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偏見という名の脇道に迷い込む前に、
ココんところで二度、ライシテ laïcité と教育や病院など公共施設 の問題、ライシテと慰霊 の問題について触れたので、更にライシテがらみの仏蘭西での生活事情について触れ、そこから先はそこはかとなく深刻な脇道に脱線してみようと思います。
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まずは、結婚 Le mariage についてであります。
仏蘭西共和国における結婚は「市民婚 le mariage civil」と「宗教婚 le mariage religieux 」にはっきり分かれており、どちらか一方を挙げただけで二つを包括することはできません。わかりやすく説明すれば、前者は「公」だから共和国内に住む男女が夫婦と名乗るには必須、後者は「私」だから個人の自由、必ずしも挙げなくてよい儀式です。
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市民婚は新郎新婦どちらかが規定された月数を居住した市町村役場の婚姻の間 ↑ において、マリアンヌと呼ばれる女神像の前で、市町村長職の司式で挙げられ、その儀式の中で読み上げられる婚姻に関する仏蘭西共和国憲法に新郎新婦は宣誓せねばなりません。儀式の最後に宣誓書に新郎新婦と双方の証人、そして司式した市町村長のサインをもって婚姻が共和国に認められます。市民婚直後の数ヶ月の間に免許証や通帳、電力・水道請求など役所発行の証明書を提出して名義変更を行うと無料になることが多いです。
一方、宗教婚は個人が信仰する宗教施設で、その宗教の決まりに従って挙げられます。かつて仏蘭西の国教であったカトリックを例に挙げると、原則として待降節と四旬節の期間中を除く土曜日に、教会聖堂において、カトリックの祭壇の前で、カトリック司祭の司式で挙げられなければなりません。司祭の按手をもって祝福された男女は教会聖堂での挙式後、カトリック教会に婚姻を認められることになります。この挙式の証明を役所に提出したところで、仏蘭西共和国にはなんら認めてもらえないので、政府からの恩恵はありません。故に、市民婚はカトリック教会の婚姻の条件をまったく満たしていないので、もし教会で挙式しないまま市民婚のみで男女が夫婦生活に入った場合、婚前同棲の罪にあたるため、カトリック教会であげられるミサにおいての聖体拝領が禁じられます。ついでにカトリック信者の仏蘭西びとが異教徒である異性と婚姻する場合は、信者同士の婚姻と同様に婚姻前に結婚準備講座に通い、挙式においては誓約婚ではないので必ずしも司祭ではなく、永久助祭が挙げることもあります。仏蘭西のカトリック教会の場合、信者同士の婚姻の際は男女双方が自筆で司教宛に誓約書を書き、指導司祭に提出する義務があります。

====== 十 ======

以上、仏蘭西共和国においては日本國のように男女が結婚を欲し婚姻届という名の一枚の用紙を役所に提出すれば婚姻が成立することはなく、必ず役所で正味30分ほどの婚姻の儀式にあずからねばなりません(ただし、Pacte civil de solidarité (PACS、連帯市民契約) を覗く)。原則として土曜日にしか市民婚は行われないために、早いうちに役所に挙式日時を予約せねばならず、その際に提出する書類もかなりあります。中でも慣習証明という仏蘭西の伝統に則った書類は、自分が「清らかな成人である」と世間に認めてもらうために必要な書類で、婚姻の少し前から役所の掲示板に氏名も明らかに貼り出され、それを読んだ市民は婚姻に異議を唱える権利があります。重婚などの予防だそうですが。
例えば私のようなガイジン、しかもEU国以外の国籍を持つ外国人が仏蘭西共和国民と市民婚を挙げた後、長期滞在許可証の条件を配偶者に変更することができますが、その書類は県庁に提出し、場合によっては地元の共和国警察署において担当官との面談が必要となります。いくら役所や警察に教会やシナゴーグ、モスクで婚姻した証明書を持参しても長期滞在許可証の身分を書き換えることはできません。ところが、警察での面談において婚姻の種類を質問されるのも常という不思議があります。しかも、その婚姻の形がしっかりコンピュータに記録されます。仏蘭西はライシテの国なのに。

