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壁のムコウ と 壁のコチラ
きのう、5月13日の教皇さまは丸一日、シ・ヂョルダニィ Cisjordanie、日本語で訳すとヨルダン西岸地区であろうか、ベトレヘム Bethléem を基点にして過ごされました。cf. Benoit XVI a franchi un mur symbolique 午前中はマリアさまがイエズスさまを出産した馬小屋があったであろう場所で野外ミサがあげられ、約5000人が集ったそうです。
Messe sur la place de la Mangeoire à Bethléem
Diffusé le 13/05/2009 / Durée 90 mn
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044916
このビデオ ↑ の最後のお知らせでは、このごミサ後、教皇さまはベトレヘムのフランシスコ会修道院でお昼食。午後は難民キャンプや病院などの慰問という、カトリックで用いられる言葉を選ぶなら社会司牧にあてられました。
Visite au camp de réfugiés d'Aida de Bethléem
Diffusé le 13/05/2009 / Durée 60 mn
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044917
この午後の計画は前もって決まり、公に発表もされていたので、仏蘭西共和国内のニュウス番組では数日前から中東事情無知の共和国民に少しでも予備知識を与えようとしてくらしゃったのか、国営放送でも民放でもイスラエルやパレスチナ自治区におけるカトリック社会司牧活動について聖域側、世俗側両面から紹介しました。
いや~、知ってしまったことで、考えさせられてしまいました。
今の自分にできることって何だろう?と、素直にそういう思考の世界にいざなわれたとでも申しましょうか。
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Le pape Benoît XVI dans le camp de réfugiés d'Aïda, près de Bethléem, où il a jugé « tragique » le Mur de séparation construit par Israël. : AFP

昨日13日夕方、難民キャンプで式典 ↑ が行われましたが、教皇さまの背後に見える分断壁は高さ8mあります。イスラエル側はこの8mの高さの分断壁をイスラエルとヨルダン西岸の境、約650kmに渡って築いています。パレスチナ政府のアッバス Mahmoud Abbas 議長はこの壁をアパルトヘイト壁 le mur de l'« apartheid » と名付けて、教皇さまの御前で訴えられています。結局のところ、今日14日の夜明けと共に、教皇さまがこの壁を悲劇的と判断され jugé « tragique »、この分断壁を取り除く気持になってくれまいか、とイスラエル側のナタニエフ Benyamin Netanyahou 氏に求めたところ、ナタニエフ氏がその案に反対した、すなわち-パレスチナ国家建国を拒否- dont le gouvernement refuse la création d'un Etat palestinien -という報道が流れていますし、この交渉決裂についての記事を掲載した仏蘭西国内の有名全国紙HP版の一般投稿欄には、教皇さまの提案は「(間に立つ者として)美しいけれど、現実から少し逃避していないか。C'est beau mais un peu décalé de la réalité」「教皇さまは精神的、知的に戦っている。Un pape de combat...spirituel 」など、中立かつ冷静な意見が分刻みで増えています。投稿の中に「どちらを贔屓する、味方する」「どちらが正しい、間違っている」など、安直で愚かしいコメントがないことは、仏蘭西に住む成人の成熟具合を垣間見れて、ガイジンの私には安心かつ信頼のきっかけになります。中東問題において、傍観する私たちが、カトリック精神を知る者がしてはならないことは「裁判ゴッコ」という遊びです。私はそう思います。

こんな分断壁はいつか取り払われるべきです。でも、平和を武力で得ようとしている者や、一方の要求を実現することが平和だと勘違いしている連中がいるなら、安全治安上、この壁は必要であり、両国を結ぶ壁の隙間には検問所も置くべきでしょう。例えば、お腹にダイナマイトを巻いた赤ん坊を乗せた車が天国への片道切符に値するなんて話はまったく美談になりません。教皇さまもご自身の求めが実現するために綿密なプロセスが必要であることは、こうして現場におみ足を運ばれているのですから、五感で感じ取られていることです。教皇さまがふと見せる疲労の表情を気遣うニュウスがどれほど多いことか。

