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火の元の日の本
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 スオル・モニカと出会って早や五十数年になります。戦後の貧しい昭和二十三年から親子共々たいへんお世話になり、ありがとうございました。私は十歳くらいまで、皆さまが「スオル・モニカ、スオル・モニカ」と言っておりましたので、日本語の上手な外国人?なのか、日本人なのか迷いました。
 朝礼でスオル・モニカのお話を聴いてから、小石混じりの校庭に全員で地べたに跪いてお祈りをしましたね!半ズボンで小石が膝にあたり、痛かったです。でも不思議に誰もスオル・モニカに不平を言いませんでした。
以上、平成17年に94歳で帰天された或る修道女の納骨の際に読まれた追悼文の一部です。この文から拝察するに昭和二十年台から三十年台にかけて、東京都内の或るカトリック小学校では泥の校庭に直に跪いてお祈りしていたようです。

この文に登場する故・スオル・モニカは日本人。明治四十三年宮崎市で生まれました。十八歳でチマッティ神父さまからイタリア語を学び、十九歳で伊太利亜から来日された六人の宣教女方の通訳を努め、二十歳で修道会初の日本人志願者として入会。昭和十五年から東京都内に創立した学び舎で働いたものの、昭和二十年三月の東京大空襲で学び舎は全焼。戦後、スオル・サンティナと二人で約十か月もの間歩き回って、昭和二十一年、陸軍工兵隊跡地を陸軍主計中将であった伯父上の力添えで土地、建物の使用許可を得、この新天地で新たにミッションスクールを開校しました。校長、園長、院長、施設長を歴任後、昭和四十九年には修道会初の日本人管区長となりましたが、平成二年より帰天まで、平成四年に一度目の危篤による病者の塗油、平成十年に二度目の危篤、そして平成十七年6月に三度目の危篤で病者の塗油を受けて後、八日後に永眠。70年の修道奉献生活を全うされたのでした。

そして、時空を越えて、上の写真はきょうの朝、ココんち地元の教会での聖体拝領直後に聖ヨゼフの小祭壇前で跪いて祈る方。
こちら ↓ は私がルルドに行った時、目の当たりにした祈る姿。
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坊やはおそらく侍者坊だな。足の重ね方が、プロフェッシオナル(` ´)b


こちら ↓ もココんち地元の上とは別の聖堂の聖櫃前にてご家族でミサ前にひと祈り。
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そして、こちらはココんちから近い司教座聖堂の聖母像前。跪き台は仏蘭西風かも。
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そりゃあナンピトにも跪ける台があるにこしたこたございませんが、なきゃないで地べたに跪けば良いだけです。「跪き台がなければ祈れない」という話が通じるのは日本國という島国の中だけでしょう。
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今朝、見つけたステンドグラス ↑ 、お仏蘭西の政教一致時代(=1905年12月以前)の作品と思われます。右から三番目の聖母の御前に跪いている方はおそらく紋章から市制の長上さまですね。市長手前の紋章は教皇紋章?
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キリスト教2000年の歴史のごく一部において跪き台という贅沢品が造られただけですから、もし現代に存在しないのならそれ以前の習慣に倣えばよろし。上の写真の方々も先祖伝来に倣っているだけです。日本國の場合、倣える先祖がいない?そんなヒトが決めた国境なんぞは取っ払って世界を眺め、先人に倣えばよいことです。きょうび跪き台が聖堂からなくなったなんてスキャンダルでもないのに、東の果てで「跪き台がないから跪けない」なーんて羊飼いのせいにして騒いでいるは羊たちは奇妙珍妙な甘えん坊に見えます。ええ、もちろんヴァチカンやらロオマから眺めたとしても、空騒ぎ。

それとも、何か、地べたや床に跪けない理由が日本國にはあるのでしょうか?