====== 十 ======

そして、もうひとつ。
共和国内の役所で婚姻する男女の義務は健康診断を受け、その書類を役所に提出しなければなりません。その健康診断の中にはエイズ検査も含まれています。自分は純潔だからと言う理由でエイズ検査を拒むことはできません。

で、エイズ AIDS 。仏蘭西語ではシダ SIDA と呼ばれていますが、もし市民婚を決めた男女が健康診断を受け、どちらかが、または双方がエイズ検査で陽性が出たとしても、仏蘭西共和国内において役所も、カトリック教会も二人の婚姻を無効にはしません。役所の場合、彼らの主治医や専門医が連携しての治療援助をし、教会は心のケアの一端を担うことになります。互いの愛情をわかりあって婚姻を決めた男女を、エイズという病を理由に引き裂くようなことはしません。
愛を病が分かつことができるでしょうか?
不治の病を愛が治すことはあっても。
しかも、病を理由に挙げて、他人が、愛する二人を分かつなんてことは権力がある者や自己の健常や貞潔を過信している者による傲慢な行いになります。

いずれにせよ、仏蘭西においてエイズは俗世間においても、宗教世界においても忌み嫌われている病ではありません。そもそもキリスト教には輪廻転生や因果応報という概念がないこともあり、発症理由を先祖のせいにしたり、発症もしていない子々孫々を疑わせたりする発想が仏蘭西には通用し難いので、聖においても俗においてもSIDA (=エイズ)は単純に「現在、治療が難しい難病」に過ぎません。世界中の人間が善意をもって治療法と治療薬をこの難病で苦しむ人々のために探し続けるのです。

====== 十 ======

と、こ、ろ、が、です。
ここ数年、電脳域の、それも日本語環境において「我こそは本物のカトリックである」と名乗る方々(← 国籍は電脳域なので不明としよう。)が、ご自分の考えと異なる人々に対し、この人々はエイズ菌に冒されており、いずれ地獄に堕ちるとまで日本語の文字で表わしています。エイズ AIDS という現代の難病名を自分が相容れない他人を蔑むために利用しているように私には見えますが、このような考えを日本國内のカトリックで本当に教えているのでしょうか?仏蘭西のカトリックとはまったく異なる考えです。おそらくイタリアや米国など欧米諸国のカトリックとも、アフリカ大陸各国のカトリックとも異なる考えです。たとえ或るヒトがエイズを発症したとしても、その方の魂が善であるならば地獄に堕ちるなんてことはないと考えるのが私個人が知っているカトリックであり、今年三月に私がロオマ巡礼した際も教皇さまからエイズ対策活動を依頼されている世俗団体サンテヂディオ la Communauté de Sant'Egidio の創立メンバーのひとりである責任者が同様のことをおっしゃっていました。日本語で自らカトリック信者と名乗る者が送信しつづけているエイズ蔑視発言とはまったく逆と思われますが、どちらが真実?...なんて、教皇さまにつながるサンテヂディオに決まってンでしょうが。

電脳域とはいえ、あまりのエイズ偏見がカトリックの名を絡めて日本語で流れているので調べてみたところ、日本国内にも存在する一見キリスト教のようでキリスト教ではない或る新興団体において、成年信者のための集団結婚をさせる際、候補者全員にエイズ検査を行っており、団体で最もエラいヒトがその結果を見て結婚相手を選択するのだから誰もが安心して結婚できるのだそうです。つまり、エイズ陽性の男女は「省かれる」のです。だから見ず知らずの結婚相手でも「安心」なんですと。この団体ではエイズは純潔を守らないから発症する病気と教えているそうで、時に輪廻転生やら因果応報まで絡めて蔑視かつ忌み嫌うとか。

