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それぞれの適材適所
昨日8月26日の仏蘭西はLe mouvement de libération des femmes en France a fêté ses 40 ans‎、つまり女性解放運動勃発から40周年ということで賑わっていました。



上のビデオを眺めているとやたらアヴぉルトマンという音が聞こえますが、アヴぉルトマンとは
avortement と書き、和訳すると堕胎、中絶を指します。毎年、この女性解放運動記念日になるとテレビの画面にはアウシュヴィッツから生還したシモォヌ・ヴェイユ女史と、彼女が保険大臣時代に成功した堕胎の権利法案の成立場面と、アヴぉルトマンの音がやたらスピーカーから流れるのも常です。なぜ女性の地位向上について必ず堕胎の権利が蝶番のごとく流れるのか私には理解できませんが、今年の国営放送での関連ニュウスでは「あなたがたは堕胎の権利しか知らないかもしれませんが」という前置きで、仏蘭西の公衆において婦女子のパンタロン着用に認可 autorisation が下りたのは1962年だったのだ、な~んてトリビアも流れていました。


さてさて、仏蘭西における女性解放運動家ら四十周年を迎えた昨日、かのマザー・テレサ(仏蘭西語だとメール・テレザ Mère Térésa)の百回目のお誕生日だったそうです。マザー・テレサは生前、カトリック修道女として知られていましたが、もし彼女がカトリック修道女であろうがなかろうが堕胎反対の立場を貫かれた方と言ってよいでしょう。ヒトひとりの命の誕生について両極端な考えを説明するために「8月26日」という一日を鍵語に掲げれば語れ、その節目となる40周年(堕胎賛成側)、100周年(堕胎反対側)と60年の差とは言え、同時に祝賀行事になるというのも私たちにとっては何たる偶然ではありますが、天空ではこれもまた必然に過ぎないことなのでしょう。

今年はマザー・テレサ生誕百周年記念の年でもあることから、いちおう今から105年前まではカトリックが国教だった仏蘭西でもマザーテレサの生涯や活動についてのドキュメンタリー番組がたびたび放送されています。

しばらく前になりますが、今年7月8日夜、国営放送France 2の人気番組 Envoyé Spécial、=特派員報告でインドはコルコタにあるマザー・テレサが創立した人命救済のための諸施設とそれらの施設に集う仏蘭西人ボランティアの様子について丁寧に紹介されましたhttp://ow.ly/2vBWb
jeudi 8 juillet
Voyage dans les pas de Mère Térésa
Un reportage de Stéphanie Lebrun et Lise Thomas Richard

http://ow.ly/2vBWb
仏蘭西びとのヴァカンスという習慣は世界中で知られていますが、意外に喧伝されない言葉はVacance Humanitaire、=人道活動のためのヴァカンス、Voyage humanitaire、人道活動のための旅行など(d’)humanitaire 人道(の)が着くヴァカンスや旅行の過ごし方です。仏蘭西語環境でこの手の単熟語を検索すると斡旋団体や業者さえ引っかかりますが、近年、仏蘭西ではインドなど南アジア観光旅行熱が高まっていることに加え、マザー・テレサが時に「世界中で人気の神」格化扱いでもあるため、自分が計画したインド旅行の一部に「ひとかけらのボランティア人道活動 "faire un peu d’humanitaire"」を含めての旅行でコルコタ市内に点在するマザー・テレサ関連施設に寄る仏蘭西びとも多いのが現実です。

ところが、コルコタでの現実は彼らの計画通りに運ぶことは稀であり、マザー・テレサの諸施設にボランティアとして受け容れられたところで、各自の性別を基本に派遣された施設に行っても誰も手取り足取り教えてくれるわけでなく、自分で自分がすべきことを熟考し見つけて動かない限り、ほっぽかされたままであり、いざ自分で発想した動作をしたところで必ずしも弱者が満足してくれないことを実感すると疲れ果てて、現場から逃げ去りたくなる仏蘭西びとも多いようです。


