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2009年8月7日金曜日、
ご用が済み、
ふと見上げると、
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あらま、ビ ン ゴ。
まるで私の心を見透かされているような・・・...「ような」は余計 ヽ(`Д´)ノ


いっそうふんぞり返ってみますと、
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あまりに殺風景な天井であーる。
キンキンキラキラにしたくなります。
ああ、未だローマ病が癒えずスさまってか。寒すぎ。

祭壇の真裏 ↑ からグルっと周って正面に周りますと、
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ゴチック様式なんだとか。___φ( ̄^ ̄ )

La première pierre、最初のペトロではなく、最初の置石は1893年、 la première messe 最初のミサは1901年にあげられ、1926年に建築を完了だったとか。1893年に着工したものの完了宣言が1926年だったがために、1905年の徹底政教分離法のせいで現在も修繕はカトリック教会側のみの負担で国も地方自治体もノータッチの建造物扱いです。1905年12月はじめまでに建築完了だったならば、現在においても修繕は自治体が関与いたします。ということで、フランス大革命をもってフランスで徹底政教分離が行われたまま現在に至っているというフィクションを吹聴している方々、フランスにおける徹底政教分離(Laïcité ライシテ)は1905年12月9日 です。

そして、近寄って天を仰ぎますと、
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ステファノの生涯。
そういえば、今日は「赤」の日でした。(^_^)

le 7 août 2009, Gaétan
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by ma_cocotte | 2009-08-07 23:10 | 『?』なKTOりっくん | Comments(22)
Commented by Lucia at 2009-08-08 08:54 x
天井を見上げて祈る人は少ないので、天井に絵画がなくても良いでしょうけれど、確かにイタリアのルネサンス・バロック期の聖堂では聖堂全体で「聖なる空間」を作り上げることに人々は心を砕いたようですね。
今の日本の聖堂は逆に、どこを見回しても殺風景な造りになっているので、そこに入っても祈る気分にならない方が多いのでしょう。座席に座っても、世間話に花を咲かせている方が多いことの一つの理由は、聖堂が「聖なる空間」としての役割を果たさなくなっているからのように思えます。
勿論、聖堂以外でも祈ることは大切ですが、人が美に対して感受性豊かなのは、神様のお恵みですから、それを有効に使うような祈りの場が欲しいですね。
Commented by 春ぴ at 2009-08-08 16:35 x
また素晴らしいお写真を見せていただいて、感動ものです♪

繊細さと美しさに見惚れました、実際に中に入ると身動きができなく
なりそうな感じです。
創造主に感謝すると共に、造られた名も無い方々に感謝をします。

いつの日にかいけることを夢見て、生きていきます♪
Commented by ma_cocotte at 2009-08-08 16:39
◎ Lucia さま、天井の話は次のエントリーにつなげようと考えているところです。
フランスの教会で天井を飾るというと、花柄か青く塗って金の星を散らす
天井が典型ではないでしょうか。
バジリクの中にはローマのようなモザイクドームがありますが(パリの
サクレクール、ルルド、リジューなど)、おそらくヴァチカンからのダイレクトの
人材援助(モザイクアトリエからの派遣?)があったのではと拝察しています。
他のフランス国内の聖堂群は、天井や壁の装飾よりステンドグラスに力が
入っていますものね。
日本の聖堂建築は何が優先されているのか今ひとつわからない部分が
あります。雑談しやすいのも古い教会には必ずと言っていいほどある残響
効果がない?足音や布の擦れる音だけでも私が子供の頃は「聖堂はヨソと
違う」という自覚ができました。
カトリックはカトリックらしい聖堂であって欲しいと思います。
この点、東方教会の確固たるアイデンティティ維持がうらやましくもあったり
します。フランスは古い聖堂群が老朽化しているので維持が難しくなって
います。サルコぢは教会維持よりモスク新設優先の立場なので・・・。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-08 16:48
◎ 春ぴさま、はじめまして、ようこそ。
教会聖堂訪問は始めたら止められませんね。
外見も鐘楼を比較するだけでも面白いです。
内装ももちろんで、厳しく決められた基本をここまで応用できることに
驚かされっぱなしです。
フランス語で最初の石は La première pierre と言います。pierre は
石だけど、Pierre と書いたら男子名のピエール、つまりペトロのままなのです。
聖堂を建造するのに「最初の石、ピエール」を置いて、ヨゼフさまのように
働いて、それを捧げ、最後にミサを捧げる・・・聖書のお話そのまま?(笑)
面白いと思います。ちゃんと7日目に休むし(爆笑)
Commented by 春ぴ at 2009-08-08 21:38 x
日本国内の聖堂訪問も楽しくはありますが、建物の精妙さ荘厳さあらゆる点で、イタリアやフランスとは比べ物にならないですね・残念なことです。