「キリスト教」という単語を用いるにしても、エイズという難病の捉え方がこの新興団体とカトリックでは正反対。ところが、電脳域の日本語環境では I'm Catholic と名乗りながらも、実はカトリックではない団体の思想をまるでカトリックの常識のごとく流している人間が世界のどこかにいることになります。日本國がカトリックマイノリティの宣教国であり、おまけに日本語が世界において孤立した島国言語だからこんな大嘘を無責任に流布できるんですかねぃ?世界のマジョリティ言語でカトリックの名を出してこんな愚論を流したら、数秒後に反論がちゅどーんです。

さて、「純潔」という言葉ひとつを取っても、カトリック世界においては聖母=純潔として殊更に重んじられる鍵語ではありますが、同じ「純潔」という漢字と発音であっても、カトリック以外の日本語環境ではその中身がまるで違い、例えば前出の日本国内で活躍する某新興団体においてはこの団体で一番エラいヒトの許可無く性交しないことがイコール「純潔」で、このエラいヒトが命じた相手とのみ交われば純潔は保たれるのだそうです。Σ( ̄△ ̄; 
一方、カトリック世界における「純潔」は無原罪である聖母の生き方に倣うことでありますが、それは決して聖母の処女懐胎をさすのではなく、受胎告知における聖母のように真理を純粋かつ誠実に受け入れ、(神から与えられた)使命を実践する生活態度の積み重ねを生涯続けることを指します。原罪を持つ人間が聖母のごとく無原罪にはなれませんが、魂が肉体を離れる瞬間まで魂をできるだけ聖母のこころに近付ける努力を怠らないことを指します。ゆえにたとえどんな難病に肉体が蝕まれても、天を疑わない人間ならば誰もが平らに等しく、各々の魂を育てる仕事が課せられており、いずれ天に帰れるのです。肉体はいずれ塵に戻るものだから、難病に発症したという理由では決して地獄に堕ちないよ。自分が気に入らない他人にエイズという単語を用いて恐怖に陥れたりするのは、いっくらカトリックと名乗ってはいてもカトリックらしからぬ言動だと思われます。

電脳の世界とは言え、カトリックの名をみだりに軽々しく出しつつ、読者の心に疑いの種を蒔き、善良な人々を薄暗い脇道に引き摺ろうとする日本語の文章にはくれぐれも気をつけましょう。

le 15 novembre 2009, Albert

かつてペニシリンが発見されたように、エイズ治療のための最良最善の医療と薬物が一日も早く見つかりますように。以下は教皇さまもしばしばお言葉に出されるカトリック世俗団体サンテヂディオ Sant'egidio のエイズ問題専門ホームページの英語版です。
http://dream.santegidio.org/homep.asp?Curlang=EN
タイトルは DREAM 、英文和訳ならば「夢」ですが、Drug Resource Enhancement against AIDS and Malnutrition の略称です。主にエイズと栄養失調のための薬剤(資材)開発促進運動です。
日本國内ではカリタスジャパンがカトリック精神の下、エイズ問題に取り組んでいます。
カリタス・ジャパン エイズ啓発活動
http://www.caritas.jp/caritas_japan/caritas_japan05.html
偏見のない、善の目を養いましょう。
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by ma_cocotte | 2009-11-15 21:22 | 『?』なたわ言 | Comments(15)
Commented by berucci-pete at 2009-11-16 15:20 x
フランスでは市民婚を済ませてからでないと宗教婚の儀式を受けられないと法律で定められていると知ったのはそんなに昔のことではありません。日本なら宗教婚だけで、民法上の婚姻届を出さず世間的には同棲、ということも可能でしょうに。

