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禁止ではなく、停止でしょうに。ε= (´∞` )
永遠の都ロオマ市内には約250(300という話もある)の教会聖堂があり、ここに同市内の病院、修道院、学校などの聖堂を含めると約500の聖堂が市内に存在することになるそうです。つまりロオマ市内には少なくとも500の聖櫃があるということでしょうか?「聖堂」と言っても、日本語ならば大聖堂>(教会)聖堂>小聖堂という表現が一般的ですが、キリスト教文化と密接な関係がある外国語圏においてはバジリカ(仏語:Basilique)だのカテドラル(同:Cathedrale)だのチャーチ(同:Eglise)だのチャペル(同:Chapelle)だの辞書で和訳を探したところで、一般辞書では説明が曖昧で、結局、素人さんなら大中小の三種類に分けざるを得ないほど建造物の外見、内面とっても表現が豊富だったりします。これは聖職者や修道者の身分表現でもそうですね。仏蘭西語だと世俗だって生活宗旨を守っているならプラチカントPratiquant(e)、洗礼受けただけならライック laïc, laïque だし、世俗奉献者には consacré(e) と細分化されちゃう。まあ、それもカトリックが生活文化や慣習と密着しているからこそなんでしょう。
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で、ロオマ市内にはそこら中に教会建造物がごろごろしておりますが、うち3聖堂、観光名所でもあるサンタ・マリア・マッヂョーレ教会 Basilica di Santa Maria Maggiore やサン・ヂオヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂 San Giovanni in Laterano、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂 Basilica di San Paolo fuori le mura はイタリアはロオマ市内に点在しているとは言え、ヴァチカン市国の飛び地扱いなんですな。その証拠にこの三聖堂内ではイタリアの赤い郵便ポストではなくヴァチカン市国の青い郵便ポストが設置され、ヴァチカン市国内の郵便局でなくても、この3つの青いポストに投函すればヴァチカン市国の消印で手紙が送られることになっています。___φ( ̄^ ̄ )

この3月に私がロオマ巡礼した際はロオマの Basilique majeure 4聖堂のうち、サンタ・マリア・マッヂョーレ以外の三聖堂でごミサにあずかりました。サン・ヂオヴァンニ・イン・ラテラノでは隣接する八角形の洗礼堂奥の小聖堂であずかりました。ラテラノ大聖堂から一度出て、左に折れて小聖堂に入る前に手前のコンスタンティヌス帝が洗礼を受けたという伝承の残る位置につくられ、過去、長い間、ロオマでただ一つの洗礼堂だった「現場 ↓ 」でささやかな儀式。記念にこの場で祝別されたおメダイをいただきました。
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一枚目の写真は、この祭壇真上のドーム天井です。
聖霊が真上から見守る祭壇と聖職者。疑いなんぞ微塵もない世界です。
この古い小聖堂の祭壇上もこれまた美しい、モザイク画でした。
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ところで、この小聖堂もヴァチカン市国内になりますが、ごミサにおける聖体拝領は両形態であり、手でいただいたものは口にホスチアを入れてからカリスを持って飲むか、またはカリスにホスチアを浸して自分の口に入れる形でした。聖パウロ大聖堂でのごミサでもそうでした。
最近、日本國のカトリック教会で或る形による両形態拝領が禁止、「バチカンが禁止」と電脳域において日本語で喧伝されていますが、調べてみたら日本の聖側からの通達にもその動作について「禁止」という文字がありませんし、ヴァチカンや各国司教団の公式HPでこの件について禁止になったという報告がどこにも掲載されていません。ヴァチカン公式HPで「指針 あがないの秘跡 Redemptionis Sacramentum」の該当項目を確認しましたが、その所作が禁止になったと書き換えられていません。
いつから禁止になっていたのでしょうか?
