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耳を信じて、目を疑う。
第26回を迎えた、ぢょるね・でゅ・ぱとりもわあぬ Journées du patrimoine 、文化遺産探訪デーの二日目。午前中に聞いた情報を頼りに、午後、現場に参りました。目で見ないと、手で触ってみないと、信じられないので。
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聖職者の衣装展示会。
昨日、手にしたガイドブックには掲載されていませんでした。
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へぇえええ、

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ほぉおおお、


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はぁあああ、


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へぇえええ


聖であれ、俗であれ、関係者各位におかれましては目で見ればわかるようになっております。カトリックにおいて「妄想を防ぐ」という伝統でありまする。言葉でいくら説明しても聞き手によって脳内で広げるイメージが異なってしまうからです。
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ヘブライ語で何と書いてあるのでしょう?


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こちらは上に比べれば初級でしょうか。キリスト教世界におけるギリシャ語のアルファ、オメガについては耶蘇宣教校の高校一年か二年くらいの授業で学べますね。

さて、司祭の典礼装束についての説明書きには、
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Le code des cinq couleurs liturgiques se voit constitué en autorité par l'article XVIII des Rubricae generales du Missel Roman de 1570.
典礼における五色についての法規は1570年ローマ典礼書の(朱文字)一般題目の第十八項で定められています。
とあり、この文章の後ろには現在もこの決まりは教会法で定められ生かされている、と締め括られています。説明書きの冒頭を見ると、この祭服の形は紀元三世紀頃に生まれ、カロリング朝時代にひとつの形として定められたとあります。そして、9世紀に聖具の聖別が行われた記録が残っているのだそうです。祭服にも用いられる典礼の五色(白、緑、赤、紫、黒)が習慣になったのも9~10世紀で、文字としてはじめて定められたのが1570年でした。

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Me voici. 私はここにおります。

Σ( ̄△ ̄; あんまり関係ないか。


le 21 septembre 2009, Matthieu
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by ma_cocotte | 2009-09-21 20:15 | 『?』なKTOりっくん | Comments(12)
Commented by やよい at 2009-09-22 07:49 x
眼福、眼福。
見事なものですね。
カッパやカズラと言われる類いのものですね。(多分)
刺繍でしょうか?それとも織物でしょうか?

昔 教育関係者が「服装の乱れは心の乱れ」なんていっていましたが
このような聖服を身にまとい、お聖堂に聖職者たちが現れたら、
....言いますまい、愚痴になるから。

拝見していたら、献香の香りが 頭に浮かんできましたよ。
我が教区では、献香というと 葬式のときだけだっていいますものね。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-22 15:53
◎ やよいさま、
箪笥の中から選んだ数点に過ぎないと説明されたマダムがおっしゃってました。
織物と刺繍によるものですが、本物の金糸、銀糸を用いていることも
ポイントだそうです。展示品の中にはダルマチカもありました。

時代が変わり、品物の価値も質も変わり、手もお金も足りないので、
世界中の信者の献金でこの装束と同様の価値の物をどれほど作れるかは
想像が簡単につきます。貴重品ですから箪笥に置いたままにせず美術館や
古文書館に預けた方が最良の状態で保存が可能だったりします。
ヴァチカンを筆頭にカトリック教会生活文化遺産の「維持」がカトリック世界
における一番の課題だと思います。

この展示があった教会ですが午前中のごミサの献香の香りが聖堂内に
残っていました。抹香もお高いですから使い果たしたところで買い足せない
教会もあるかと思います。世間は何事もお金なんですよね、はい。
Commented by anbai at 2009-09-23 00:33 x
多少でも手芸している一人として、この一つ一つがどれだけの技術と手間をかけて作られたかを思います。そういった意味でも、見せて頂いた展示は大変貴重なものですね。(TдT) アリガトウ

産業革命以降、刺繍やレースが安価になって一般庶民にも手が届くようになりました。その一方で、手仕事の技術が廃れました。多くが教会発祥だったものばかりです。なのに、その技術で誰も食べて行けないから、趣味の世界にしか残れない。レースなど、女性下着への転用などが話題になりましたが、教会関係者が複雑な思いでも技術者にも生活がありますし。(ニードルレースのヴェール一枚にしても、ビンテージのものが時折オークションに出ます。しかし、コンディションに関わらずお安いものではありません。これ、悲しい現実だなあ、と思うところです)
現在、これを復元・また同レベルのものを製作するに、その技術をもっている人がどれだけ残っているか。また、一針一針を信仰をもって出来るだけの人がその中にどれだけいるか?そこを考えると厳しい現状があるかな、と。機械モノで表現できないモノはほぼ無くなったらしいですから、材料がそろえばいいだけなのかも知れませんが。
Commented by Sarah at 2009-09-23 17:22 x
ma_cocotteさま、シャローム!

