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今年の犠牲祭 イード・アル=アドハー
今朝、メールボックスを覗いたら、外務省関係のお知らせが届いていました。
表題は「注意喚起:犠牲祭期間」。
犠牲祭というのは年に一度行われるイスラームの大切な儀式で、当然イスラーム暦に基づくので、ラマダン同様、年々ずれることになります。今年は来週の9月12日から9月15日頃だそう。「頃」というのがミソだなあと思います。日没をさすのか、それとも16日の夜明けまでをさすのか、ちょっとわからん。

この犠牲祭ですが、イスラームになじみのないヒトにはかなりキツい儀式で、画像検索なんぞ私個人は決して勧めません。もし行うなら、それなりの覚悟をお持ちあそばせ。で、犠牲祭について文章に表すとするならば、外務省からのお知らせを引用するに
イスラム教徒は,神(アッラー)への捧げ物として,
羊,牛,山羊などを屠り,貧しい人々と分け合うことが習慣
となります。この「屠る」行いが元気な動物の頚動脈をナイフで切るスタイルでして、これはもちろん日常のハラルでも同じで、イスラーム教徒はお肉をいただくにしても動物の血を完全に抜くことが義務なのですね。それをこの犠牲祭の間は市井で業者ではなく一般の男性信徒によって行われることになるわけです。

フランス共和国においては新生児の7割がイスラム教徒という話題が数日前にマスコミを飛び交ったこともありますが、そうかと言って、フランスの土壌は未だイスラームに変化し終えていません。ですから、この犠牲祭の知らせで思い出したことは、隣村に住む私の知人宅の隣にイスラーム教徒の方がお住まいで、庭で犠牲祭にささげる羊や山羊を飼育し始め、知人(欧州系の元パリジエンヌ)が困惑していたことです。飼うのは妥協するにしても、隣の庭で動物を屠るのは心理的にキツいと繰り返していました。

うぅうううむ。

そして、もうひとつ思い出したことはイスラーム原理教条過激派の、いわゆるテロリストと呼ばれるひとびとが異教徒の処刑に頚動脈を切る、首を落とすという行為を選ぶのはこの犠牲祭につながるロジックがあるらしいという説。つまり、イスラームとしての人生において大切な犠牲祭で神にささげる動物を上手に屠るために、異教徒を「練習に使う」という感覚です。信じがたいですけれど、彼らにとって「人間のくせにイスラームとして生きられない」人間は神にささげるための動物より「以下」、「低い生き物」なんですね。そういう思考回路はおぞましく思えるのも、自分自身が何の宗教であれ原理教条主義の過激派ではないからです。でお・ぐらあしあす。

兎にも角にも、犠牲祭の期間中にイスラーム原理教条過激派の方々が変な気を起こしませんように。

参ったな・・・ブツブツブツ。


le 8 septembre 2016, Nativité de la Vierge Marie

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by ma_cocotte | 2016-09-08 18:00 | 『?』なミュぢゅるマン | Comments(0)
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