ファティマの聖母が「肉欲の罪が最も人を地獄に落とす」(表現は違ったかもしれませんが)と仰ったそうですが、仮に奔放な生活を送ったためにエイズに罹患した人がいたとしても、それを「人が裁く」のはやはりどうかと思います。地獄に堕ちるかどうかの判断は神の領域でしょうよ。
エイズ患者の守護聖人は幼きイエズスの聖テレジアですね。この病が根絶されるように彼女の取り次ぎを願っています。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-16 18:35
+ berucci-pete さま、
その法律とは共和国側ですか?それとも教会側ですか?
市民婚のみを希望するカップルならば兎も角、プラティカントの
カトリック信者またはユダヤ教信者は同日に市民婚と宗教婚を
挙げます。
(サルコヂの次男が水曜日になぜ挙式したか、そこで判明する理由が
あります)
同日の場合、市民婚と教会婚の前後は司祭側の判断で受け入れられる
こともあります。
仏蘭西のカトリックの場合、日曜日の婚姻は受け付けていませんし、
待降節と灰の水曜日から復活祭が過ぎるまでの婚姻も受け付けず、
復活祭後も昇天祭が過ぎ通常暦に戻るまで婚姻を控える聖俗も
多いです。(故に6月の婚姻が多い。美しい季節だからジューン・ブライド
というのは日本向け宣伝ウソ)

カトリック信者同士ならば教会での誓約(婚姻の秘跡)だけでの同棲は可能
ですね。聖体拝領に差し支えありません。仏蘭西はカトリックマジョリティ
の国なので厳しいのかも。ただし、仏蘭西では堅信前の成人の教会婚が
可能ですが、スペインやポルトガルのカトリックでは堅信前の成人に婚姻
の秘跡は認められていません。

以下、続きます。

Commented by ma_cocotte at 2009-11-16 18:47
+ 話題を変えて。シダとカトの件。
難治疾患を発病しても、それは自分のせいでも先祖のせいでもないし、
子々孫々に及ぶという恐怖を医師でもない立場の者が与えるのは
いかがなものでしょう。
医学界に遺伝研究所が存在しても、因果応報研究所や転生輪廻研究所は
存在しません。この点を私達は気をつけねばなりませんよね。
自分と考え方を異にする存在に対し難治疾患名を添えて「地獄に堕ちろ」
なんて、そんな発言をするヒトは狂っています。

カトにおいてはいくら奔放な生活を過去に送ったとしても、回心をもって
生活を変えた人について、たとえ肉体が病のうちにあっても聖も俗も
裁けないし、回心を境に共に歩むのではないでしょうか。
マグダラのマリアをイエズスさまが無条件に赦したと勘違いして甘えた
言動を取り続けるクリスチャンと名乗るヒトも多いけど、マグダラは回心
しており、回心前の生き方を続けてはいません。
治療方法でも治療薬でも、エイズに限らずひとつでも多くの難病が
難治ではなくなりますように。
Commented by berucci-pete at 2009-11-17 15:43 x
SIDAについては全く同感です。

市民婚無しでは教会で式を挙げられないというのは共和国の法律で決まっているようです。なんでもその発端はナポレオン1世治下のコンコルダートに遡るとか。同日だと前後することもあるんですね。絶対先に市民婚を済ませなければならないのかと思っていました。

現行法(教会の)では結婚式を挙げられない日は年に二日だけになってしまいました。聖金曜日と聖土曜日です。フランスは意外にも昔ながらの伝統を保っているんですね。びっくりと同時に見直しました。大斉・小斉も今は年に二日だけ、でもそれ以外にも各国の司教団が守るべき断食日を定められる、というのと同じなんでしょうね。

待降節と四旬節には結婚式を挙げられない、という掟が発端となる小説、マンゾーニの『いいなづけ』、岩波文庫版『婚約者』の訳者はフェデリコ・バルバロ神父です!(もちろん絶版。)女子パウロ会の漫画版『愛のちかい』はまだあるのでしょうか。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-17 17:42
+ berucci-pete さま、
確かに私自身、市民婚の手続きの際に教会婚の有無についても
役所で質問されました。が、カトリック側では市民婚というのは異教の
式になります。わかりやすいたとえだと、カトリック信者が神社に昇殿しての
挙式はカトリックでは無効です。カトリック司祭ならば「婚姻の秘跡」、
カトリック永久助祭ならば「みことばの祭儀」が成立します。

