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Perinde ac cadaver
昨晩、友人より一通のメール。
なんでも拙ブログの内容がちりばめられた意見文章が電脳域で公開されているとのことで、私も拝見することができました。以下の二つのエントリーです。
'09.06.02 (火) 彼女はそれを 「常識」 と言い続ける
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-06-02.html
'09.06.03 (水) 典礼秘跡省に訊くことにします
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-06-03.html
以下、一凡女の拙なるたわ言を書き連ねます。
が、その前に。上に挙げました2エントリーにつきまして何かご存知のことがありましたら、無知の私に教えてください。

先月、聖地巡礼にいらした教皇さまが 12日にエルサレムで司式された野外ミサ の生中継ビデオをどうぞ ↓
Messe célébrée dans la Vallée de Josaphat
http://www.ktotv.com/cms/videos/fiche_video.html?idV=00044914&vl=video_nouveautes
このビデオの一時間45分目あたりから聖体拝領の様子が映りますが、1時間46分31秒以降、両形態の拝領側のSelf intinction も、授与者(つまり司祭)がホスチアをカリスに浸して拝領者の舌に乗せているのもしっかり拝見できます。
教区長方は教皇さまの下、平等のお立場ですから、他教区内におみ足を運ばれたところでその教区に「改善も改悪も」求められません。が、ローマ教区長、すなわちローマ教皇のみが世界中どこの教区におみ足運ばれても「改善も改悪も」その教区の聖俗信者に求めることができると私はかつて神父さまから習いました。これを前提にするなら、教皇さまはエルサレムで教区長に両形態を禁じることができますのになさいませんでした。おそらくエルサレム教区では両形態が認められており、このごミサにおいても両形態についてローマ教区長である教皇さまはL'autorisation (許可)、Permis (免許)を発していることになります。英語で表現するなら、
The Pope permitted to intinct the host himself in the chalice, or to receive the intincted host in the hand.
permit (動詞:許す、名詞:許可/免許)の派生語には permission (許可/免許)、permissive 随意などありますが、動詞は動作を表わすので、希望する団体や本人が委任認可 authorization の免状 permission をもらえるよう書類を集め省庁(教会)を訪ねるなり動かねばなりません。まだ人がなんら動かないままの時点なら、Forbidden だろうが not be permitted だろうが「してはならない禁止行為」であるということくらい、ネイティヴスピーカーなら感覚的にわかっています。ただし、委任認可を求める事務手続きの時間経緯において、免状を手にする前からその行為を始められるか否かは各環境の両者の契約条件によります。
b0070127_452947.jpg
http://malicieuse.exblog.jp/9075715

さて、ここで今一度、指針あがないの秘跡 Redemptionis Sacramentum の第104項全文を各国語で見てみましょう。
羅典語104. Ne permittatur communicando per seipsum hostiam in calicem intingere nec hostiam intinctam manu accipere. Quoad hostiam intingendam, sit hæc e materia valida confecta necnon consecrata, omnino vetito usu panis non consecrati aliusve materiæ.

英語[104.] The communicant must not be permitted to intinct the host himself in the chalice, nor to receive the intincted host in the hand. As for the host to be used for the intinction, it should be made of valid matter, also consecrated; it is altogether forbidden to use non-consecrated bread or other matter.

仏語104 - Il n’est pas permis à celui qui reçoit la communion de tremper lui-même l’hostie dans le calice, ni de recevoir dans la main l’hostie, qui a été trempée dans le Sang du Christ. De même, il faut que l’hostie, destinée à la communion par intinction, soit confectionnée en employant une matière valide, et qu’elle soit consacrée ; il est donc absolument interdit d’utiliser du pain non consacré ou fabriqué avec une autre matière.

西語
[104.] No se permita al comulgante mojar por sí mismo la hostia en el cáliz, ni recibir en la mano la hostia mojada. Por lo que se refiere a la hostia que se debe mojar, esta debe hacerse de materia válida y estar consagrada; está absolutamente prohibido el uso de pan no consagrado o de otra materia.

