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無、否、非 む、ひ、ひ
角川漢和辞典より。
【無】 ①ない。存在しない。ないがしろにする。②なかれ。禁止を表わす。
【否】 ①いな。承認しない。不承知。打ち消しを表わす。②・・・か・・・でないか。そうでないこと。反対を表わす。
【非】 ①そむく。正しいことにはずれる。②そしる。せめる。悪口を言う。③よくない。不幸である。

*「否と非」の使い分け*
 【否】それと同じ考えではない。
 【非】正しくない。そうではない。
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ふぅううん。以上の「無、否、非」を「神論」にあて、無神論、否神論、非神論とする。
無神論:神は存在しない。神なんて地べたに踏み潰せる。
否神論:神を認めない。神を(自分の意で)打ち消す。
非神論:神は不幸である。神に背を向ける。神のお母さんなんかデベソだ。
ですかねぃ。そうだとすると、非神論者は神を否定してはいないから地獄に堕ちないけれど、否神論者は地獄直行。そして、無神論者は50/50で、神は存在しないと信じる者は地獄に行き、神の存在を認めても地べたに神を押し付け踏みにじる者は地獄には堕ちはしないけれどいずれ天に行けるとなりましょうか。しばしば見聞する病棟で死期を悟った共産主義者がいきなり「神父、呼べぇええええ!」と病人とは思えぬ赤ん坊の初泣きのような大きな声をあげた場合、この患者は回心した無神論者となるのでしょうか。
昨年だったかココんちの近所の80歳を過ぎた爺っつぁまが突然、地元の教会を訪問し「堅信を受けたい」と申し出たそうです。彼は幼児洗礼だったけれどそれきりで、人生のほとんどは限りなくコミュニストだったそう。だけど、難しいことではなく、或る日ふと「死ぬ前に堅信を受けたい」と心が欲したそうです。この老ムッシュウはかつて無神論者か非神論者だったことになるのかも。死の瞬時まで誰の心にも回心はある、あきらめてはならんぞ。___φ( ̄^ ̄ )

さてさて、お仏蘭西。
この半月、共和国民なら誰もが見れる地上波放送局のニュウスにおいて、誰もが立ち寄るキヲスクで販売している有名全国紙において、連日「宗教ネタ」が続いています。それもイスラームだけでなくキリスト教も鍵語のひとつ。

一番賑わしているネタは共和国内ではなく、隣国イタリアにおける話題であります。先日11月3日、欧州連合の人権法廷がイタリア国内の公立校から十字架を外すよう判決を下しました。この訴訟、実は21世紀に入る直前、イタリアは聖アントーニオや州都ヴェネツィアで知られるパドヴァ州で、マッシモ・アルベルタン Massimo Albertin という医師と彼のフィンランド出身の妻 Soile Lautsi (← どう発音するのでしょう?)が愛息が通う学校相手に十字架を外すよう頼んだところ学校側から断られたことで政教分離に反すると裁判に出たことに端を発し、2006年にイタリア国内で学校側の拒否を認めた判決が下されたことを期に、闘いの舞台はイタリアから飛び出てEUの人権法廷にまで移動したことになります。イタリア国籍とは言えイタリアらしからぬ苗字の男性は超お金持ぃ♪だけれど、もちろん支援者あっての闘争ショウなんであって、この国境を越えた夫妻は二人とも membres de l’Union des athées et agnostiques rationalistes, すなわち「無神論者、不可知論者、合理主義者連盟会員」であり、この共通項の中にある方々が支援していたことになります。同じ大陸、欧州連合の中とは言え、欧州連合人権法廷の判決はこの夫妻の勝訴となり、理由はイタリアが70年前に政教分離宣言しているにも関わらず、十字架の習慣を温存していることで他の宗教信仰者や無神論者を傷つけてきたからだそうです。