ところで、昨日、教皇さまが訪問された難民キャンプ『アイィダ』 camp de réfugiés palestiniens d'Aïdaには約4,600人のパレスチナ人が住んでいます。パレスチナ人全員がイスラームではなく、キリスト教徒もいます。どうしても中東から遠く離れた者が中東事情を眺めるにあたり、ユダヤ教徒(イスラエル人)vsイスラーム(パレスチナ人)という二対立ばかり強調されますが、現実においてはキリスト教徒のパレスチナ人(フランス語だとアラブ・クレチアン Arabes chrétiens と呼ばれ、彼らはこの中に含まれます)もいれば、イスラエル国籍のキリスト教徒であるパレスチナ人もかなりいるのです。彼らはイスラエルであろうと、イスラエル近隣のイスラーム諸国であろうと「伸び伸びと生活している」とは笑顔でいえない立場ではありますが、ユダヤ教とイスラームの間の立場であることも間違いありません。ヨルダン西岸側に住むキリスト教徒のパレスチナ(アラブ)人は約45,000人です。
Que avenir pour les chrétiens d' Israël?
こちら ↑ はイスラエル国籍の先祖代々キリスト教徒のパレスチナ人のお宅の様子。運命とは言え、ご自分の敷地内に電流が流れる鉄条網やらトンネルをイスラエル軍に設置されちゃいました。が、住まいの様子をご覧になればわかるとおり、このお宅は中流より上と思われる家庭であり、兄弟親戚がカナダ、米国、スウェーデンに既に移住していることも紹介されています。キリスト教を宗旨とするパレスチナ人家庭のほとんどがブルヂョワであり(例えばアラファト夫人やヨルダン国王妃などもそう)、それが原因で同じ血筋であっても異教の同胞に差区別されるという問題が地中海東岸の国々で問題になっています。例えばレバノンではキリスト教徒国民に対して就職妨害を行っていることも知られています。cf. http://malicieuse.exblog.jp/8590037
分断壁ができる前からエルサレム市内に続く道に検問所が既にあったとは言え相互の往来は活発で、ヨルダン西岸に住まいを持つパレスチナ人がイスラエルに仕事を持っていたり、行商を行ってもいました。カトリックは第二ヴァチカン公会議以降、聖俗が力を合わせての社会司牧活動に力を入れていることもあり、ヨルダン西岸にもイスラエルにも教育や養育、病院奉仕を目的に掲げる修道会や世俗会を次々と派遣しています(現在進行形)。
Les chrétiens de Cisjordanie
こちら ↑ 、イスラエル側にあるカトリック修道女会が持つホスピス兼高齢者施設と、ここに母を預けているひとり息子ヂョルヂュ Georges 、彼はヨルダン西岸に住むキリスト教徒であるパレスチナ人です。こうして壁のムコウとコチラを往復しています。現状ではヨルダン側の住人がイスラエル側に自家用車と共に入国することができず、シスターの証言では以前なら10分で通えた人が今は片道3時間を要するとのこと。
このように高齢者のために働くカトリック修道会もあれば、
こちら ↓ 、ヨルダン西岸のカトリック修道女会が持つ孤児院の様子です。
L'orphelinat de Bethléem
この修道女会では0~6歳の乳幼児を育てています。年々、赤ん坊の養育を諦めるヨルダン西岸のイスラーム家庭が増え、特に障害児の養育拒否が目立っているそうです。ビデオで最初に紹介される坊やは路上でお父さんを何日も待ち続けていたところ引き取られ、今もお父さんが迎えに来るのを待っています。二番目に紹介された一歳の女の子(エナちゃん)は生まれながら呼吸障害があり、屋根に放置されていたそうです。すぐには引き取れず、放置第3日目にシスターがヨルダン西岸側の社会事務所に連絡を取ったところ、この子を殺すという返事をもらい引き取りました。シスターがエナちゃんの治療のため、イスラエル側の病院に向かう様子も流れますが、シスターはイスラエル側のスタッフたちがこの子の「本当のママン une vrai maman 」だとおっしゃっています。
昨年8月から数えただけで、この乳児院に引き取られた子供は26人。イスラームに生まれた子供の養子縁組は難しく、この子供たちもイスラーム家庭が後見人になるに留まっているようです。「障害を持つヒトの価値」についても、互いの宗旨とそれに基づく生活信条を第一にレスペクトするなら、イスラームのこの決断に異教徒が断罪を下す労力を費やすより、キリスト教徒もユダヤ教徒もこのイスラーム家庭に障害を理由に諦められた子供たちのために「できることをしている」ことになります。彼らの生まれた家庭の宗旨を理由に、ユダヤ教徒もキリスト教徒も彼らの生命を軽んじてはいません。ひとりひとりの魂の価値をやがては朽ちる肉体で判断してよいものでしょうか?「判断できる」宗教もあるのです。
分断壁の話に戻りますが、今回のB16聖地巡礼において、教皇さまが直にお目にかかったイスラエル政府関係者もパレスチナ自治政府関係者もヴァチカン政府関係者もこの壁がなぜ存在するのか、たったひとつの理由をわかっているのです。こうして真面目に、互いの生命を大切にし合って生きている人々にこんな壁なんか必要ないこともわかっている。けど、本当にごく、ごく一部の人々が欲する言動から「平和を願っている人々の生命」を守るには現時点でこの壁を崩すのは難しいのです。
さーてさて、私たちひとりひとりができることって何でしょう?

