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聖金曜日の夜だからこそ明らかにしたい
のだそうで、2009年4月10日、典礼暦では聖金曜日の深夜近くに国営放送France 3 の Comme un vendredi という番組で、仏蘭西国内で妻帯を隠しているカトリック司祭についてのドキュメンタリー Le reportage : « Le curé se marie » が流れました。
COMME UN VENDREDI
http://programmes.france3.fr/comme-un-vendredi/index-fr.php?page=video&id_article=764
司会者はサミュエル Samuel Etienne 、さ、みゅ、え、る ね、サミュエル。ゲストはアクセル・カーン Axel Kahn 、エル el つきの K で始まるカーン 。サミュエルの苗字がエチエンヌってぇのがうっかりニヤリとしてしまいます。エチエンヌ Etienne はユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、石打ちの刑に処せられた聖ステファノのことですからね。そのサミュエルさんが冒頭で「聖金曜日だからこの話題」とカトリック司祭の究極の罪科に触れると宣言しました。
2000年の恨みは聖金曜日にはらすってかあ?
年に一度、キリスト教を批判をする絶好の機会は聖金曜日にございます。キリスト教徒ならばこの聖金曜日にどんなことを他者から仕掛けられても耐え忍ぶのみですからあ。

この番組放映に先駆けて、同日の昼間に私の耳に入った番組予告では、なんと! 仏蘭西国内の教区司祭の20%が妻帯を秘密にして聖職に関わっているんですと。・・・_| ̄|○  呆れましたねぇ。立場をわきまえずについうっかり脳に浮かんだ言葉は
とっとと辞めれ。ヽ(`Д´)ノ
隠れているンだか隠されているンだか司祭のナイショの相手もどーかしてるというか、彼ら二人がどーかしてるから「秘密を通す」んですよ。これがまさに、ロジック。二人の間に良心がない。ついこないだもこの場でボヤきましたが、自身の快楽についてヒトの間で隠せるという横に広い意識が強くなりすぎてしまうと、なぜか縦の二者、神と自分の関係が失せて行きます。自分自身にとってヒトに対しての内緒が通されていることで安心しながら大胆になるのも、傍観している縦のつながりを維持しているヒトには見抜けてしまったりします。
あー、不思議だなー。ほんとーにふしぎだ。(抑揚なしの一本調子)
「アタシが尊敬している立派で敬虔な主任神父さまがそんなことするはずない」という、この世に生きる人々を神輿に乗せた人間はこのような台詞を吐くのも世の常であります。慇懃無礼な美辞麗句の凡人に神輿に乗せられたまま笑みを浮かべている司祭というのもこれまた傍観している縦のつながりが維持されているヒトビトから見れば異様な光景です。

ちなみに Le curé ル・キュレは日本語に訳すと『主任司祭』です。助任司祭はヴィケール le vicaire というまったく別の単語になります。イタリア語のドン Don にあたるのはフランス語ではラベ l'abbé ですね。教区教会で司牧にあたる司祭に平等につけられる敬称がラベです(ただし、修道司祭の世界では大修道院長につける敬称になります)。キリスト教の中でもカトリックならば本当はエラければエラいほどへりくだるのではないでしょうか。世俗からの慇懃無礼な言葉の数々で反り返ってお腹がどんどん前に突き出るのではなく、エラければエラいほど、前に屈む。アシジの聖フランシスコの足甲に接吻した教皇イノセント三世のように ↓



聖金曜日の深夜に放送されたこの番組に登場したカトリック司祭レオン Léon さんですけれど、この番組だけでなくこれまで数度、テレビ各局の「カトリック司祭の秘密」を暴露する番組に現れた方です。ビデオの中にも23年間隠し続けた愛妻マルガ Marga さんとの市民婚の様子が流れますが、それにしてもマルガさんって
なーんて美しい方なんでしょっっ。
ま、お決まりですわよね、フィクションだろうがノンフィクションだろうが 妙に美しすぎる 男女が登場するのはこの手のスキャンダールに必須アイテムざます。無論、現在のレオン氏は聖職停止ですが、ご本人は隠し事を公にし、こうして市民婚を挙げたことで心の平安を得、家庭は円満、ご自身は聖職を離れて世俗での就労を始めました。
« Le curé se marie » ou comment persiste l’un des derniers grands tabous de l’église catholique. En quoi le sacerdoce et le vœu de chasteté pèsent-t-ils sur les vocations ? Luc Lagun–Bouchet, à travers plusieurs témoignages, nous raconte le combat contre l’hypocrisie, la double vie de ceux qui ont eu une compagne, parfois pendant de longues années, toujours dans le secret, même si la hiérarchie n’était pas sans savoir… Gros plan sur l’histoire de Léon et Marga qui, après 23 ans de vie cachée, se sont mariés à la mairie de Vic-en-Bigorre. Il y avait là les « ouailles » de l’ancien curé désormais retourné à la vie civile.
ま、よろしいんぢゃありませんか?良心の声を無視した隠し事を続けていることに個の問題があります。この世の平和もまずは個人が平和を実感しないと。自分が不幸なのに他人に平和を求めているくらい、傍観している者が気味悪く見える光景もありませんから。23年も隠し続けたことに「おら、ヴぃっくり щ(゚Д゚)щ 」だったりしますけれど。悪魔の長居が長すぎ。悪魔さんにとってレオンさんが提供した住まいの居心地がさぞかし良かったのでせう。Bof

