<< ない、ない、ない。 インパクトありすぎ。 >>
Je ne suis pas CHARLIE. 私はシャルリではありません。
昨日午後の追悼集会が終わったことで、週明けから始まった
あなたは本当にシャルリですか?
Êtes-vous Charlie? Vraiment?
という問いかけ。

ええと、わたくしはシャルリではありません。

私個人は彼らテロリストたちの思想において個人の自由を認めないこと、彼らの枠の中の条件(公務員であること、ユダヤ教徒またはユダヤ人)であるとわかったら同時に射殺できるなんて愚行に屈したくない(その現場にいたらわからないけどね。改宗しちゃいそうな気がしないでもない。イスラムは改宗準備勉強ゼロなんでw)し、そんな大馬鹿野郎に生命を奪われたひとびとに同情もし、慰霊します。

以上。
でも、私はシャルリエブド Charlie Hebdo という雑誌の在り方について無条件に賛美はしませんよ。
なぜなら、シャルリエブド社がイスラムだけを弱い者いじめしていたのではないからです。彼らの嘲笑の対象は政治世界はもちろんですが、カトリック教会であり、ユダヤ教世界でもあったからです。カトリック教会とユダヤ教世界はこれまでのシャルリエブドから次々と発せられる下品極まりない諷刺画について相手にしませんでした。イスラームでは(私としては残念ながら)シャルリエブドが売った喧嘩を買う態度に出たひとびとがいました。ヒトが決めた国境を取っ払ったイスラム世界で有効のシャリア(殺害を善しとする指令)も既に出ていたこともあり、イスラム原理教条過激主義のひとびとが常にうごめいていたし、結果、こういう表れにもなりました。

悲しいことですけれど、ユダヤ教世界にもカトリックのどこかにも「原理教条主義者」はいます。これも踏まえないと、「ウチはイスラムとは違う」なんてキレイゴトが飛び交いますからね。誰もが爆弾を抱えているのはイスラム世界と同じです。

ユダヤ教での「赦し」(許しではなく、赦しです)がどのようなものなのか存じませんが、カトリックだと神さまにしか最終的最善最良完全なる赦しができません。そして、その神さまは何よりも私たちそれぞれの自由意志を尊重すると信じられています。だから、この世に生きているナンピトに対しての回心の期待はその死の寸前まで他者にはあります。死んでしまったらその霊魂についての判断は「神さまに委ねる」しかありません。

Charlie Hebdo で画像検索すれば、いくつものカトリックへの諷刺画を見ることができます。
イスラムだけでなく、ユダヤ教もカトリックも生活実践宗教であり、毎日の日課を守っているひとびとがいます。守っていればいるほど、笑って直視できないイラストがシャルリエブドには毎号溢れていました。
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はっきり言って、シャルリエブドに掲載されている諷刺画について無条件に笑っていたのは仏語でアテ athée と呼ぶ無神論者とキョクサのひとびとではないでしょうかね。仏蘭西共和国内の自称アテの方々による宗教毛嫌いの言動は日本人には想像つかないと思います。
加えて、こういう諷刺画を見るなりすぐさま失笑、嘲笑できるひとはゴマンといても、この諷刺画にこめられた奥底の真意やメッセージを読み取れるヒトはどれほどなのでしょう。そんなに存在しないのではないでしょうか。
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この表紙 ↑ なんて、最後の晩餐をもじったものだけれど、ヒダリにルフェーヴリスト、ミギに聖霊重視のキリスト教徒を描いて、真ん中にイエっさんが「さあ、食事の時間です」と声をかけていますけれどね。食卓に招かれた者たちが果たしてテーブルにつけるのか?・・・・と、こういう深読みも、実は公教要理を受けた基礎があるかないかで想像の翼の広がり方が違ってくるのかもしれません。

私の思考回路が甘いのかもしれませんが、彼らテロリストのようなパーもいれば、個人から見たらアホな表現をする輩もこの世には存在するのです。自己を中心にしたら、他人へのレッテル貼りもその個人の心象によりますから、ひとつになることは不可能です。ココで個々に問われるのが「寛容」だと思います。他人の自由についての自分の寛容を失うとどうなるか?その極端すぎる表れが今回のテロ事件ではないでしょうか。

ユダヤ教でもイスラームでもカトリックでも神が決めてわれわれを今のこの世に送り、イ動かさせているのだと前提すれば、テロリストが生命を奪うことを神が命じたというロジックが崩壊します。ココいら辺から既出の3宗教の間で解釈が異なっても来ますが(なぜならユダヤ教とイスラームでは生活思想を基にしたヒトによる善悪判断を重んじてもいるから、罰が生じます)、他者のスタイルにいちゃもんつけるのは安易簡単に過ぎず、自らを善く育てるためになんら役立ちません。

いずれにせよ、シャルリエブド社側は今後も諷刺の加減を緩めることも抑えることもなく、今までどおりに諷刺し続けるそうですから、今後もテロが勃発する可能性はあると思います。まあ、筆がなによりの自由を妨害する者どもに対しての武器なんですよね。
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http://www.inkulte.com/2015/01/hommage-charlie-hebdo/