獨語104. Es ist dem Kommunikanten nicht erlaubt, selbst die Hostie in den Kelch einzutauchen oder die eingetauchte Hostie mit der Hand zu empfangen. Die Hostie, die eingetaucht wird, muß aus gültiger Materie bereitet und konsekriert sein; streng verboten ist die Verwendung von nicht konsekriertem Brot oder anderer Materie.

伊語[104.] Non si permetta al comunicando di intingere da sé l’ostia nel calice, né di ricevere in mano l’ostia intinta. Quanto all’ostia da intingere, essa sia fatta di materia valida e sia consacrata, escludendo del tutto l’uso di pane non consacrato o di altra materia.

日本語 104. 拝領者は自分でホスティアを御血に浸すことや、御血に浸されたホスティアを手で拝領することを許されてはならない。御血に浸すために用いられるホスティアについては、有効な材料で作られており、聖別されていなければならない。聖別されていないパンやその他のものを用いることは絶対に禁じられる。
さして長い文章ぢゃないのに、104項の中から前半だけのつまみ出しでは、後半部分で使われている語句と簡単に比較できるのに、それを書き手が個人の意図あって敢えて読者に認めさせないようにしていると判断されかねません。しかも、ラテン語とイタリア語においては禁止事項全文がNe permittaturNon si permetta al にかかっているようなので、否定のNe、Nonを省けば Permit- または permet- の語幹となり、他の言語より禁止事項が甘く表現されていると言えるかもしれません。

そもそもこの項で用いられ判断の決め手となる単語 forbid(仏語の interdire)、permit(仏語の permettre ) は宗教用語ではなく、一般生活において法律や規則に用いられることが多く、無神論者でも感覚的に違いはわかります。私たちの日常でこれらの語を見聞するのは、身近なところでは交通規則です。Interdire にはそれを消す手段はなく、n’est pas permis (許されない)を用いての禁止事項なら、それが許される具体的な数値や事柄など条件があります。例えば、飲酒運転なら血中濃度が100mlの血液中80g以下なら罰せられません。携帯電話も絶対禁止ではなくヘッドフォンなら許されます。フランスでは自転車に乗る者にも自動車と同じ標識 Sécurité routière に従うので、小学校低学年の学童はこれらの単語と標識を用いての公共マナーを学び、従います。だから常識なのです。
英語だったら forbid より更に強い prohibit (禁止)という単語があり、問答無用の絶対禁止だったらヴァチカンの英語担当者も prohibit を用いるだろうけど、この「両形態」の行為で当事者が破門になることはないから forbid を選んだのでしょう。英和辞書だとどちらも日本語では「禁じる」ですが、微妙な違いがあることはご存知の方はご存知です。maybe < perhaps < probably の違いのようなものでしょうか。

そのような「生きた言語が生かされる大地と人間社会関係」の中で育ったネイティヴスピーカーズによる電脳上の会話を、日本語と日本國の常識と個人の知識で解釈し、事実が歪められてしまうなら?
「手による拝領は冒涜、両形態は絶対禁止」という話がいつどなたが日本語で話し始められたのか私は存じません。が、それぞれ個人に事情があって神父さまに事実を確認することができず、自分で集めた本の読解と電脳域の日本語情報のみに頼らなければならないなら、それは気の毒なことだと思います。神父さまに質問しましょうよ。

上に紹介した URL に以下のことが書かれていました。
もしま・ここっとさんが、「慣用の世界のことは別にして、学問的な場、すなわちここでは教会の公文書ということですが、そこでは must not be permitted という表現と be forbidden という表現との間には画然たる別があるものです」 という言い方をなさるなら、また話は別であります。そうでなく、「それは西欧人にとっては常識、一般常識です。彼らはその別を感覚で明確に分かっています」 という言い方をなさるから、非常に間違っている、全く間違っているのです。

