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心の、眼の、福の心の
2009年10月18日午前、ヴぁちかんは聖ピエトロ大聖堂内の Très-Saint Sacrement ← どう日本語訳するのが適当でしょうか? 祭壇にて。




dans la basilique Saint-Pierre, à l’autel du Très-Saint Sacrement


司式司祭はエイメリカはミズゥリ州セントルイス大司教 レイモン・レオ・ブァアク Raymond Leo Burke 枢機卿さまです。そう、今年7月2日、イタリアはフィレンツェのサンティ・ミケエレ・エ・ガエタアノ教会 Chiesa dei Santi Michele e Gaetano で 日本人神学生に叙階の按手をされた枢機卿 さまです。

さて、つい40年前まで遍く世界でささげられていたこのミサの形は日本國ではトリエント・ミサという名称で知られているようですが、仏蘭西ではピ・サンク Pie V (ピオV世)と呼ばれていることが多ございました。「-ございました」と過去形になるのは、最近になって教皇ブノワ・セーズ Benoît XVI (ベネディクト十六世)がこのピオV世ミサを「ヨハネ二十三世ミサ」と表現されることが目立ち始めたので、仏蘭西もソレに倣い、まず司祭方におかれましては世俗がピ・サンクの話題を出しますと「ああ、ぢゃん・ヴぁんとわ Jean XXIII ですね。」と返答することが増えております。こちらがなんのこっちゃかわからずにポカンとした顔をすると、その表情をご覧になった神父さまが「古い形のミサとは言え、1962年に当時の教皇ヨハネ23世が制定された典礼ですから、ぢゃんヴぁんとわ le missel de Jean XXIII です」といっそう詳しく教えてくださいます。そこから先の、まるで一休さんと和尚さんのような問答は各自のセンス次第ですし、ボケと突っ込みももちろん聖俗双方のセンスです。

ええ、ええ、もちろん背面ミサ典礼を le missel de Jean XXIII 、略して「ぢゃん・ヴぁんとわ」とお口から出すことについて世間では賛否両論やら激論やら。中には一方的に、問答無用の
ぴ 否、 ぴ 否、 ぴ 否
しかおっさらない方々もおります。
仏蘭西国内で ぴ を連続で連呼しますと、ぴぴ pipi (幼児語の「おしょうすい」)と勘違いされてご不浄に導かれてしまいますので気をつけましょう。
呼称がピ・サンクだろうがヂャン・ヴァントワだろうが、背面のミサであれノブスオルド(聖俗対面)のポルシス Paul VI (パウロ六世)ミサだとしても、問題は儀式の形骸化にあり、どの典礼の形であっても、その場に集う者全員が心をこめて神を仰ぎ賛美と感謝を捧げなくっちゃね。

le 24 octobre 2009, Florentin
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by ma_cocotte | 2009-10-24 04:59 | 『?』なKTOりっくん | Comments(4)
Commented by ma_cocotte at 2009-10-25 00:54
+ berucci-pete さま、感謝。
貴コメントを拝読し、手元の聖歌集を見たところ聖歌255番でしょうか?

1962ミサについて、ピサンクからヂャンヴァントワという呼称への移行期に
あるみたいです。ポルシスはポルシスのままですね。今さっきまで
トラディショナリストの方とおしゃべりしたんですが、やはりカト雑談においては
「ソワサントユイット」も重要な鍵語ですね。

なんとかならんか、68。
Commented by ma_cocotte at 2009-10-26 16:43
+ berucci-pete さま、

ソワサントユイット 68 は学生革命の年です。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Mai_68

仏蘭西カトリックの世界の中だと68世代の聖俗信者をどう捉えるかで
かなりはっきりとした二分が見られます。私個人にとりましては、仏蘭西
カトリックの68世代はカタストロフに値します。

私も答唱詩篇だけファイルをまず作り、楽譜のコピーをいただくたびに
自分で答唱詩篇聖歌集を作り、朝晩の聖歌は黒革でした。イントロだけで
今も番号がひらめく聖歌もあります。
90年代で侍者服が赤スータンに白スルプリだとすると修道会管轄教会
でしょうか?私の母校は今も聖母祭は赤スータンの白スルプリ、初聖体
前の男児は水兵の格好になります。女児は天使の格好です。かわいいですよ。

Commented by ma_cocotte at 2009-10-27 01:37
+ berucci-pete さま、
日本を中心にすれば第二次大戦が終戦でも、仏蘭西ではその後のアル
ジェリア独立戦争を無視できないし、ライシテの件も1905年が強調される
けれど、政教分離の決定打は68、サルトル&ド・ボーヴォワルの恋愛
関係、シモーヌ・ヴェイユ女史による堕胎関連法の動きまで見ないと真相
が掴みきれないのではないでしょうか。
左派のわざとらしいほどのカトリック無知そぶりや、カトリックと聞いた
だけでリストが最後尾に持っていかれるような扱いは仏蘭西でも目立って
いると思います。
先週、カトリックの中道右の家庭を訪問する機会が私にあり、世俗経営の
「名ばかりカトリック校」の内情のひどさも多分に聞いてしまい、ちょっと
深い思考の中にいる状態です。
白の侍者服は1980年代当時、既に麹町の侍者が身につけていました。
暁星もそうだったかも。それこそ68移行の仏蘭西発祥の侍者服かもしれ
ません。侍者の首の十字架の紐の色で侍者の階級みたいなものがある
らしいです。私個人は侍者は赤、先唱者は黒、両者白スルプリ、靴は革靴、
髪の毛七三が理想です。当然、男子のみ。
Commented by ma_cocotte at 2009-10-27 05:22
+ berucci-pete さま
私は黒スータンに白いスルプリですとどうも先唱者のイメージが濃いです。
母校の侍者の赤スータンは聖堂内ではなく学園内の聖母行列で見た
だけなので慶弔については「その外」になりますね。パテナを今も用いられる
とは日本国内でも珍しいのではないでしょうか。
バーク枢機卿さまは現在もセントルイス大司教の位のままヴァチカンでの
使命に務められているかと思います。
http://www.archstl.org/index.php?option=com_content&task=view&id=87&Itemid=64
現在、セントルイスにいらっしゃる大司教さまはこちらですね。
http://www.archstl.org/index.php?option=com_content&task=view&id=833&Itemid=245

ところで、バーク枢機卿さまですが司教任命の按手のうち、お二人が
後のパウロ六世と、後のヂョヴァンニ・パオロ二世だったのですね。

http://www.catholic-hierarchy.org/bishop/bburke.html
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