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夜明け前に
売り切れたそうだ。
こんにち発売のシャルリエブド紙。
現時点で、午前8時すぎ。未だ仏蘭西共和国の夜は明けきれていません。

仏蘭西国営放送のニュウスによりますと、花の都はパリ市内の各キオスクにシャルリエブド紙最新号が60部ずつ配布されたそうですが、午前5時半にはキオスク開店を待つひとびとが並んだとか。転売目的の誰かに雇われたひとびとが並んだのですかね?

というのも、シャルリエブド紙のこれまでの定期購読者数は全国で1万人程度。だとすると、先の日曜日の追悼ムーヴメント参加者数が約13万人だそうですから、ほとんどの参加者は「読まずに騒いでた」のです。手紙を読まずに食べてた山羊さんの集いです。私の目には彼らのムーヴメントは追悼でも慰霊でもなく、単なるお祭り騒ぎに見えました。興奮しているひとびとの様子が延々と中継されているって、なんだかな。

まあ、先週水曜日から連日、テレビでのテロ事件追跡生中継を見ていた「仏蘭西共和国の中の異邦人」である私は、共和国民がどんどん興奮してヒステリーになっていく感情とは逆で、途中からテレビに映る中継が地球の大地の上で起こっているにも関わらずどこかテレビゲーム、米国映画、アニメのような非現実に見えてきて、どんどんドン引き、私の気持がしらけて行くのがわかりました。テロリストさんはそれは真剣に(彼らからしてみれば)仏蘭西の諸悪と闘っていたのかもしれませんが、どこか幼児のおままごと、喧嘩に見え、ただ危険な点はそんな幼児の域の成人がホンモノの武器を数種類肌身離さず持っていたことにあります。その証拠に、2拠点のファイナルについて3テロリストとも、何重もの武装警官たちの前に飛び出して行ったのですよ。彼らはこういう戦いの最後に自らの霊魂を昇華させることであの世でもこの世でも美談が成立する思考回路だから、こういう手段を考えずに選んだのかもしれませんけれど。抜本的にこの世のヒトの生命と生き様、運命などなどは「神が与えたまふた」もんだから、テロリストさんたちのロジックが循環ではなく崩壊、ホワイトホールになっていることは傍観者であればあるほどわかります。
けれども、どうも共和国民の方々の多くが極端の興奮状態に自らを持っていってしまったのは、テレビやラジオから流れる仏蘭西語が100%わかるからでしょうかね?

Je suis Charlie. 私はシャルリです。というスロオガンについても金曜のユダヤ食品店襲撃前後から、イスラムさんたちの間で自らはシャルリではない、という意見が出るようになっていました。そりゃ、そうです。もし自分がシャルリだったら、神やムハンマドさまの冒涜を自ら言動に表していることになります。少し考えれば、ユダヤ人もカトリックもイスラムもシャルリエブド誌の売りである神または宗教組織への冒瀆、蔑みに同意しているのではありません。ですが、この世は天国でも楽園(=エデンね、エデン)でもない、アダムとエワが追放された世界の継承地なのだから、ああいうシャルリ・エブド誌を読んで快楽快感を楽しんでいるひとびともいるのは当然です。そういうひとびとを回心させる使命はユダヤ教にはなくても、キリスト教とイスラームにはあります。単純、回心させる方法についてイスラム原理教条過激派のひとびとが好む方法が、私たちには「間違っている」「相容れない」「同情も同意もできない」のです。

しかも、週が明けて、この事件について討論番組に呼ばれた識者の中に、アラン・ボエ Alain Bauer が出始めたことで、いっそう私の気持はどっちらけです。なぜなら、このヒトはユダヤ系、犯罪学専門家のフリーメーソンだから。現在のフランソワ・オランド政権の閣僚の8割だかがフリーメーソンだというウワサは決して消えることなく世間にはびこっていて、数年来、共和国内で問題になっている同性婚法の裏の仕掛けはフリーメーソンだと言われています(そりゃ、閣僚8割がフリーメーソンぢゃねぇ。ポリポリ) 私個人はこの人物がごもっともな分析をしたところで、何か胡散臭くてなりません。
更に、週が明けての国会中継。首相演説。ココまではわかるけれど、なぜに国歌斉唱???
仏蘭西大革命時の共和国精神を思い出せ!という意図でしょうか?
もしそうだったら、ユダヤ教だろうと、イスラームだろうと、カトリックだろうと、一緒に国歌斉唱なんてできません。共和国軍による宗教迫害が待っているからです。厳寒期に素っ裸で船に乗せられての溺死刑なんぞ思い出してしまいますけれど、結局、今回のオチは政府からもイスラム原理教条過激派からも一般の信仰生活者は迫害されるということなのでしょうかね?気持悪るるるうr。

やっぱり、シャルリ・エブド誌はアテだけが常に快感快楽に浸れる啓典(←イヤミな選択語)のひとつなのではないでしょうか?