こうして普通のテレビ番組で表向きは精錬潔癖の立派なカトリック司祭が裏ではこんな悪事を働いているのは彼のせい?誰のせい?組織のせい?と視聴者に疑いの種が蒔かれるのも、本人が奉公している団体の法に従わず隠し事をしているからです。部外者から告発されてもしょーがないよ。┐(-д-`;)┌
隠し事をしている仏蘭西国内の2割の神父さま、イエズスさまの復活と共にご自分が
改心して回心したら?
ったく、2割の「二面司祭」のせいでゲンナリな聖土曜日を迎えてしまっただよ。嘘つき。もし幸せのうちに奉献できず後ろめたい行動を選ぶのなら、自分が幸せに奉献できる環境を祈って見出すのが羊に見本を示す羊飼いの生活態度ぢゃないのかしら。

le 11 avril 2009, Stanislas

*番組は一方的告発ではなく、仏蘭西司教団広報担当司祭が登場し、この件を含め、FSSPXのウィリアムソン師発言、教皇のアフリカでの発言について見解を述べておりますので、決してアンバランスな主張番組にではありませんので、あしからず。
Invité en réaction au reportage : Mgr Bernard Podvin
Porte-parole de la Conférence des Evêques de France
Il réagira à la question du mariage des prêtres, à la crise des vocations et au malaise des catholiques après les prises de position de Benoît XVI, notamment sur le Sida et le préservatif, la polémique autour de l’excommunication d’une petite brésilienne et les propos négationnistes de l’évêque anglais, Williamson.

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by ma_cocotte | 2009-04-11 17:08 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
Commented by ma_cocotte at 2009-04-16 15:33
★ berucci-pete さま、
私はこの番組の冒頭で「聖金曜日だからこそ流す」と言った司会者の
言葉にまずびっくりしました。この手の番組は私は数度見たことがあり、
かなり前に土曜午後のTF1のドキュメンタリーでも山奥に妻子を隠している
小教区司祭の件が紹介されたことがありました。不思議なのがこの
司祭が妻子を「隠している」状態に同情し、カトリックを批判する思考に
促す番組の造り手と司祭賛同者ですね。こういう話題に限らずとも
カトリックの中で「隠す」という単語が出てきたら「あ~、それまーでよ」
です。司祭が妻帯を「隠している」ことで、司祭の良心の呵責は?となる。

司祭や神学生をターゲットに誘惑するのを趣味としている女性って
かなーりいます。この番組で紹介されたレオン元司祭の妻ですが、
なんかドンビキする美貌の持ち主ですね。今回、レオン氏の件を
はじめて見たわけぢゃないけど、この女性には毎度、聖水を神父さまに
ぶっかけていただきたいですわい。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-16 15:49
★ フランスのカトリック教会の日曜のミサに通っていると、侍者を
指導している男性や、先唱、聖体捧持者の男性の中にかつて神学生だった
だろうと推測できるヒトがゴロゴロいたりします。でも、志途中で還俗した
彼らを批判する世俗がいるのも悲しむべきことですね。それがたとえ異性への
愛情を持ったことがきっかけだとしても、その愛が本物だったら家庭召命
なのだから、男性はすみやかに家庭の長となり、父となる。女性なら母に
なる。二人の間の子は婚姻の秘跡で誓約したとおり育てる・・・に過ぎない
ので、司祭が女性を愛したなら、速やかに家庭召命を悟り、新しい人生を
堂々と歩むべきです。変に、異常に、そういう方々を言葉で傷つける輩が
いるから「隠す」なんて空回りが起こると私は見ています。あんたらの神
はどこにいるんぢゃ~!?(笑)
「司祭は独身を貫く」という表現も、もう一息深く「家庭生活における愛も
奉献するのが司祭です」とフランス司教団広報も世間に伝えていただけたら。
聖側も俗側も「奉献」を忘れちゃうとスキャンダルという形になって
公共電波に乗ってサーフィン?
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