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受け入れられたのは全てを受け入れられるから
6月18日あたりから仏蘭西共和國の世間で再びイスラーム女性の装束についての話題で大騒ぎになっています。今から5年前の3月15日、当時のラファラン内閣が1905年の徹底政教分離法(ライシテ、La laïcité)の原理に基づき、公立高校、中学、小学校<仏蘭西では幼稚園は小学校付属扱い> で宗教と一目でわかる物を持ち込むことを制限する法が施行 la Loi n° 2004-228 されたことは記憶に新しいというか、世間であらゆる面から揉めに揉め、考えに考えさせられた件なので脳内フロッピーからそう簡単に消えもしなければ、こちらから消せない話題なンでありますが、こうしてまた「イスラーム女性の装束の問題」が突出したことでどういう騒ぎに発展していくのだろうと「心配」になって来ました。仏語版ウヰキですけれど、共和国内公立校におけるスカーフ問題をご参考までに、
Voile islamique dans les écoles en France
http://fr.wikipedia.org/wiki/Voile_islamique_dans_les_%C3%A9coles_en_France
2004年3月の法制定から更に数か月遡り、2003年10月だったと記憶しています。パリ近郊のオベルヴィリエ Aubervilliers の公立高校 lycée Henri-Wallon からリラ Lila とアルマ Alma という当時18歳と16歳の姉妹が9月の新学期からスカーフ(仏蘭西語ではフラー Foulard、アラビア語ではヒジャブ Hijab )をイスラーム風に頭部に巻いて登校するようになり、翌月退学処分になったという事件がありました。ココまでの報道は日本國にも流れ、中道よりヒダリの方々が仏蘭西という政府が弱者を差別したと捉え、共和国内でイスラーム女性がスカーフをかぶることに疑問を呈した人々を力づくで裁いていたこともまだ私は忘れていません。cf. 仏蘭西共産党系全国紙 リュマニテ の2003年10月9日掲載記事 ↓
Foulard Conseil de discipline pour Alma et Lila
http://www.humanite.fr/2003-10-09_Societe_Foulard-Conseil-de-discipline-pour-Alma-et-Lila
ところが、この退学に至るまでのストーリーは本当に表面に過ぎず、実は更に深い真相があったことで、仏蘭西ではまた新たな面からこの事件を眺めるようになりました。表面の段階では共和国内のイスラーム宗教関係者や欧州系の中道左派よりヒダリがこの公立校を退学になった姉妹に同情してデモなど抗議運動を活発に行ったのに、それは続きませんでした。その続かなかった理由というのが、この姉妹の父親ローラン・レヴィ Laurent Lévy (写真左の左)はユダヤんでヒダリ突き当たりに相当する活動家で、このレヴィ父も他の極左系ユダヤん男子に多いイスラームのマグレブ・アラブ女性と結婚し、家庭を持ったンですな。

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そのユダヤ♂とマグレブ・アラブ♀の間に生まれたのがリラちゃん(写真右の左)とアルマちゃん姉妹です。レヴィ父はヒダリ巻き切れですからユダヤんアイデンティティを自らの中から追い出すことが生涯の闘争でもありますし、レヴィ妻はイスラームであるなら無論レヴィ氏との結婚で改宗を強く求めているはずで、アルマ&リラちゃんがユダヤよりはマグレブ・アラブの慣習が織り込まれたイスラームの生活道徳で育ったであろうことは容易に想像がつきます。が、どうも新学期と同時にスカーフをかぶって学業に励めと娘二人をそそのかしたのは父親であり、娘たち本人の意思とは言い切れないことがわかってきたのです。となりますと、無神論者であると公言しているレヴィ父の信念であろう「宗教を省いた闘争」のために娘二人が愛するパパのために兵卒となって公共社会に飛び出たにすぎないわけで、必ずしも信仰の自由や共和国におけるイスラーム文化の平らに等しい尊重が目的ではないとするなら・・・と中道保守のイスラームさん達がこのレヴィ姉妹への同情やら擁護運動からさっさと撤廃してしまったんですな。そんなわけで今に至るまでレヴィ一家は左傾の方々の「理想体」のひとつとして持ち上げ崇められています。中道よりミギはシラ~。生活文化の尊重や融合を考えるにしても左傾が選んだこの方法とは違います。

