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仏蘭西は生贄を忘れることは決してない。 "la France n'oubliera jamais leur sacrifice".
今年も5月8日が来て、仏蘭西共和国は第二次大戦終戦勝利記念日 la victoire du 8 mai 1945 の祭日を迎えました。仏蘭西語でもそっと詳しくきょうのこの日を表現しますと le 64e anniversaire de la victoire du 8 mai 1945 sur l'Allemagne nazie 、つまり、独逸ナチスに対して1945年5月8日に勝利宣言してから64回目の記念日となります。63年前から毎年この日を迎えると、午前中には仏蘭西共和国内の各市町村庁舎近くの広場で記念行事が行われます。もちろん国家元首であらせられます神聖賢愚帝サルコぢ一世も記念式典にお出ましになりますが、昨年はノルマンディー上陸作戦で知られる大西洋岸のウィストレアム Ouistreham での式典におみ足を運ばれましたが、今年は地中海側はヴァール Var 県はサント・マキシィム Sainte Maxime という町のラ・ナルテル La Nartelle 海岸で国家元首をお迎えしての式典が挙げられました。ここはノルマンディー上陸作戦同様、1944年8月15日に南仏はトゥーロン Toulon からカンヌ Cannes の間の海岸線で始まったプロヴァンス上陸作戦 Débarquement de Provence の戦場址です。
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Pascal Guyot/AFP @ Le Figaro

1940年6月21日、独逸に降伏した仏蘭西には同年7月1日にヴィシー政権が誕生したので、1944年6月6日大西洋側に上陸した連合軍と、1944年8月15日地中海側から上陸した連合軍が共和国内の独逸軍を追い詰める形で仏蘭西は1945年5月8日に終戦を迎えたことになります。仏蘭西は第二次世界大戦の戦勝国と呼べるのでしょうか?ガイジンの私が見聞する限り、この終戦の日を「勝利 la Victoire 」と呼ぶよりは「解放 la libération 」という表現が合うと思います。1940年に仏蘭西が独逸に降伏して以降、次々と市町村を征服しつつ侵攻する独逸軍の犠牲になったのはユダヤ人だけでなく仏蘭西の市井の人々もいます。仏蘭西国内にも強制収容所が存在したので、例えばマルセイユから貨物列車に乗せられたユダヤ人の中には国境を越える前に列車から下ろされ、仏蘭西国内の強制収容所で絶命した人もいるのです。侵攻してきた独逸軍の命令に従わなかったために公衆で射殺され、見せしめのために亡骸を放置された仏蘭西人もいました。

毎年、5月8日を迎えるたびにテレビ画面で戦勝記念式典を眺めつつ、画面から聞こえてくるこの日から日本が終戦を宣言する日までの経緯を聞くのも恒例となり、そのたびに1945年5月8日から8月15日までの日本を思うのも私の習慣となりつつあります。

プロヴァンス上陸作戦(ドラグゥウン作戦)ではイタリア戦線から引き抜かれた英米軍人に北アフリカの師団も加わっての編成だったので、きょうのサルコぢ閣下の演説では仏蘭西に自由を取り戻すためアフリカ諸国の兵士たちが生贄となったことへの感謝が述べられました。1940年6月から1945年5月の間に約55000人のアフリカ人兵士が命を落としたそうです。
うううん、この戦場で命を終えた人々を生贄 le sacrifice と表現しますか。そうだとして、私がつぶやくことは、その生贄を捧げた結果が「勝利」や「解放」には必ずしも結びつかないけど、それは「正義」であるだろう、ということ。うううううん、難しい。

演説の中でサルコぢがあらためてナチズムの絶対的否定を述べたことも印象的でしたが、一方、きょう5月8日の独逸国内ではネオ・ナチのデモ行進が国内各地で開催され、失業率18%の現状で第二次大戦をまったく知らない世代の参加が増えていると伝えるニュウスが夜になって流れました。あんな世の中が復活しても失業率の改善にはつながらないよ。Bof。

le 8 mai 2009, la victoire 8 mai 1945
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by ma_cocotte | 2009-05-08 23:58 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(0)
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