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練成会の季節
練成会と書いて、「れんせいかい」と読みます。
半月くらい前だったか、私が通っていた耶蘇の修道会が運営する小学校のブログにこの「練成会」が開催されたことが記されていました。正確には「信者練成会」。文章によると、課外授業にあたる特別要理を受けている児童を対象にこの練成会が行われ、今年は東京都内は文京区にあるカテドラルを巡礼、神父様からお話を伺った後、4年生以上の参加者が「ゆるしの秘跡」にあずかったそうです。

と、そういう内容を読みつつ、「練成会、れんせいかい」という響きに懐かしさを覚えました。
前出の耶蘇の修道会が運営するガッコに計14年通いはしたものの、カトリック信者でも求道者(=洗礼を受けることを希望する者)でもない私には課外授業である要理の存在も、内容も知らないままで過ごし、たまたまその14年の間に私個人が信者や求道者の同級生と関わったことで「練成会」なるイヴェントがあることを知りました。確か高校の時だったか、貸し布団屋さんで布団を借りて学園に数日泊まりこんでの「練成会」があったと記憶しています。そして、この小学校での「日帰り一日練成会」ね。

練成会の記事を読み、フェイスブックの友人たちに練成会についての思い出があるかどうか質問したら、なんとヨソの耶蘇修道会運営の女学校では信者でも求道者でもない全生徒が「練成会」に参加していたことを知りました。うむ、「公、一、聖」の耶蘇でもいろんな応用やスタイルがあるものだとあらためて知った次第。

そこで、昨日からポーランドはクラコフで始まったヲールド・ユース・デイ World Youth Day ですわな。略称WYDで、仏蘭西語だとJMJ、伊太利亜語だとGMGの略語になります。

これ、思うに地球上のカトちゃんの青少年が一同に集い行う「練成会」みたいなもんですなあ。
日程の間に要理のお勉強に参加する義務があるし、参加者のうち信者には「ゆるしの秘跡」にあずからねばならないし、随行しているどエラい身分の方々を含めて聖職者方にはミサをささげるだけでなく、そのゆるしの秘跡なるもので聴罪するという義務が発生するからです。カトリックの聖務日課と信心業を基本にした日程なので、カトリック色が濃い。その日課や信心行の合間にはもちろんイマドキの若いもんが好みそうなイヴェントをまぶしてあるにしても、そこはカトリックの小世界です。ミサ以外の聖務日課やら聖体賛美式もあるし、小巡礼もある。グループによっては内省や静粛の時間も毎日、会期中にある。だから、カトリックのトラディショナリストであっても日常に比べると「濃い数日」を過ごすことになります。まあ、今の時代の「カトリック包括世界」の表れのひとつがワールドユースデイなのかもしれません。

上に述べた東京の小学生の日帰り練成会が基本で、それを数日間にわたり実行するのがワールド・ユース・デイだわさ。毎日、ミサにあずかり、要理の授業があり、告解の義務が発生となると未信者の参加自由とは銘打っていても、求道者なりある程度のカトリック世界への理解がないと「たいくつな数日」を過ごすことになってしまいますし、なんらカトリックの教えに興味ない青少年が集って、ご自身が心酔する思想を会期中に寝食共にするひとに語られてもねぇ。互いのために改善は難しいのが現実でありんす。もし耶蘇校時代の若かった私がWYDに参加したとしても「悪魔の子」だわね。間違いなくミサや告解のおサボりを勧めていたもの。

21世紀の今、ヴァチカンを頂点としたカトリック教゛会にも教区だけでなく、修道会もあれば、世俗主体の共同体も多々あるので、その中には固有の要理を教える団体もあると漏れ聞いたことがあります。今回もポーランドに集った団体には聖霊主義に近いグループもいれば、ヨハネ23典礼や背面のパウロ6典礼を守っているグループもあります。だから、例えば地元教区に参加の青少年や司祭、家族も会期中は必ずしもずっと一緒というわけではなく、要理の時間にはそれぞれの団体のクラスに分かれてもいるそうです。まあ、もちろん未信者向けの要理クラスもひとつや二ツや三つ、四つとあって当たり前だのクラッカーではありますが。

いずれにせよ、日本人ならば多くの方の思い出に残る夏の林間学校や海浜学校、冬のスキースクールのごとく、WYDに参加することで「良い思い出」を作り、「善い未来へのきっかけ」を見つけられればこれ、さいわいでありますな。それは、青少年だけでなく、司祭方や修道者方にも言えることですが。

WYD開催初日に、かつては「カトリックの長女国」と渾名された仏蘭西という国でカトリック司祭が聖堂の祭壇で祭服をお召しのまま他人によって絶命させられるという信じがたい事件がありましたけれど、昨日から飛び交っているように「この世のカトリック教会にとって武器は祈りと兄弟愛である」し、「神は我々に互いを殺せとは命じない」のです。今のような世の中で、この意見にそう簡単には頷かないひと、反論をするひとはゴマンと存在するでしょうし、もしこの意見にうなずくにしても退屈な屁理屈に思えるほどの理由が実はカトリックにはあるわけです(歴史上の過去の、カトリック教会の愚かな言動についての反省も含めてです)。

そして、深く考えずに同意するのも、深く考えに考えて「そうだよね」と思うのも、個人の自由です。

私たちの「思考する喜び」を、地球のほうぼうからポーランドに集まったひとびとのひとりでも多くが会期中に覚え、そして、会期中最後のごミサの派遣をもって、再び地球のほうぼうに戻り、それを他者に伝えられますように。


le 27 juillet 2016, Nathalie



余談、きょうびカトリック教゛会には YouCat という青少年向けの要理本(なんて通じないか、カテキズム本)が存在し、和訳も既に販売されています。目に痛いくらいの黄色い表紙の本だし、中を見ればなんだか安っぽい日本語会話で構成されている感じ。正直、私個人はあまり好きになれない「軽い本」ですが、もちろんカテキズムについてはぶ厚く重く文章も重厚な和訳本もあるし、コンペンディウムという要理要約本もオトナ向けにあるので、誰もが相性の善い本を選ぶ自由もござるです。私は脳みそツルツルのパーなんで、私にとって最も相性がいいのはコンペンディウム(ベニン版)です。軽いし、もっと深く知りたければ、分厚い要理本の番号も掲載されている便利本でござあます。てか、分厚い本は高過ぎクンなので、図書館で立ち読みに限る(何語であっても番号は世界共通です)。
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by ma_cocotte | 2016-07-27 18:03 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
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