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独逸だって自由になったンです。
きょうは ノルマンディー上陸作戦 から65年目にあたる日です。

こちら ↓ は国営放送France 3 の青少年向け番組 C'est pas sorcier による小・中・高校生にもわかるノルマンディー上陸作戦 Bataille de Normandie です。フランスの初等中等教育に興味ある方々にはぜひ。


このビデオ ↑ の続きは以下をクリック。
*c'est pas sorcier : le debarquement en normandie (2/3)
*c'est pas sorcier : le debarquement en normandie (3/3)

きょうを迎えるにあたり今週ははじめから連日、当時を検証する番組が流れてもいました。その中にはヴィシー政権(=ナチス側)に従ったフランス人の子や孫を招いての番組もありました。自らの意思でヴィシー政権に心酔したフランス人もいれば、自らの意に反して従わざるを得なかったフランス人もいます。後者が多い...と思いたい。

65年前のきょうは午前6時半から 作戦が開始 されていたことで、今朝のニュウスでも情報番組テレマタン Télématin でも「65年前の今頃は戦いの最中で・・・」と言うフレーズが繰り返しあらゆるヒトの口から零れ落ちています。私は習慣どおりの「~ながら視聴」であるにもかかわらず、今朝の番組で耳をつまみあげられたかのような感覚に襲われたのは、65年前のきょうを境に独逸側の情勢も大きく変わったことで、独逸はベルリンでの一般市民へのインタビュウを紹介していましたが、ベルリンの警察官がはっきりとノルマンディ上陸作戦によって独逸も自由になったのだ、とおっしゃった。我が耳は瞬間、スポックとなり、我が目はきよっさんとなりました。

三角形の底辺(=アラビア語でアル・カイーダと言ふ)の庶民にとって、戦争の勝敗より戦争が終わったことで誰もが真の自由と平和を実感できる、はずなのです。独逸の庶民だってエラいヒトの強い命令に従わざるを得ず、良心の呵責をどうにもできないまま終戦を迎えたのです。独逸国民全員が魂を悪魔に売り飛ばしたのではありません。ナチスに従わざるを得なかった独逸人の中にも仏蘭西人の中にもナチスが強いる命令に苦しみ、悩み、良心の呵責を感じながらも家族や友、自分のために「やってしまった」こともあるのです。そのあたりを軽んじて、戦争の勝敗だけで勝利側が万歳し、敗者側が土下座するなら、それは花いちもんめ、子供の言葉遊びの次元に過ぎなくなります。

私の両親は昭和8年、9年生まれで、小学校6年時に終戦を迎えました。ひとつ屋根の下、両親と生きてきた日々を振り返っても、両親はいつも「戦争が終わって良かった」と戦争を知らない私に繰り返しました。「戦勝国が良い、敗戦国が悪い」とか「勝ってうれしい、負けて悔しい」とか「負けたから勝者に謝らねばならない」とか両親から聞いたことがありません。ただただ、戦争が終わって良かった。それだけ。今朝、独逸のお巡りさんの「独逸も自由になったんです」という短い言葉だけで、両親との日々がフラッシュバックしました。

戦場の中に住み続けねばならない庶民にとって、ヒトが決めた国境など二の次、三の次であり、誰もが「戦争が終わって良かった」と自分から恐怖が取り除かれて平安が訪れ、世間の平和を実感できること。そして国境の向こうのヒトと「戦争が終わって良かった」と手を取り合い、平和に感謝できること。それが私たちにとって念頭に置くべきことではないでしょうか。

なーんて書きながら、1990年から2000年にかけて、私が独逸びとに何度か仏蘭西国内で手荒く差区別されたことを思い出しました。彼ら独逸♂♀たちも戦争を知らない世代なんだけどなあ。敗戦国となった独逸では都市部と地方のそういう面、つまり異教異人種についての考えや意識に格差があると他の欧州人から私は慰められはしましたけれど、各々の魂より血肉を重んじるヒトもまだこの世のどこにでもいるという現実も私たちは直視すべきなのでしょう。いずれにせよ、そういう世間知らずのドメスティックなウマシカにも、「戦争が終わって良かった」と単純に思えるヒトビトにも、国境はなく、各自の心と魂の発育具合次第で考えがこうも異なってしまうのではないかと思うけふこの頃です。
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Une affiche à Caen souhaitant la bienvenue à Barak Obama© AFP/MYCHELE DANIAU

