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「あったこと」を「なかったこと」にしたくなる気をなぜ持つのだらふ。
昨日の夜のニュウスでトップニュウスではありませんでしたが、かつて19世紀終わりから20世紀はじめにトルコ國内であったアルメニア人虐殺 Génocide arménien について共和国内各地で行われた追悼行事の様子が流れました。
当時、トルコ国内に住んでいたキリスト教を信仰するアルメニア人の虐殺が始まったことで、トルコ国内に住めなくなったアルメニア人を最も多く引き取ったのがフランスであり、今ではアルメニア人の苗字の特徴でもある語尾に-an の付くアルメニア系仏蘭西びとは生めよ、増えよ、仏蘭西に満てた、なんであります。

ところが、トルコ政府はこの虐殺がまったくなかったという主張をまったく変えておらず、国際政治上では1991年以降、トルコとアルメニアは冷戦状態のまま現在に至っています。

今年に入って欧州に不穏をもたらしたのは例のヴァチカンから破門を解かれるなり明らかになったFSSPX 会員であるリシャール・ウヰリアムソン師の「ユダヤ人迫害においてガス室は存在しなかった」発言でしたが、欧州においてはナチスだけでなく、他にも今に生きる人々による「あったこと」を「なかったこと」にする問題がゴロゴロ転がっています。

仏蘭西国内に限定し、この手の問題を隠されているところから引きずり出してみますと、仏蘭西大革命後、革命政府によるカトリック王党派の虐殺 がまずあげられるでしょうか。ココんちあたりにはご先祖さまがどうも犠牲になっているらしい子孫さんがゴロゴロいます。なぜ「ご先祖さまがどうも犠牲になっているらしい」という表現を用いるかというと、革命 政府がリストを焚書しちゃって跡形もないから。で、なぜ革命政府の革命が小文字なのかというとそういうことだから、です。今も仏蘭西では革命政府による虐殺について タブー という言葉を用いても差し支えない現状だからです。世界史上初の民主革命の汚点を認めたくないから、知らん振りし続けています。頑張れ、遺族子孫。
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ここ ↑ はヴァンデ Vendée 県はマイユゼ Maillezais にある聖ペトロ司教座聖堂の址です。なぜこんな廃墟になっているかと言うと、革命以降、迫害を受けたカトリック聖職者や修道者が建物の石を売って食いつないだそうです。革命政府は彼らに還俗、蟄居を命じたことでこんなこともあったし、この司教座も稀な前例だと思いますが、リュソン Luçon 教区に吸収合併されました。そう、かの リシュリュウ卿が着座した教区 です。カトリックの側から眺めれば、大革命後に革命政府の命令を拒んだことで革命政府に天国に送られた聖俗信者の中にはヴァチカンが列福された方々もおります。

それにしても「あったこと」は「あった」のではないでしょうか。

生き証人がいたり、子々孫々に語り継がれたことで認められる事実を、まったく関わりもなく現場にもいなかった第三者が「まったく否定する」場合、それなりの具体的証明が必要でしょう。にもかかわらず、「あったこと」を「まったくなかったこと」と変えられるのは何らかの願望がそれを主張する個人や団体の脳だか心にあるのかもしれません。

トルコさんには認められない何らかの理由が根底にあるんだよね。
でも、言の葉を公に飛ばさないだけ。
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これ ↑ はよくできた典礼書。ラテン語で書かれているけれど、舞台の小道具に過ぎません。「なくしたもの」を蘇らせただけ。廃墟となったマイユゼの司教座聖堂は県の遺産として今はちょっとしたレクリエーション施設となり、夏のヴァカンスの間は敷地内数箇所を自分の足で廻りつつ、寸劇を見たり参加したりしながら歴史を学べるようになっています。みんなたちもぜひ。http://abbayes.vendee.fr/

le 25 avril 2009, Marc
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by ma_cocotte | 2009-04-25 16:41 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
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