証拠となる公文書が電脳域でまったく見つからないというのはGoogleに引っかからないようにしているのですか?公文書の読み方から眺めれば、今回の両形態の拝領についてある形については「止められた」に過ぎず、禁止ではありません。もし本当に信者がホスチアをカリスに浸すことが「絶対禁止」であるならば、私がこの3月にヴァチカン市国が持つ各聖堂での所作においてヴァチカン職員が止めに入られないのでしょう?ヴァチカンにおける絶対禁止の一例を挙げるなら、ヨハネ・パウロ二世のお墓の前でカメラをかまえただけでヴァチカン職員が声を発して、強制退場を命じます。応じなければ、職員がその者の腕を持って引きずり出しますよ。私はその光景の目撃者です。
世界各国、どこの巡礼団もミサをささげるかなり前からヴァチカンにその旨を申請し、委任・認可が戻って来ているから、司祭は香部屋に入れるし、ヴァチカン職員がチボリウムとカリスも準備してくださいます。この手続きを無視したら、聖体拝領の形以前にあり得ないことです。何もかも違法でしょう?

現状だと「バチカンが禁止している」と電脳域で断言しているのは日本語だけですね。
どちらが発信元でしょう?
発信元の個人の脳内で生まれた決定は必ずしも世間一般の事実とはなりません。賛同者を集めたとしても、停止(arrêt)が禁止(interdiction)に訂正されない限り、この聖体拝領方法が「止められた」としても「禁じる」とは異なります。日本語において「止」の文字を用いる表現が欧米言語に比べて貧困かつ曖昧だとしても、慎重に扱うのは発信する日本語を用いる個人の責任です。
3月のローマ巡礼時にヴァチカンの高官からヴァチカンの諸文書翻訳にあたり中国語と日本語において大変な苦労があると同じオフィス内で働いている立場でお話がありました。この仕事がうまく運ぶよう私たちも祈りましょう、と神父さまはおっしゃいました。仏語圏での翻訳はさほど問題がないのに翻訳に苦労している他者を思って集う者を祈りに導かれるとはカトリックらしいお話の進め方だと思いました。一方、今になって日本語の「禁止」なる単語をヴァチカン職員でもない者が安直に当てはめて、ヴァチカンや日本國の聖域側の認可ももらわぬまま「バチカンで禁止している」という話に変えて公に吹聴されるなんてヴァチカン側も日本の聖域もさぞかし困惑でしょう。発信者が前倒しで公表したのだとしても、前倒しするのは聖域に住まう方々であって世俗の羊ではありません。世俗のこのような行為はカトリックの歴史において代々受け継がれている伝統ある生活慣習から外れていると思いました、まる

le 12 juillet 2009, Olivier

聖務日課中>聖務日課停>聖務日課禁≠聖務日課廃 
↑ 意味がまるで違うでわないか。↑
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by ma_cocotte | 2009-07-12 22:05 | 『?』なKTOりっくん | Comments(10)
Commented by tama at 2009-07-13 09:52 x
京都教区に関しては,インフルエンザ対策として、カリスから飲むのは「止め」、パンのみになつていました。インフルエンザがおさまつた今は次の3形態になつています。1、パンのみ、手で、2、神父さま、あるいは、奉仕者がパンをワインにつけて、それを信者が口で受ける、3、パンを手で、ワインはカリスから。
その時の事情で形態は変わりますが「禁止」ではありません。みていますと、パンのみ手で、という方が多いです。カリスから飲むかたは稀です。口でうけるには少しかがまねばならなかつたり、今まで永く手で受けていた習慣から口で受けるのがむつかしかつたりするからだと思いますし、カリスから飲むのはインフルエンザ恐怖が心に染み付いたせいで、やめたくなるのだと私は考えていますが。あくまで「禁止」項目というのはありませんね。また変わる可能性もあると思いますよ。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-13 16:12