マザー・テレサが創立した施設と言えば「死を待つ人の家」が知られていますが、このドキュメンタリでは同じコルコタ市内の乳児院、孤児院の日常が紹介されます。毎朝、シスター方がコルコタ市内に行き、捨て子を拾うことから一日が始まりますが、貧しい人々の環境では産まれた子供の障害がわかるなり簡単に路上に捨てる習慣があるそうで、マザー・テレサの修道会ではまもなく死を迎えるであろう成人の救済だけでなく、生まれたばかりの赤ん坊も救い、育て、子供たちのできることを身につけさせて社会に戻すことも行っているのです。もう何十年も前、日本國ではじめて北欧について着目された時にやたら「ゆりかごから墓場まで」というフレーズを見聞しましたが、マザー・テレサはインドという貧富差が激しすぎる異教国で、生きる術を知らない貧しい老若男女のための「ゆりかごから墓場まで」を実践された方であることを改めてこのドキュメンタリ番組を通じて知ることができました。




コルコタのマザー・テレサの施設にボランティアに初めて訪れた人々は誰もが少なからず持つ自己能力についての過信を現実そのものに叩かれ、自尊心あるがゆえに心身の疲労と限界を時には激しく、時には静かに悟り、ボランティア現場から何時間、何日間か離れることで冷静に自分、他者、すべてを取り巻く環境などを熟考後、自分ができることを持ち場で「する」ようになり、もし自分に与えられた持ち場が自分には不向きであるなら、その旨を正直に告白する勇気も見出せるようです。休息は決して無駄ではなく、自他の向上のためになくてはならないものであるのです。私達の各自の使命は必ずしもマザー・テレサゆかりのインド・コルコタの地に自らの心身が疲れ果てても踏ん張り続けることではなく、それぞれが世界のどこであろうと少しでも平和に幸せに生きられる土地で自分より「生きることが難しくなっているひとびと」のために働くことです。つまり、マザー・テレサのゆかりの土地に集った人々が全員、命尽きるまでコルコタに居続けるならマザー・テレサの遺した徳は地球上のコルコタ一点に限定でしょうけれど、各自が母国含め世界各地に飛び散り、コルコタのマザー・テレサの施設で学び取ったことを臨機応変応用して生かすならば、マザー・テレサの徳も精神も花の種のごとく世界の各地で芽が出、その土地にあった実りを結ぶことになるのです。

ドキュメンタリ番組の中でもコルコタでのボランティア・リピーターは年に3~6か月をコルコタで生きる老婦人とコルコタボランティア初参加時は医学生だったカトリック修道士(ビデオでは常に白い修道服をお召しで、仏語圏から来訪した青少年指導の使命)の二人で、他の仏蘭西びとは「人道的旅行」でコルコタを選んだだけで、中には二週間のボランティアの途中または最終日に「もう二度とここには来ない」と決めたヒトもいます。ですが、二度とコルコタに戻りたくなくても他者との関係にも余裕を持ちつつ自分をよく生かせるならば、各自の生き方に甲乙も優劣も高低も良悪もつけられません。


昨日の仏蘭西のように堕胎の肯定が女性解放運動に関連付けされることに私は疑問を持っていますし、この半月、共和国内で大騒ぎになっているロマはじめとする遊牧民を祖先に持つひとびとについての社会福祉問題についても共和国側の言い分にも、カトリックや中道より左派の言い分にも私は頷いてしまいますし、何よりこの夏、日本國は大阪であった乳幼児餓死事件にも考えさせられるばかりです。もし仏蘭西だったらあの母親も、子供二人もこんなことになる前に救えたと思われるからです。救済のノウハウは互いに互いを知り、互いに学び合い、互いの不足を補い合うことから始まるのかもしれません。

「誰かが救える生命なら、救うひとりになろうではありませんか」と思う今日この頃です。
それぞれの適材適所は母の胎に命が宿った瞬間から胎児にもあるのではないでしょうか。強者である胎の所有者である女性が胎内の生命を簡単に殺めてよいものなのか。出産まで時に女性が追い詰められるリスクについて保証し、出産後にもし心身の状態で養育が難しいのであれば新しい生命のために救済、代わりに育てる(できれば)公共施設が富裕国であればこそあって当然なのかもしれません。

実は仏蘭西には既に女性の妊娠前後の生活や就労補助も、公立乳児院も孤児院も養護施設も各地方別に存在するのに、未だ女性解放と堕胎の自由が関連付けて賛美されるからアホちゃいまんねんパーでんねんなんですな。傍観していると自己を愛しても愛しても満足できなくて、自己愛を邪魔する何モノも傷つけるためにいっそうの力を得ようとしているように見えたりします。


le 27 août 2010, Monique
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by ma_cocotte | 2010-08-27 15:00 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
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