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残りの人生をどのように昇華しませうか。«Je te montrerai le chemin du Ciel»
8月4日になりました。フランスの暦や日記手帳の8月4日に目をやると Jean-Marie Vianney ヂャン・マリ・ヴィアンネィ とあります。

「ぢゃん・まりぃ・ヴぃあんね」と聞くたびに思い出すのが、私が高校一年生の時だったと記憶していますが、同級生のヤッコが洗礼を受けることになり、誰からともなく、「洗礼名は?」と彼女に質問したら「ヨハンナ・マリア・ビアンネ」と返事をもらったエピソードです。ところが、すぐ彼女が「オトコの聖人なんだよね」と付け加えました。そう聞いたところで、信者でもない私たちは、他の信者の子の霊名(=洗礼名)を思い起こして、「ヨハンナってヨハネで、マリアはマリアさまぢゃないの?」と答え合わせをしましたが、ヴィアンでもヴィアンでもないヴィアンネの ってナニよ?と。イタリア語の「ネ」なら複数だけど、ヨハンナはラテン名の女性形だから、イタリア語だったらヨハンナはヂョヴァンナでしょーよ?だったらヴィアンネは?...そこらあたりでお休み時間が終わり、ヴィアンネという名の謎解きが立ち消えになってしまったままでした。

そんな私が高校を卒業してから十余年後、フランスに住むようになり、ヂャン・マリ Jean-Marie という名がれっきとした男子名であることを知りました。世間を騒がす極右政党の党首の名前もヂャン・マリ・ルペン Jean-Marie Le Pen であり、ユダヤ教から改宗し枢機卿にまでなられた先のパリ大司教の名前もヂャン・マリ・リュスティヂェ Jean-Marie Lustiger もそう。ただし、リュスティヂェ師の本当の名前はアアロン Aron で、改宗後、ヂャン・マリを名乗られるようになりました。・・・あ、思い出しましたが、2007年8月4日にリュスティヂェ大司教は帰天 されたのですよ。ですから、今日は帰天からちょうど二年目です。カトリックの世界だと「ヂャン・マリ・ヴィアンネの祝日に天に召されたリュスティヂェ師は・・・・」と言う形で井戸端話を盛り上げることになりますね。私個人はヴィアンネの祝日に帰天したリュスティヂェ師は生前の働きあってこそこの日の招きだったのだと思います。リュスティヂェ枢機卿は改宗者であるのに、伝統を守りながらも一方でメディアを宣教布教に生かすことに力を注いだ方で、インターネットテレビジョン KTO もリュスティヂェ師の強い働きで実現したメディアのひとつです。

話がヂャン・マリ Jean-Marie つながりでリュスティヂェ師の方面へ反れてしまいましたが(良かったよ、ルペンの方面ぢゃなくて)、そんなわけで恥ずかしながら私がヨハンナ・マリア・ヴィアンネのヴィアンネが苗字であり、フランス語でヂャン・マリ・ヴィアンネと呼ばれるヨハネ・マリア・ヴィアンネ師が教区司祭であったことを知ったのは近年10年未満です。それ以前に聞いたかもしれませんが、どうも真剣に記憶することもなく、なんと最近でもなぜかヴィンセンシオ・ア・パウロ、フランス語だとヴァンサン・ド・ポル Vincent de Paul とごっちゃになってしまうんですな。1998年の7月にはひとりでリュ・ド・バック Rue de Bac の140番地に寄ったついでに道向こうの教会に入ったら、だーれもいないのに上空に横になりっぱなしの方がおひとり。それはヴァンサン・ド・ポルさんだったんですが、その寝姿はかなり鮮烈でしたのに、それがなぜか後になってあのご遺体はヴィアンネか?ヴァンサン・ド・ポルか?とはっきり定められない。それはなぜなのだろう?・・・聖人には申し訳ありませんがご縁の薄さにあったのかもしれません。齢のせいだとなぜ言えぬ?

今世紀に入って、こうして電脳の世界が猛スピードで進化していることで、カトリックの世界に関わる方々のHPやブログを拝見することで少しずつヂャン・マリ・ヴィアンネについて知れるようになりました。実際、フランス国内の聖堂美術を訪ね歩けば、たまにヴィアンネのステンドグラスや聖像を目にすることもありました(とは言っても、ほとんどと言っていいほど「これってどっち?」とヴァンサン・ド・ポルも思い起こす)。
数年前ですが、電脳域散歩中にヴィアンネについての簡単な伝記を読む機会がありました。ヂャン・マリ・ヴィアンネなる人物は教区神学校に受け入れられ、司祭になるための勉強を始めても、勉学においては劣等生であり、特にラテン語が壊滅的成績だったため、当時の教区長と神学校校長がヴィアンネの叙階を諦める方向に動き出した時、このお二人が今一度、ヴィアンネの神学校仲間にヴィアンネについて話させたところ、勉学は兎も角、ヴィアンネの信仰生活に誰もが評価していることがわかり、神学校はヴィアンネを放校せず、時間をかけて育てたということです。その話を知った途端、何事にも不足している私にとって生きる世界は違えど、ヴィアンネ師は私の闇を照らす希望の星となったのでした。きらり~ん☆

このエピソードだけでヴィアンネ師を「私の希望の星」と語れても、ヴィヂュアルやら書籍名ではまだヴァンサン・ド・ポルと迷う私でありましたが、今年に入りヂャン・マリ・ヴィアンネ師の帰天150周年を記念して今年6月16日から来年6月16日までを司祭年 une année sacerdotale と名付けられたことでヂャン・マリ・ヴィアンネ師の存在は私の中でいっそうはっきりして参りました。