◎ tama さま、お知らせに感謝です。
いただいた方法のうち、2番については昨年秋、パードレ・ピオのご命日
ミサで司式司祭(カプチン)がなさいました。侍者がチボリウムを持ち、
神父さまがカリスを持って舌に乗せます。不思議だったのは神父さまが
聖体拝領前に方法をきちんと説明したのに、跪いて拝領する日本人が
次々と現れ、神父さまは大柄で祭壇に向かう階段の途中にいらっしゃい
ましたから、信者が跪くことで神父さまの胸の位置にあるカリスから信者の
口まで30cm以上離れました。こういうことってこちらではありません。
なぜなら聖体を思えば、直立して舌でいただくのが「確か」だからです。
30cmの移動の間にワインのしずくが落ちる、または聖体が溶けて床に
落ちたら、司祭のせいではなく、ひざずいて舌を出した信者に問題が
あると思われてもしょーがないなあ、と思いつつ、眺めてました。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-13 16:18
◎他人が見定められる、自分自身の拝領の形に拘って、聖体を思いやる
気持がどこかに飛んでいってはいないかと。神父さまはパードレ・ピオの
帰天日だから両方いただきましょう、とおっしゃいました。
これはtamaさんがお知らせくださった第3の方法、つまり昔から洗礼や
婚約、婚姻など内輪のミサで行われていた習慣を指針に則って、神父さまが
判断されての両形態拝領と拝察しました。
その日は主日ではなかったし、慶事に集った方々と聖体聖血をいただく。
でも、あの聖体拝領の様子は・・・緊張されていた神父さまがお気の毒でした。
両形態については仏蘭西でも口でいただいた方が必ずしもカリスを
持って拝領することもないし、手で聖体を拝領した方もその聖体を
必ずしもカリスの中に浸したり、、聖体を口に入れてからカリスを持って
いただくこともしていません。先日も別項に書きましたが、「La possibilité
可能性はあくまでもいただく側にあります。「みんながしているから私も
そうした」という言い訳はこちらでは通り難いです。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-13 16:24
◎日本国内の今回の判断について、いろいろ調べてみましたが、現時点では
「止める、しません」に過ぎず、教皇庁も、日本の聖側の文書にも「禁止」
という文字をまだ見つけられないままです。

教皇庁が禁止に変更したとも、それが禁止されたとも公文書は何等発行
されていませんから「禁止」という言葉を私たちの立場では発せません。
(別にカトリックに限らず、この手の法規定文書の常識だと思っていたのですが)。
日本語訳にする際、いろいろ問題あることはヴァチカン市国の省庁で
働かれる方々もお察しくださり、祈ってくださっているほど「センシティヴな
事項」です。立場をわきまえて情報発信しないとヴァチカンでさえ知らない
「禁止事項」が日本から確定したかのように発信されていることになります。
ミョウチクリンな話です、本当に。流している方々はその情報を流すミッションを
いただいたか、または流す許可を聖側からいただいているのでしょうか?
Commented by Lucia at 2009-07-14 07:44 x
聖ピエトロ大聖堂地下の教皇様墓地で、ヨハネ・パウロ二世聖下のお墓の写真撮影は、macocotteさんが行かれた際には、全面的に禁じられていましたか?それ以前のことですが、私は何回も参りましたが、お墓そのものの撮影は禁じられていなかったと思います。ただし、その前に立って記念撮影をしてもらおうとする人には、禁止が告げられていました。私自身は一度も撮影を試みたわけではありませんが、たくさんの旅行者は撮影していました。ただし、お墓のすぐ前で立ち止まらないことが条件で、祈りたい人は、行列の後方の一段高くなった所で時間の制限もなく祈り、佇むことができました。それも今では変わったのでしょうか?