断定しておきます。
ε= (´∞` ) Bof.  こそこそと断言
以下、いただいた断定をそのままお返しいたします。
「無意識的」 に、ご自分のある種の傾向や嗜好に引きずられて物事を歪めながら (誰にでもその傾向があるものですが) 慣用的な場では、must not be permitted という表現と be forbidden という表現が非常に近いものになる場合が大いにあることをおっしゃっておられるなら、「間違い」 と言われるべきものであります。
個人の願望を実現するためにヒトひとりをひねりつぶし、ご自分の発想を断定したからとて、歴史の中でヒトビトによって育まれている生きた言語の成り立ち(派生語や接頭接尾語、語幹や文法)も、各社会がヒトビトのために決めた慣習や規則も、その個人がもくろむ都合のために変えられることはありません。それはカトリック教会も同じではないでしょうか。いくら文面を各自の脳が、各自の願望と照らし合わせつつ願望の都合良く読み取ったところで、両形態による聖体拝領が絶対禁止ではないことは教皇さまが司式されたごミサでの聖体拝領の様子を見れば一目瞭然、明らかです。

「両形態が絶対禁止」であることを信じ続けたい方は、先にあげたエルサレムでのごミサ中継ビデオは見ない方がいいですよ。Σ( ̄△ ̄; あ、最初に書くべきでした。m(_ _"m)

le 4 juin 2009, Clotilde

自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう。

先方の日記にはコメント欄はなく、掲示板も閉鎖。日記、掲示板いずれもトラックバック機能がありませんので、このような公開の形を取りましたので、あしからず。
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by ma_cocotte | 2009-06-04 19:13 | 『?』なKTOりっくん | Comments(27)
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 18:57
★ サボテンさんとダンボさん、ココをご覧になっての意見はココに堂々と
書いたらいかがですか?
ココをご覧のみなさま方、
私がフランス人司祭にしか質問していないという思い込みはハズレです
ので、ココをご覧のみなさま、彼らの私についての想像に惑わされません
ように。

======十
私たちが問題にしている「セルフ・インティンクション」は、司祭が御血に浸すのではなく、叙階を受けていない者(信徒・シスター・ブラザー)が左手の平に御聖体を載せていただいたのち、右手の指で御聖体をつかみ、少し離れたところにあるカリス(これも奉仕者が持っている場合も、台に置いたままの場合もあります)の中の御血に、自ら浸して拝領することを指します。
どうぞ、これからの信仰生活、お間違いなきように。
======十

上の本文中に掲載している

 http://malicieuse.exblog.jp/9075715

読むどころかご覧になっていないし、お二人が上の写真を理解できない
こともはっきりわかりました。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 19:07
★ ダンボさま、ゆえに貴殿の話のつじつまが合いません。
きちんとこれまでの拙エントリーをご覧になっていない貴女が、

  >私、あの方の仰ることを信じてきたのに、見事に裏切られました。

  >おかげで、フランスの神父様に聞かれた方のお話では・・・・・と
  >お伝えしてきたことを、明日から、全部訂正していかなければなりません。

今回もまたお二人の台本が稚拙です。下手なお芝居はいい加減止めましょう。

私を陥れるにしても、もう少し綿密で良い脚本で動かれたらどうでしょうか?

