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ほどこすな。ほどこしをもらうようになるな。
辞書で「施す」を調べてみました。
施し 《 ほどこし 》 恵みを与えること。
となると、「ほどこすな」とは「恵みを与えるな」となり、「ほどこしをもらうようになるな」は「与えられる恵みをもらうような立場になるな」ということになります。

昨日土曜日の夕方、民放 M6 でテレビ画面から消えたかつての有名人が今何をしているか追跡する番組が流れていました。画面に現れた「かつての有名人」ですが、仏蘭西に住み始めてからもしばらくテレビのない生活をしていた私にはまったく知らないヒトだったので、ココんちの仏蘭西びと♂にナニモノか質問したら、かつてバラエティ番組を得意とする有名司会者だったと返事をもらいました。その男性がテレビ画面からすっかり消え、最近は何をしているかと言うと自宅近所を自転車で廻り、SDF(浮浪者)を見つけたら、彼らとおしゃべりをしつつ、彼らが必要としている物を知り、自分が可能な範囲でそれを買って彼らの生活を援助し続けているのだそうです。小さなコンビニエンスストアの入口前でしゃがみこんでいるSDFのムッシュウ二人にマイクを向けると、その施しをくれる男性がかつてテレビの人気者だったことは知っているとのことでした。
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↑ マルセイユ旧港路地のSDFさんたち ↑

何かこの番組を見て我が心に引っかかりを覚えたまま、一夜が明け、教会に行ってみると入口と言う入口すべてに施しを求める人々が立っており、彼らはミサが始まる直前もミサが閉祭した後も定位置に立つなり座るなりして、片掌を力なく差し出しているのです。ココんちの近所で施しを求める人々は欧州系の男女ばかりですが、南仏に住んでいた頃は欧州人だけでなくジプシーの大人と子供たちで、ジプシーの中にはミサにあずかっているヒトもいました。

そんな施しを待つ彼らに、大人も週日に節約した小銭を渡すし、子連れの大人は子供の手に銭を握らせてSDFに渡すよう指示します。子供は意味がわかっているのかいないのかうれしそうに施しを求めるヒトの手にコインを渡し、「Bon dimanche, monsieur!おぢちゃん、良い日曜日を!」などと言いつつ去って行きます。南仏でしばしば見かけたのはご婦人方がお菓子を携えて、ジプシーの親子に丸ごとプレゼントして、子供たちに接吻までしていたりすること、優しすぎませんか?
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↑ ルルドの聖域近くで ↑
席を外したSDFさんではありますが、小銭がひっきりなしに籠に落とされていくのでした。

ううむぅうう。
もし自分が子を持つ親だとして、SDFを目の前にした我が子に小銭を握らせて「さあ、あのヒトの手に渡してらっしゃい」と私は言うだろうか?「自分はああはなりたくない、自分がああなってはならない」という、子供または自らへの戒めが先になってしまわないだろうか?とこの数時間、考えていたりします。仏蘭西という国で親から小銭を握らされて、親の代理でSDFさんの手に渡す子供たちというのは、「こういうヒトになりたくない」という思いより先に、自分がしたことで目の前のSDFのムッシュウから「Merciii!ありがとう」と感謝されることをまず知ることになります。

これが良いのか、悪いのか。
子供の(教育の)ためにも、SDFのためにも。

この手のことを見聞するたびにどうにもこうにも日本で生まれ育った私には納得行きかねるモヤモヤが心に引っかかったまますっきりしない自分自身を手に取るようにわかったりもするのですが、「甘え、甘やかし」という言葉が付いて回ってくるものです。それに「施し」がイコール「恵みを与えること」だとするなら、その「恵み」は必ずしも金銭ではないでしょう。時折、現金しか受け付けないSDFさんがいるのも現実です。「あなたにお金は差し上げられませんが、あなたと一緒に食事をすることはできます」と返事した神父さまに思い切り背中を向けたSDFさんを、私ゃ何人も見てきました。日銭においては時にSDFさんの方が司祭の月給の日割りより高収入だったりするんだが。形がどうであろうと、価値がどうであろうと、他者からいただいたどんな恵みにも感謝するのは、富裕であれ、貧困であれ、誰もが携えねばならない基本の感情だと思うのは私だけでしょうか。

仏蘭西においてはテレビでとりあげられるほどの有名人が私腹を肥やしたままならば触れず、弱者のために財産を惜しまず使うなら、その活動がより活発となるようにテレビはじめマスコミが新たにフォローすることを繰り返し見ざるを得ない現状の中に私はあるように思えます。私腹を肥やしたっきりで施さない仏蘭西の有名人を誰か上げなければならないとするなら
ニコラ・サルコぢ かしら、ね?
まぢ、彼から弱者救済を連想する話題を引き出せません。