私が属すカトリック教会では、両形態の拝領に際しては、必ず信徒が手で受けたホスチアを自分でカリスの御血に浸すことになっているので、車椅子を使う私は、手が汚れるために、いつもホスチアだけの拝領になります。私は両形態でなくても同じだと思っているので、それでも構いませんが、インフルエンザ流行時には、ホスチアを口で受けることは、文書で一応禁じられていたので、聖体拝領はご遠慮しなければなりませんでした。
Commented by anbai at 2009-07-14 14:23 x
これも諸論ありそうですが、インフルエンザ流行時はいろいろな制限が出るのも致し方ないかと思います。伝染病として原因が分かっている場合は防ぐほうがいいですから。
身体の丈夫な方だとそういう懸念は少ないのでしょうが、私は呼吸器系は気をつけないといけないのです。ですので、冬季(とくにインフルエンザ流行時)にはごミサへの出席を遠慮しています。聖体拝領があるためでしょうが、せきやくしゃみが出る状態でもごミサでマスクをつけてくれる方が少ないこともあります。それで感染して尚、「みこころなので」と耐えることは私のような弱輩には無理ですし、それ以前に、感染を予防することは信仰上責められることとは神父さまには聞いてませんので。

豚インフルエンザ騒動では、報道や一般の方々の対応がヒステリックであったため迷惑を受けた方も多かったと思います。ただ、「せきやくしゃみの出る人はマスクをつけて」ということが広まったことについては、何とかこれが定着してほしいかなとも思うのです。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-14 16:03
◎ Lucia さま、今年3月の段階では聖ピエトロの右からの観光ルートで
地下に入った場合、撮影はJPIIだけでなくペトロの墓所、他の教皇方の
墓所も「禁止」でした。とても厳しかったです。ただし、地下の小聖堂での
ミサについてあらかじめ認可をいただき、聖ピエトロの主祭壇むかって左
から
侍者に導かれて地下に入った場合はその限りでないと思われます。
左から入る場合はヴァチカン側のスタッフが頭数まで細かく数えて
いらっしゃいました。
で、観光ルートの場合でも3月の時点ではJPIIの墓所前の祈りは手前
だったかな・・・それさえ禁止だったかも、です。シャッターを切った場合、
カメラ没収で外に出てから返還でした。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-14 16:08
◎ 聖体拝領の件ですが、日本国内から伺う話について面白いと思うことは
聖側が決めた方法に絶対に従うという世俗内での統一感と申しましょうか。
だから一部の世俗が「やりたくないのに従わされている」と吹聴できる
ようになってしまっているのでしょう。こちらの場合、同じ理由を聖側に
言ったら「やりたくなければやらなければいいでしょ」と返事されます。
今や数ある聖体拝領の形でひとつだけ余計に認可が下りたことで、
もし本当に心で泣きながら従っているのだとするなら、日本カトリックの
聖と俗の双方に何かありそうだし、聖側が「どうぞあなたの良心の声に
従ってください」とおっしゃれば、と思いますが、どうも裁判員制度の
文面を拝読すると聖側はそうおっしゃる。それを理解できない世俗信者が
多いと仮定するなら、教皇さまがおっしゃる「要理教育の徹底」でしょう。
カトリックがプロテスタントのように聖書主義になったら、カトリックの伝統
ある生活慣習が廃れるのは当然です。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-14 16:14
◎ 日本語の環境において「良心」が教会法と指針や勧告を絶対守ること
に値すると勘違いしている自称・伝統主義の方が散見されることも驚いて
います。教会に通わず、聖側の方々との生きた会話での交流もなく、
自分で買った本を一人で読破して感想をネットで述べたところでそれは
必ずしもヴァチカンが考えられていることではないのに。でも、カトリックに
興味を持った方が最近はまずネットで下調べして教会におみ足運ぶこと
で混乱が生じてもいるし、そういう混乱している人に本に書いてあることだけ
を信じろ、司祭を疑え、と促しているネット内の方々にも驚きです。
カトリックはいつから裁きの宗教になったのでしょう?論戦の敗者は
謝罪とか俗の中で変な遊びが流行らないといいですが。
聖体拝領の件でも傍観していて泣けます。
Commented by ma_cocotte at 2009-07-14 16:28
◎ anbai さま、もしインフルエンザの対策で致し方がないとするなら、
両形態で無数の信者がひとつのカリスに口を当て、プリフィカトリウムで
直後に拭くという繰り返しの伝統ある所作がなぜ口を当てずに両方の
聖体をいただけるようにしているのか世界の事情に気づけませんか?
未だ解明されない深刻な病がこの世に存在している記憶が私には
あります。もう四半世紀経っているかと。
聖金曜日、カトリックでは十字架上の磔のイエズスさまにどうするか。
日本では御前で会釈で済ませる信者もいるでしょうが、欧米の信者は
接吻するのが主流で、ひとりが接吻すると唇をつけた部分全てをプリフィ
カトリウムで拭きます。ですから物凄い時間になります。これも最近、
控えている教会もあります。伝統破壊ではなく、別次元の問題があるからです。
2000年の歴史の中でカトリックが問答無用に絶対守っていることは
信仰箇条であって所作ではないでしょう。
跪き台がないから跪けないなんて、こちらでは皆、凸凹の床、野外では
砂利で跪くし、ルルドでは素足で一山越えねばならない十字架の道行きに
多くの人が実行しています。何もかも聖域のせいでしょうか?
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