  >ネットって怖いですね。

これだけは同意しますが、実はそうおっしゃるご本人がわかっていらっしゃいません。
Commented by ヨゼフ・ジェンマ at 2009-06-06 19:41 x
ま・ここっとさん、こんにちは。

ま・ここっとさんの
「先方の日記にはコメント欄はなく、掲示板も閉鎖。日記、掲示板いずれもトラックバック機能がありませんので、このような公開の形を取りましたので、あしからず」
という言葉を見た手前、一応掲示板を再開させておきました。

それと、ま・ここっとさんの記事に反応したものも新たに書きました。(日記)

よろしければ少し話しましょう。
私としては、場所は私の掲示板でもこちらのコメント欄でも結構です。
しかし、一度海外から私の掲示板に正常に投稿できるかどうかやってみてもらえませんか?
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 20:11
★ ヨゼフ・ジェンマさま、はじめまして。
できましたら、ここでお話し合いできませんか?
ヨゼフ・ジェンマさんの日記で拙ブログのURLが貼られたことで、このような
形になり、2URLで済み、スマートだと思います。

掲示板は開かれたところで、このエントリーを書いたことをお知らせする
手段で用いるつもりで、討論の場にしようとは考えておりませんでした。

最新の貴エントリーは拝読いたしました。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 20:56
★ 信徒によるセルフ・インティンクションは私個人は日常で、昨日は初金の小ミサでも見ました。上の写真も観想修道会の小聖堂の世俗向けの案内です。両形態は可能で、それは拝領者の判断に委ねられています。司教様は認可を出しても、拝領者に強制はしません。先のローマ巡礼の際、司教さまだけでなく枢機卿さまの司式ミサでも拝見しました。
ひとつ抜本的な問題ですが、

 >御血で濡れたホスティアを手で受けること

これは仏蘭西の教会でもおこなわれません。厳禁では?
小教区主任が認可を求めたところで司教さまはこの両形態について委任も免状も出しません。もしミサワインに浸してからのホスチアを手に乗せているのだとしたらミズゥリは大変ですね。
この亜米利加人のブログ主がご自分の目で確かめた事実なら、ブログで公表する前に、ご自分が所属する教会の司祭にその旨を伝え、そこから先は聖域の問題であり、沙汰を祈って待つのが世俗の立場です。今の私はこの目で確認できないので、ミズーリのカトリックのためにお祈りします。
貴エントリーに「今日の一文で私がま・ここっとさんに直接問い掛けたいのはこのことだけ」とありますので、これでよろしいですね。
Commented by ヨゼフ・ジェンマ at 2009-06-06 21:20 x
ま・ここっとさん、レスありがとうございます。
話し合いの場所はここで結構です。

さっそく。

> 両形態は可能で、それは拝領者の判断に委ねられています。

ですから、ここでも「セルフ・インティンクションは可能で」という言い方をして下さい。細かいようですが。

> 司教様は認可を出しても、拝領者に強制はしません。

論じていないことはできるだけ書かないで下さい。
Commented by ヨゼフ・ジェンマ at 2009-06-06 21:21 x
>> 御血で濡れたホスティアを手で受けること
> これは仏蘭西の教会でもおこなわれません。厳禁では?

でしたら尚のこと、ま・ここっとさんが
The Pope permitted to intinct the host himself in the chalice, or to receive the intincted host in the hand.
という能動態肯定文を作って「言語としての permit」の何事かを私達に伝えようとしたことの意味が分からなくなります。

> この亜米利加人のブログ主がご自分の目で確かめた
> 事実なら、ブログで公表する前に、ご自分が所属する
> 教会の司祭にその旨を伝え、そこから先は聖域の問題
> であり、沙汰を祈って待つのが世俗の立場です。

私は「亜米利加人 David Ancell さんの『言語感覚』をどう思いますか?」とま・ここっとさんに訊いたのです。
「David Ancell さんは『信徒のセルフ・インティンクション』を悪いと考えているが、このことをま・ここっとさんはどう思いますか?」と訊いたのではありません。
この二つの質問の違いがお分かりになりませんか?
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 21:47
★ ヨゼフ・ジェンマさま、最初に以下、訂正します。

 >The Pope permitted to intinct the host himself in the chalice, or to receive the intincted host in the hand.