世界の富裕と貧困の格差を狭めることもまずは身近から変えていくということも、知的教育面で互いに補い合うことを含め、「施しをもらうようにならなければ→減る」は確かとはわかってはいるつもりですけれど、ううううん、なんだ、このすっきりしないモヤモヤは。

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↑ ローマはサンタ・マリア・マッヂョーレ大聖堂前の広場にいらしたSDFさんたち ↑

今年、生まれて初めてローマに行って見て、フランスよりSDFさんが多いと思いました。
21世紀に入る少し手前のフランス国内の様子を思い出しました。

le 23 août 2009, Rosa de Lima
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by ma_cocotte | 2009-08-23 23:17 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(11)
Commented by Lucia at 2009-08-24 10:06 x
ローマ終着駅に近い、ドン・ボスコが若者の職業訓練所として建立したという寄宿舎の一部は、今では旅行者の宿となっています。修道院聖堂には、中庭からも時としては入れますが、普通は一度公道に出て、少し先の聖堂正面から入るのですが、その僅かの道にかなりの野宿者がいます。修道院としては、彼らがその人たちの面倒を見ているので、施しはしないようにと言われていますが、ミサの前になると、聖堂入り口前の階段に座ってBuon giorno! と声をかけてきます。私は言葉では挨拶を交わしますが、明らかにお年寄りで体が不自由だと判る方以外には施しはしません。でも、ローマ市内を歩くと、寒い冬でも、本当に気の毒なご老人が、毛布に包まって、小さくまるまって座っている場面に遭遇します。そうなると、戦後の酷い生活を経験した私としてはいてもたってもいられなくなります。差し上げる金額がどれほどその方の役に立つのか、果たしてそれでご本人が生き延びられるのかも分かりませんが、そのお年寄りに神様のお恵みを祈りながら、立ち去ることになります。
イタリアでは若くて元気な近隣国からの(密)入国者がかなり施しをせがんで来ます。イタリア人がとても寛大だからでしょうか?
Commented by ma_cocotte at 2009-08-24 18:31
◎ Lucia さま。
以下、テルミニ駅そばのサレジオ会聖堂の写真がご覧になれますよ。
ttp://homepage1.nifty.com/sawarabi/07.07ITALY/12Roma6.htm

私は観光バスの中から校舎の上に置かれたキンキラキンの聖母子像を
拝見するだけでした。残念。

イタリア人が寛大というより、欧州においてはかつてカトリックが国教だった
国ではどこでも施しを求めるヒトが多いです。
が、お金を集めた彼らが戻る先は私たちの生活より贅沢だったりします。
そういうことを知ってしまうと私なんぞはバカらしく思えてきますが、どうも
カトリックの生活道徳を身に染み付けた方々は「騙されたっていいじゃない?」
と考えられるようです。「信じる」気持、「感謝される」ことで自らが持つ気持。
そういう気持を今の日本が育てているのか、自分の心を自ら覗きながら
考えているここ数日です。

以下、続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-24 18:34
◎ ローマですが、トラステヴェエレの大聖堂での夕刻からのサンテジディオ
主催の祈祷会においてもその時間にターゲットをしぼって施しを求める
ヒトがたむろしていました。かなりの数で驚きました。
ロマ(ジプシーの一グループ)にしても甘えていないことを期待したいところです。
イタリアとスペインを結ぶ南仏の海岸沿いはジプシー数がハンパではないし、
ジプシー付きを命ぜられる教区司祭も世俗奉献者もいます。内情は漏れ
伺っていますが、根気を求められるのは教区側の立場にある者です。

が、フランス国内の歴史建造物を確かめればいくつもの慈善院が存在します。
貧者に手を差し伸べるのはカトリック生活の基本でもありますよね。
カトリック精神を携えた者は、他人を疑っての自己評価で、他者を切捨てる
ことはありません。
最近のフランスにおいて、路上生活者は今も昔も欧州人とジプシーですが、
欧州人の場合は離婚などが原因で文無しになったことや、心理的問題で
その生活を選ぶヒトが増えています。
社会司牧の問題は深いですよね、本当に。毎度、考えさせられます。
Commented by Lucia at 2009-08-25 09:35 x
昔聞いた話ですが、東京のあるカトリック系の大学に籍を置いている学生たちが、ある時、路上で物乞いを一日してみたところ、余りにもたくさんの収入があって驚いたそうです。つまりはカトリック国に限らず、日本でも同じような現象はあるのでしょうね。
イタリアでの、特にローマでのジプシー(敢えて「ロマの人」という言い方をしませんが)の集団には怖い思いをしました。聖ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂近くで、そこに向かって一人で歩いていたら、女性集団に囲まれてしまったのです。また、段ボールを持って駆け寄って来る子供の集団にも注意しないといけません。赤ん坊を抱いた女性たちの姿も多いですが、しばしば赤ん坊は借り物(失礼!)だそうです。
そう言えば、父は昔パリの高級ホテル内で二回、怖ーい男性群に(一回はエレベータの中)囲まれたそうです。とても小さな体の父は、とっさに空手の構えをしたところ、大男たちも襲うのを止めたそうですが、イタリアではホテルに中にまで彼らが入り込むことはまずありません。従業員がすぐに対応してくれるからです。たとえ貧しさに喘いでいるにしても、施しを当てにする人たちもここまで来ると、社会悪でしかありませんね。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-25 17:13
◎ Lucia さま、
今も四谷の見附橋近辺にいらっしゃいますよ。
日本の場合は教会の入口手前に門があることや、考え方が欧米の方々と
基の部分で異なる方が多いだろうことで、教会近辺に頼りますね。
Pitie (憐れみ)の観点から見れば、イスラームもそうですが、今はどうやら
イスラームの中でも格差で問題が深刻化しているようです。

