<< いかなる神も我々に「互いに殺し... だから、金曜はダメよ。 >>
我々の武器は「祈り」と「兄弟愛」のみである。
L’Eglise catholique ne peut prendre d’autres armes que la prière et la fraternité entre les hommes.

きょう2016年7月26日はポーランドのクラコフという地方都市で世界中から青少年が集うカトリックの一大イヴェント World Youth Day (略称WYD、仏語略称はJMJ)の開催初日です。仏蘭西という国では元はカトリック国境国ではありましたが、近年の共和国民におけるカトリック信徒率は5割強でイイとこ。そんな現実であっても、きょうから始まる大レースぢゃなくて大イヴェントについて地上波の、普通のニュウスで3番目に紹介されるのだから、カトリックもまだ仏蘭西において捨てたもんぢゃないのかもしんない、と思った矢先に悲惨なニュウスが私の目や耳に入ってきました。

それはお昼少し手前で、どういうわけかマルセイユの地方新聞La Provence のFacebook向けの速報によるものでした。事件はノルマンディー地方のルーアンという都市(ジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑に処せられた都市だったかな)の近郊の小さな町サンテティエンヌデュルゥヴレイ Saint-Étienne-du-Rouvray のカトリック教会聖堂に2名の賊が入り、司祭が殺害され、2名の賊は午前10時半に警官隊により絶命されたとのこと。

と、ココまでの報道を読んだところで私は外出。
きょうは火曜日だし、朝に聖堂に飛び込んだところでなぜ神父様が聖堂内にいらしたのだろう?もしかして賊は司祭館に入ったのか?それとも朝ミサだったのかな?などなど思いつつ、日頃、お世話になっている神父様方のお顔を思い出し、とてつもない不安に襲われました。

そして、私は午後2時頃に帰宅し、ニュウス専門チャンネルを見ると、もちろん報道はかなり詳細に進んでいました。案の定、賊は朝ミサがささげられている最中の聖堂を襲い、司式していた84歳になる司祭(ヂャック・アメル Jacques Hamel 師)の首を刀でかっさばいて殺害(一部の日本語の新聞に犠牲となった司祭に「司教」と冠していますが、彼は司教でも、引退司教でもありません)、もうひとり人質となった人物は現在危篤とのことで、この方も神父様と同じく首を切られたらしいです。
そして、賊二人はイスラム国の構成員(この事実は外れて欲しかったです)。
フランソワ・オランド大統領とカズヌウヴ内務大臣がパリから現場にかけつけ・・・現在進行形・・・ですかね。

やっぱり朝ミサの最中だったんだ。
彼らは「アッラー、アクバル」と大声をあげながら刀をふりかざして聖堂内に突入したそうです。

以下、あくまでも私見ですが、市民戦争への引き金が引かれてしまったような気がしてなりません。
というのも、あのイスラエルだろうと、米国だろうと、仏蘭西だろうと、ありとあらゆる宗教の聖所、つまり礼拝所、祈祷所に異教徒が互いに土足で踏み込まないことで「平和を保つ保障」になっていると思うからです。日本びとにとって難しいかもしれませんが、ニースの事件にしろ、シャルリ・エブドの事件にしろ、バタクラン劇場にしろ「聖所」とは異なるのです。ところが、きょうのように、イスラム国につながる人物(おそらくイスラム原理教条過激主義者)が異教(この場合、キリスト教カトリック)の聖所に、しかもミサという神を賛美する儀式の最中にズカズカと入り込み、儀式を中断させ、儀式を司っていた人物を死に至らしめたことになります。

簡単に表すならば「タブーに触った」でしょうかねぇ。
瞬時に塩になっちゃうような取り返しのつかない恐ろしさを覚えます。
これ、いかがなものでしょう?
彼らがやっても、あたしはぜったいやらない。
としか思い浮かびません。他人様が必死に祈っているところを邪魔する気にはなれませんぜ。神社仏閣教会でなくても、家庭でだってお仏壇や神棚に手を合わせている家族をそっとしておくのが互いの思いやりではありませんか?

が、しかし、こんな私が猛烈に不安を覚えることは原理教条過激思想者はイスラームに限らず、キリスト教にだって一定数、存在するわけです(もちろんユダヤにも存在する)。今回のこの事件を境に、そういうキリスト教のパーが共和国内のイスラムの祈祷所(モスクなど)に報復したらとんでもない未来が発生することになります。どこぞの国と同じように過去にカトリックが国教であったことを悪用する政党や政治家ももちろん仏蘭西にだって存在するわけで。

仏蘭西のカトリック中央協議会からは既に「我々の武器は人類における祈りと兄弟愛以外にない」と発表があり、これはどんな挑発があってもカトリック教会は武力、暴力で応じることはないという表明にあたると思います。


今も分刻みで新しい情報がテレビ画面で見聞できますが、こうして仏蘭西の超ウルトラスーパーど田舎に住むガイジンの私がぼんやり思うことは、こうしてノルマンディーのルーアン(ココんちから車で約4時間ちょい)の、旧市街ではなく市街地の普通の、たいしたものが何もない町の教会でこんなことが発生してしまい、しかも実行犯は死亡したとはいえ、異教徒の殺害に成功したという事実になってしまうと、共和国内のあちらこちらに潜伏する彼らが次々と彼らの地元で実行を始めるのではないかということです。

前も書いたけれど、移民や難民の出が多いイスラムを生活信条とするひとびとにとってパリもニュウヨオクも東京も「違いがわからない」に等しいのです。彼らの特徴は自分の知っている範囲で大中小が決まるから、わざわざ上京して犯行などしません。身近で実行する。パリはパリ近郊に住むひとに任せりゃいいんです。オレさまは地元で決行、自爆して、天国に行くぜ・・・なんでしょうけれどね。

現時点では犯人さんは現場で死んでしまい(って、聖堂内で殺害されたのだとしたらそんなことあっちゃいけねーわけですよ)、今頃犯人のお二人さんは天国で70数名の美女といちゃついているのでなぜ今日決起したのか理由を伺い知ることも部外者にはできませんが、もしかしたら犯人たちは今日から「カトリックで大きな集会がある」から自分たちの知っている地理上の範囲内にあるカトリック教会に突入したのではないでしょうかね?

だとすると、ココんちの近所の小教区だってヤバいです・・・。
自警団結成かなあ・・・。


le 26 juillet 2016, Anne et Joachim




彼らは金曜日でなければ、異教徒の祝祭日にやらかすってことだな、こりゃ。Bof


【追 記】
朝ミサは午前9時45分から教会内の小聖堂で開祭だったらしい。
司式は殺害された司祭おひとりで、参列者が教会の隣の修道院に住む修道女2名と二人の世俗さん、計5名が小聖堂にいたとのこと。思うに、神父様と世俗さんのうちのひとりが男性で、このお二人が頚動脈を刀で切られたのではないでしょうか。(あくまでも仮説ですが)シスターお二人と世俗さんの女性3名が(さいわいにも)小聖堂から退出できた?
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by ma_cocotte | 2016-07-26 22:19 | actualite 現時点の現場から | Comments(0)
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