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お 子 た ち の 水 曜 日 。
仏蘭西の水曜日、朝の風景。
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ココんちから車で20分ほどの超ウルトラスーパーど田舎の村の古い教会 ↓ の中に入ったらカテシズム catéchisme、=公教要理の授業中でした。お子たちの年齢から拝察して、初聖体の準備でしょうか?
聖母子が見守る祭壇の前になぜか祭服をお召しの神父さまと子供たち。神父さまが質問すれば、子供たちは手をあげ、指名されたら起立してお返事します。なんとも微笑ましい時の流れですが、この様子を見守る親御さんやおじいちゃま、おばあちゃまにも着目したいところです。神父さまの質問の答えがわかっちゃたりなんかしちゃいますと、オートマチックに童心に返り、自分で答えたくてムズムズしちゃうし、そのような気持を抑えたところでご自分の子供や孫が聖母子と神父さまの前で正しく答えられるか心中ハラハラとなりヤキモキしちゃったり。きちんと答えた子供を認めては「要理が終わったらパンでもボンボンでも好きなものを買ってあげよう」と心の中で決めてみたり。そんな要理を傍観するオトナたちの内心をお察ししては、更にその外野にいる私なんぞは神父さまの質問についてボソっとつぶやいて返答し、お子達のお返事ぶりを目と耳で楽しんだ後、神父さまの朗々としたお返事で答え合わせ。何歳になってもそれぞれの立場でなんとも楽しい要理問答なのであります。
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暦の上で復活祭が過ぎると仏蘭西にはそれは美しい季節が到来しますが、復活祭を迎えた教会では結婚式も挙げられるようになり、お子たちの初聖体 La Première Communion やら堅信 La Confirmation などの行事が目白押しになり、これらの行事は各教会でまちまちに行われるので、5月6月の二ヶ月は孫やら甥姪のお祝いのためにオトナが全国、時には欧州内を飛び回るなんてことになるのです。そんなわけで郵便局や文房具店にはこれらのお祝いのためのカードが並び、宝石屋さんではお子たちへのおメダイやら名前を入れたブレスレットの販売合戦が始まります。

今年2009年は明日5月21日がキリスト昇天祭 L'Ascension、国定移動祝祭日にあたります。移動祝祭日とは言っても、日付がずれるだけで、復活祭から40日後にあたる昇天祭は毎年必ず木曜日になります。昇天祭前日のきょう、水曜日のお昼のニュウスで公立幼稚園、小学校の多くが金曜日を校長の権限で休校にしてしまったと報道されました。
そう、上の話で気付けますが、フランスでは今も水曜日を休校にしている公立幼稚園、小学校が数多あります。自治体の判断に委ねられてはいるものの、仏蘭西の生活文化の伝統に則り、1905年12月以降仏蘭西は徹底政教分離國であるにもかかわらず、公立小学校(仏蘭西の伝統に則ると幼稚園は公立であっても小学校付属という扱いになります)でも毎週水曜日を1905年以前の習慣のまま「要理学習日」にあてられているのです。1905年12月以前の仏蘭西では子供たちはいつもどおり水曜日も登校し、校内でカトリック要理の授業を受けていたけれど、徹底政教分離法が施行されたためにカトリック司祭も修道者も公立校の教壇にのぼれなくなってしまったので、このような「水曜日は学校を休校にして、児童は教会に要理を受けに行く」という新しい習慣が誕生したのです。もちろん信教の自由があるので、子供にカトリック要理を受けさせない家庭の子供は一日お休みですし、両親が共働きの家庭では自治体が経営するCentre d'Air さんとる・でぇるという施設に子供を預けるか、おブルヂョワなお宅ならベィビーシッターを雇われたりします。

仏蘭西語にはアメリカニゼ américaniser、(生活を)アメリカ化するという言葉があり、学校制度にももちろんアメリカニゼが大なり小なり行われては成功と失敗を繰り返しています。フランスの幼稚園、小学校の五日制について仏蘭西の伝統に従って水曜日を休校日とするか、エイメリカのように土曜日を休校日にするかは自治体によって、と言うよりも自治体の長上、つまり市町村長が代わるたびに曜日変更されたりします。土曜日を休校にするのはなぜか中道よりヒダリの長上さんというのも矛盾していて面白いところです。

大学はきょうが学年末、最後の授業の日にあたりますが、今年は大規模ストの真っ只中なので授業は既に終わってしまっております。通常ならば昇天祭から6月の学年末試験まではレヴィゼ révisée と呼ばれる試験準備のための自宅滞在期間にあてられますが、就学中の子供を持つオトナ仏蘭西びとの多くはきょうまたは明日から聖霊降臨翌日の月曜日 Lundi de Pentecôte の国定祭日まで12連休を取られる方もゴロゴロおります。 外は青空に花咲き乱れる緑の大地、空気は暑からず寒からず、日没は22時近くとなり、夕方になるとほうぼうからバーベQの香りが漂ってくる季節の到来でもあるのでした。

le 20 mai 2009, Bernardin

ところで、上の古い教会聖堂の内部ですが、¢( ・_・) アレ?
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そこはかとなく面白い造りなのです。
長い歴史の中での建て増し故に、同規模の祭壇が柱を挟んで並んであるのでしょうか?
今は存在しませんが、以前は観想修道院がそばにあったとのこと。そのため?
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by ma_cocotte | 2009-05-20 20:01 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(2)
Commented by 恵みのガブリエラ at 2009-05-20 22:32 x
あれま、ほんとうだ。
中世の修道院付き聖堂では祭壇が複数あったところもあるそうですが。
(ミサ依頼が多くてさばけなかったからとか)

上の写真。ほのぼの要理教育ですね。
オチャドゾ ( ゚д゚)_旦


Commented by ma_cocotte at 2009-05-21 00:18
★ 恵みのガブリエラさま、
最初の写真は見るなり、胸がきゅうううんとなる雰囲気が醸し出されて
いませんか。私は小学校の「宗教発表会」や、自分が教会学校リーダー
だった時を思い出してしまいました。幼児洗礼の方々にはまた独特の
思いが心を駆け巡るのでは、と想像しています。
なぜ神父さまが祭服をお召しだったのか不思議でしたが、もしかしたら
初聖体前なので聖堂の造りや神父さまの役割について勉強する日だった?

で、上の聖堂ですが、面白いでしょう?
普通、主祭壇を真ん中に左右対称で小祭壇があります。
柱も主祭壇の両サイドから6本ずつ、左右12本で弟子の数になるのです。
ところがこの聖堂はど真ん中に柱がドンドン!外見はひとつの聖堂なのに、
中は並んで二つ・・・なぜだ?
昔の聖堂で主祭壇のまわりに小聖堂がいくつもあるのは共同司式が
存在しなかったからだと聞いたことがあります。一司祭、一祭壇だったそう。

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