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世界の其処此処彼処で
平和を祈念する日が8月15日と言えましょう。
日本國と大韓民国だけぢゃないんだよ。
ヒトが決めた国境を取っ払ったカトリック教゙会におかれまして8月15日は聖母の被昇天の大祝祭日でありまして、ヒトが決めた国境のうちにあるフランス共和国という国ではこの日が「被昇天(の聖母)」の名前を冠したまま国定祭日になっています。なぜかと言うと、「被昇天の聖母」はフランス共和国の筆頭守護聖人だからです。余談、日本國の筆頭守護聖人は「神の母 マリア」なのでカトリックの典礼暦に合わせるとお祝い日は1月1日でごわす。さてさて、お仏蘭西。昨日8月15日は被昇天の聖母の祭日でしたので、宗教離れが年々進められている世間では商店が普通に開店している一方、其処此処彼処に点在するカトリックの教会聖堂ではそれぞれのスタイルで被昇天の聖母のお祝い事を行っておりました。こりについてはお仏蘭西だけでなく、地球のどこであれ、カトリックの環境では何かしら祝賀行事が行われおります。司祭がいらっしゃるところでは必ずごミサ付き(当たり前だのクラッカー)。ココんちあたりでは10近くある教会聖堂でミサが捧げられ、数か所でピクニック(お昼ご飯)を含めた聖母行列と巡礼が実施されました。ココんちあたりは田舎ですから、8月の半ば、ヴァカンスの最中に滞在先のカトちゃん行事に参加するガイジンも多々あり。地元民だけの楽しみではないのですな。善きことかな~。そういう地元民と観光客が交わって聖母被昇天の大祭日を祝うのは田舎だけでなく花の都パリでも同じで、10年未満前だったと記憶していますが、パリのノートルダム(←カトリックヲールドでは司教座聖堂、カテドラル)では前日から聖母を祝すビッグ・エヴェントになっておりやす。こちら ↓ がパリ大司教区の今年度の被昇天祭公式ポスター。

このポスターの行事案内を頼りに検索したら、こんなYouTubeを見つけました。




Vêpres ですから和訳すると夕祷。ポスターに照らし合わせると昨日15日の午後3時45分から始まった(聖務)日課です。けれども、普通の日に行われる夕祷とは祭壇周りもちょと違いますね。流石、パリ大司教区、お金持ちぃ。水色や青を織り込んだ祭服に抹香をふんだんに焚いているなんておいらの地元ぢゃ「見らンねー」です。しかも、私個人は毎年5月に必ず聖母行列を行うガッコで育ったので、こういう荘厳な、知らないひとには「原理的?」と笑われてしまいそうな雰囲気にノスタルヂィを覚えます。まあ、ルルドやファティマ、その他ほうぼうの聖母にまつわる巡礼地に行けば似たような様子を見聞できはしますけれど、花の都のパリでさ、ギンギラ銀の聖母子像が御輿に乗せられ、果てはセーヌ川を船で周するなんて見物してみたいですよ。我が残りの人生の「夢と希望」の事項に加えよう。

話はちょっと難しくなりますが、きょうび、人が決めた国境を取っ払った地球上においては連日、ほうぼうで陰惨なテロ事件が発生しています。だから、世界中で聖母マリアの存在を知っている人たちが聖母にちなんだ祭日に心をひとつにして平和を願って祈ることはとても意味があると思います。聖母を知らないひとなら旧盆でご先祖様に手を合わせて平和を願うでしょう。それくらい、この世の中、なんだか少しずつ平和から遠のいていると想像しても仕方ない現実がパチンコ大当たりのようにチンドンヂャラヂャラですよね・・・。

聖母マリアっておひとはカトリック教¨会だけでなく、正教、プロテスタント諸派、イスラームでも聖典に登場の有名人で、被昇天についてはカトリックだけの解釈になりますが、マリアさまがヂーザっさんのお母さんで、ヂーザっさんはママンからのお話をよく聞き、すぐ実行に移されることは聖書の「カナの結婚」のエピソードでもわかるところです。けど、天国なんて死んでみなけりゃ見えないところですし、この世には「死んだらオシマイ」を信じているひとも数多いるのですからして、誰に祈るとか他人に強いることは喧嘩のもとになりかねない繊細な今日この頃、でも、それぞれ言葉にしなくても平和を祈り、自ら平和を実現できるようにイ動くのは善いことだと私は思っています。


le 16 août 2017, Armel



聖母像や聖体顕示台を御輿に乗せて、それを先頭に聖俗信者が祈ったり唄いながら近隣を周るというのは決して安楽ではなく、私が通っていた学校なんぞ5月の青葉若葉に風薫る季節に聖母行列を行っても、毎年、児童、生徒、学生など誰かしら貧血で倒れたりするのも恒例でした。その学校ではロザリオを唱えながら学園内を一周し、最後にエラい神父様から聖水をもって祝福されてお開きでしたけれど・・・そんなことを年に一回必ず行うのも、学園を運営している修道会がイタリアで創立されたのでイタリアでは大昔っからこの手の行列が行われていたのでしょうね。教¨会用語でロザリオも聖母または聖体行列も信心業やら信心行のひとつでしょうから、決して安楽ではなく、どこか苦痛や不自由が伴うのも仕方ないのかも。なーんて結論づける私は洗脳されているのかもしれません。はっはっは。





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by ma_cocotte | 2017-08-16 16:11 | 『?』なKTOりっくん | Comments(0)
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