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いかなる神も我々に「互いに殺しあえ」とは命じられない。
« Aucun Dieu ne peut nous demander de nous entre-tuer »

本当にそうよね・・・と、昨日午前にノルマンディーはルーアン近郊の教会で起こった蛮行から一夜明け、この記事の見出しを読み、うなずくばかりでした。

話が昨日のエントリーと重複しますが、昨日午前の事件は午前9時45分(正確には午前9時43分だったらしい)にサンテティエンヌデュルゥヴレイ Saint-Étienne-du-Rouvray という名の町のカトリック教会の小聖堂で朝ミサが始まると同時に容疑者二人がアラビア語を叫びながら飛び込んで来たらしい。日本語の新聞に教会に立て篭もり、篭城という表現が散見されますが、午前10時30分に容疑者二名は警官隊により射殺されているので、わずか45分ほどの間の出来事だったと思われます。

この9時45分から開祭された朝ミサですが、亡くなられたヂャック・アメル Jacques Hamel 神父様は午前9時半に聖堂の扉を開いたそうです。だとすると、ミサ開祭の準備のため、神父様は香部屋に入られ、祭服をお召しになるなどの準備に入られたと思います。昨日の朝ミサの参列者は隣(それとも近所?)の修道院に住む修道女お二人 3人と世俗さん2名、つまり神父様を含め計 六名が小聖堂に集っていました。おそらくですが、修道女方も午前9時半の開扉とほぼ同時に教会に入り、ミサのために祭壇周囲の準備をお手伝いなさっていたのではないでしょうか。
兎に角、そのお二人 3人の修道女のうちのひとり(昨日は心理学士との面談治療を理由に名を伏せていましたが、今朝になってSr. Danielle 、ダニエル修道女と名前が明らかになり、証言のビデオ も掲載されています)の証言から、ミサ開祭と同時にアラビア語で何かを叫びながら刀を振りかざした男性二人が小聖堂に駆け込み、(シスターが小聖堂を離れるために祭壇に背を向けた時には)彼らが既に神父様に蛮行を始めていたそうです。

昨日のこの事件で神父様は頚動脈を刀で切られ絶命。もうひとり、同様に首に刀をあてられて危篤に陥っている人物がいます。おそらく、世俗さん二人のうちのひとりで、女性ではなく男性だと想像します。昨日の時点で、私はこの推察から小聖堂にいた女性3人はいち早く教会の外に出されたのではないかと思いましたが、今朝の報道だと教会からいち早く逃げたのはSr. Danielle おひとりで、他の3名 四名(うちひとりは現在危篤)は小聖堂に残っていたようです。

そして、問題は午前10時半の、警官隊による容疑者二名の射殺が「どこであったのか」という点。わかるひとにしかわからない感覚かもしれませんが、どんな宗教でアレ、聖域内で銃撃というのは「あってはならない」わけで、もし万が一、昨日の惨劇の〆が小聖堂だったら「とてつもなくヤな感じ」が心の中に充満します。この「ヤな感じ」を言の葉に表すのは小説家でもないと難しいかもしれません。
が、今朝の報道によりますと、小聖堂に残った人質が前を歩き、彼らに続いて容疑者二人が教会の外に出たところを警官隊により射殺されたのだそうです。この時点が午前10時半丁度ということになりますわな。警察にはもちろんただひとり聖堂から出られたダニエル修道女がすぐに通報したので、それは午前10時より前でしょうね。そして、30分後に射殺となる。

うむ。

昨日の私はこの事件にぢわぢわとショックをもらいました。
第一報を知った直後は、私の共和国寄留生活でお世話になっている神父様方のお顔を次々と思い出しました。神父様方は皆、昨日、殉教(=実際に電脳内の仏語世界では神父様が21世紀のカトリック殉教者だと騒ぎ始めています)された神父様と同じく、小教区の普通の教会を任され、隣接する司祭館におひとりで住んでいらっしゃるケースが多いです。司祭不足の今、以前ならひとつの司祭館に3、4名の司祭が共同生活していたものですが、今はひとり暮らしがフランスでも普通になってしまっています。
そして、朝ミサですが、カトリックには朝ミサ、昼ミサ、夕ミサなどの習慣があり、平日にささげられる場合はたいてい神父様ご本人の聖務日課にも絡んでいることがあり、神父様がひとりぽっちでささげられることもあれば、今回のように世俗さんが出席可能に扉を開く神父様もいます。その場合は小教区のミサ案内に時間は公開されていますからね。おそらく容疑者のひとりは地元のニンゲンなので知っていたのではないかなあ。