そんなことから早5年。
この数日、話題のイスラーム女性の装束について批判的見解を国会で報告したのは、なんと仏蘭西共産党の議員アンドレ・ゲラン le député PCF de Vénissieux (Rhône) André Gerin 氏でした。氏曰く、5年前にも増してイスラーム女性の装束が一般社会を威圧している、と Une forme d'"oppression"。氏が指摘するイスラーム女性の装束はスカーフやヘジャブではなくブルカ la burqa (en arabe, برقع) やチャドルなど頭の天辺から足のつま先まで隠すような装束です ↓ 。___φ( ̄^ ̄ )
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なるほど、なるほど。たった五年とは言え、約1800日の間に仏蘭西の移民事情も大きく変わり、5年前はイスラームと聞けば「マグレブ(=アルジェリア、モロッコ、チュニジア)」が真っ先に出て来たものが、ここ数年はコソボやチェチェン紛争、イライラ戦争やアフガニスタン内戦で仏蘭西に難民として移住した人々が共和国各国の移民居留区に分散し、仏蘭西のイスラーム文化に新しい力と香りを醸し出し始めました。移民居留区で先住のトルコ系やマグレブ系と新参の彼らとの生活文化摩擦が勃発しているのはココんち地元だけの問題ではありますまい。というか、イスラームの中は信仰とアラブの血で一致しているようで、実は祖国の違い(マルクス主義+イスラームの国か原理主義の国か)やアラブ系の血の混ざり具合の加減などで細分しているがゆえに互いの批判が絶えることがありません。
そして、彼らを傍観していて面白い点がもうひとつあります。それはトルコ系やマグレブ系に多い労働移民やチェチェン、コソボ、アフガンなど戦争や政治難民がこうして仏蘭西共和国の手厚い、いや、手厚すぎる過保護の下、仏蘭西で生活を始めたところで、仏蘭西風に生きていくヒトと祖国の風習に回帰するヒトに分かれます。それも、仏蘭西に入国してすぐは一目でイスラームとわかる女子が数か月後にはスカーフも取り、短めのスカートをはいたり、パンツで現れることもあれば、逆に入国すぐは仏蘭西風だった女性が一年近く経ってから再びスカーフをかぶり始めたりするのです。それは当初は一緒に移住した家族の意見を中心にしていた女性がしばらくして近所づきあいによる情報交換で装束が左右されるようです。戦争難民については何も持たずに祖国を離れているので、仏蘭西入国当初はフランス側の赤十字やスクールカトリック(=カリタス)、スクールポピュレールなどから与えられた衣服で生活が始まることで、当初、傍観している私たちには移住したばかりのイスラーム文化圏育ちの彼らが「仏蘭西に馴染んでいる」ように見えるだけなのかもしれません。こちら ↓ 、6月18日、国営放送で報じられたパリ近郊の最近の様子です。
France 3 : Port de la burqa: polémique
http://jt.france3.fr/player/1213/index-fr.php?jt=20090618&timeStamp=445
France 2 : Paroles de femmes voilées
http://info.francetelevisions.fr/video-info/?id-video=MAM_1500000000003638_200906191017_F2&id-categorie=A_LA_UNE
一夜明け19日に流れたニュウス ↓ によりますと、
France 3 : Port du voile : Luc Chatel envisage une loi
http://jt.france3.fr/player/1213/index-fr.php?jt=20090619&timeStamp=412
2005年3月の法(la Loi n° 2004-228)に、ブルカやチャドルを着たままでのアイデンティティカードの写真は一切受け付けず、病院・役所で受給による労働者のこれら装束を着用したままでの労働を厳禁することを明記することになるそうです。確か大英帝國では公務員や銀行などの窓口でイスラーム女性が目のみが確認できるかできないかの装束で就労できましたね(今は改められたかもしれませんが)。隣国に比べるとフランスの就労条件は厳しいようです。

