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本当のところがわからない。
さっき、私のFBウォールにAleteia の仏語版から、シリアはアレップのキリスト教徒居留区においてイスラム聖戦主義の攻撃が激化しているという報せが届きました。http://fr.aleteia.org/2016/08/09/alep-les-quartiers-chretiens-menaces-par-les-djihadistes/

先々週の仏蘭西はノルマンディ地方ルーアン近郊で発生したイスラム聖戦主義者によるカトリック教会襲撃事件で司祭が死亡し、事件がたった一時間足らずで終結を見たという件は瞬時に地球のほぼ全域に知らされましたが、シリアからイライラの、そう、旧約につなげると三日月地帯あたりのキリスト教聖俗信者の死者数は現在も曖昧なままです。

日本を知るひとびとにとって8月15日を目前にこのような報道が届くと、言葉に表せない複雑な思いに陥ると思います。イスラムの聖戦なるものはこの地球すべての生きとし生けるもの、その生きとし生きるものが創造した人工物もすべてがイスラムのうちに「ある」「生きている」が実現するまでの戦いなので、悲観的に片付けるならば「終戦はない」と判断するのも、私がイスラムで生きていないためです。繰り返しにしかなりませんがイスラムが地球を完全包括するにせよ、手段をまちがえてはいけません。彼らが完全包括実現のために実行している行いで「イスラムによる平和で、自然で、しあわせな世界」は実現しませんよ。

世界中で次々とイスラム原理教条過激派によるテロ事件が発生していることで、イスラム信者(という表現もイスラムにおいては納得いかない表現です。なぜなら、彼らにとってイスラームは宗教の域を超えているからです)から「イスラームは平和そのものである」という話が飛ばされていますが、この現状ではその証拠を異教徒に、というより、この地球で智を持つすべてに具体的に示す「時が来た」と思います。

というのもね、大昔からイスラームの方々と関わった私が感じ取っていることは彼らは言葉につまると「コーランに書いてある」と始まるので、「それは、コーランのどこですか?教えてください」と質問すると、たいていはコーランに書かれていないことがたびたびあったから。本当にこの世で最後の最高最善の宗教さえ越えた成熟した存在がイスラムだとするなら智と理をもって万民に証明するのが神から与えられた役割ではないですかね?

言い逃れを信じてくれないひとびとをやたらめったら殺めれば平和がやってくるなんて神の思し召しとは信じ難いっすよ。


le 10 août 2016, Laurent de Rome

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by ma_cocotte | 2016-08-10 16:42 | 『?』なメディテらねぇ | Comments(0)
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