仏蘭西の世間から眺めるとマリタルやパックス家庭が増え、信者二人が
秘跡より先にこの生活形態に入れば、カトリック教会では聖体拝領禁止に
なります。ですが、逆はどうなんでしょうね?教会側にしてみれば
教会籍上は婚姻が成立したことになります。
もし共和国の法律に焦点を置くとするなら形骸化しつつあるのでは?
ですが、配偶者ヴィザ書換の際、警察での面接では婚姻の場所と
形を質問されますね。日本の習慣をそのまま語ると市民婚が成立して
いないと誤解される可能性もあると見ています。
仏蘭西の教会での婚姻は土曜日のみです。日曜日は主日ミサのみ。
午後の公衆は静寂を守ってます(だから大型車の走行は事前申請と
認可が必要です)。ライシテ?
Commented by berucci-pete at 2009-11-17 18:38 x
教会側からすると勿論、市民婚なんてあげなくてもいい、と言いたいのは山々だと思います。市民婚を伴わずには教会で式を挙げられないことについて、ある神父様が「ライシテ、フランスの新しき悪しき伝統!」と吐き捨てていらっしゃいました。
日曜日の式を受けないのは公会議以前の伝統に則っていますね。日曜日や大祝日には婚姻のミサは挙げられませんでしたから。日本の教会はすんなり頭を切り替えたようですが。
そう言えば市民婚に必要な publication des bans も本来は教会で必須とされていたのを転用したものです。80年代以降必要ではなくなりました。聖公会ではまだあるのではないでしょうか。式の際にも「異議のあるものは今申し出よ、さもなくば以降沈黙せよ」の文言が残ってるようですし。(ジェイン・エア!)
婚姻の秘跡で味わい深いのは、司祭が秘跡を授けるのではなく、男女がお互いに授け合う、ということです。二人に祝福を与えたり、婚姻の成立を宣言したり、と司祭の存在が不可欠なのは言わずもがなですが、極端な言い方をすれば婚姻の秘跡に限れば司祭は立会人の一人とさえ言えます。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-18 00:55
+ berucci-pete さま、
数か月前、インターネット領域において日本語で、役所に婚姻届を
提出後、カトリック信者になった場合は教会婚に代用されると日本人と
思われる世俗さんが説明されていましたよ。
そんな嘘をよく平気で書けるなあと驚きましたけど、善意ある想像を
書かれたのでしょうか。日本語だからバレないという甘えがあるのかも
しれません。礼拝について日本は欧米に比べて軽んじて捉えている
のかも?
日本における主日の婚姻は日本のカトリックが決めたのではなくて、
日本がヴァチカンに申請して認可が下りての実行だと思われますが、
いかがなもんでしょ?
仏蘭西のカトリックの教会婚では教会籍の証明書が必須です。
その確認で重婚は避けられるかと思います。ただ、仏蘭西の場合は
二者のうちひとりの異教徒との結婚が問題かもしれませんが、この
場合は司祭でなく永久助祭が司式というケースが増えつつあるかもです。
このあたりの事情は日本とは異なるかもしれません?
Commented by Lucia at 2009-11-19 09:21 x
カトリック教徒を名乗る方が、エイズに関して間違った考えを持っておられるというのは、初めて知りました。エイズにしてもヴィールス性C型肝炎にしても、輸血や血液製剤によって感染する人も多いのが現実ですし、第三者には罹患の原因すら判らないでしょうに…。また、医学的な行為とは無関係に、正式な夫婦間で感染する例も、婚外交渉によって感染する場合も、また遺伝によってそうした病を得るケースもあるでしょう。
とはいえ、カトリック教会では、どのような場合であれ、他人を裁くことは諫めている筈ですね。人の心をご存じなのは神様だけですから、外に現われた状況だけで他人を裁くような言動は慎みたいものです。
その一方で、日本でも海外と同じように、性体験の低年齢化が進み、むしろ日本では、子供たちが援助交際などと言って、自分を売り物にすることまで起こっています。子宮頸癌も、性交渉の低年齢化によって、若い人たちの間で増えていると言われています。そうしたことが原因で病に感染する若者が増えることだけは、何とか食い止めたいですね。
Commented by anbai at 2009-11-19 13:33 x
「地獄堕ち」だなんて、少年・青年コミック誌連載の過激かつ
オドロオドロしい作品だとか、ドラマの中の殺し屋のセリフだと
思っていました。元司祭と仰る方の言葉と知り、あ然です。