le 13 septembre 2009, Aimé
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by ma_cocotte | 2009-09-13 23:18 | 『?』なKTOりっくん | Comments(7)
Commented by Lucia at 2009-09-14 08:44 x
中学校と高等学校の時お世話になった修道会経営の学校では、毎年、校庭を巡り講堂で祈りを終わる聖体行列が行われていました。ご聖体を顕示された神父様を初めとする行列が進む道筋は、毎年新しい様々な装飾で飾られていました。そんな装飾づくりに私も参加したものです。
その行列は少し進む毎に、神父様がご聖体を高く差し上げて、参加者はそこで跪いて短い祈りを奉げました。勿論校庭ですから、台地にじかに跪いたのです。
ただ、最近の聖堂では、前の椅子と次の列の椅子の間が狭すぎるので、立つのがやっとで、とても跪けないというのが実情です。
それに加えて、腰や背筋、腹筋の弱いお年寄りにとっては、跪いた時に手を載せる台がないと、上半身を真っ直ぐに保つのは無理ですね。
逆を言うと、台地に跪く習慣があると、腹筋や背筋が鍛えられるのかも知れません。この考えが正しいかどうか、私も家で試してみますネ。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-14 15:30
◎ Lucia さま、
私の母校は毎年五月に聖母行列を行いました。
一時間以上かけて、聖母御輿を先頭に各自が花一輪を持ちながら
ロザリオ一連唱え、最後に教皇大使から聖水で祝別していただきます。
この日を迎えるために学園に集う全職員、生徒がノヴェナを行い、信者子女は
当日の行列に参加する前にミサにあずかることにもなっていました。そして、
最後に私たちが聖母に捧げた花は束にして近隣の高齢者施設と病院に
差し上げるのが習慣です(今も続いています)。

上の一枚目の写真の教会聖堂ですが、椅子の間が数年前に狭められて
跪くことができなくなりました。跪ける別種の椅子を用意しているから
構わないのだろうと当時の教会委員が決めたのだと思います。昨日は
一年以上ぶりに訪問したら、なんと椅子の角度まで祭壇に向かって
若干斜めに変えられていました。
そんなわけで私はオルガン近くの昔の設えのままの椅子に座りました。
なんだか跪くのは1968年以前贔屓、狭い椅子には1968の初老の
方ばかりというのも珍妙な眺めでした。
Commented by Lucia at 2009-09-15 09:50 x
聖母行列のことは、以前見せて頂きました。子供たちにとっては、そういった経験は、とても大切な思い出にもなるのではないでしょうか?

先のコメントを書いたので、実際ベッドの傍で跪いてみました。
確かに、膝に上半身と頭の全重量を載せてじっとしているのは、腹筋と背筋の強化になりそうでしたが、実は私は、その姿勢から立ち上がるためには、両手で全身の体重を支えることができる高さの何かが両側になければ立ち上がれません。私の両脚は決して細くはないけれど、関節がうまく働かないうえに、中臀筋が両側とも大腿骨につながっていないので、自力で立ち上がれないのです。私にはやっぱり現代の聖堂に置かれている普通の椅子を頼っては立ちしゃがみもできないことが解りました。
ローマの終着駅近くのドン・ボスコが建てられた聖堂(?修道院の建物は明らかにそうです)には、私が最後に訪れた時には、まだ昔のままのベンチがありました。多分今もあるでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-15 16:28
◎ Lucia さま、
個人のご身体のことで跪けないのなら跪くことはないと思いますが?
もし昔のような木のベンチが再び聖堂に置かれるようにするには、職人を
育てることと、その椅子を少しでも長く使用するために聖俗信者が椅子の
維持に努めねばならないと思います。木はもともとはイキモノだから、
老朽化し、欧州のベンチでも跪いた時にかなりしなって、怖い思いを
することも多々あります。もし折れるまで放置していたら、特に日本のような
心理環境だと教会のせいにされる信者も多いのではありませんか?