ところが、11月3日にこの判決が下されてから、イタリア国民にアンケートを取ったところ、84%のイタリア国民は公立校の教室に十字架、正確には le crucifix でカトリック固有の磔十字を掲げることに賛成と表明しているのだそうです。つまり、いくらEUの人権法廷で伊太利亜&芬蘭カップルが勝訴したところで、イタリア本国の84%にしてみれば納得行かないことであり、イタリア政府から5000ユーロがこの夫妻に支払われたところで、彼らはイタリア国内では少数派の立場であることに変わりないのです。なんでもこのご夫妻、磔十字を目にしてしまった時だけでなくイタリア人がサッカーをする際に十字架を切ることでもムカつくらしく、磔十字は自分たちの信念に基づいた子供への教育の妨げになると法廷で強調したんですね。
だとしたら、イタリアの生活文化である磔十字を見たくないなら、奥さんの母国にでも引越せばいいのにね。フィンランドはルーテル派でしょが?磔十字は認められてないぞ。しかも、調べてみたらこのご夫妻がダシにしていた、あ、いえ、ご自分たちの信念のみで脳を洗浄して育てたお子様方がこちら ↓ あっちゃー。
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© Diario Público

長男のDataico は21歳で工学部学生、次男19歳のSami はイタリアのシアンス・ポリティック予科生とか。なんか写真を拝見する限り、ご家庭から醸し出される雰囲気は限りなくアダムス・ファミリィで、お父様など両犬歯が妙におとんがりあそばしているのでわわわ。
いずれにせよ、訴訟開始当時は未成年者だった夫妻の愛息二人も18歳を過ぎてしまったのだから、今後の人生、磔十字を認めるのも踏みつけるのも本人次第でしょう。それこそ、死ぬ間際に「司祭を呼べぇえええ!」と叫ぶかもしれません。そんなことは Only God knows だがね。


なんつうか、久しぶりにこの手のニュウスが表に出たことで数年前の共和国内でのイスラーム女子のスカーフ着用論争を思い起こしたりもしました。騒ぎの発端になった姉妹の父親はアシュケナジユダヤんのヒダリ巻き切れですからして。マグレブ系の妻を娶ったのもその思想ゆえ。当初、イスラームのために女子生徒が共和国政府の犠牲になったかのような美談だったけれど、裏事情がわかるなりイスラームだってアンタッチャボーになりました。

更に時間を遡っての話では、第二次大戦終了後から仏蘭西に帰還したユダヤ系の人々の中に、カトリック教会の礼拝の様子を見るだけで、外に漏れてくる典礼文やらオルガンの音だけで心身の調子が悪くなるという訴えを続けた方々がおり、その訴え先も裁判所やら警察やら教会やら。裁判所に訴えた場合はユダヤ系が勝つ例もあったそうで、それは第二ヴァチカン公会議終了まで続いたのだとか。例の旧典礼の復活の噂が7月7日より数ヶ月前に世俗に流れた段階で、仏蘭西のマスコミが戦後から1970年頃までのほとぼりがようやく冷めたからという理由が流れたのもわからなくもありません。

とは言え、イタリアの例にしろ、フランス共和国内の諸例にしろ、心身がおかしくなるほど、身の毛がよだつほど目に見えるものを毛嫌いするという感覚。実は偶像に惑わされてませんかね?いくら目の前から事物を消したり、自分の両耳に耳栓を隙間無くしっかり装着したところで、世の中の真実はなんら変わらないのに。

勝訴した夫妻の心の苦痛を和らげるために、イタリア国内に住む84%の国民が生活習慣を変えてあげるのですかね?このご夫妻、いったいナニサマなんだろう?若いモンの言葉を借りるなら、「巣に帰れ」はこのお二人に向けられるし、ご夫妻の現世のパラダイスはイタリアではないことがはっきりしたのではないでしょうか。お二人にとって仏蘭西の方が現世天国に近いのでわ。お二人の思想なら「死んだらおしまい」なんだからいつまでも地獄のイタリアにいるこたないのに。結局、地獄イタリアの湯加減が心地いいンぢゃないのかな。最低。
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le 9 novembre 2009, Dédicace de la Basilique du Latran

上のネタほどではないにせよ、ちょとだけ共和国内を賑わした話題は南仏マルセイユに大モスクが建設されることが決定したことです。イスラームとして生きる全ての共和国民のためだそうだけれど、ほぼ絶対間違いなく縄張り争いが始まる、にウルトラスーパーひとしくん。
ε= (´∞` ) Bof
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by ma_cocotte | 2009-11-09 19:19 | 『?』なオイロッパ | Comments(0)
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