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小さなひとびとのひとりとして
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仏蘭西共和国内のそんぢょそこらの墓地で見かけるというか、こんな地味な墓石はこの頃見ないよ!と断言できるくらいごく普通の傾きかけた墓石でありますが、この下に永眠するは仏蘭西共和国第五共和制初代大統領のシャルル・ド・ゴール Charles André Joseph Pierre-Marie de Gaulle 将軍です。共に眠るはイヴォンヌ Yvonne 夫人と次女アンヌ Anne。

今日から四十年前、1970年11月9日に79歳にしてド・ゴール大統領が突然、巴里のはるか東方にある小村コロンベ Colombey-les-Deux-Églises の自宅で息を引き取りました。翌日、ポンピドー大統領によりド・ゴール大統領の帰天が公 となり、11月12日に花の都は巴里の ノートルダム聖堂でド・ゴール大統領の遺言にあった国葬不要の希望に反し、ニクソン大統領やチャアルズ皇太子はじめ海外からの参列者を迎えての国葬、同日に棺は再び自宅のある小村コロンベ・レ・ドゥ・エグリィズに移され、ド・ゴール大統領の遺言どおり地元の教会で 葬儀ミサ が捧げられた後、教会墓地に埋葬されました。

今日のシャルル・ド・ゴール大統領の命日を迎えるにあたり、数日前からテレビの画面には関連番組が放映されていますが、日曜だったか国営放送の番組にド・ゴール大統領のコロンベの自宅が紹介され、リビングの暖炉の上に十数の写真たてが飾られており、その中にチャアチル首相と教皇ピオ十二世 Le Pape Pie XII らしき尊影がありました。そして、1970年当時の共和国内の様子が白黒で映し出され、当時の共和国ではまだ街頭テレビがあり(・・・って、今も田舎のカフェやバアにはテレビを置いてある店が多いけれど)、画面の前で祈る庶民が多々いたことなど、私が未知の仏蘭西市井を知ることができました。ポンピドー大統領による大統領帰天の公式声明 の冒頭
Françaises et français. Général de Gaulle est mort. La France est veuve.
共和国民よ、ド・ゴール将軍が亡くなりました。仏蘭西は未亡人になりました。
と言う一文は名文ですし、彼の重い声とゆったりとした語り口もドラマ以上のドラマになっていますね。

シャルル・ド・ゴールは仏蘭西の英雄でしょうから帰天四十周年という節目の年を迎え、きょうも午前十時半から国営放送France 2では特別番組が放映されてもいますが、命日をきっかけにシャルル・ド・ゴールの葬儀から彼の私生活を紐解くと、脚光を浴びた公生活の陰になった引退から晩年までの生き様がいろいろ見えて来ました。

« Je veux être enterré à Colombey » 私はコロンベに埋葬されたい
なぜド・ゴール大統領が遺言として引退後の住まいとした小村コロンベに埋葬を希望したのかと言うと、1928年に染色体異常の障害児として誕生した次女アンヌが1948年に永眠、このコロンベの教会墓地に埋葬されていたからです。生前からはっきりと未来永劫、巴里のパンテオンへの埋葬を拒んでいたとのこと。

1955年以降、ド・ゴール一家はコロンベに家を持っていたようで、滞在中ならば毎週日曜日に大統領夫妻はコロンベの教会のごミサにあずかっていたこともあり、大統領は生前からご自分の葬儀はこの教会で、花など飾らず簡素に、政府要人を誰も呼ばないようにと遺言として残していました。« À mes obsèques, ni présidents, ni ministres, ni n’importe quels autres représentants de quelconque assemblée » ここまで読んだところで今一度、コロンベの教会でのド・ゴール大統領の葬儀ミサと埋葬式のビデオ を眺めますと司教司式とは言え仏蘭西の市井で垣間見る葬儀ミサと埋葬と同じ・・・むしろ庶民より地味に見えるほどで、典礼文と聖歌は誰もが暗唱し、共に唄えるものばかりです。聖体拝領中の聖歌なんて黒革の聖歌集658番の「主よみもとに」です。言語違えど一緒に唄えるではありませんか。典礼文や主祷文は現在とおんなじですし。

« Sur ma tombe : Charles de Gaulle, 1890-... Rien d’autre »
私の墓には、シャルル・ド・ゴール 1890-...没年以外何も刻まないこと。

写真をご覧になればわかるとおり、大統領の遺言どおり、墓碑には三方の名前と生没年のみです。

勲章も拒んだド・ゴール大統領の名は帰天後、仏蘭西の習慣で各市町村の公道や公共施設、公立校に冠されてはいますが、こうしてド・ゴール大統領のコロンベでの晩年を知ると、現在も住民が600人前後の小村コロンベで近所のパン屋さんのパンとお惣菜屋さんのハムやソシソンと愛妻の手作り料理で大自然の中静かに生き、毎日のように早世した次女の墓を散歩がてらにお参りする「そんぢょそこらのセイタカノッポのムッシュウ」だったように想像します(ド・ゴール大統領が生活していた当時の村の人口は400人弱)。本当に本物の「小さなひと」が我らが先人シャルル・ド・ゴールそのひとなのかもしれません。


きょうはコロンベの教会でミサがささげられるらしく、共和国大統領なんかに御身をやつしている神聖賢愚帝サルコぢ一世が政府要人を率いてなーんにもないコロンベにそれは立派でピッカピカの車でお出ましになってますけんども、
サルコぢがパウロのごとく回心するような奇跡があればいいのに。
どーやら配信されたばかりのBFMニュウスのビデオを拝見すると質素な墓石も立派な墓石に置き換えられたようでございます。昔の墓石の方が良かったね。(-。-) ボソッ

le 9 novembre 2010, Théodore
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by ma_cocotte | 2010-11-09 16:50 | 『?』な、お!?仏蘭西 | Comments(4)
Commented by JOYママ at 2010-11-10 14:17 x
この一文「サルコぢがパウロのごとく回心するような奇跡があればいいのに。」思わず笑ってしまいました
ん〜〜〜ドゴールさん、亡くなられて・・・そんなに経つのですね
って言うか、ポンピドーさんも居らしたなぁ〜〜・・・思わず、自分の年齢思い出してしまう(涙)
Commented by ma_cocotte at 2010-11-10 15:42
+ JOYママさま
2012年の大統領選挙を控え、サルコぢが心底から改心しない限り、
再選はまずないと思います。
ヴァレリ・ディスカアル・デスタン大統領はご健在で今もしばしばテレビに
登場なさいますよ。
Commented by 京子 at 2016-04-19 21:28 x
ドゴールさん、アメリカにもいらしていたんですね。
ケネディの個人的な親友だったそうです。
私、彼のファンに成ってしまいました。
強烈すぎる個性の持ち主です。
天国でケネディと会ってるといいなと思っています。
Commented by ma_cocotte at 2016-04-23 20:43
+ 京子さま、

前世紀半ばに活躍された政治家はそれぞれ個性が良くも悪くも光っていましたね。
もしかしたら当時は今より自由な時代だったのかもしれません。
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