Luciaさま仰ること全くその通りで…個人的にもちょっと。

また、こういった発言が疾患だとか心身の障害ってのが「何かの報い」
とかでなるという考えがベースで出てきてないといいのですが。もし
そうだとしたら、非科学的かつ人道への配慮に欠けていると思いますから。
つか、シビアな意味で「選択の余地のない人生」というのもあること、
そして歯を食いしばってそれを生きている人々をまるで理解してないし、
そのつもりもないからあんな恐ろしいこと書けるのだろうなあ…怖い。

言葉というのは、その使われかたや意向により人をどのようにも傷つける。
誤らない用心が必要だと、自省含めて思います。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-19 16:33
+ Lucia さま、
インターネット上でカトリック信者と名乗る方による日本語で書かれている
エイズ関連の話は、まったくカトリックの世界では考えられていない
作り話です。
しかも、自分個人の考えと相容れない他人に対し、エイズという難病に
罹患していると断定して、言葉の締めくくりが「地獄に堕ちろ」です。
どこが本物のカトリックでしょうか?しかも教区長を介さずヴァチカンの
教皇様に直結忠誠だそうです。ですが、教皇さまは微塵たりともこんな
愚論を持たれていません。

http://www.caritas.jp/caritas_japan/aidsday_massge.html

このヴァチカンからの御文の中でも性教育問題に触れていますが、

 >性教育に関しては、これが、単なる生殖についての情報の問題では
 >ないことにまず気付くでしょう。

以下、続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-19 16:38
+ インターネット内でカトリックと名乗って日本語でエイズについての
誤解の種を撒き散らす方々においては

 「単なる生殖についての情報を遮断すること」

で思考が止まっていたりします。そうすればエイズにかかって地獄に
堕ちなくなる、と信じ込まされているのです。しかも、上の本文中に
挙げた日本国内の某新興団体ではカトリックの「性=神の愛の特別な表現」
ではなく、「性=団体のエラいヒトが決めるもの」であって他力になり、
そうすれば「エイズにかかって地獄に堕ちない」のです。
起承転結の起と結がカトリック世界の難治疾患への着目点とそっくりだから
カトリックの人であろうとなかろうと、短絡的でわかりやすい起結な解決策に
興味を持ちます。ですが、承転における思考の流れもアクションもカトリック
とまったく異なる。こういう手段はヒトの弱みにつけ込んだワナだと思います。
誰もが心身弱っている時にわかりやすい話を藁と勘違いするものですが、
私達は荒れ野の40日やカルワリオの道を知っているのだから、そんな
甘い話にだまされてはならないですね。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-19 16:56
+ anbai さま、
難治疾患名を自身の意と反する相手に擦り付け、その病名の箔だか
漆を
崇高なカトリック信者サマに塗られた人物はたとえカトリック信者の世俗
だろうと聖職者だろうと高位聖職者だろうと「地獄に堕ちる」らしいですよ。