7日目に休むと言えば、ユニクロがフランスに進出して、日曜日も営業するとニュースで見た主人は、「神への冒涜だ」と言ってました。
フランスもだんだんカトリック信者が減っていると伺うし、ドイツも教会がレストランになったとかというニュースを聞くと残念でなりません。
フランスの聖堂が守られますように。

> 雑談しやすいのも古い教会には必ずと言っていいほどある残響
効果がない?足音や布の擦れる音だけでも私が子供の頃は「聖堂はヨソと
違う」という自覚ができました。

聖堂での靴の音をいつも娘に注意をするのですが、彼女らにはピンと来ないようです、ピンと来ないどころか「だって、大人もコツコツいわせて平気で歩いてる」と逆に、文句を言われます。

シスターも人によっては小さな靴音でさえ気にしてつま先で歩いて居られるし、私もそうしているつもりですが安きに流れるようで、今後の課題です。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-08 22:21
◎ 春ぴさま、
フランスですが観光都市だけ日曜営業に認可が下りやすくなったみたいです。
だけど、日曜まで買い物をするヒトって移民さんか、神さまを忘れた人たち
が多かったりします。現状だと日曜日にはまだ家長の食卓に招かれて
午餐か正餐を取って、しばらく食後のくつろぎ、午後3時頃から全員で
お散歩という形を維持しているフランス人の方が(午前中ミサに行く、
行かないは横に置いても)マヂョリティのように見えます。このフランスに
古くから残る日曜の過ごし方ですが、自分も参加すると「結構いい」のです。
こちらに住み始めてすぐは日曜日が死の町と化すことに納得いかなかったけれど、
慣れてしまうと「実にいい」です。だから、サルコぢが日曜営業解禁にしようと
しても共和国民が必ずしも同意しないのだと思います。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-08 22:24
◎ 聖堂内の所作は難しいというか、これこそ本では見つけられないから、
親から子、教育環境ならそこで教え込まれることだと思います。私が育った学校は
聖堂内については超ウルトラ厳しくて、大学生になってから他のフランス系
ミッション校出身者に「そこまで厳しくなくても」なーんて言われました。
彼らにとって厳しくても、私にとって当たり前だったのは聖堂で着席したら
後ろを振り向くな、というもので、幼稚園児の時に徹底的に教え込まれました。
塩にならなかったのが不思議←大ウソ。
それと、シスターがいらっしゃらない時間に聖堂に入って声を出したら
妙に響いて怖くなったこともありました。
残響はよければいいけれど、フランスの教会だとたまに音の伝導差が出て
しまい、オルガンと合唱がずれてしまうことがあります。実は上に紹介した
教会はその問題がかなーりあります。残念な点ですね。
Commented by Lucia at 2009-08-10 09:59 x
ローマでは、Borromini が建てた諸聖堂は訪問されましたか?彼の聖堂の内装は、天井も含めて真っ白な漆喰仕上げですが、その形状が光を受けると微妙に明暗を醸し出すので、人の気持を安らげ、祈りにと導く力があります。San Carlino alle quattro fontane も素晴らしいけれど、 Sant'Ivo alla Sapienza が私は大好きです。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-10 16:51
◎ Lucia さま、
もしかしたら首相官邸近くの聖アンドレ教会もそうでしょうか?
San Carlino にも参りましたよ。
教会建築の面では異端論争もかつてあったような話を耳にしました。
あの空間は上手に表現できませんが、卵の殻の内側に射す陽光みたいな。
つまり母の胎と天の父????
少し前に聖アンドレ教会のドーム天井のかわいい天使の写真を載せました
けれど、

http://malicieuse.exblog.jp/10791250

どうやらSan Carlino の天井も。
ローマ旧市内に250もの教会、聖堂を含めたら500という数だそうで、
できれば全部見たいけど、全ての聖堂をご存知なのは天主さまですね(笑。
Commented by Lucia at 2009-08-11 08:33 x
ma_cocotte さんが掲載されている San Carlino alle quattro fontane の写真の下の天井は、Bernini の Sant'Andrea al Quirinale だと思います。あの下の方には、成年男子(?)の姿の天使が並んでいるでしょう? 同じ Sant'Andrea の名がつく聖堂はローマに他に二つ、それもみな中心にありますが、Borromini の策は、 Sant'Andrea dei Fratti です。これはあまり目立たないのですが、確か Via due Macelli という通りに面していたと思います。クーポラの外観が彼らしい構造です。
Commented by Lucia at 2009-08-11 08:36 x
また誤字に気づきませんでした。読む方は文字を「大」にしているのですが、書き込みに字が小さいのにメガネをかけていないので、誤字を見落としてしまいます。「策」ではなく「作」です。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-11 15:52
◎ Lucia さま、
おっしゃるとおり、エントリーの上から5枚目がSan Carlino で、
6枚目がSant'Angrea です。
聖アンドレは拙宅にはご縁ある聖人で、夫が受洗、私どもの婚姻も地元の
聖アンドレ教会です。そんなわけで、首相官邸を横切ってからすぐバッテン
十字の聖画が正面にあるSant'Andreaの印象と天井のかわいらしい天使
が忘れられないままです。ここを訪問した後、San Carlinoに参りまして、
Elisabeth Canori Mora という御婦人の生涯を知り、感銘しました。
こちらに戻ってから神父さまにお話したほどです。
この二つの教会は似たような建築様式だと説明された記憶があります。
どちらも異端論争があったとか?確かに内装はどこか新教っぽいスマートさが
あるようにも思えました。

