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理想と現実の大違い
私個人の心の中ではかなりどうでもいい事項になってしまった、明日の中道右派の大統領筆頭候補選出最終決戦。はい、フランソワ・フィヨンvsアラン・ヂュペ。

おとといの夜に放映された両者のナマ討論番組以降、なんとなくアラン・ヂュペが挽回しているように思えます。その翌日の昨日の夕方からはフィヨンがパリ、ヂュペがナンシーで決戦前最後の演説をしたので、これについてもニュウス専門チャンネルで「なんとなく視聴」しました。内容はともかく、フィヨンよりヂュペの方が演説のスタイルがよろしい。米国人がスピーチ指導しているのかしらね。目線の動かし方がとてもうまい。フィヨンは原稿凝視する時間が長く、これは米国だったらダメダメです。ところが、スピーチ上手だったヂュペさん、ナマ討論の時はなぜか上半身が右に左にかなり揺れていたので、これはマイナスポイントだった気がします。

王様が存在しない仏蘭西共和国という国は不思議なもので、近隣諸国の王族とヴァチカンの教皇(カトリック教会での最長上さん)について尋常でない意識を持っています。こんなに意識するならば国王をギロチンにかけなきゃよかっただろうに、と思いますけれど、あの革命での行いはそれなりに賛美しているひとがいるにはいます。これも、共和国の観点からであって、そのカトリック教会からの見方をすれば革命から始まった残忍なカトリック聖俗信者への迫害は今でも絶句に値する涙、な~みだの過去なんでありますな。

だから、今も影でコソコソ涙を流している共和国民がたのハツをつかまないと、革命賛美だけでは票獲得に安心できないのが中道よりミギなんです。中道よりヒダリはそこまでの意識はないし、かなぐり無視の票田だったりします。

フィヨンもヂュペも「ロオマ教皇は我の味方」と錦の御旗を掲げたいのは当たり前ですが、仏蘭西のまじめなカトリック信者の多くは田舎に散らばったゾンビですので、フィヨンさんとヂュペさんが次々と提案する難しい話についてよくわかりません。農業改革についても村のたまり場あるバアなんぞでそれぞれのリーダーの話を通して「そうなんだっぺ。んだんだ。」となります。でも、単純な水域だと、どうしたって、誰もが一度は学んだ要理(カテシズムというもので、信者としての生き方のベースがわかりやすく箇条書きされている本)をもとに「他人(ひと)を見る」。その短絡的な域だと、どうしたって離婚経験なしの子沢山で毎週日曜に必ずミサにあずかっているらしいフィヨンさんが「わしらにはいいんでねーの」となるわけです。国父さまはみんなの見本であってほしい、というのも手繰り寄せれば要理やら結婚の準備講座で教えていることにつながったりします。
だから、きょうの時点でもフランスのカトリックヲールドではフランソワ・フィヨン優勢でごわす。

でも、何度も繰り返しになっちゃうけれど、21世紀に入って15年を過ぎた仏蘭西共和国に生活宗旨を守っているカトリック信者(家庭)は5割を大きく切っているので、上に長々書きなぐったことは勝敗を見定める票読みの参考にもなりゃしません。

でも、単純に言えることはロオマ教皇は宗教者であって、フィヨンもヂュペも政治家であることです。

前者はこの世における究極の理想を語るけれど、後者は現実において究極の理想を語るなんてしません。

この点でフィヨンが同性婚法案と堕胎法について曖昧なのはカト的に正解。
明日だけれど、ヂュペ逆転もあるンぢゃないかなあ。ひんやりw
月、火、水と徹底的に低俗なフィヨンについてのウワサ、デマ、批判を流し、木曜からは徹底して人が変わったようにヂュペの知性を売るってなかなかの戦法ですよ。まるで、目からウロコのパウロぢゃん。勉強になりました。


le 26 novembre 2016, Innocent

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by ma_cocotte | 2016-11-26 18:06 | よっ、大統領!2017 | Comments(0)
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