることも大事なお仕事。葬儀の司会やら、火葬の手配やら、一切をやらなくてはならないところの方が多いようです。

 ただ、無意味に偏見を持たれることが減ったという事実があれば、本当に良かったことだと思います。その仕事を誠実にすればするほど悩みごとが増えますし、その苦悩を漏れ聞く立場にある身内も切ない思いを共有していますから。
 
 
Commented by ma_cocotte at 2009-04-08 02:18
★ tama さま、
仏蘭西ですが地方によって枝の主日に用いる枝が異なるようです。
私の場合、南仏時代はオリーヴの枝でしたが、現在住んでいるあたりでは
私が知らない枝を用いています。以前漏れ伺った話ではノルマンディーでは
ローズマリーの枝を用いているとか。おそらくですが乾燥しても落葉し難い
木の枝が選ばれているのではないでしょうか。
これまた聞いた話ですが聖別されたものは破棄できないので、土に戻す
のが良いそうです。枝以外でもご絵や聖像も土に埋めるのがいいのかも
しれませんね。

「おくりびと」ですが、母の死を境にして前と後では私の感想はまったく
異なったと想像しています。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-08 02:27
★ anbai さま、この映画をきっかけに就職希望の方が増えているという
ニュウスをしばしば見聞しましたが、希望したご本人の具体的な気持を
もう少し詳しく知りたいと正直思いました。
anbaiさんがおっしゃるとおり、筆舌に尽くせないのが真実ですよね。
この映画はその面にはまったく触れず、主人公側も、遺族側も「死に
向き合う」ポジティヴな精神を前に出しているように思いました。
火葬場の職員さんの言葉なんて究極でしたね。
原作者が提携を断られたことについて、原作者のHPでご本人の思いを
ぢっくり読むことができました。浄土真宗の信徒さんとのことで、死について
映画とは違った考えを持ってらっしゃり、まさにその考えは外せないそう。

原作者のHPも勉強になりました。
Commented at 2009-04-08 14:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-08 19:44
★ 鍵14H08@080409 さま、
お知らせありがとうございます。
ご注目いただきたいのは切手と消印です。
どちらもローマではなくヴァチカン御製。こだわりまくってみました(笑。

いただいたURLですが、該当エントリーは私には読めないようです。
他のエントリーはぢっくり拝見いたします。
こちらこそいつもどうもありがとう。感謝。
Commented by rice_shower at 2009-04-14 14:23 x
観ましたよ。 普通に良い映画でしたが、ちょっと評論家風に言えば、銭湯のおばさんを送るところで終えていれば、もっと普遍的な、深い感動、余韻が得られたであろうに.....、と惜しい気がしました。
絶妙なユーモアを交えながら、小さな物語を積み重ねてゆく淡々とした展開が、最後の父親のエピソードを加えたことで、所謂お涙頂戴になってしまった。 
見終わった後、貴女が何となく澱の様なものをお感じなったとしたら、映画の出来も影響していたかもです。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-14 15:55
★ rice_shower さま、
映画については「広い」と思いましたが、「深い」とは思いませんでした。
最後の父親の件は、映画の冒頭で主人公が身内を見送ったことがない
という「良心の呵責」、それをしなかった自分がこういうナリワイにめぐり
合ったことを「因果応報」と思われる言葉でそれぞれ述べているので、
父親を見送ったことで(うまく表現できませんが)主人公本人の「解放」を
意味したのではないでしょうか。もしかしたら因果応報を仮定すれば
それまでの仕事は「罪滅ぼし」のような気持を携えていたとか。父を
見送った後の主人公についての仕事ぶりをひとつ入れていただきたかった。
原作者が浄土真宗の信徒さんで、日常も生活宗旨を守ってらっしゃる
ことから映画とご自身の思いとの違いを述べてらっしゃり、考える種を
頂戴した思いがしました。rice_showerさんはすでにご存知かと
思いますが、以下。ぜひ。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~shinmon/news.htm

Commented by rice_shower at 2009-04-14 19:18 x
>主人公本人の「解放」~
なるほど、父親を送ることで、主人公自身の“departure(英語タイトル)”が為された、という感じかな。

ところで、本筋とはずれますが、死体に関わる職業は、部落差別の根源の一つとされていますね。  
それと、理由は忘れましたが、被差別部落においては主に浄土真宗が信仰されて来たという話を聞いたことが有ります。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-14 20:08
★ rice_shower さま、
ツル脳かつ凡女の私見に過ぎませんが、私も主人公のように身内を
見送ることに疎いまま成人し、昨年、母を見送ったのも息を引き取る前後を
見ていませんから、他人様が語る「死生観」の輪にまだ入れないかもしれません。
あの主人公も身内である父親を見送ったものの、「死」の知らせを聞いて
からの対応なので、その点をどう捉えるか。
主人公が持つモヤモヤな感情とそれを自分に納得させる糸口のひとつが
「因果応報」が原因か、と推測していることなど共に考えられる問題点が
ココにあるかな、と。「救済」という同じ言葉を用いるにしても「就労や区差別
域」に対してなのか、「心」に対してなのか、観る側の捉え方で広く浅く、
狭く深く・・・などかなり感想が異なるかも。私自身は母の死以前だったら
前者に留まったでしょう。上の原作者の言葉の中に

 >河原乞食と蔑(さげす)まれていた芸能の世界が、今では花形になっている。

とありますが、応仁の乱以降の民衆と宗教の関係について調べると
自ずと見えてくるものがあるかと思います。室町時代があまり映像化され
ないのはこの点にあると聞いたことがあります。
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