John 19:19 の "The King Of The Jews Crucified" ですね。
ヘブライ語で Nichna'a beTsulav Melekh haYehudiimと書いてあるようです。
前の2語がはっきり見えませんが(老眼のせいかも?−笑)、後の2語の『メレフ・ハイェフディーム』ははっきり読めます。
ローマ帝国ユダヤ属州ピラト総督が十字架の上に掲げたものですね。
最近死海文書に関する研究の数々を読み聴きしています。
コーヘン(ユダヤ祭司)たちはモシェ・アハロンからずっとお子達が継いでいるものですが、ローマ帝国がユダヤ教を圧迫しヘレニズム化を始めた時点で、ローマ帝国に任命された(ユダヤの教えから離れて)コーヘンが立ち始めています。
Commented by Sarah at 2009-09-23 17:23 x
暦もギリシャ暦に変え、ヘレニズムの衣(支配)を着たユダヤに変えようという試み。ユダヤを完全ヘレニズム・ギリシャ化する動き。ヘレニズム・ギリシャ化されたユダヤやコーヘン。
実際のユダヤのコーヘン達、エレツ・イスラエルのヘブライ・ユダヤやコーヘンは追いやられています。危機を感じたヘレニズム化してないユダヤのコーヘンたちは、クムランの洞窟に数々の巻物を隠し納めています。930の巻物が見つかったそうです。
そのような背景、ヘレニズムの文化習慣的侵攻が様々な歴史的分岐点を作って行ったのでしょう。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-23 22:35
◎ anbai さま、他の祭服の写真もいずれ掲載したいと考えています。
これら古き良き時代の装束ですが、第一印象はゴージャスです。
布地、糸、石、金具の良質さはもちろん、手仕事のすばらしさなど
ため息ばかりです。現在もヴァチカンの中では修道者方のアトリエが
手工芸でも工芸でも多々ありますが、徹底政教分離と資本主義でお金
第一のこの世の中では、上の祭服一着を願うにしてもまずはお金の計算
をせねばならないのが現実ですものね。美しい文化「だけ」で希望を
語れない時代なのだと痛切に感じもしました。

労力と人件費という現実問題に重点を置いてしまうと、文化が廃れて
いくというのも何とも口惜しゅうございますです。このような「ひとつ」を
これからも生み出せるようにするにはどうしたらいいのでしょうね。
ナントカしたいです。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-23 22:39
◎ Sarah さま、
十字架上の標記ではしばしばヘブライ文字の頭文字のみの木彫などを
見つけることがありますが、この祭服のような全文はあまり見たことが
ありません。

後世になってローマとギリシャは分かれるのに不思議なものですね。
Commented by anbai at 2009-09-24 12:59 x
> 他の祭服の写真もいずれ掲載したいと考えています。

是非にお願いしますです。いやはやこれだけの手仕事というのは、なかなかお目に書かれるもんじゃないですから。スポ根じゃないですが、「血と涙と汗すべて捧ぐ!」みたいなものを感じます。

> このような「ひとつ」をこれからも生み出せるようにするには

廃れて行く技術がある一方で、生まれている新しい素材や加工技術も柔軟に取り入れることが出来ると良いですね。祭服としての美しさもそうですが、(ビジネス・スーツじゃないけど)軽量化やケアがしやすいものであることも重要かと。そこを考慮しながら素材・加工技術を選択する必要があるのだと思います。それをしないで、形だけを残すのでは意味が無い。
服飾文化史上でもこれまですごい役割を占めてきたのが教会で、まず展示の機会を持ち続けるのがいいのかも知れませんね。常設展示の場所があってもいいくらいには思います。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-24 17:15
◎ anbai さま、
私は裁縫に疎いですが、以前もルイ・ド・モンフォールの遺品を拝見した際、
スータンの織りに目が覚める思いをしました。裾のまつり方もそう。織り機
もまるで違う時代だから何もかも違うのです。知る喜びでした。

昔の祭服については、香部屋にお入りになれる立場の方々から「臭い」と
聞いたこともあれば、腋下が空いているので夏でも意外に涼しいと聞いた
こともあります。
クリーニングもない時代にどう維持したのか、想像もつきませんが。
私の母校は昭和30年代まで修道女方が全生徒の制服と制帽を修道院で
作っていたそうです。

現代の繊維技術で、ドレープの美しい祭服や修道女服を拝見すると
眼福でありますね。昨年10月6日にチマッティ神父さまのご命日ミサに
参りましたが、管区長さまが片面がドンボスコのお顔、もう片面が扶助者
聖母のカズラをお召しで、笑っちゃいけないけど笑っちゃいました。
ありゃ、泣く子を黙らせるほどのインパクトがある。(爆笑

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-24 17:16
◎ 現在の我が地元ですが、博物館に祭服と聖具が常設展示されています。
古文書館にも祭服のための最良の遮光と湿度に耐火設備万全の場所に
数十着の旧祭服が保存されていました。
日本も各教会が提供して展示会を開けばよろしいのに、と思います。
Commented by anbai at 2009-09-25 18:50 x
レースは、布の端をまつる技術が進化し分化したものだそうです。
刺繍レースとかそれ自体が織物と言えるものにまで行ったせいか、
その歴史をイメージするのは私には大変ですけど…

以前頂いたベネディクトのロザリオを神父さまに祝別して頂いたとき、
「ベネディクトはヨーロッパの文化を守った人」と神父さまは何度も仰って、
愛おしげに眺めておられました。一つのおメダイのなかに詰まった歴史は
あまりにも壮大だなあ、と思ったものでした。
それを思うと、一つの祭服のなかにどれだけ凄いものが詰まっているか。
正しくその価値が理解され、大切にされることを願っています。
Commented by ma_cocotte at 2009-09-26 00:47
◎ anbai さま、
ここ二回の旅行で、二回とも修道院に泊まりましたが、受付のシスターが
いずれもずっと手作業でレースを編んでおり、ローマでは宿舎の入口で
販売していました。
私が通っていた学校もバザーのたびに教職以外のシスター方の手工芸品を
販売していました。それがロザリオ入れや聖歌集カバーだけでなく、
私たちのためのお弁当バッグやお座布団などいろいろ。

先日、この展示を見に行った時、説明してくださった方は役所の文化
担当の方でしたが、例えば子羊の刺繍ひとつとっても全てに意味が
あるのだそうです。知れば知るほど深い世界だと思いました。
キリスト教文化は欧州土着の文化とユダヤ、ギリシャ文化の融合によって
生まれ、例えば聖ヒラリオが東方から持ち帰った聖歌歌唱とニケア信条を
ベネディクト会が受け入れてくれなかったら今の典礼もまったく違う形に
なっていたかも?と。
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