ですが、前半はイキ、後半は間違いです。本文も訂正しますね。
で、写真の案内の訳は以下のとおりです。

======十======
この観想修道会においてあなたは貴重な御血を拝領することができます。
"Intinction アンタンクシオン"による拝領をお勧めします。
(つまり、)あなたは 手 の中に ホスチア を保持し、
(続いて、)ホスチアをあなたの前に差し出されたカリスに浸します。
======十======

この文章内に la possibilité とあり、鍵である語になりますから、
司教が認可しても、両形態をするかしないかは拝領側が判断することと
記したつもりです。まず「絶対禁止」ではないし、両形態(Self intinction )
の認可を長上さまが出したところで教区長は強制していないこと。
重要な複線です。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 21:48
★ 次に、言語感覚については以下のとおり書きました。

  >これは仏蘭西の教会でもおこなわれません。厳禁では?

厳禁は以下の通り派生します。
prohibition<prohibitive<prohibit 
私が返答したつもりでも、貴殿が気付かれなかったのは拙文が稚拙
だからですね。ごめんなさい。
Commented by ヨゼフ・ジェンマ at 2009-06-06 21:55 x

> 貴殿が気付かれなかったのは拙文が稚拙だからですね。

そうではないような気がします。
撤退します。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-06 22:23
★ ヨゼフ・ジェンマさま、承知いたしました。
貴殿宛ではなくココをご覧になる方々を含めて語りますが、そもそも
「御血を浸したホスチアを手に乗せる」という感覚は第二ヴァチカン以降も
まったく習慣にないことで、以前のような白く薄いホスチアが主流だった
時代には考えられなかったことだと思います。両形態は第二ヴァチカン
以降も主日ミサのような大きなミサでは行われずとも、ご慶事など内輪の
ミサでは司祭の判断で続けられていたと拝察します(幼児洗礼式や
結婚式など何度も私は見てきました)。

左掌に乗せたホスチアを右手でつまんで口に持っていかず、掌を舐める
ようにいただく拝領方法は英國国教会でしばしば見られます。
以下、英國国教会の両形態の拝領です。

http://www.youtube.com/watch?v=1FQND5YFIqA

地域性を尊重するにせよ、だからと言って英國のローマンカトリックで
御血を浸したホスチアを掌に乗せる神父さまはいらっしゃらないでしょう。
一縷の可能性でそういう形を例に挙げられたのはカトリックが国境の
ない世界だからだと思います。
Commented at 2009-06-07 01:19 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 03:15
★ 鍵1H19@07/06/09 さま、こんにちは。
鍵コメントであることが残念です。

 >確かにnicht erlaubenとverbotenは微妙に違うようです。
 >verbotenは問答無用で禁止(例:「ここは禁煙です」など)ですが、
 >人・3格(英語で言うところの目的格?)+erlaubenでは「あえて勝手
 >に~する」という意味になります。ですので、否定のnichtがつくと
 >「勝手に~してはいけない」となります(例「人のうちに勝手に入って
 >はいけない、でも招待されたら別」など)。

 >streng verbotenで「これはなにがなんでも絶対ダメ!」

独逸語の Nichit erlauben の語幹がpermet (permit)ではないので
ゲルマン語源だと拝察しましたが、「あえて勝手に~する」というのは
英語やフランス語より明解ですね。現教皇が独逸人ですが、もしかしたら
教皇さまの訳?(笑)。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 03:38
★ ヴァチカン公式HPで掲載されている各国語の同じ箇所はいずれも前半は
まさに「勝手にできないけれど、委任(Autorisation)と免状(permission)を
上長からいただければできるようになる可能性がある」意で、後半部分は
ラテン語とイタリア語以外は絶対禁止がはっきりしていますが、羅語と伊語は
「聖別していないホスチアを絶対除く」と動詞ではなく名詞に絶対禁止を
かけているみたいです。
多言語比較は構築、文法どちらも面白いですね。私も学生時代の第二
外国語が独逸語でしたが、辞書が見つからなくて思い出しながらの作業
でした。上の一文目は英文同様、受身の否定ですね、こりゃ。
貴コメント、感謝です。だんけしぇん、です。(^_^)
Commented at 2009-06-07 12:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-06-07 12:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 20:33
★ 鍵12H52@07/06/09 さま、またも鍵コメントで残念です。事情は
お察し申し上げます。私は上の初っ端のコメントでおわかりかと思いますが、
時に「いろいろご存知ですね」と持ち上げた同じ人物が、別の場所では
嘘を書き連ねて「何も知らないのねー」と断定する。一人芝居するに
しても、ロジックが壊れていたら、多人格です。私たちが気をつけるに
しても、本当は本人の自覚にかかっていると思います。