この件についてニュウス検索をすると、どの全国紙のHP版も印象的な衣装をお召しの女性の写真が掲載されていますが、年々増加傾向にあるんですと。それ故に、頭の天辺から足のつま先まで布に覆われて動く彼(女)らは優美な黒いおばけ un “élégant fantôme noir”と表現するヒトもいれば、教条主義、原理主義の体現 "l'expression visible et physique des fondamentalistes et des intégristes"と厳しく言う人もいます。ココんちあたりではまだマダム・オバQを一度も見ていませんが、かつて南仏に住んでいた頃はそこいら中にゴロゴロと世界各国のあらゆるイスラーム女性の装束を見ることができました。こちら ↓ はマルセイユ2区のスークあたり。右の女性はヘジャブ、左の女性は目のみが他者に見える形。
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http://malicieuse.exblog.jp/2896345

ニュウスを見聞するとウルトラサンシーブル(Ultra sensible)、つまり究極過敏な話題だと繰り返されていますが、パリの大モスクの長上さんがおっしゃるにはこの装束の歴史はイスラームというより土着習慣だそうで、イスラームが女性にこのような装束をするように命じていないそうですが、上のビデオなんか見ますとマダム・オバQが「コーランを見りゃわかるでしょ」とイスラーム男女の常套句で切り替えしています。この件に限らず、イスラームさんがこの台詞を口にしたことについて本当に書いてあるかどうか疑わしいのが常だったりします。とどのつまり、どっかのレヴィ親父みたいに国家転覆手段の地道な一歩で無知な男女を扇動していたりもしますからね。

一凡女がふと思うことは、宗教が理由にない生活文化となると仏蘭西に移住した時点で法をもって祖国の装束を禁じ、仏蘭西の習慣を圧して推すというのはそれもまた Une forme d'"oppression" ではないかと。故に執行猶予が必要でしょうけれど、現実において各自の選択が「フランス風」「祖国」と二分するのも見ていますし、右利き左利きは矯正しなければ五分五分であろうことも理。そうかと言って異なる生活文化をどう認め合い、許し合うのかも知をもって動かねばならないことです。その過程は決して勝ち負けではないので、その道の途中での変化を傍観者が勝敗優劣で眺めたら「一方が妥協した」という言葉が見え始め、飲んだ飲まれた、等どんどんあらぬ方向に印象付けられてしまいそうです。私はそれを恐れます。ヒトというアイデンティティを受け入れるにしても、何もかも無条件で受け入れることは難しいです、本当に。

兎にも角にも、共産党議員からイスラーム女性の装束が仏蘭西一般社会を威圧しているという議題が出されたことで、議員の意見はほぼ二分、世間は日毎にそりゃ大騒ぎ ┐(-д-`;)┌ ということもあり、来週月曜日に神聖賢愚帝サルコぢ一世サマがこの件について朝から一発おかましあそばすのだそうです。どうなりますことやら。