そう、容疑者二人のうちひとりのアイデンティティが公開されたのですよ。もうひとりのアイデンティティは未発表。
アデル・ケルミシュ Adel Kermiche という19歳の青年で、現在、両親はこの町に在住。アデル本人は1997年3月25日にモン・サンテニャン Mont-Saint-Aignan というルーアンの北方の町で生まれました。事件があったサンテティエンヌデュルゥヴレイ Saint-Étienne-du-Rouvray はルーアンを挟んで反対、ルーアンの南に位置する町です。19歳の若さながらこれまで2度、イスラム国亡命に失敗し、平日午前のみの外出以外、家族の監視下にあるという条件で生活していたそうで、身体の足だか手に24時間監視の輪っかがくっつけられていたとのこと。なんか犬みたいでヤだなあと思いましたが、彼ら二人は爆弾と称してアルミホイルにくるんだ何かを聖堂に持ち込み、聖堂内の5名を威嚇したそうです。

出たな、アルミホイル。

この話題は一年以上前になりますか、地中海側で妊娠を装った女性の膨らんだお腹にアルミホイルでくるんだ爆弾を発見したという事件があり、その時にアルミホイルにくるまれた爆弾は監視システムに引っかからないという話が飛び交ったのです。おそらくイスラム国支援者の間でこれが信じられているンですな。なるほど。

昨日は遅くになって、サンテティエンヌデュルゥヴレイ Saint-Étienne-du-Rouvray にあるモスクのイマムが「最高の友を失った」と涙に明け暮れているという記事を読み、同情に堪えませんでした。そして、たった二週間前にお子さんの洗礼を神父様に授けていただいたばかりの家族の証言や涙に暮れる町長さんのインタビュウやら・・・・目頭熱くなってしまいました。

電脳においてイスラム国の拠点がどこにあるのか私は存じませんが、ヨソの宗教の聖域に土足で入り、聖職者殺害の蛮行をなぜ今、命じたのか? それが本当に気になるところです。

フランスの庶民(おそらく地方に生きる庶民)の間では今世紀中に「市民戦争(内戦)がある」という話題が繰り返されており、もしそうなった時に(敵が異教徒であれ、共産党であれ)最初の犠牲になるのはカトリック聖職者であり、続くは修道者だと言われていたので、カトリック聖職者の中には既にそれなりの覚悟をもって日々を祈り生きていらっしゃる方もいます。そういう覚悟を表明せずとも、今回のこのような事件が実現してしまうと、これは市民戦争勃発への引き金が引かれたような錯覚を覚えたりもします。事実、カトリック教会がいくら武器は祈りと兄弟愛のみと繰り返したところで、政治家からは好戦的発言が見え隠れし始めてもいます。

イスラム国の世界には私たち員数外には理解しがたい思考があり、昨日の事件で彼らの兵士二人は射殺という結果に終わり、私たちならば「大事な兵士を二人失った」となりますが、彼らにとっては「我々の兵士は天国に直行し、今は天国で全ての欲求が満たされしあわせである」となります。そして、彼らにとってイスラムに改宗しない「愚かな異教徒」の首を切って絶命させたことはとてつもない「成功」であり、「賞賛される行い」です。つまり、昨日の事件はイスラム国にとっては「成功」ですから、今後、同様の事件が続く可能性があります。

華々しい大都市ではなく、
地方の、田舎の教会での蛮行ですよ。

そんなこと、大都市だろうが田舎だろうがあってはなりません。

でも、現実においては警備の甘ったるい、田舎の教会を守っている神父様、そこに通うひとびとが危険にさらされていることになります。昨日の事件を境に、世界のどこであれ、私たちは恐ろしい時に突入してしまったように思います。エルサレムで大変なことが起こりませんように。(ロオマは二の次だべ)


le 27 juillet 2016, Aurèle




タイトルの話になるけれど、自分を崇めないひとを「殺せ」と命じる神ってアタマおかしいとちゃいますか?

あたしもヒトのこと言えないけれど、聖典だか啓典を見たところで読んではおらず、加えて読解力に問題がある。
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by ma_cocotte | 2016-07-27 16:58 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
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