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地中海の北岸でのこと
土曜の朝は、いつもどおり午前5時半に起床し、テレビに火ぃ入れたら、またも特別報道体制で、それはニースからではなく、地中海は北岸に位置するトルコでク・デタ (これっておフランス語で、Coup d'Etat なんですよね。ナニを今更w)らしきことがあったと。こちとら低学歴でフランス語もこなせないまま共和国内に長期滞在している者なので耳をそばだてたところで、それは世界のどこであっても同じク・デタならではの情報錯綜状態。私の頭では追いつかないわけです。だから、トルコでのク・デタについては(申し訳ないけれど)しばらく静観を決めながらも、トルコについていろいろ脳内フロッピ(死語w)が動きました。

まず、トルコですが。
日本國からトルコと欧州関係を眺めると、最初に思い浮かぶのが独逸だと思います。先日終わったサッカー欧州杯でも独逸にトルコ系の選手が数名いた記憶あり。一方、フランスで移民と言えば北アフリカ(マグレブ3国)を思い浮かべてしまいますが、トルコからの移民はフランスにもかなり多いです。多くは労働移民と思われ、私が住んでいるあたりでもトルコ系の方々のかなりはっきりしっかりした「もの」があります。一昔前ならば石を扱う職人さんはポーランドやポルトガル系でしたが、今、バリバリピチピチの石工さんの多くがトルコ系の青年層です。

トルコもイスラムの国だからマグレブや中近東の移民さんたちと仲がいいのだろう、と捉えてしまいがちですが、
それは違います。
もしそうゆう状況が生まれるとするならば、それは彼らが異教徒を前にした時に、突然「イスラムなコンパトリオット」と化します。こういう化け方は実はマグレブ三国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)の間でもそうで、彼らは決して仲が良くないけれど、異教徒を交えると「仲良くなる」。でも、マグレブ三国や中近東の移民とトルコからの移民の間には深い溝があります。なぜかと言うと、トルコさんはアラビア語を話しません。トルコさんのイスラム実践生活はマグレブさんから見ると「甘い、なっちゃない」ですし、トルコさんはイスラムでもムハンマドさまの血につながらないからです。トルコさんから言わせると、あっさり「私たちをマグレブ移民と一緒にしないで。彼らが話すアラビア語はちんぷんかんぷんだし、なにしろ現代トルコの祖アタテュルクはコーランを投げつけて政教分離を実行したほどのひとだから、我々のイスラム精神は彼らとは違う」と。

確かにイスラームは民衆の生活スタイルだけでなく、政治、経済、法律も含んだ「この世で最後の完全なる宗教」なので、トルコのようにイスラムを信じていても、政教分離であるというのはイスラームには納得いかない形なのです。

だから、イスラム教のモスクと言っても、フランスだと完全なる住み分けがあり、トルコ人が集うモスクとマグレブが集うモスクが移民が一定数住まう市町には両方ありますし、住まいもトルコマジョリティの団地とマグレブマジョリティの団地に分かれてもいます。余談ですが、近年、コソボやチェチェンなどのイスラムの移民をマグレブマジョリティの団地に住まわせたことで(註・移民難民は共和国入国後、自由に住まいを選ぶのではなく、政府から指定された都市に住むことになります)、現在、しばしば見聞する揉め事はマグレブvsコソボ&チェチェンです。トルコではない)

さてさて、おフランスの市井での話。
トルコの労働移民の流入は現在も進行形なんですが、近年、明らかに変わったことがあります。それは労働者の配偶者にアタマを覆い隠し、ロングスカアトを身に着ける夫人が増えたことです。この様子に、一昔前にフランスに居住し始めたトルコ系のひとびとが首を傾げ始めた。
「あの外見はトルコぢゃない」
そして、そういう疑問や違和感を彼らの中で話し合ったり、調べたのでしょうね。そういう格好をする婦人に一見だと完全に欧州人なトルコ女性が「そういう格好はトルコっぽくない」と意見したら、彼女たちは「夫の望みであり、命令なのでこういう格好しか私はできないのです」と返答したのだそう。そして、古いトルコからの移民さんの説明だと、アンカラ、イスタンブール、イズミールなど大都市圏からの移民とトルコの地方からの移民では「まったく相容れない格差が出てしまった」と。で、彼らは必ず「アタテュルクはコーランを投げつけた」という逸話を喜びをもって語るわけです。

