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きょう、知った。きょう、思い出した。
ココんちから二番目に近い教会は、かつてナポレオン三世がこの田舎町の発展のために未開発の野原にひとつの国鉄駅と二つの教会を寄付したうちのひとつです。ところが、教会聖堂が完成したのは1906年だったので、1905年12月に施行された政教徹底分離法、いわゆるひとつのライシテ Laïcité 前に建築終了できなかったので、この教会聖堂は教会財産となり、外装内装とも維持は100%、仏蘭西カトリック教会の責任で行わなければなりません。きびしーっっ!

その教会に今日、行ってみました。
いちおう天上からこの教会を見下ろすと東に頭を向けた十字架の形なので、右腕脇の入口から入ってみました。
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聖女の像が置かれた祭壇を仰ぐと、
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ぢぇず・くりぃ  Jésus Christ


更にそっくり返って見ると、天井につながる壁画は
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天使に救われたパウロでしょうか。


聖堂の右脇入口のドアから入っただけでは聖女の像しか目に入って来ないのに、
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聖女のおそばにおそるおそる寄って、天を見上げれば、今もいつもこの聖堂が存在しなくなる日までイエズスさまが聖女を通して大地を見守っていらっしゃることに気づけます。

後ろによろけてしまいそうなほどそっくり返って、壁に貼り付けられた、ところどころ破れ始めている油絵のパウロを仰ぎながら、どうして天使はパウロを救ったのだろう?そりゃ、心から改心し回心したからでしょ?などと自問自答しているうちに、どういうわけか子供の頃、聖母は生まれながらに罪を持たない無原罪だけれど、私たちは原罪を持っているので難しいけれど、一生かけて少しでも聖母のような真っ白な心に戻すよう努めなければならない、と教えられたことを思い出しました。

んなわけで、清い心は他人から植え付けられるものではなくて、まず自分で心を掃除して、できるだけマリアさまのこころに近い心にしなければならないンだな。そのために互いに互いの神さまを忘れたような言葉や態度に気がついたら、互いに励ましあってお掃除し合う、と。そのための労苦はヨゼフさまを思えばなんのその。私たちが一生かけて目指す「マリアさまのこころ」は全てを包み込むほどの青空で、母の心音のように穏やかなうぐいすで、酔いしれるほどの香りの山百合で、他人が眺めたらサファイアのように高貴で美しいけれど、マリアさまのこころには樫の木のように愛するものを守る強さもしっかり備わっているのです。

天使に救われたパウロに戻りますが、ファリサイ派ユダヤんのお金持ち家庭育ちの坊ちゃまエリートのサウロが人生の途中でイエっさんからの莫大な援助があったとはいえご自身の心の掃除をするにはどれほど苦労されたでしょう。使徒行伝なんぞパラパラしますとかなり喧嘩っぱやいし、馬鹿が嫌いなパウロくんのように見えますが、一生かけて自らの魂を育て続け、うっかりしてしまった愚についてのお掃除も怠らなかった。自分の身体のどこかの老いに気づいたら、天に帰る魂を真面目に育て始めよというサインですね。
パウロの欠点の真似は容易いんだがのぉ・・・。


le 10 mai 2009, Solange

現在、BGMは 今朝、アンマンであげられた教皇さま司式ミサ ですけれど、このアラビア語の朗唱や聖歌が醸し出す雰囲気が面白い。新しい世界発見!ですけれど、実はイエズスさまが耳にした音楽、発した言葉に近いのです。会場を準備した方々、参列者の思いが伝わって来る「手作りのごミサ」に、感動。
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by ma_cocotte | 2009-05-10 20:29 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
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