<< 「あったこと」を「なかったこと... かつてそんなことがあったのですね。 >>
イ ツ モ 、ア ナ タ ヲ 、ミ テ イ マ ス 。
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ワ タ シ モ 、

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ワ タ シ ノ 母 モ 、 

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ワ タ シ ノ 父 も 、

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ワ タ シ モ 、

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ワ タ シ モ 。


そして、天使も。
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だ か ら 、ボ ク は、コ コ で、 ア ナ タ を、待 っ て る 。

そこから先、手をつないだボクたちは「ワタシ」が待つさらなる天空に行くンだよ。
光になって、高く、たかーく。


======十======

上の写真はすべてイタリアはローマ市内の教会や聖堂のドームです。
ローマで撮った写真をおさらいし、ドームの写真を集めたら、ショートストーリーができちゃった。そんなお話が作れるのも、建築物が与えた空間に信仰を乗せて表現した遺産があるからこそ。聖堂に足を踏み入れて「きれい」「美しい」という最初の印象から先は広く眺めるもよし、更に深く何かを読み取れたならば、
Deo gratias 神に感謝
ああ、こうして並べるとどの聖堂ドームも美しいこと。天空に描かれたものに見守られ、彼らから天に誘われる(いざなわれる)錯覚を覚えるのも、母の胎にいるかのように包み込まれての安心を感じられるのも、無味無色の窓からさす自然光が温かく、その温かみさえ神からの私たちへの贈り物と悟れます。美しい地球に生命をもらえたことに感謝して、本当に天に戻る日まで生き抜こうではあーりませんか。

一方、仏蘭西の教会聖堂にはドームと言っても中世以降、四半円ドームの天井が多く、ローマのような半円ドームの空間を持つ教会聖堂にはあまり(私は)出会っていません。仏蘭西の場合、丸い天井からの語りかけはないけれど前後左右からステンドグラスに描かれた諸聖人の視線を感じるとでも申しましょうか。彼ら諸聖人の視線は時に厳しくもあり、そのまま告解室へ・・・というのは1968年以前の仏蘭西の其処此処彼処で見かけられた日常だったのかも。

仏蘭西であれ、羅馬であれ、聖堂内の空間を思い切り使って信仰が表現されてはいるけれども、表現の形の違いはあっても、両者に共通するのは床かもしれません。意識せずに踏みつけている聖堂の床も、注意してみると聖人や司祭、世俗代表(=王侯)の墓石と気付いてドキリとすることはよくあることですが、床面に笑顔の天使も神さんもまずいません。地は善意の人が平和を作るためにあるけど、地面の下は知らんわ 031.gif 全ての善意が塵に戻るためにある?

ローマで天井の美しさに漠然と感動し、蛍光灯脳を持つ私がそのドームの絵画からの語りかけに気付くまで数日かかり、今になって写真を撮り忘れた聖堂の数を数えては後悔ばかり
・・・してらんねーので、また、行くよーん060.gif071.gif060.gif
ベネデット、待ってろよーっ! なんであります。
ウワァァーーーー。゜(゜´Д`゜)゜。ーーーーン!!! 泣くな、ヴぁっきゃろー。
ベネさまをお見上げ申し上げられなかったのも、天からの思し召し。
ま・ここっとよ、甘えるな、また щ(゚Д゚)щ カッモ~ン と・・・天下の教皇さまが釣り餌にされたとしても、神さまの釣りに関われるなんてみんなが幸せ。と、独善発想の究極をゆく。のでした、まる

そんな、ココ ↓ はヴぁちかんのサン・ピエトロの主聖堂の祭壇から見上げた天空。
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初代教皇ペトロのお墓の上、教皇さまが司式される祭壇の真上にあり、お墓も祭壇もドームの形と窓から入る自然光を持って包み込まれているような錯覚を覚えますが、天蓋の頂点は遠い、本当に遠い。高すぎます。そっくり返ってこうして天を仰いだところで、威圧を覚えるのか、天に招かれていると思うのかも、各自の心の在り方次第なのかもしれません。ローマ教皇というカトリックの最長上である方ならば天は近いでしょうに、天は遠い。
今の教皇ベネディクト16世はしばしば「おそれるな」という言葉を用いられます。昨年9月に来仏された時は連日、教皇さまが「N'ayez pas peur おそれるな」を繰り返されたのでその後しばらく流行語のように良くも悪くも使われておりました。
ここで、「おそれるな。N'ayez pas peur」という言葉に触れますが、Peur プール というフランス語を日本語に訳すと「恐れ」であって「畏れ」ではありません。漢字と二種のかなを持つ日本語は便利であり不便であり、それゆえ時にヒトを介して都合よくあしらわれてしまう欠点があり、ひらがなで「おそれるな」と書けば、イントネーションも関東ならば同じで、その音を聞いた人々の思いのままに漢字変換すれば、「恐れるな」「畏れるな」「怖れるな」「懼れるな」と4つも表現でき、どれも意味が異なります。教皇さまはヒトとヒトとの間の誤解や困難について「恐れるな、怖れるな」と私たちにおっしゃっているけれど、その際、神さまといつも一緒だから「懼れるな(=心配するな)」と、ヒトが作り出した目に見えるもの、目に見えないものに怖じ気ている私たちを勇気付けてくださっています。でも、この世の目に見えるカトリックワールドで最長上にいらっしゃる教皇さまが毎週金曜日には告解をし、アンジェラスにしてもウルビ・エ・オルビにしてもバルコニーから私たちの前に姿を現す前に数十分に渡ってお祈りしてから窓辺に向かわれると漏れ伺ってしまうと、教皇さまは神のみを畏れ敬っているからこそ、世界に散らばる万の羊の長として続けてらっしゃるのだと気付かされます。