そういう変化が市井に始まって数年後、トルコ本土でアタテュルクの精神から遠のいていく現象が政治の世界で始まり、傍観者としては地方のイスラム原理化傾向の表れの始まりを予感させられたことになります。イスラームの「この世で最後の完全なる包括宗教」から見たら「政教完全分離」はイスラームではないのです。だから、イスラームで決められたことを基本に生まれてから死ぬまで生活実践を怠らないのであれば、一生のどこかで「政教分離っておかしくね?」という疑問や葛藤が芽生えるわけです(ココが運命の分かれ道)。イスラームにわが身と人生そのものを委ねれば、何も考えなくても、悩みもなく、生涯安泰なわけです。自分の魂が肉体から抜けた後の埋葬完了までしっかり決まりがあるのよ、イスラームには。

だ、か、ら、現時点でトルコ政府に対して個人の自由が奪われていくことへの抗議あっての「ク・デタ運動」というのは、昔で言う「西側諸国」にはク・デタ実行者側に同情の余地が大いにあり、なんですよ。それが、今、報道に上っているトルコ側が米国に要求しているギュレン師(=イスラム教指導者、米国亡命者)の引渡し要求ですよね。

日本國で保守層になると、今回のク・デタもトルコ政府に歯向かった連中が「悪い」と先ず捉えてしまうかもしれませんが、冷静に眺めると、今回のク・デタ首謀者側はトルコ政府がアタテュルク精神からどんどん離れていくことへの危機感の表明だったように思えます。うぅううん、もしそうだとすると、私はク・デタ実行者側に同情しちゃうなあ。このままだと、トルコがアタテュルク以前の時代に戻りかねません。イスラム世界にしてみればめでたいことなのかもしれないし、そうなったらトルコはアルファベット表記のトルコ語を衰退させ、地中海を囲むイスラム宗旨国に倣いアラビア語を広めるのかもしれない。(そんなことないだろうけれど)。

地理的に見れば、かのイスラム国に移住を希望する者のほとんどがトルコ経由でシリアやイラクのイスラム国占領地区に入っているのだから、その国境に接するトルコ側の住民がイスラム原理化しているのは自然です。だって、「何も考えないで従っていれば生涯安泰」が彼ら原理教条主義者の売りwなんですから。


兎にも角にも現時点で、トルコ政府がク・デタ事件についてやらかしていることを眺めていると、21世紀から15年過ぎた今でもトルコという国は「チカラで成敗する国」だという印象を持ってしまうし、トルコがいくら否定してもアルメニア系のひとびとを虐殺した過去がオーヴァーラップしてしまいますね。もっと古くはレパントの戦いとかさ、うっかり思い出してしまった。
ですが、「チカラでねぢ伏せる」というのはとてもイスラムであり、旧約聖書的であるので、今のトルコ政府が「欧州と仲良しになりたい」と今も望んでいるのであれば、この二日間にトルコ政府がク・デタ実行者に行っていることは欧米には納得いかないことではないかと思います。(と、ここで米国へのギュルン師引渡し交渉に戻る。)米国はギュレン師をトルコに渡さないと思うよ。今のところ、ギュレン師本人は今回のク・デタ事件の関与を否定しているそうですが、もし関与しているとなると、その昔、大英帝國に亡命していたシャルル・ド・ゴールが仏蘭西本土の救済に働いたこととどこか重なるような気がしないでもありません。

員数外のあたしの暴言になりますが、トルコ政府もイスラム国も「敵とみなしたもの」にチカラをもって、手段選ばずにやってることがそんなに変わりないというのがイタいっす、まる 自らにとって敵対する分子とは言え、ヒトの生命を殺めるのはいかがなものかと思います。

2020年のオリンピック候補地最終決戦はイスタンブールと東京だったよなあ(と、遠い目)


le 17 juillet 2016, Alexis

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by ma_cocotte | 2016-07-17 17:06 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
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