San Carlino ですが、こちらが公式HPだそうです。

www.sancarlino-borromini.it

Commented by Lucia at 2009-08-12 08:25 x
異端論争については私は存じません。
Sant'Andrea al Quirinale も San Carlino も平面プランは楕円形ですが、祭壇が設置されている位置が、前者は短径正面、後者は長径正面と違うのと、San Carlino の内装が真っ白で、小天使の様々な表情の顔が漆喰装飾にちりばめられていますが、Sant'Andrea の方は、構造部分にカラフルな色大理石が贅沢に使われており、天井にも色が採用されている点、また、多くの全身像の天使が天井部を華麗に飾っている点に違いがありますね。Sant'Andrea の方は、地形の制約に合わせてプランに横長楕円形が使われたようですが、正面入り口は前の道路の方にカーヴして張り出しています。そんなところにも設計の工夫が一杯。Bernini の注文主に比べて、Borromini は比較的貧しい修道院などのためにレンガ構造で漆喰仕上げをしたと訊いています。その漆喰を照らす光が生み出す明暗は、長い時間聖堂に座っていると刻々と形を変えて、光が心に染み入るかの安らぎを感じさせてくれます。
ma_cocotte さんはどちらにより強い印象を受けられましたか?
Commented by ma_cocotte at 2009-08-12 16:02
◎ Lucia さま、
私は素人なので子供のような感想しか述べられませんけれど、両者共、
第一の印象は洗練美を感じ、次に祭壇の条件、告解室、聖像など装飾を
省くと新教っぽくあり、アメリカ北東部の建築物を思い起こしました。
どちらも教会というよりは修道院や学校付小聖堂のイメージでもありましたし、
先に述べたように卵の殻の内側に自分たちがいて天空から一条の光が
射す形というのは祈りに集中できるよう誘われているようにも思いました。
私が見学した日はどちらの教会も美術見学や写生の時間を過ごす中高生
でいっぱいでした。ローマのお子たちは恵まれていますね。
余談になりますが共に行動したのがフランス人ばかりの巡礼団でしたので、
美術の観点も鋭く、巡礼最終日前夜のディスカッションではヂェズ教会など
SJの教会装飾より中世美が生かされている教会か、極端にフーコーの
労働修道女会の聖堂のような山小屋っぽい祈りの空間を贔屓する声が
いくつかありました。フランス人はやはり近世美術より中世美術贔屓が多いと
改めて実感しました。日本人はどうしても「ベルばら」の影響でロココっぽい
世界をまず想定しますよね。
Commented by Lucia at 2009-08-28 09:26 x
私はアメリカには行ったことがない(実は訪れた国は非常に限定されています)ので、比較できません。
ここ数十年間に建立された日本のカトリック教会聖堂は、奇をてらいすぎて、祈る気持ちを妨げるような構造の建物が多いですな。採光も、音響効果も、聖堂建築の象徴的な意味や価値も考慮されていません。おまけに、昔の木製ベンチに比べて、座り心地が良くない椅子が並べられて、跪き台もなければ、跪くだけの空間もない所が多いので、私のように大腿骨、骨盤と腰椎・脊椎に問題があると、体全体が緊張しっぱなしになるので、気分が悪くなり、気持ちを集中することもできません。それで、ごミサには車椅子で参加しますが、車椅子のための場所がないので、しょっちゅう移動し続けなければ、何も見えません。見えなくても良いという方もあるでしょうが、私としては、お説教を拝聴する時には神父様の表情からも何かを感じたいし、ご聖体が顕示されるときには、見上げたいのです。それは我儘な希望でしょうか。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-28 17:40
◎ Lucia さま
日本国内の近年のカトリック聖堂建築について興味がありますならば、
参考資料のひとつとして麹町教会の献堂10周年にあたって出された
冊子をお勧めします。10周年とありますが、準備段階含めその倍以上の
年月について、あらゆる面(建築、教会、典礼など)から読むことができます。
仏蘭西も車椅子用のスペースも泣き部屋もありませんから、会衆の中に
車椅子や乳母車が散見される形になります。
Commented by Lucia at 2009-08-29 19:59 x
ローマの聖ピエトロ大聖堂でのクリスマスの夜半荘厳ミサでは、聖ヘレナ像の近くが車椅子使用者と介助者のために確保されていました。聖歌隊の少年たちの横でした。
他の聖堂の場合にも、中央通路がとても広いので、車椅子の人が陣取っても全く邪魔になりません。
昔は歩けない人たちはごミサにも参加しなかったのかも知れませんね。