さて、フランスではヂャン・マリ・ヴィアンネ Jean-Marie Vianney と聞けば、キュレダルス Curé d'Ars という山川問答になります。"Curé d'Ars" というのは「アルスの主任司祭」という意味です。1786年5月8日に生まれたヴィアンネ師は1815年、司祭に叙階され、その二年後、リヨンから30kmほど離れたアルス Ars という人口250人ほどの寒村、教区内で一番小さい規模の教会に派遣され、1859年8月4日に他界するまで41年と数か月、アルスから離れることはありませんでした。ヴィアンネ師の生年を見ればわかるとおり、フランス大革命の時代と重なっているので、このアルスという小村も革命前に生まれた村民は洗礼を受けてはいても信仰生活や道徳とは異なった生き方をしていました。頭が良いと自覚する聖俗信者からバカだとレッテルを貼られているヴィアンネ主任神父さまがどうしたかと言いますと、言葉ぢゃ無く態度で示そうよ、でして、なんと毎朝4時には聖堂で跪いて祈り、聖務日課をこなす傍ら、一日平均17時間(!)聴罪に務め、着任5年後には教会の一角に孤児院を創り、養育活動を開始。一方でヴィアンネ師個人は厳しすぎるほどの清貧を貫き通しました。ヴィアンネ師が示した行いによって、まずは教会に背中を向けていたアルス村民の向きが180度変わり、ヴィアンネ師に告解したことで「救われた」噂が飛びに飛び、フランス国内どころか欧州各国、大西洋の向こうのエイメリカからヴィアンネ師に告解するために次々とヒトビトが訪れ、ヴィアンネ師は死を迎える寸前まで聴罪を怠ることがありませんでした。晩年、アルスを訪れた人は十万人...現在のアルスも人口は1100人ほど、ヴィアンネにまつわる聖域以外はなーんにもない村だそうです。あ、フランス国内で最も厳しい戒律の女子カルメル会がござるね。



さてさて、司祭年と書いて、司祭年
ですが、だから「司祭のためにみんなで祈りましょう」なのでしょうか?
フランスのカトリック世界を眺めますと、どうも司祭年と召命 vocation を関連付けし、聖俗が共に動いているようです。cf. La mission de tout prêtre
フランスの歴史上、カトリックの拠点都市のひとつであるリヨン Lyons から30kmほどの山村アルス Ars もまたルルド Lourdes ほどではないにしろ、フランス国内では巡礼地のひとつとして知られてはいますが Sanctuaire du Saint Curé d'Ars 、司祭年を迎えた今年は、共和国内の100教区が絶え間なくルルドを詣でて祈りの輪をつなげるように、アルスにも共和国内の各教区、小教区が巡礼を絶え間なく繰り返しています。以下 ↓ は花の都はおパリ市内の或る小教区が行った「召命」をテーマにしたアルス巡礼の様子の抜粋ビデオです。約10分ほどですが、なかなか興味深い内容で、アルスの大聖堂や司祭館も訪ねた気分になれます。



巡礼参加者は8歳から35歳までの70名で、それぞれがそれぞれの召命を探し見つけるアルスでの数日ですが、ビデオでこうして司祭方の要理やグループディスカッションでの言動や聖劇指導、聖堂内における聖俗信者の所作や聖歌の選択、ロザリオやヴィアンネ師の棺の前での信心業の行い方などの実態を見てしまうと、電脳域の日本語環境で フランスのカトリックが聖座の意向に背いている と批判されてしまうのも仕方がないのかと思ったりもしました、まる

「召命 Vocation 」ですが、カトリック世界の境界においてはエヴァンヂェリゼ国にあたるフランスでは世俗奉献の形もさまざまですが、決して自ら「わたくし、奉献しておりますの」などひけらかさないのも徹底していたりします。他人さまからの話題での「わたくしもです」という話の流れはよくありますが。ミッション国である日本では召命についても奉献とはつながりなく、職を得る一行程のような説明を世俗の御口から耳にしたりもします。が、おそらく召命というのは生きながらにして心身を捧げ尽くすことが究極であり、そうかと言って聖域に入らずとも、男性の使命、女性の使命が時代、国、家庭環境に応じてそれぞれ個々にある「はず」なのです。心臓が止まる瞬間まで快楽や怠惰を「自分で選ばない生き方」とでも申しましょうか。神からいただいた我が命をどう生かすか。それを祈り、見極めることが召命なる言葉につながるのかと思うこともしばしば。命を自分の都合で操るなら消耗でしょうけれど、命を生かすならば昇華であり、祈りも労働も花束となって天に昇って行くのでしょう。

タイトルの «Je te montrerai le chemin du Ciel» は上のビデオの最後の方で映し出される聖劇においても坊やが空を指示して同じ台詞を言っていますが、「私はあなたに天への道をお見せしましょう」という意味です。
やっぱりヴィアンネ師は私たちの闇を照らす希望の星なのです。きらり~ん☆
あなたの後(あと)について参りましょう。

le 4 août 2009, Jean-Marie Vianney
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by ma_cocotte | 2009-08-04 01:49 | 『?』なKTOりっくん | Comments(2)
Commented at 2009-10-07 08:04 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2009-10-07 20:30
◎ 鍵08H04@07/10/09 さま、はじめまして。ようこそ。
私の方こそ、こうして鍵さんからいただいたコメントで深い思考に誘われました。
「私利滅却」という言葉がありますが、自分のまわりの生あるもの、価値
あるものを「手放す」にしてもなかなかすっきりと手放せない自分を今も
痛感している私です。我が母を失ってようやく「奉献」やら「天に返す」など
いっそう深く考えられるようになりました。「今を喜び、悩み生きる」ことも
死の準備であり、永遠の魂を育てる準備のためにすることなのかも???

コメントありがとうございました。
こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
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