ところが、畏敬の念をヒトとヒトとの横の関係に置き換え、その互いの思いが強くなってしまうと、いつのまにか神と私の二者=縦の関係が薄れてしまい、横の関係に畏怖の念が生じたりしませんか?敬い畏れるのと、怖くて畏れるのはまったく違う心境です。

深いよね、かとりっくぅ。
たかが天井画で深い思考と祈りにいざなわれるのも、信仰そのものが描かれているからなのかも。

le 24 avril 2009, Fidèle ← 偶然にも Fidèle は「信仰に忠実な人」という意です。
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by ma_cocotte | 2009-04-24 18:59 | 『巡礼』 Rien de spécial | Comments(7)
Commented by rice_shower at 2009-04-25 16:58 x
日本の神社仏閣が寂静なら、キリスト教施設は饒舌というか、聖なる言葉に満ちている、そんな印象を受けますね。
いずれにせよ、大層美しゅうございます。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-25 17:43
★ rice_shower さま、
ヒトの個々の心身がなぜ「聖」を感じ取るのか?という疑問をチクチク
突っつき始めると、新たな多面体が生まれて丸くするのが楽しくなりそうですね。
高校生の頃、考え事をしたい時に明治神宮の参道をしばしば歩きました。
のろのろ歩いていたのか、早足だったのかは私本人より周囲のヒトが
認められることだったと思いますが、参道を抜けると「すっきりハレバレ」。
同様に学校がカトリックだったから、多くの児童生徒が聖堂に飛び込める
ようになっていて、自分も飛び込んでみんなの真似してみたら、その場を
離れる時に「すっきりハレバレ」

なんでしょうね?

歴史と言うか美術と言うか、プロテスタントの勢いで聖堂美術が剥がされた
聖堂というのは入堂した直後は複雑な思いに駆られますが、その白に
近い三次元にしばらくいると海の凪みたいな感覚を感じ取れたりすることも
あります(必ずしもではありません)。
Commented by Leonie at 2009-04-25 22:15 x
ご馳走様でした。目の栄養、魂の栄養。
Commented by Leonie at 2009-04-25 22:21 x
ああ、途中で送信を押してしまいました。
こんなお美しいお写真の後にこのようなモノをご紹介してもよいのかしら?でも、これ買いたいんです。夏にかぶりたいんです。
URLが貼れないのですいませんがググってみてください。
「heavenly devoted son」です。
Baseball CapでHarle○ Da○idsonのパクリなんですが、私的に萌え~なんです。
すいません。へんなコメントで。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-25 23:47
★ Leonie さま、眼福でありましょ?
一眼レフ初心者なのでシャッターを切っても、結局のところ没写真ばかりで、
レンズやストロボに凝り始める方々の気持をひっしり実感中です。

ヴァチカンは朝7時過ぎに入ったので自然光でも独特な何かが写真から
伝わるとうれしいのですが。おべんきょしなくちゃね。

で、お帽子ですけんども、買うっきゃないでしょー。
ご家族で楽しみましょう。誰かひとりが反抗期に入ってしまう前に!

ところで、私からも。
http://www.icrsp.org/IMAGES-APOSTOLATS/IMAGES-2009/Apostolats/Images-2009.htm

仏蘭西のクリスト・ロワをご存知ですか。背面ミサをあげる会ですが、
会特有なのか、独特の水色のスータンとタブリエの侍者なのです。
美しすぎ。
Commented by Leonie at 2009-04-27 13:21 x
拝見しました。ありがとうございます。青いスータンめずらしいですね。つい先日だった娘時代(←うそはいけません)に、青くて長いヴェールかぶって永久聖体礼拝する会に(ヴィジュアル的に)あこがれたことがありますぅ。
侍者は日本でも黒服もしくは赤服にすそレースのかっぽう着(?)がいいと個人的にのぞんでいます。普段着の上に白い衣をパパッと着るだけじゃなくって、着替える時間をかけることで聖なる時間・空間に入る準備ができそうなそんな気がします。
先頭に近衛兵(?)がいらっしゃいますね。さすがおフランス。
Commented by ma_cocotte at 2009-04-27 15:17
★ Léonie さま、なんとも美しいスモーキーな淡いブルーでしょう?
土曜お昼前に国営放送地元局で「カトリック」を御題にした検証討論会が
放映されたのです。で、リモージュの方で希望者が司教さまに認可を
いただいてクリスト・ロワに背面ミサを依頼したそうで、その様子を拝見して
あまりに個性的な侍者服に驚いたのです。私はやはり赤いおべべに
白スルプリがしっくりきますが。真っ白の侍者服もかわいい。首にかける
十字架の紐の色にも侍者の階級があるのです(わが地元。柔道みたい。

上のクリストロワのURLの中の写真集にローマ巡礼がありますが、女子
修道会の同じ水色のマントのドレープが作る陰影が美しいです。

私は水色の夏服に憧れました。サクレドハアトの盛夏服。
サクレドハアトの制服はどのアイテムもおしゃれなので、ほんと憧れました。
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