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日本といふ國は極東の、海の向うの島国だから
日本人の犠牲者が出るまでシリア情勢について真剣に向き合うことができなかったのかなあ?

ロンドンで夏季オリンピックが開催されている間もシリア国内の状況は本当に深刻だったし、そんな国内の悲惨さを「知らない」のか、シリアからのオリンピック代表選手は美しい笑顔を開会式で振りまいていました。
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(SAEED KHAN / AFP)

この写真 ↑ は今年7月25日、ロンドンオリンピック選手村で撮影されたものだけれど、今回の五輪でシリア代表に選ばれ、シリアから出国できたのは「親バッシャール・アル=アサド政権」側はたまた親政権を宣誓したシリアびとなのかもしれません。

ま、昨日の事実、この一か月の間の事実を横に置いて、仏蘭西という国でシリアの国内事情について深刻に扱われるようになったのは、国際的にシリアが「一見平和」に見えていた今から5年近く前からです。キリスト教信者のシリア入国について仏政府側が意見するようになっていました。つまり、キリスト教徒がシリアに入国しても「生命の保証はない」ということ。この警告を見聞してもシリアに入国したいならば、それはもう「(成人の)個人の判断」「(その成人が属する)団体の判断」です。

私個人は2007年だったか、地元の移民・難民向けの仏語講座に参加した時、シリア移民の女性と同じクラスになりましたが、父親はパレスチナ難民のシリア移住者で、母親はシリアのブルヂョワ階級と自称する彼女の、異常なほどイスラエルを蔑視した世界観に嫌悪の情を持ってしまった経験があります。いくらアグレッシヴに説明されてもどこか非現実であることで、これはシリア発のプロバガンダではないか?と感じてしまったし、ほぼ同時期に彼女が地元の公立校を周ってシリア発の対イスラエル問題を話し、支持者を集めたいとはっきり講座講師に求め始めたこともありました。私事都合で私がこの講座を途中で止めることができたのは幸いだったというのは揺るがない確信だったりします。

次に、一昨年だったかぼんやりテレビを見ていたら、或る仏人の新婚さんが徒歩でパリからエルサレムを目指すというドキュメンタリー番組が放映されました。パリからまずイタリアに入り、イタリアからなぜかクロアチアに入国し、トルコまで。ところが、シリアを目前にキリスト教徒の欧州系人物がシリアに入国しても試練があるばかりで、シリア入国は認められないと忠告され、この新婚カップルは泣く泣く徒歩でエルサレムに行くことを諦めたのです(うろ覚えだけれど)。
また、この番組と同時期にシリアの隣国レバノンでヘズボラによるキリスト教徒同胞迫害が以前にも増して強くなり、多くのキリスト教徒が北米やオーストラリアに亡命移住することになったという報道を見聞しました。

これ ↑ だけで、誰も殺されていないし、私は欧州人ではないけれど、シリアという国はいくら興味があっても、もし今、シリアに入国したら自分が「怖いこと」に出遭ってしまう確率は限りなく高いと私個人は数年前から自分の脳と心に語っていました。

で、我が祖国、日本という國ではどうなのでしょう?
正直、昨日、日本人女性ヂャアナリストがシリア内戦の犠牲になったことを境にシリア関係報道が上位に出、市井のひとびとの日本語でのシリア関連討論もすこぶる活発化したように見えます。ロンドンオリンピック開催中、私は仏蘭西でのシリア関係報道を眺めつつ、同時に日本語報道での確認に努めましたが、日本で報道されたのは国連経由のシリア関係の話題ばかり。

日本という国は数年前のイランやイラクで日本人が誘拐されたあたりで大騒ぎをした過去がありますが、あの時になんら反省なく、今回もまたシリアで日本人の犠牲者が出たことでようやく注意喚起の動きに出たように見えてなりません。

これでは、日本では同じことが何度でも繰り返されますよね。Bof
「ナニかあってからでは遅い」というのは日本語でよく聞く台詞だけれど、こうして我が母国から10,000km離れたところから日本を眺めていると、日本という国の中ではいつもナニか起こってからでないと動かず、日本人の生命が奪われないならばテレビ画面において娯楽番組が地球上の深刻な問題を覆い隠しているようにしか見えません。

シリア国内で今年7月末の時点で既に2万人以上、この戦さで生命を失くしているのに、日本人ひとりが生命を落とすまで、シリア関係報道について世界と日本で温度差があまりにありすぎるのは日本という国が極東で孤立した島国だからなのでしょうか。電脳という次元の世界がこの世に築かれたのだから、日本ももう少し世界と共に地球全体を眺めても遅くないと思います。日本にとって陸続きでない、まったく言葉も文化も宗教も違う国で起こっていることだからと、他人事で見ない、聞かない、知らないふりを長引かせることが「日本人の犠牲者」を産むのではありませんか。



le 22 août 2012, Hippolyte

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by ma_cocotte | 2012-08-22 16:31 | actualité 現時点の現場から | Comments(2)
Commented by rice_shower at 2012-08-28 21:54 x
亡くなった山本さんの著書(イラクルポ)を、偶々以前読んでいたこともあり、とても悲しいニュースでした。

日本人はね、どうしようもないローカル人なんです。 今、関西に居ますが、人々は現在進行形の福島原発のリスクについてすら、無知ですよ。(東京の連中はそれなりに深刻にとらえているけど...) シリアの事に頭が行くわけがないじゃあーりませんか。

とことん没落してしまえ、などと思わないでもない今日この頃。

Commented by ma_cocotte at 2012-08-29 04:28
+ rice_shower さま

山本女史の死についても陰謀論めいた噂が飛び交っているようですね。
ヒトの死って陰謀なんてものの外にあるような気がしてなりませんが、
殺人事件として扱う云々という話を見聞すると、それもまたなんだかなー
と思ってしまいます。

フクシマのことも、シリアのことも背を向けることは簡単だけれど、
やはり向き合わないとならないのではないでしょうかねぇ。

栄華を極めた国がとことん没落していく姿は世界史を眺めれば
いくらでも前例がありますね。
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