昨年の長崎での列福式には、私は早くから申し込んでいたのですが、車椅子使用者の席は、直前まで考えられていなかったようで、一般の階段席を指定する通知が来ました。そこで、聖ピエトロ広場では、一番前の方に車椅子使用者の席が設けられているという実情を説明して、交渉し続けたところ、車椅子使用の参列希望者数が大変多かったということもあってか、かなり広い一角が確保されました。駐車場も、球場内の駐車場使用が許可されたのです。そうでなければ一人では参列出来なかったけれど、嬉しい体験でした。 日本も次第に変わって来るのでしょうね。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-29 22:23
◎ Lucia さま

 >昔は歩けない人たちはごミサにも参加しなかったのかも知れませんね。

そのようなことはなかったと思います。
Commented by Lucia at 2009-08-31 08:21 x
カトリックの方のご家庭がどうだったかは存じませんが、日本では、障害児や障害者は家の一室に閉じ込められて、ほとんど外出もできなかったという時代がかなり後まで(30年昔までも遡りません)あったのです。
両足でちゃんと歩いていて、健常者の同年齢の人たちと全く同じように毎日を送っていた若かりし私でさえ、留学を考えて区役所に行ったら、「足の悪い人が留学してどうするんですか?」と窓口でそっけなく言われたのです。
イタリア留学直前に、東京から出発するつもりで上京し、受け入れ先の大学が指定してきた必要書類を大使館に提出したら、健康診断書が必要だと言われたので、指定医を訪ね、留学は無理かと尋ねたら、日本人ではない指定医は笑いながら、「今まで生活できたのに、イタリアに行ったらできないということはないでしょう?大丈夫ですよ!」と言って下さったので、一週間遅れで日本を離れることができたのです。
今の若い方には想像もできないことかも知れませんが、事実なのです。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-31 15:33
◎ Lucia さま、

聖堂の設計についての話から、Luciaさんが「昔は歩けない人たちは
ごミサにも参加しなかったのかもしれない」と書かれたことです。
カトリックの家庭以外の方が日本国内の聖堂に行けなかったのは設計に
問題があるということをLuciaさんが話したいのかと拝察していました。
しばらく前、日本人のカトリック信者さんから「一昔前は健常者は教区教会の
ミサ、障害者は修道会管轄教会や修道院聖堂でのミサにあずかったものだ」
と教えられ、私は少なからずショックを受けました。そういう区別があったとは
修道会にばかりお世話になっている私がまったく知らないもので、偏見にさえ
聞き取れました。
聖体拝領に焦点をあてるなら、世俗信者がごミサにあずかるのも義務ならば
聖職者にも聖体をいただけない信者に対して病院や家庭訪問など務めが
あるのではありませんか?教会のそばに貧者や病者のための救護院も
ありましたし、病院内聖堂はフランスだったら現在も公立病院内にもあります。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-31 15:36
◎ 私の地元は医師でもある永久助祭が中心となって病者訪問団を結成し、
世俗にも参加を募っています。
仮に、もし昔、歩けない人たちがミサに参加しなかったとするLuciaさんの
仮説を拝聴したとしたら、参加しないと決めたのは本人であって聖堂設計の
せいではない、と私は思います。ルルドのバジリカ聖堂は今世紀に入って
改造しましたが、それまで障害者に親切な造りという部分はないに等しい。
でも、健常者たちがあの急な階段を昇って大聖堂まで連れて行きました。
巡礼列車も欧州の列車ですからホームと車両の段差が急です。駅では
中高生が待機しているではありませんか?
聖堂でのごミサにおいては、人と人の間の各自の心と行動が大切です。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-31 16:19
◎ (続きます)Luciaさんから先のコメントで

 >ここ数十年間に建立された日本のカトリック教会聖堂は、
 >奇をてらいすぎて、祈る気持ちを妨げるような構造の建物が多い

 >ごミサには車椅子で参加しますが、車椅子のための場所がないので
 >しょっちゅう移動し続けなければ、何も見えません

と現在進行形の問題を出されました。が、

 >今の若い方には想像もできないことかも知れませんが、事実

と別の話題でそういう締めくくりをされていますが、聖堂と世俗席の問題は
今の若い方が想像せずとも目の当たりにしています。
ひとつの聖堂に集う方々のそれぞれの心が改善されるといいですね。
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