le 14 mai 2009, Matthias


フランスのカトリック系全国紙ラ・クロワ La Croix にこんな記事。
A Gaza : « Pourquoi ne vient-il pas ? »
『どうして教皇さまはガザにいらっしゃらないの?』
いやはやなんとも、どんなに守っても守りきれる保障がないと、イスラエルからもパレスチナ自治政府からも返答があったと言う話ですぐゎ。とは言え、記事の中に、かのガザ地区にもアルゼンチン人のカトリック司祭が住んでおり、今回のB16聖地巡礼に際し、ガザ地区内の約200人のキリスト教信者についてのイスラエル入国許可を申請したものの、95人のみに許可証がおり、彼らは水曜日午前にあげられたベトレヘムのごミサにあずかれることになった、とあります。『ガザも聖地のひとつなのに。"C’est aussi la Terre sainte ici"』という小見出しもこの記事の中にありますが、本当にごくごく一部の人々がねぇ。
地には善意のひとに平和あれ。
...って、善意のひとの心はいつも平和なのに。
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by ma_cocotte | 2009-05-14 16:43 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(2)
Commented by rice_shower at 2009-05-15 09:48 x
彼の地の歴史、宗教的背景には無知なので、なかなか理解しがたいのですが、路傍に転がる小石にも、エアーズロックにも、時を遡及すれば、宇宙開闢に至る、(様相の変異は全く異なるけれど)全く同じ長さの物語が有るのは、人類の自然科学(物理学)が到達した絶対的な結論です。
いつまで経ってもこの認識を、人に投影し、共有し得ないのだとしたら、人類とやらは、とっとと滅びた方が、地球のため、宇宙のためかも知れません。
Commented by ma_cocotte at 2009-05-15 16:04
★ rice_shower さま、
地中海東岸の問題って、小さな集団の起爆力が多勢をひき肉にできる
ことにあるのでは・・・と思うことが時にあります。あの分断壁が良くない
ことは全員わかっていても、自分と相容れないものをこの世から抹消
できると信じている小さな集団の思想ゆえに「今は取り払えない」。

いっそノアの箱舟のような現実が誰が見ても自然現象だから再生、新生
には良いのだとしても、自然現象だからねぇ、人知では手も出せん(笑。

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