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慰めを求める道
今日の午前中、Hommage national aux victimes du terrorisme と言う「テロリストの犠牲者についての追悼式典」がパリのアンヴァリドで行われました。



230名もの、共和国内で発生した複数のテロ事件の犠牲者の名前が読み上げられましたが、その中にはもちろんイスラムに由来する名前を持つ方が多々おり、あらためてテロというものは無差別殺人、殺戮なのだと実感しました。

この式典が今日行われることで、今日は朝から繰り返しニュウスのたびにこのことと、7月14日にテロがあったニースにおける近況が紹介されました。ニースの現場周辺で涙するひとびとの様子を見た限り、いくつかの市町村長が海岸でのブルキニ着用を禁じたのは仕方なかったのかもしれないと思いました。日本人は感情を抑えながらの喜怒哀楽を表す傾向がありますが、欧州人の多くはどちらかというと感情を明らかにする言動があるように思えます。今日の朝の報道を眺めていても、海や道路、ろうそくの火を見ただけで泣き崩れるひとがかなりいて、これぢゃ、ブルキニ姿を見ただけで吐き気を催したり、卒倒するひとがいるかもしれないことが容易に想像できました。

だからと言って、私は「ブルキニ着用禁止」には反対の立場ですけれどね。

お昼のニュウスで、ニースの事件で犠牲となったモロッコ系のムスリマ女性の遺族(=もちろんイスラム教徒)が近々、ヴァチカンまで教皇に会いに行くと紹介されてもいました。「慰めてくれるひと」を求める気持は宗教を超えたヒトとしての素朴な感情だと思います。イスラム原理教条過激派の連中からすれば、イスラム教徒が恐怖によって自分たちに従うのではなく、自分たちの宿敵の長上に慰めを求めたというのは激怒に値すると想像もしますが、これこそまさに真理ではないでしょうか。

フランスでは先週からひと雨ごとに気温が下がり始めてもいますから、ブルキニのスキャンダルも下火傾向にあると思います。まったくイスラム生活文化や信者さんに関わりのない方々からすれば、ブルキニでネガティヴな興奮を覚えたことも仕方のない今年の夏でした。どうか来年の夏までに悲しみや憎しみが小さくなりますように。

もし自分が大統領に選ばれたらブルキニ着用を禁止する、と断言したサルコぢと言う人物はまったくイスラム生活文化や信者さんに関わりない方なのかもしれません。←イヤミよ、Bof



le 19 septembre 2016, Emilie

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by ma_cocotte | 2016-09-19 20:19 | actualité 現時点の現場から | Comments(0)
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