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共に泣き、悲しんでいるのに。
先週金曜日のイスラーム世界での祈祷日が過ぎ、翌日土曜日から地球上のイスラームマジョリティの国々で「私はシャルリではない Je ne suis pas Charlie.」のデモ行進が始まりました。アルジェリアでのデモ行進で「表現の自由はウィ。挑発はノン。 «Oui pour la liberté d'expression, non à la provocation» 」というプラカードが何本もあがっており、私も思わず頷いてしまいました。シャルリ・エブド誌の下品な諷刺画を(偶然にも)見てしまったことで不快や悲しみを感じ取るひとびとの気持ちに私は同情します。もし自分の身内が生きていようが死んでいようがあのような性表現を遭ったこともない連中に描かれて公開されたらどういう気持が心に芽生えますか。悲嘆が最初、その後、ひとによっては赦せずに憎しみの気持ちを持ってしまうかもしれません。憎しみの大地から平和は生まれません。

さて、その土曜日からアフリカはニジェエル Niger (旧仏蘭西領)でこの「私はシャルリではない」デモが暴動に化けてしまい、暴徒は次々とキリスト教施設の破壊と放火を続けています。こんにち20日現在で暴徒に生命を奪われたひとは十名、破壊放火された教会聖堂は45となりました。他にも仏蘭西につながる公共施設も次々と放火されています。

暴徒たちのインタビュウによりますと、彼らはムハンマドさまの諷刺画を許す仏蘭西政府が赦せないので、地元のキリスト教施設に報復しているのだと主張しています。

が、

これは間違った解釈です。
そもそも仏蘭西政府=キリスト教というつながりが間違っています。
イスラム教徒がキリスト教施設を破壊するなんて現実を喜んでいるのは、シャルリエブド誌に携わる無神論左派のひとびとではありませんか。ニジェエルのミュヂュルマンさんたち、いい加減にキリスト教施設破壊を止めないと、世界にちらばる共産主義者の思惑に踊らされていることになってしまいます。

ニジェール国民の識字率は成人において30%ですからして、耳に入ったことを、個人の頭が判断して、こういう行動を実行していることになります。いったいどんなウワサがかのニジェエルで先行しているのかが大問題です。

何度も繰り返しますが、シャルリエブドは無神論左派の雑誌です。攻撃対象はカトリック(仏蘭西の元国教)、イスラーム(現在の仏蘭西で力を伸ばしている宗教)、ユダヤ教(共和国内でなぜか絶やせない宗教)と政府です。無神論左派の仏蘭西が誕生するまでシャルリエブド誌はこれらに対しての「筆による攻撃」を緩めることも休めることもありません。あのテロ直後も、生き残ったシャルリエブド誌のスタッフが方針をなんら変えずに今後も続けると宣言しているではありませんか。

つまり、キリスト教もユダヤ教も(何度もココで書いていますけれど)あのシャルリエブドの諷刺画にずっと悲しんできました。世界にちらばるムスリムさんたちと共有できる気持です。ニジェエルのミュヂュルマンさんたちは共に悲しんでくれるひとびとの生命を奪い、同じ神(アブラハムを父祖とする絶対唯一の神)を崇め拝む場所を破壊し、火を放っているのです。愚かしいです。

数日前、ローマ教皇が他者の信仰を侮辱してはならないし、表現の自由にもほどがあると述べたのは、カトリックの最長上として当然で、別にローマ教皇がイスラム原理教条主義者のテロ行為を意識しての発言ではありません。このローマ教皇の言葉を受けて、大英帝国のキャメロン首相が「自由社会には信教をめぐって(他者の)感情を害する権利は存在する」と反論したけれど、キャメロン首相は政治家であって宗教家ではありませんからね。キリスト教全体は兎も角、カトリックは弱者と共にあるシューキョーです。強い者は悲しみと憎しみしか心に持っていない弱い者を喜びと寛容の心をたずさえる者となるよう導く役割があるでしょ。強者の導きが逆、喜びと寛容に生きているヒトを悲しみと憎しみに誘ったら、いずれ世界が戦争に発展してもなんら不思議はありません。実に単純なロジック。
大英帝国さん、
またも善良なひとびとを戦争に巻き込まないでくださいよ。
土曜日から続いているニジェエルの暴動を眺めていると、アルジェリア独立戦争勃発直前と大して変わらない印象を受けます。社会共産主義者がそそのかすまで、キリスト教、ユダヤ教、イスラームが平和に共存していたのですから。

いずれにせよ、シャルリエブドが常に提供する諷刺画に笑えるひともいれば、笑えないひともいます。先ずは五分五分の判断をするのが、傍観者です。「あの諷刺画を見て笑えないヒトの精神構造はどうかしている」なんて判断は個人の独善に過ぎません。加えて、イスラームは包括宗教なので、異教徒の独善に頷きません。彼らから見ればあのシャルリエブドの諷刺画を見て笑えるひとがどうかしているので、早くイスラームに改宗するようにと祈ります。ココ四半世紀の対イスラーム問題、事件を振り返れば、なぜイスラムに生きるひとびとについて「差別」という言葉が用いられるのか、それはこういう欧米とは逆転した発想に原因があることも見えてきます。私たちはイスラームにおいて「この世で最後の最上最善完璧な宗教である。今後、この世にイスラーム以上に完全なる宗教は誕生しない。宗教の域を超えたこの世の完全である。」と信じられていることを忘れてはいけません。

この世はあの世ぢゃないのだから、ひとびとの中には自らの中の悪心を快楽にしているひともいます(このあたりは「ジキル博士とハイド氏」を読むと欧州的思考に近づけると思います)。シャルリエブド誌の諷刺画を見て、快楽を得、嘲笑冷笑するひとびとを裁くのは私たちでしょうか?
残念なことにイスラーム原理教条主義の中にはあのような手段で「裁いた」、だから「神は喜んだ」、だから「自分は天国に直行」と信じ込んでいます。神さまの最終の最善の裁判がこの世のヒトに委ねられるなんて逆ヒエラルキアはありえません。少し考えてみれば、わかるこってす、まる

ニジェエルでの破壊、放火の行為が一時でも早く収まりますように。



le 20 janvier 2015, Fabien



フランソワ・オランドが先週土曜日から世界各地で勃発しているアンチ・シャルリエブドの運動について、« La France ne fait pas de leçon, à aucun pays, mais la France n'accepte aucune intolérance » と意見を表明しました。つまり、「仏蘭西共和国はいかなる国に対しても説教はしない。が、仏蘭西共和国はいかなる不寛容も容認しない」ということです。テロ事件直後の共和国内での「私はシャルリです」を世界に押し付けた覚えはない、とオランドは言いたいのでしょうね。そんなの、当たり前だのクラッカーです。日本語で飛び交っている「笑えないのはどうかしている」なんて全体主義的導きは今の私には気持ち悪くてなりません。不寛容極まりない。Bof
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by ma_cocotte | 2015-01-20 17:09 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
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