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自分で眼鏡をかけられます。
こうして跪いて祈っても、
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こうして献香しても、
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こうして聖母子画を祭壇横に置き、こうべを深々と下げても、
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こうしてパテナを添えて世俗の舌の上にご聖体を置いても、右から二人目の司祭をご覧くだされ。
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この方、第30代イエズス会総長 アドルフォ・ニコラス Adolfo Nicolás 師がかつて日本國にお住まいだったことで、この方のミッシオンの一部が解放の神学研究だったことで、面識のまったくない人々からこれら上述の行いをこの方が否定し、前を歩く者、後に続く者にこれらの行い(聖俗双方の典礼所作や聖母崇敬)を否定せよと強く指導していると電脳域において日本語で喧伝されています。が、事実はこのとおり違います。

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世界にちらばる「羊飼いのリーダーズ」のザ・リーダーは世界から集まった羊飼いのリーダー方の最前列中央で見本を示すものです。何を根拠にこういう作り話が日本語で飛び交うようになったのでしょうか?電脳という徹底政教分離世界で喧伝され続けている事実無根の作り話と、この写真で拝察できる事実のどちらを信じるかは個人の自由です。が、世間は兎も角、カトリックわーるどにおいては、復活したキリストの傷口に指を突っ込むまで疑ったトマ Thomas という前例があるので、何事も自分の目で確認してから事実の要約を他人に述べるよう各自が気をつけるものです。ところが、いったいどなたが事実確認もせず、こういう話を作って、吹聴し始めたのでしょう?カトリックを知らない人でしょうね。なぜなら、電脳域で喧伝されているニコラス神父さまにまつわる作り話についてカトリックわーるどの玄人さんが聞けば、解放の神学と社会司牧の両者の関係は必ずしも必要十分条件を満たせないことくらい知っていることです。ご自身の野望達成のためにニコラス神父さまがカトリックの伝統を軽視、はたまた破壊していると命をかけて宣伝している方は、本当のところは解放の神学についてロクに知らずに上澄みだけで学び取った気分になり、野望達成のために有利な独善解釈でカトリックのようでカトリックでない作り話を電脳を悪用して宣伝していると思われます。そんな自らヴァチカンにつながる本流から外れている物を見つけ出すつもりはさらさらありませんが、こういう無責任な作り話を発信したモノの野心のせいで、塗られた汚泥を拭うのはご本人しかおらず、その払拭を手伝うのは実際にこの方がどういう方なのか知る人々の善意です。自身の心の渇望を実現するために手段を選ばず、電脳域とは言え公衆でツバをはいて、清掃は他人任せという遊びをする「子供オトナ」を信用する成人はいますか?
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イエズス会を創立したイグナチオ・デ・ロヨラは「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう。」という言葉を遺し、確かイエズス会の会憲の中に「Perinde ac cadaver 死人のごとき従順」という一文があったと記憶しています。そもそも教皇立の修道会なのに、エンもユカリもない人々から教区や他の修道会と平らに等しい形に変えられ、彼らの無知による想像だけでイエズス会に「あり得ない中身」を語られても、根も葉もない誤解だけが世間にはびこり、無知の人々がそれを信じるか信じないか選択することになります。

なぜ無知の羊たちに色眼鏡をかけることに必死な 知ったかぶりの羊 がこんなにもいるのでしょう?彼らは無垢な羊が羊飼いを真っ直ぐに見れなくなるように、羊飼いを疑うよういろいろ仕掛けています。
逆に、羊の皮をかぶった山羊を羊の群れから見つけるのは羊飼いの役目ですが、羊飼いがその使命を怠っているとするなら、ヴァチカンにおわします世界にちらばる羊飼いのザ・リーダーはまず羊飼いたちを指導します。羊飼いはそれぞれ、ザ・リーダーからの思し召しを羊の群れに分け隔てなく、わかりやすく伝えますから、群れの中のたった一匹の偽羊のために他の羊たちが共にうなだれることになるのだな。いい加減、こんな挑発が延々と数年にわたって群れの中から発生し続けると、真面目に根性いるよね、中間管理職も、善良な羊ちゃんたちも。それに、山羊は乳しかヒトに与えないってとこもミソよねー。偽羊と知らずに山羊が出す乳を飲み続けたら、自分の心身にどう染み渡るか。あなおそろしや。

ニコラス総長さまだけでなく、個人が解放の神学を授業で取っただけでも要らぬ偏見をべっとり塗った繰られる日本國。こんな形で事実無根の作り話が多くの人々に信用されてしまう日本という国は、カトリックわーるどにおいては本物の辺境で、ガリレオ・ガリレイの説を伝統に則って否定するなら、それこそ羊飼いを疑う日本人はこの世の大地の縁(へり)で嘘、噂と名付けられた濁流の勢いに圧されるまま奈落に落ちますよね。天に昇れません。

le 19 mai 2009, Yves
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by ma_cocotte | 2009-05-19 16:34 | 『?』なKTOりっくん | Comments(3)
Commented at 2009-05-20 22:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-05-21 00:01
★ 鍵22H18@20/05/09 さま、こんにちは。
ニコラス総長さまの「夢を抱いて」ですね?

http://malicieuse.exblog.jp/10162269

今回のエントリーに再掲しようかかなり悩んだのです。
もうひとつ、私の友人がイエズス会男子校の生徒だった時、当時の校長
さま(が「エリートになれ」と常々おっしゃっていたという話を思い出しました。
師によると「真のエリートとは万人に奉仕するために選ばれた者」であり、
イエズス会の学校に受け入れらた者はすべからくこの意味のエリートに
ならなければならないのだそうです。ニコラス総長さまのお話に通じるのですよ。
その深みを見ないと、まったく逆の状況しか凡人には想像できないし、
その逆の状況が「熟」と勘違いして実践しているカトリック聖俗もいると
思われます。一方の修道会は一方の修道会の解放神学を絡めた社会
司牧方針に必ずしも賛同していないという話も漏れ伺ったことがあります。

続くぅ
Commented by ma_cocotte at 2009-05-21 00:08
★ ヴぁちかんが黄信号を発しているのは社会司牧に熱中するばかりに
カトリック精神が軽んじられてしまっている不安定すぎる現状についてですよね。
それももちろん私も末席の端の立場ではありますが、おっしゃるとおりだと
思います。

で、もうひとつの点ですけれど、挙げられている先ですが他の宗教に
つながりませんか?それに気付いて私は気持悪くなったのです。

 >キリストは様々な秘跡を教会を通してお与えくださいます。(中略)
 >人を教会から引き離す=秘跡から引き離すことに繋がっていく
 >気がしてなりません。

そう、そう、そうなのです。私も常々そう感じています。おかしいでしょ?
互いに褒めあったり、名乗りをあげて、なぜかうまーく教会や聖域の人々を
疑って見るように心理を導いているというか。「秘跡から引き離す」よう
手練手管で促すのは黒山羊さんの手法というのも知る人は知っている
重要ポイントですよね。本人は黒山羊に心を貸しているから気付けない。
黒山羊さんに心を貸す人は自分も告解しないし、他人に絶対告解させない
んですって。あーあ。
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