他人の寛容に甘えて自己が傲慢になってしまうこともヒトの弱さだと私個人は思っています。自戒をこめて。

他界したテロリストが回心していますように。

le 12 janvier 2015, Tatiana

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by ma_cocotte | 2015-01-12 18:26 | actualite 現時点の現場から | Comments(4)
Commented by cazorla at 2015-01-13 05:30
はじめまして。
世界が je suis charlie.で そういうのがちょっと気持ち悪いなと思っていたので この記事読ませていただいきました。
私は無宗教だし 夫は一応洗礼を受けていても 教会に行かないスペイン人。 でも 漫画はとても不愉快です。 で あれをもって 言論の自由というのに疑問を持つのは私たちが二人とも50代だからだろうか。
イスラムの場合は 偶像崇拝を禁止しているだけに 漫画化されることはいっそ不愉快なのではないか。

サルトルとカミュが 革命か反乱か というディスカッションをしたことがありますが(読んだのが随分昔なのでうろ覚えですみません) カミュが その中で 『下品な大衆におもねるのが 民主主義か。美しい文章を書いただけで ファシスト扱いされるのか」 というようなことを書いていました。
革命か 反乱か
言論の自由か 嘲笑か
Commented by ma_cocotte at 2015-01-13 16:49
+ cazoria さま、はじめまして。ようこそ。

ご自分の中で不快と感じ取ったこと、下品と感じ取ったことに
対して素直になれる自由と意思を、互いに尊重することが
この世のひとそれぞれに課せられている共存条件だと
個人的に思うようになりました。
ファナティックなテロさんたちは自分自身の生活スタイル、
善悪判断、すべてに個人の自由意志を許さず、それを
直す手段としてテロ行為を選択しているのだと思います。
おそらく究極の目的があるにせよ、手段を間違えると
とんでもないことになるという表れが今回の出来事でした。
私はシャルリエブド側にもこういうことになる長期種まきが
あったと思います。
もともと左派雑誌なので、保守政治、宗教批判がメインに
なるのは当然です。
日曜午後のムーヴメントについては水曜からのテロ実況で
興奮マックスになったひとたちのお祭り騒ぎのように見えました。
ムハンマドさまはいくら神の代弁をしても、私たちと同じ
ヒトだったのではないでしょうか?
神さまを絵画にしてはならないという決まり事はユダヤにも
キリスト教にもあります。イスラム含めて3宗教とも、
モーセの十戒を守っているからです。
この世の中は天国ではありませんし、こういう絵画表現する
者が自分の目から見れば存在するのも当たり前だと私は思います。
赦せないなら自分で見ない、聞かない、口にしない、という
決まりごとを自分自身に課せられるのも自由意志あって
ではないでしょうか。
他人に課すのは余計なお世話(笑
Commented by cazorla at 2015-01-13 20:01
マルキストって 基本的に前提を考える思想だと思っていたのですが この絵を描く前提が見えてこないのです。 
私の今回の疑問は こういうことが起こる事は予想されていたことですよね。 すでに2006年に シラクはそう言っている。 それでも前進した理由 前提 目的をアナリシスしないで 私はシャルリというスローガンに行き着いたこと。それって ちょっと気持ち悪くないですか?

で あと 偶像崇拝のことを言ってるのです。 もし子供がいて その同級生が 新聞をカバンにいれて嘲ったら やっぱり見ちゃいますよね。 みなければいい というのは 嫌なら出て行けと同根じゃないですか。
Commented by ma_cocotte at 2015-01-14 00:46
+ cazorla さま

シャルリ・エブド社はマルキストではなく、アテ(無神論)左派だと思います。が、左傾雑誌であることは間違いないので、しばらくはリベラシオン紙(中道から二番目に左くらいの位置)がシャルリ・エブド社の編集サポートをするみたいです。
今回、シャルリエブド社襲撃で二番目に殺害された人物は編集長の護衛をしていた警官です。7年前にイスラム原理教条過激派世界においてシャルリエブド編集長の殺害についてのシャリア(ファトゥア?)が出ていたことで、編集長には常に護衛が派遣されていました。テロリストは受付に続いて、護衛を殺害したそうですからこの点ではたいしたもんだと思います。

子供でもオトナでも所見はイノセントですが、二度目からは個人の意思による選択がありますから、イノセントには
なりません。ですから、イヤなら出て行け!は二度目から有効です。所見で嫌悪をもよおしているのに、二度目も三度目も他人の嘲笑に釣られて覗くならば、そのひとの意志意思ですから、見るも見ないも他人はその人の言動を尊重するしかありません。嫌悪を内心に秘めているのに居残るよう強いるのもいかがなものかと思います。
イスラム原理教条過激派はムハンマドさまを描いた諷刺画に立腹しています。神についての諷刺画ではありません。この点はユダヤ教やイスラムがイエスについて首を傾げるのと似たようなもので、ムスリムでないものにはいくらムハンマドさまが最高にして最後の預言者だとしても「者」「ひと」でしょ?と首傾げるのもありえるのではないでしょうか。
シャルリ・エブド社は本文に添付したように神のキャラクターを諷刺していますが、上に添付したのは三位一体です。ユダヤ教とイスラームは三位一体を否定していますから、上の絵は彼らにしてみれば「他人事」です。神に息子がいる、それも人間なんて概念は彼らにありませんから。
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