le 20 juin 2009, Silvère

わたくしにとりまして「ブルカ、アフガン」のキーワーズで思い出すのはこちら ↓



もう5年以上前、クリスマス前にギニョル番組 Les Guignols de l'info で流れた Barbie spice di counasse バービーいすぴすでぃくなす 。
あまりにブラック過ぎて日本國では放映されるのが難しいでしょう。貞淑な妻が玄関から一歩出ただけで夫ケン・ラディンに見つかり、DV、そして石打ちの刑。ただし、石ころは別売りです。なーんてバービー人形をお嬢ちゃまにいかが?というCMパロディです。
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by ma_cocotte | 2009-06-20 17:18 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(5)
Commented by rice_shower at 2009-06-21 01:38 x
好きな女性が自分の前でだけ肌を晒すなんて、男は興奮するんだろうなぁ、と下種なことを考えてしまう。
それは別として、モスレム文化として尊重されるべきだとは思うが、移民先の国の文化(コスプレ以外、オバQなんて居ない。 日本ではフルフェイスのヘルメットのままコンビニに入ったら、警察を呼ばれても文句は言えない。 全然違うか...)も尊重して、少しは“我慢”して欲しいし、それが宗教的寛容(妥協)というものだわな。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-21 03:58
◎ rice_shower さま、
イスラームの生活文化史から考察すると、住宅街がジグザグの袋小路、
中庭式住宅など成人女性を家族以外の男性の目から隔離するために
発展した構造だそうです。外出時の装束と家庭内での華やかな服装の
違いも、rice_showerさんがおっしゃる第一点に通じ、家庭円満と
繁栄につながる考えがあるみたいですね。
貞淑なオバQがたっぷりとした布のドレープの内側に危険物を持って
いるというのはロジックでないとわかっちゃいても、街中で突然会うと
ドキっとしますし、もし郵便局や銀行の窓口の向こうが目の動きさえ
わからないブルカだとすると慣れるまで緊張しますね。

今回の騒ぎで、パリのモスクの長上はこの装束はイスラーム文化では
ないとおっしゃっているので、どうナマ神さまのサルコぢが月曜日に
お考えをまとめるのか。
私の愚見ですけど、互いの「妥協」は良くないような気がします。が、
融合とは妥協なのでしょうかねぇ。深い思考にいざなわれますな。
Commented by 黒猫亭主人 at 2009-06-22 03:20 x
仏共にだって共和主義者はゐませうから、一にして不可分の共和国是を守れてふ意見も出るでせうなあ。
窓口関係についちゃ、生体認証が普及すれば、本人確認に、顔を見るもへったくれもなくなりませうがね。

とまれ、妥協やなうて、議論のすゑ、弁証法的にアウフヘーベンして、一段の高みにのぼるてふのが、相互理解と人智てふもんでござんせう。まあ、原理主義は、不変を尊ぶわけですが。

そして、assimilation(同化)ではなく intégration(統合)こそ、より文明的・人権的とされてゐる――すくなくとも建前では――のでせうから、そのへんの視点から論じなアカンとおもふんですがね。
しかも、どの程度やったら ostensible なのかなんて、人によってちがふので、つねに"対話"が必要かと。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-22 16:09
◎ 黒猫亭主さま、
この再勃発のウルトラサンシィブル問題ですけれど、政治的には左右から
反対意見が出始めてしまった。これが水面上。
次にこの装束が生活文化の流入となることでの断罪の難しさがあるのでは、
と拝察しています。ゆえに「同化」というのもどうか危うい単語ですが、
猶予期間を設けて自治体スタッフとの交流などで互いの改善が必要
だと思います。が、実際、私が見てきた難民ですがコンパトリオットの
影響で原理化することが多分にあります。アフガンにもチェチェンにも
しばらくして頭をスカーフで覆うようになりました。チェチェンの女性の
かぶり方がユダヤ超正統派っぽいかぶり方だったのが印象的でも
あったけれど。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-06-22 16:15
◎ 妥協については仏蘭西という土地柄、国柄、国民構成柄、あり得ないと
思いたいところですが、最近の傾向では「弱者同情」がエコ贔屓に見える
フランス人もいなくはありません。(本人が訴えられて失職するのを恐れて
いることもあります)。
ostensible (これ見よがし)については逆も成り立ちますよね。女性の
露出の行き過ぎについても。これは移民家庭の親世代が中高生の娘を
持つとたいてい口にする悩みです。胸元が大きく開いているのにおへそを
出してアラブ女性特有のふくよかさを強調したり。
上に挙げたビデオで個人的に不快だったのは国会で「黒いおばけ」と
表現したり、市場で「我慢ならん」という欧州人の発言でした。イイ大人
なんだから言葉を選べるだろうに。いずれにせよ、この5年でイスラーム
とは言え生活文化の焦点がマグレブから世界の紛争地域に変わっているのは
確かです。トルコは労働移民でトルコの出身地域での意識格差の開きが
すごいです。市民生活では居留区において出身国対立の抗争が深刻です。
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