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それは、それは、昔の話をほぢくり返して、この世に平和と一致をお与えくださるかしら。
あああ、世知辛いことに振り回されて、忘れるところでした。
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今年10月9日に、ポワティエの大聖堂まで「いつくしみの門扉」をくぐりに行った時、大聖堂内部で中世時代の作品と思われる天井画の修復を見学する機会に恵まれたのでした。

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私はどういう理由だかサダメ(運命)だか、せっかく訪問した名所が必ず何らかの修復中なのです。ロオマのサンルイも、ファティマも、サンチアゴデコンポステッラもそうだった。先ず残念に思うけれど、少し考えて「これは『また、いらっしゃい』というお告げなのだと思うようにして自らを宥める繰り返し。ポワティエもこうして足場だらけでの見学になりましたが、計画では来年春には修復が終わるとのこと。

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↑ これはもしかして聖母の戴冠が描かれているのではないかなあと思います。

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↑ これは下方がはっきりしないのでアレですが、たぶん「天国と父なる神」?

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↑ こりは、我らがジーざっさんざましょ。

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↑ これは大天使のお三方、ガブちゃん、ミカちゃん、ラファちゃん。←それぞれの名前に「エル、=ヘブライ語で「神」のこと」をくっつけてください。



さてさて、ポワティエの大聖堂の天井画は現段階で十分に美しいですが、どういう色が乗せられていくのでしょうねぇ。
修復ですから鮮やかにはならないのだろうと想像しつつも、そーいや、スペインで数年前、ジーざっさんの肖像画を修復したらまったく生まれ変わったジーざっさんの絵になったというスキャンダルがありましたよね・・・まさか、この天井画はあれほどの激変はないと思いますが・・・わからん。

さて、修復されているのは4枚の天井画だけでなくそれを支える柱と壁に描かれている諸聖人も。
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薄くて存在が消えかかっているので確かではありませんが、右は剣のようなものを手にしているので聖パウロ、左はポワティエの守護聖人である聖ヒラリオ教会博士です。

聖ヒラリオ教会博士がなぜポワティエの守護聖人なのかと申しますと、第二代のポワティエ司教だったから。いつの時代にポワティエ司教区のエラいひとだったかと言うと、西暦349年から367年まで。そして、このヒラリオさんはエエところのボンボンで司教になるまで出世街道の真ん中をまっしぐらだったと説明したいところですが、その逆で、ヒラリオさんの司教になるまでは「苦節」で曲がり道クネクネでした。
ヒラリオさん、いちおう315年にポワティエ周辺の貴族の家に生まれています。でも、実家は異教徒だったので、本人の洗礼は345年頃。はい、成人洗礼だったんですねぃ。既に家庭の長、父親だったという説もしっかりあります。そのヒラリオさんが聖職者として実績を重ねているところで、アリウス派という考えがキリスト教において強い力を持ち始め、ヒラリオさんはその思想に納得しませんでした。それゆえ、アリウス派に心酔する当時のロオマ皇帝コンスタンティウス2世がヒラリオさんを東方(現在のトルコ)に左遷、すっ飛ばしてしまったのです。それが355年頃で、ヒラリオさんが再び生まれ故郷に戻ってくるのは361年になります。その5、6年の間、ヒラリオさんが東方で何を体得したかと申しますと、「唄う典礼」です。ヒラリオさんは西方(つまり、ロオマより西)の母国に戻って、礼拝で唄いながら神を賛美することをひとびとに教えました。ですから、今ではもしあの時、ヒラリオさんが東方に左遷されなかったら、西方教会では今も「唄わない典礼」をささげていたかもしれない、と言われています。もうひとつはきょうび、ヒラリオさんよりはるかに有名な「トゥールの聖マルチノ」とヒラリオさんの関係ですな。このマルティノさんはハンガリー生まれで、フランスはトゥールの司教になったことで世界の津々浦々まで知られていますが、ハンガリーからフランスに入国してマルチノさんは最初、ポワティエに寄ったのです。そこの当時の司教がヒラリオさん。ヒラリオさんはポワティエからそんなに離れていないリギュヂェ Ligugé 村の土地をマルチノさんに与え、東方で見聞した「(観想)修道生活」をやってみないか?と提案します。マルチノもその気になって、修道生活をリギュヂェで始めました。ここがおフランスで最初のキリスト教修道院の基礎ができたところなんて話もあります(現在はベネディクト会に受け継がれています)。マルチノはこの修道院で西方におけるキリスト教の修道生活なるものをほぼ熟させた後、トゥールに異動して、司教の座に座ったのでござるな。

以上、あんまり知られていない諸聖人伝。
ヒラリオさんは西方教会(=現代においてはカトリック)だけでなく東方教会(=正教会とも呼ばれる)でも聖人で、東方の世界では「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス」という名称で親しまれているそうです。そういう過去があるせいだかおかげなのか、近年、誰もが知る地中海東岸諸国での東方典礼で生きるひとびとが多くフランス共和国にも難民として移住しており、ココんちあたりでもカトリック教会が東方典礼の移民信者さんのために聖堂を貸したりしていますが、ポワティエでは、流石、大司教区、太っ腹だね。旧市街の聖堂まるごとひとつポンと東方典礼にプレゼントしちゃったのでした。証拠はこれ ← クリック、ぷれぇご。西方教会の建物を丸ごともらったところで、東方教会がそのまま聖堂を使えませんから、リフォームにかなり時間がかかっているようです。でも、聖堂が西方から東方に譲られど、名称は「至聖三者ポワティエの聖ヒラリウス教会」なんざんすね。・・・と、感涙(私だけかw

待降節にいい話ぢゃないか・・・。
おあとよろしいようで。



le 6 décembre 2016, Nicolas de Myrea

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by ma_cocotte | 2016-12-06 17:12 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
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