フランスの場合は徹底政教分離後、教会の修繕については完成年度で
扱いが変わります。昔の壮麗な備品について職人もいなければ、お金も
ない。となれば、重篤なけがをする前に椅子を(泣く泣く)替えねばならない
こともあります。
新しい考えで「跪き」の許可を世俗が求めても、認可しない神父さまも
フランスにだって存在します。が、跪けるなら、長い歴史でくぼんだ
3cmくらい凸凹だろうが、斜めだろうが石床にじかに跪く信者はいくらでも
存在します。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-15 16:37
◎ 日本のようにベンチを取っ払ったことだけで、平らな床(それも信者さんが
お掃除をなさった清潔な床)に跪けない、教会聖域が間違っている、と
吹聴したり、跪くための座布団持参とか、奉献や苦行を尊ばない日本語
会話が電脳域で飛び交っているのは、本当に伝統主義者か~?と。
カトリックとして軸がズレていると思います。

上の同窓会誌の引用ですが、学校には一割弱の信者子女しかいませんから、
残り9割はカトから見れば「異教徒の子女」です。が、校庭朝礼で
跪いて祈ることをあずかった子女平等に学校側は求めたことになります。
カトリックでなくてもできることです。
Luciaさんには現代の聖堂でいろいろご不便があるかとは思いますが、
誰もLuciaさんができないことを強いてはいません。Luciaさんの場合は
伊太利亜にいらした時にならできることをなさればよろしいのではないでしょうか?
伊太利亜ではほとんどの聖堂がまだ祭壇に対面のベンチシートを
維持されていました。が、ヴァチカン直轄大聖堂の場合、観光用に普段は
椅子を片付けるので事情が違います。ベンチ席を取るのに必死に
なるのも私には「?」だったりします。
Commented by Lucia at 2009-09-16 08:45 x
はい、お蔭様で私は自分でできることしかしない人間なので、その点では苦情はありません。普通の椅子だと体に合わないので、座っていられないから、ミサには車椅子で与り、神父様のお姿が見えるところに、他の方の邪魔にならないように静かに移動したりもしています。聖堂内の冷暖房も強すぎれば、玄関間に出てミサに与っています。

昔は、昔は、と言うのはいけないのでしょうが、ローマの聖ピエトロ大聖堂でも、中央廊にはベンチが常に置かれていたのですが、何時からか「聖体顕示礼拝堂」の中と、囲いがあって常時入ることができないアプシス近くにしかベンチが置かれなくなりましたね。
祝日ミサがあるときにはその中央廊にはベンチが置かれるので、常時はどこに片づけているのかな~と不思議に思いました。しかもベンチがないために大聖堂内は屋根付き広場のような印象を与えるのか、観光客はそこを走りまわり、本来座るべきでないところに座りこんでいます。
一方ミラノ大聖堂では、中央廊は常に祈る人のためにベンチが置かれてあり、観光客は邪魔しないように聖堂内を移動することになっています。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-16 21:21
◎ Luciaさま、
ベンチを出さなくなったのは心無い観光客が聖堂にふさわしくない内容の
彫り物をするからではありませんか?
それについてもベンチの出し入れのための労働力がある聖堂は恵まれています。
ヴァチカンの国庫は仏蘭西の中規模クラスの一都市とほぼ同じだそう
ですから、四旬節に世界中からの寄付が集められても、大聖堂や
飛び地の聖堂などの維持費には満たないので、その点はヴァチカンの
判断に同情申し上げます。とは言え、聖体顕示の小聖堂や他の小聖堂の
椅子は常にフィックスで、網縄のフェンスも置かれ、職員もいらっしゃるので
祈りの場は保たれていると思います。

異教徒の方々については私もいろいろ悪さを聞いていますが、イスラーム
のように裁いたらカトリックではなくなってしまいますし、「タブーと知っている
自分ならば誰に誘われてもしない」がカトリックの基本だと思います。
ドメニコ・サヴィオができたんだから、私たちにもできるでしょう。
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