 >独文では受身の否定ではなく、状態の否定です。直訳すると「それは
 >聖体拝領者にとって(勝手に行うことが)許されている状態ではない、
 >それとはホスティアを自分で御血にひたすことや(以下略)」です。

なるほど状態(または動作)そのものの否定になりますか。
仏蘭西語の104項は或る動作を Il n’est pas permis à で「許されて
いない」になります。だから、許される行動を起こせば許されることがある、
つまり、許されるための手段があります。が、後半はその手段が原則的に
ありません。私たちの立場では従うしかありません。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 20:44
★ 「あがないの秘跡」ですが、日本語訳が出版されるまでに時間が
かかったことで、訳をカトリックの聖域にお伺いを立てぬままネットで
公表した世俗がいるらしいです。ゆえに

 >伝言ゲームのようにちょっとずつ変化して、最後に聞いた人が全く
 >違うことを思ってるとならなければいいのですが(^^;

おっしゃること、はずれていないかもしれません。本当は伝言で聞いたら、
神父さまに質問して、納得する必要があるかと思いますが、どうもそれを
しない方が日本国内に多々いらっしゃるみたいです。例の掲示板みたいに

  >おかげで、フランスの神父様に聞かれた方のお話では・・・・・と
  >お伝えしてきたことを、明日から、全部訂正していかなければなりません。

なーんて公表された本人の現実での立場が推察されてしまうし、無責任に
ほうぼうで「お伝えしてきた」なんてご本人に問題があります。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 20:47
★ その自己が公にしている矛盾点に気付かぬまま、こういうコメントを
掲示板に送信しているのです。おまけにご本人が私の嘘を訂正「しなければ
ならない」にしても、嘘と見定めたのは直前の世俗信者の指摘を元にして
いてなんら聖域に自らが確認したという話が出て来ません。
賛美のシャワーを浴びたヒトだけが安住していられる板の中にいるヒトビトには
気付けないけれど、冷静に傍観しているヒトほどその言い分や台本の
矛盾に気付きます。もしかして鍵さんが関わられている電脳域でも同じ
ような彼らの言動の矛盾に気付いてらっしゃいませんか。
Commented at 2009-06-08 14:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2009-06-08 14:54 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-08 15:50
★ 鍵14H37さま、
実はこのエントリーに関わる件ですが、抜本的に納得いかない点があります。
それは、ヨゼフ・ジェンマさんが典礼秘跡省に直接問い合わせることです。
ご自身を伝統主義と名乗られる方々が本当に第二ヴァチカン以前の
習慣を守るのであれば、かつていただいた以下の意見交換、

Commented by 通りすがり at 2009-05-05 02:35
(略)
>I 教会に異議があるなら教会籍を移動してから段取り踏んで改善に努めたらどうなんでしょう?

