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この場合、帰国子女の前例はなんら関係ない。
今日の朝一番でコレ ↓ を読んでしまいました。
森永卓郎の戦争と平和講座
第72回 非暴力の前に不服従から始めよう
コレ ↑ 、明らかに論点がズレています。
もし文科省が日本国内の全児童について小学生6年間の間に海外の日本人家庭に在住し、現地校に通う義務を発するなら兎も角、日本国内の公立小学校に通う児童全員に第二外国語として英語を学ぶことを義務にするのだから、筆者の幼少時の経験と今後の日本国内の児童が教育において課せられる義務はまったく異なるものです。

筆者のように「小学校1年生をアメリカで、4年生をオーストリアで、5年生をスイスで過ごし、すべて現地の公立小学校に通った」ことで、世界のどこであろうと家庭においては日本語を用い、その結果、ご自分の思考回路が特殊になり、それが今に役立っていないという事実は第三者として「ご尤も」です。

ですが、日本国内に居住し、家庭では日本語を使い、学校においても第一言語として日本語を用いた授業を受け、週にヒトこま、フタこまの英語の授業があると仮定するならば、あくまでも第一言語は日本語であり、第二外国語が英語になります。週に一、二時間の英語の授業で英語圏、米語圏の生活文化を題材にした読書、作文、会話を学ぶことは児童に興味を与える手段になります。

森永氏個人が海外生活においてそれぞれが短期間(一年程度)で、英語圏、独語圏、仏語圏を渡り、児童が家庭では日本語、現地の公立校で現地の第一言語での日々を過ごしたところで、それは言語の遊牧民児童のひとりですし、その後の成育歴などが加わって、成人後にも児童の言語教育についてトラウマを抱いてしまうことはわからなくはありませんが、その経験は決して「一般」に化けないと思います。

英米語の言語に関わらず、音楽や美術の芸術分野、スポーツ分野など何事も家庭と学校が未来ある子供にできるだけ出会う機会、試す機会を与え、児童本人に興味を持たせ、将来の糧にすることを導くのがThe best ですよ。別に小学校の6年間で英語の授業を受けたところで苦手に思う子もいれば、なんら将来に役立てようとしない子もいるでしょうけれど、それが普通であり、自然ですよね。全員が興味を持ち、優秀になるなんて予想の方が異常です。

国際においては齢一桁のうちから英米語に触れさせている学校、家庭が多く存在するのですから、極東の島国である日本国もできる範囲で国際化にもう一歩進むのは大いに賛成です。


le 26 août 2016, Césaire



以上、あくまでも言語学的に、です。
終戦直後の国際事情など関係ないので、別に日本国内の初等中等教育において第二外国語が英米語であろうと中国語であろうとかまいません。言語学においては生後9歳までの第一言語が生涯にわたっての第一言語になるという説がありますから、海外在住の日本人家庭においてはたとえ家庭内が日本語であろうと幼稚園、小学校と一日の大部分を過ごす場所で現地語で10歳になるまで過ごしたら、その人物の思考は現地語で先ず行われている可能性が高いという仮説になります。まあ、この説が正しいとすると、幼少期に森永氏のように短期間で多数の語学圏を渡ったとすると、成人してから思考において混乱が起こり、それをスマアトにするまでそれなりの苦労が生じるのもわからなくはありません。
ですが、日本国内で生まれ、生活しており、その多くが自宅において日本語を第一言語にしており、公教育において週1、2時間の「英語の授業がある」というのは、完全に第一言語が日本語、第二言語が英語ですからね。得手不得手程度ですよねぇ。いくら日本で生まれ育って、日本の公教育を全て受けても「国語」が苦手なひとも多くいるのですから。英語の授業は古文、漢文と似たような立場ですよ。
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by ma_cocotte | 2016-08-26 16:19 | 『?』な日本國 | Comments(0)
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