そんなことを思うとやっぱりこの方 ↑ は「今が産み出したそのもの」なのかもしれません。

le 6 juin 2009, Norbert
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by ma_cocotte | 2009-06-06 17:07 | 『?』なオイロッパ | Comments(4)
Commented by tama at 2009-06-07 20:03 x
すつかりご無沙汰してしまいました。いろいろありまして・・。
終戦はま・ここつとさんのご両親と同じ小学6年生でした。玉音放送の意味がさつぱりわからず、親たちが「今日から空襲がないんや」と喜んでいたことをおもいだします。今日からは父が会社からの帰りに爆撃にあわなくてすむんだ・・と安心したことも。その日、アメリカ軍が上陸してきて、女子が犯されるとかいう噂も立ちましたよ。もし、終戦にならなければ、翌年ミツションには親は入れてくれなかつたでしょうね。人はまさに時代と共にあるということを、思わずにはおれません。
聖トマス大が来年から募集停止になりました。あと3年で閉学です。家庭を持つ父親が路頭にまようのです(涙)。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-07 20:58
★ tama さま、おひさしぶりでございます。5月のビッグイヴェントは
無事に終えられましたでせうか。
tamaさまのご両親も

 >「今日から空襲がないんや」と喜んでいた

のですね。国や強いモノに翻弄される立場であれば誰もが、勝敗の確認
よりこの安堵こそ、賜物ですよね。私の母の実家は商家でしたが、江戸に
用件あるヒトを見送ってそれきり戻ってこない、空襲の犠牲になったんだ、と
母は子供ながらにつらかったことを何度か私に話してくれました。今になって
フランス語をあてはめると母はその人をAu revoir と見送ったのに
A Dieu になってしまった。そういう予定で最初からA Dieu と見送ったのと
明らかに違います。戦争はひどいです。
英知(聖トマス)の件は私も昨晩、知りました。私は田口枢機卿さまの
大ファンなので、枢機卿さまが残された物が消えてしまうとするなら
悲しいです。
が、今朝になって田口枢機卿さまご自身が

  >たとえ名誉的なことをしても、歴史に残るようなことをしても
  >自分に残るのは信仰だけだ

という言葉を残されていたことを知りました。深いですね。お祈りします。
Commented by anbai at 2009-06-08 00:45 x
在住地の夏祭り、今は日本有数の花火大会として地元の観光資源になっていますが、実は戦争犠牲者の慰霊祭として始まったものです。
「子供の時、俺は畑の中から真っ赤な地平線というものを見たよ」と父は言います。大空襲でした。その真っ赤になった街中では…そこを流れる川の方向に大勢の人が逃げましたが、焼夷弾の中に仕込んである油が水面に浮かんで燃えていた。他に逃げ場もなく、人の流れは止まらない。それこそ、阿鼻叫喚の光景となったそうです。地元の鎮守である神社の境内にも多くの人が救いを求めて逃げてきて、亡くなってしまったとか。

毎年、ビール片手に花火を観るとき、心のどこかで「こんな年月が出来るだけ長く続いて欲しい」と思っています。火であるとか爆薬なんてものが破壊行為に用いられるより、ずっと良い。数年に一度、打ち上げ失敗の事故で救急車沙汰がありますけど、ミサイルほどには危なくありません。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-08 03:10
★ anbai さま、私は昨日のドイツ人警官の一言で、浅薄な自分に
あらためて気付かされました。命じられる側の立場の人間は国やら
権力者やらの勝敗に関係なく、ナンピトも心を苦しめられる。ナチは
仏蘭西でも命令に従わないフランス人を銃殺して、遺体を見せしめにして
市井の人に恐怖をまず与えて従属させていました。
戦勝国だろうが敗戦国だろうが、心の苦しみを感じてしまった人々
ひとりひとりの救済が一番大切なことだと思いました。

花火の音は度肝を抜かされますが、打ちあがった花火を見上げる人々の
顔を垣間見るだけで、誰もが子供のように屈託のない顔なので、自分も
彼らの笑顔で幸せをもらっています。

ミサイルは従属させるためなんでしょうね。かの国内の人がどれほど
心を傷つけられているのか。
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