ジプシーですが、仏蘭西では細分化して呼びますから「シプシー」という
言葉の方がマイナーになります。
彼らに定住政策を強いたところで、仏蘭西国内各地で民族間抗争などの
問題も多々あります。公団だと日常茶飯事かも。
私もエクサンプロヴァンスのカテドラルに向かう道でジタンの少女たちの
巧妙な手口でお財布をすられそうになりましたし、パリでも数度怖い目に
あっています。いずれも地下鉄駅構内です。
パリは安全とは言い切れません。
Commented by いとへん at 2009-08-25 21:17 x
こんにちは、これ難しいですよねー。施しと恵み。この国はSDFだとしてもこの道を自らが選んだとして、清清しく本人も思い、周りもそれを尊重(尊重というのも仰々しいのですが)しているのか、オカネチョーダイといわれてはいよ、と手に握らせる人、目にします。
話を聞き、小銭を渡す友人がいます、彼女は自分が恵まれて(屋根のあるところで寝食し、勉学でき、安定した仕事についているということ)いると認識し、少しでも助けになれば、との思いだとは思います。彼女をよくしっているので彼女を偽善だとは思いませんが、なかにはそういう方もいるやもしれませんし、施している自分が好きという自己満足的な人もいるかもしれません。自分は偽善でもない、自己満足でもない施しをする自信がなくもやもやします。(チョーダイといわれて無視して歩くことなど)
サル故事さんほどの膨れたお財布をお持ちのかたが私財をなげうってくれたらいいのですけどね。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-25 22:43
◎ いとへんさま、難しいですよね、本当に。
大昔の、2004年年末のエントリーですけれどご笑読くださいませ。

http://malicieuse.exblog.jp/1573043

・・・てなわけで、ココんちの仏蘭西♂なんぞはお財布をまっさかさまに
振るほどですから・・・・_| ̄|○
日曜に教会あたりで傍観していてわかってきたのは、この日に施すために
多くの人が小銭を節約していることです。彼らは決してお金持ではない。

自己と他者の問題で施しを眺めると、相手に感謝されることで自分が
「悲しくならないで喜びを感じる」ことにあるかも。もし激怒されたら、基本的には
激怒した同じ人物にはこちらからアクションしなくなりませんか?で、もし
将来、その人から求められたとして、自分ができるなら過去を責めずに
「どうぞ」とさしあげられる気持というか・・・かなり訓練がいるような気がします。
だから親は子供に代理をさせつつ、背後で眺め、その行いの後に心の
動きなどの面からディスカッションするのかなあ?と。どうでしょうか。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-08-25 22:43
◎ サルコぢは溢れたお金のためにまたポケットを増やすことに一生懸命ですよね。
お金を得るために脳みそを使うことも惜しまない。けど、決して臣民に還元
しない。残り何年の我慢でしたっけ。
我が地元は社会党が多いから、サルの嘘つきとボヤイている庶民が多いです。
いとへんさんちあたりはいかがですか?
Commented by Lucia at 2009-09-01 15:28 x
お話は変わりますが、ルルドの聖域近くで撮影された写真の子猫たちは良くじっと座っていますね!我が家で面倒を見ていた子猫たちは今ではもう皆お年寄りになりましたが、子供の時にはひっきりなしに動き回って、それが可愛かったけれど…。眠ってもいないのに、こんなに大人しくしているのはなぜでしょう?
Commented by ma_cocotte at 2009-09-01 17:47
◎ Lucia さま、
写真をよく見ると、首輪と簡易椅子が紐でつながれています。
かわいそうな話ですが、観念しているのではないでしょうか?
物乞いさんの中には猫やウサギを檻に入れて、朝市などで見世物にして
お金を得ている人もいます。
Commented by Lucia at 2009-09-02 10:06 x
それは可哀そう!
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