残念ながらカトリック教会は本来自分の住む地域の教会に所属するのが伝統で、自分の都合であちこち変える事は奨励はされないんです。もっとも今時はそんな事だれも気にかけませんが。

を自ら実践されます。(インデントの私の言葉が伝統主義の世俗の立場
です)

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-08 15:55
★ ところが、どうも聖座に直訴することをそそのかしている「世俗」がいます。
世俗女性とは思えないほどのカトリック聖側の知識を持ってらっしゃるのに、
なぜか「生きた聖俗信者」が守っているカトリック慣習を軽んじているのです。
この矛盾に首をかしげている普通のカトリックさんはネット上でも数多
いらっしゃると思われます。羊飼い(聖職者)いらずで羊(世俗)だけの情報交換と
行動判断。さて、緑の牧場はどうなるでしょうか?
・・・なーんて喩えを用いた問答も本当は神父さまや修道者と交わすと
頓知問答のようで楽しいです。良い答えをするとキャンディをもらえたり。

傍観者が気付いている矛盾に、ご本人が気付かないまま、脳に収めた
知識のみ披露しても、おそらく後ろに続く羊をそそのかすなら、それは
羊の皮をかぶった山羊さんです。山羊の肉は食べませんが、乳は飲めるし、
チーズにもなります。羊が知らずに飲み続けたらどうなっちゃうでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-08 16:04
★ 鍵14H54@08/06/09 さま、
どうも鍵コメントがあることで、電脳域のほうぼうで自己の妄想を事実の
ように某氏は書いてらっしゃるようですね。
ひとりの人格が鍵コメントにビクビクするほど自分を追い詰めて、自らを
救うための嘘を披露するのに、一方で大胆に自身にまつわる関連団体に
ついて余すところ無く披露して去るという行動は矛盾極まりありません。

某氏はそれ(自己が関わる諸団体の喧伝活動)をあらゆる方面で
行っていませんか?となると、上の矛盾からどちらかの行動は本人が
決めての行動ではないと思います。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-09 01:46
★ サボテンさまがこのようなタイトルを掲げられました。

続報: 教皇様が『あがないの秘跡』104項違反を認めておられるという断定は誤り
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3365

このタイトルに惑わされませんよう、各自お気をつけください。
カトリックの聖側には長上に申請(Application)し、それを受けた長上が
内容を判断後、Authorization(委任)、Permission(免状)を出す、という
原則があると私は習いました。例えば、世俗→(助任)→主任⇔教区長、
内容によっては教区長⇔ヴァチカンです。
「Permission(認可)」のみつまみ出しての教皇さまの断定など事実では
なく、サボテンさんが勝手に書かれたことであって、カトリックの慣習では
ありません。この動きが始まってもおらず、進行形でもなければ「禁止」です。

そして、上の本文内に私は以下のとおり書きました。

(続きます)
Commented by ma_cocotte at 2009-06-09 04:51
★ 『教区長方は教皇さまの下、平等のお立場ですから、他教区内におみ足を運ばれたところでその教区に「改善も改悪も」求められません。が、ローマ教区長、すなわちローマ教皇のみが世界中どこの教区におみ足運ばれても「改善も改悪も」その教区の聖俗信者に求めることができると私はかつて神父さまから習いました。これを前提にするなら、教皇さまはエルサレムで教区長に両形態を禁じることができますのになさいませんでした。』

ミサの事前打ち合せで、ミサ会場における聖体拝領の形を教区長、共同
司式者に命じることは可能だったと思われます。今の教皇さまが強
権をふるわれる方ではないという証ではありませんか。
教皇さまが祈って決められたことを羊の立場で公文章を出して反論検証
できることでもありません。
上のコメントにも書きましたが、カトリックの世界において

  世俗→(助任)→主任⇔教区長、
更に  
  教区長⇔ヴァチカン

という手続きの流れは、私の母校だけかもしれませんが中高の宗教の
授業で未信者も習いました。信者さんがこの流れを軽んじたことをネットで
書かれていることに私は驚いています。
Commented by http://www.hnbtm.net at 2017-05-25 01:56 x
日頃はあーこちらをもし買ったならばと妄想のエアショッピング、が昨日は出川哲朗言うところのリアルガチショッピングでございましたお姉さま「えー。
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