アテというのはAthée と書き、和訳すると「無神論者」を指しますが、仏蘭西共和国に生きるアテの思考回路は日本人には想像できないほど過激でもあります。アテはカトリックをヘドが出るほど嫌い、蔑みますが、その中にはイスラムだけを庇うひともいます。独り善がりの自称アテは共和国内にゴマンといます。そういうひとびとを快楽に導くシャルリ・エブドに集うひとびとは筋金入りのアテですね(犠牲者の中にマグレブ系の社員がいたので、全員が完全なるアテとは現段階で言い切れませんが)。

私は子供の頃、学校の授業で「ユダヤ教が信じる神は裁きの神だけれど、キリスト教の神は赦しの神である」と教えられたことがあります。更には、プロテスタントでは必ずしもそうではありませんが、カトリックにおける神は「何より個の自由意志を尊重する」神なのです。団体やら全体の自由意志ではなく、個の自由意志を尊重するのです。だから、先に書いたように、この世も、共和国も天国でも楽園でもないのだから、あのような内容の雑誌で快感を楽しんでいるひとびとがいるにしても、そのひとたちの読む意思とやらを他人は尊重するのも「神に倣う」形のひとつです。ヒトとヒトの間で裁けない、究極の裁きは唯一の神だけです。(このあたりは大天使ミカエルの悪魔との闘いなどのたとえ話もわかりやすいかもしれません。ミカエルは悪魔について最後最終の裁きを神に委ねたんですな。)。

兎にも角にも、きょうになって今までシャルリエブド誌を一度も読んだことがない人たちが見て、どういう意見に枝分かれしていくかが興味深いところです。
あなたは本当にシャルリですか?
Êtes-vous Charlie? Vraiment?
の問いかけに見たヒト、読んだヒトからの冷静な返答がきょうから飛び交うことになるのだと思います。

私は先日、「私はシャルリではありません」と記しましたが、少し考えたら、ヒトは誰も脳や心に快楽や時には下品な思いが発してしまう生き物であり、諷刺画家にはそういう思い感情を手と筆で表現できるタレントがある。私にはない。その観点からすれば、脳や心に湧く感情感覚は共通なので「私はシャルリです。 Je suis Charlie」だし、公衆で恐れず表現している彼らに比べると、秘めたままの自分が卑怯者なのかもしれません。他人の才能の公開を非公開にする判断は何なのか?が問題に浮上してくるのかなあ。そこで宗教につながる道徳が理由となると、アテが喜んで大騒ぎするのも常で、その表れがまさにシャルリ・エブドという雑誌です。

んー、いや、違うなぁ。そうぢゃないよなあ。

私個人においてはこのケースにおいても
あなたがしても、わたしはしない。
だな。うん。



le 14 janvier 2015, Nino



【書き忘れた。】

ヂョルヂュ・クルネ George Clooney のゴールデングローヴ賞のスピーチについて、ヒダリのヂョルヂュ・クルネがパリの追悼集会にオバマ大統領も政府高官も参加しなかったことに抗議したのだとか日本語で流れていますが、単純な話、ヂョルヂュ・クルネが昨年結婚した妻アマル Amal がイスラム家庭の生まれ育ちのレバノン人なので、テロリストとテロリストでないムスリム・ムスリマを分けて考える姿勢の表れだったのではないかしらねぇ。ヂョルヂ・クルネの支持政党は民主党だから現政権につながりますもんね。ヒダリとは民主党左派ということ?なんだ、へぇ。φ(._.) メモメモ

いずれにせよ、電脳域の日本語圏内において、パリのテロ事件についての分析が大きく迷走していることだけは間違いない。日本人くらい宗教をかなぐり無視して事件や人物を分析することに長けているひとびともいないよね。結果、宗教やってるヒトがいけない、宗教はアヘンだもの。Bof

【追 記】
午前中、地元のスゥパアマルシェに行ったら、シャルリエブド無料立ち読みコーナーがあった・・・
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by ma_cocotte | 2015-01-14 16:44 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
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