<< お仏蘭西の国父サマは田舎もんで... 三寒四温とか、 >>
マリアさまが知らせたところで、ぢーざっさんは既にすべてご存知でしたとさ。
先週末だったか主日を迎える直前についうっかり見聞したニュウスがあり、それはフランスはリヨン大司教区の教区司祭が結婚を理由に還俗したというものでした。確か、その第一報ではこの司祭が還俗後には終身助祭の役目をもらうと添えられていた記憶がありますが、それはガセだったのかな。「司祭から終身助祭に役目が替わる」というのはなかなかよろしいンぢゃなくて?と私は喜んだのにな。聴罪ができなくなる、聖変化できなくなること以外、終身助祭ならば授洗、婚姻、葬儀を司れるわけで、将来のことは神のみぞ知るですが、もしこの司祭の夫人が先立たれたら、彼は司祭職に戻るなり、修道生活に入るなり、祈って決めればいいのです。我々が知ったこっちゃない。

で、スキャンダル発覚について、ですけれど、「結婚するので還俗する」という事実についてご本人も、上長である教区長(リヨンの場合、最長上はバルバラン枢機卿です)も世間や世俗信者に隠さなかったことがさいわいでした。これが隠し事になってしまうと、そこは「神の不在」になるわけです。正確には「隠そう」と決めたひとびとの間に神がいない。これ、矛盾ですわな。婚姻だって新郎新婦の間に神が存在することで成り立つのですからして。つまり、「神が不在」の場で「隠そう」と決めたっちゅうのは、そこはたとえ目に見える聖堂だろうが司祭館だろうが、どこぞのレストラン、道端でもこの際構いませんけれど、天国でもないし、エデンの園でもない。天国でも、エデンの園でもない外の世界でいくらローマンカラーをはめてようが、頭をすっぽりヴェールで覆っていようが隠し事が成り立つのであればカトリックが口酸っぱく教えている「かみさまといつも一緒、わたしたち、みんな」が崩壊するので、(初聖体を終えたならば)齢一桁のガキだって「わかんなーい。なんで神様はなんでもご存知なのに隠せンの?」と親に質問するでしょ。

と、ココで「初聖体を終えたならば」につっかかってみますが、2007年だったか、ベネディクト16世教皇様がルルドを訪問された時、現地で開催された司教総会の初日にフランス共和国内の教区を治めるすべての司教の前で、司祭減少、洗礼減少、司祭の妻帯、離婚うんぬんフランス司教団が挙げた現在のカトリック諸問題について何事も要理の勉強が不足、怠っていることに問題がある、とおっしゃった。あまりに図星だったので、ベネさまのこの発言に妙に感動した記憶が私にはあります。

それから9年と半年。
今回のスキャンダルというか報道で騒ぐ世俗の知人を眺めていると、フランスのカトリック教会において要理(カテキズム)の学習位置はベネさまの来仏以前と大して変わっていないのだなあとよくわかりました。ココんちの近隣に住む伝統主義のご家庭の親御さんが「今の教会学校に子供をあずけたところでお菓子をいただいて遊んでオシマイ。ならば通う意味ありません!」とおっしゃるのは、あらためて「ご尤も」ざます。

今回のケース。
リヨン大司教区では有名な司祭だったこともあり、一般全国紙でも記事になったようです。だから、カトリック信者でない多くのフランスびとにとってはワクワクするような下世話さが脳に生み出されますが、もしカトリック信者だったら告解のことやら、上長と彼の間の「深いやりとり、物事の進め方」などが気になってくるので、その結果「隠さないで、めでたし、めでたし」と神父様が今後、家庭召命を善くまっとうされるよう背中を押す気持にもなります。妻子を隠している司祭の隠れ家やら生活の援助という方向に話が持っていかれるのは、ちょっと「あなたはしても、わたしはしない」ですわね。

まあ、元はカトリックが国教だったフランスという国でさえ、今ではカトリックヲールドに住まう生涯独身を守るひとびと(ex 聖職者、修道者)について謎にしか見えない民の方がマヂョリティですが、きょうびフランスでは司祭館にひとり暮らしの司祭が多いですが、ひと昔前まではひとつの司祭館に3人以上の司祭が住み、教会と司祭館の雑務は世俗男性または「世俗の40歳以上の婦人」が関わっていました。
余談:私が通っていた学校の司祭館の雑務はシスター方が行っていました。
なぜシジュウ以上なのかと言うと、昔はシジュウ過ぎた女性は閉経もしくは「子ができない」と決めつけられていたからです(今はそんなことは愚かしい誰もが知っている)。今でもココんちのような超ウルトラスーパーど田舎のカトリック世界では司祭館の用務は世俗男性グループが中心だったり、ひとり住まいの神父様にはほうぼうのマダムが手料理を届けるし、逆に神父様を各家庭に日替わりで招いて食事を共にするなど行っていたりします。神父様によっては近所の女子修道院や修道会運営の高齢者施設の食堂のお世話になっていることも。ういう彼らの生活スタイルについても、私たちが「知る」機会は平等でないので、知らないひとびとには誤解やよからぬ想像になってしまうこともあります。この世は決して天国ではないし、天国の存在を信じないひとびとも多々います。だから、いくらヒトがこさえた塀の中の聖域に住もうとも、女難、男難に贅は常にすべてのひとに襲ってくるし、その中から宝を見つけるひともいる。そして、この世には聖職者や神学生ばかり好きになってしまう男女がいるのも現実なのでねぇ。それについて第三者が聖職者やら彼の恋愛対象者を批判するのも軽率に思えます(省くことの幼児性愛)。だって、そこに掛け替えのない愛が生まれたら、周囲は彼らをしあわせに生きられる方向に送り出すのも「務め」ではないかと思うからです。カトリックの聖職者や修道者が生涯独身なのは「ただひとり、イエスさまへの愛」を貫くためであって、この世でその愛が二分するなら聖域での生活は難しいですよ、はい。

兎に角、愛が芽生えたのに、愛が育まれているのに、それを「隠す」のはあり得ないでしょ。愛を隠すひとからいくら「神を信じてます」とひつこく言われてもアホらしいです。ロジック崩壊w

死ぬ瞬間までおべんきょ、おべんきょ。


le 24 février 2017, Modeste



「司祭の結婚を理由とする還俗」についてはひと昔前、ココで揉めた記憶がまだかすかに残っているので触れたくなかったンだけれど、ね。ま、いっか。




[PR]
by ma_cocotte | 2017-02-24 19:06 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< お仏蘭西の国父サマは田舎もんで... 三寒四温とか、 >>