ヴァチカン市国の考えとも、ローマ教区長の考えとも根本どころか
抜本的にまったく異なる。え?異端?(爆笑
元カトリック司祭の発言でもあるから、そういう階位で目がくらむヒトには
ひっかかりやすいワナだと思います。おとりまきもその階位を理由に
正論だと褒めちぎってますものね。
ならば、私にしてみれば、彼らの考えと真っ向から異なる教皇様ご自身の
難病対策についてのお考えが正論です。どっちが教皇直結だんべよ?(失笑

カトリック世界において日本は宣教国だから、どうしたって欧米とは明らかに
異なる生活風習の土台があります。輪廻転生や因果応報も幼少時に
何らかの形で触れれば、カトリック信者になったからとて拭いきれない
感覚だったりもします。

続きます。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-19 17:08
+ 難治疾患の患者さんが=地獄に堕ちるなんて発想は明らかに
カトリックだけでなくキリスト教生活文化で育ったヒトには目が点の発想です。
大いなる栄光の実現の前に人々に課せられた試練だから、私達は
各自の才知を生かして、この試練を乗り越えねばなりません。だから、
全ての難病の治療とお薬を私たちが見つけること、その作業を手伝うことが
私達の使命です。患者さんも検体(←献体ではない)でお手伝いできるのです。
先日、電脳徘徊中に或る枢機卿さまが恨みの祈りを唱えたので
大雨が降ったという日本語の文章を見ました。こんな発想は日本人で
ある書き手の発想であり、外国人のカトリック高位聖職者におかれまし
ては思いもつかない想像です。
本当のキリスト教世界に「恨」という感情はありません。
その感情の中に浸ったままというのは神から背を向けた行為であり、
カトリックならば自らが恨の世界に陥る前に告解できるものね。
肉体が醜い、重病であるとしても心が美しく、神と向き合っているなら
真の幸せがあるというのは、映画「エレファントマン」や「美女と野獣」でも
察しのつくことで、原作者の思考の基礎が伝わってきますね。
Commented by berucci-pete at 2009-11-20 15:00 x
民法上の婚姻はどう転んでも婚姻の秘跡の替わりにはなりませんよね。

主日、また四旬節(聖金・土曜日を除く)や待降節の間の挙式を、ローマ(というか教会法)は現在禁じていません。多分公会議を機に緩和されたのでしょう。この時期の挙式を許可するかどうかの判断は教区や小教区の裁量に委ねられています。ローマの裁定を待つ必要がないんですね。
例えば合衆国の状況はこんな感じです(section 9 参照)。
www.usccb.org/laity/marriage/mpanalysis.shtml

ですから、フランスの教会が古い伝統を尊重していることを知り嬉しく思います。七面倒くさい制限がなくなったからこれからは何でもあり! となっているかと思っておりましたので。

「地獄堕ち」の件、カトリック信者の共通認識だと思われてしまうのが怖いです。
Commented by ma_cocotte at 2009-11-20 17:01
+ berucci-pete さま、
日本のような婚姻届を出すだけで挙式なしに夫婦の関係が成り立つ。
その手続き以降に夫婦の一方または双方がカトリック洗礼を受ければ
婚姻の秘跡が必要ない、と日本語でネットで書かれる方がいます。

この件↑、仏蘭西だとカトリック信者が異教徒と市民婚を挙げた「だけ」
ならば、聖体拝領禁止になります。日本ではカトリック信者が異教徒
または無神論者と入籍しても聖体拝領禁止にはなりません?

そういう点からも問題点がぼやけて、司祭を抜きに推論をネットで
流してしまうことがネットの日本語環境で多いように見えます。

berucci-pete さまは世俗の方と拝察しておりますが、教会法にも
詳しくてらっしゃるのですね。婚姻に限れば、主日以外とは言え、
異教徒男女の婚姻を聖堂で、しかもカトリック司祭の御前で挙げられる
というのは仏蘭西ではまだないようです。ただし、ライシテ施行以前の
聖堂が教会ではなく、役所で貸し出すという例は小耳に挟んでいます。
とんでもない悪習の始まりですわぃ。
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