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男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
ご存知、紀貫之は土左日記の冒頭でありんす。
女学校での国語、大学での国文学の授業で私は古文、漢文を楽しみ学びましたが、この紀貫之の土左日記は数多の古典の中でも未だに愛着ある作品です。日の本初の日記文学だそうですが、その内容だけでなく、男性である紀貫之が漢文ではなく女性に倣ってかなで文を綴ったことに、当時、女学生の私はとてつもなく感動しました。確かに紀貫之の時代から千年以上経った今でも、鉛筆だろうと、万年筆の深い青色のインクだろうと、筆であろうと、ひらがなの流れゆく様は本当に美しいし、それが縦書きだといっそう美しさを増します。これが千年以上も前の日本では女性の特権だったわけです。やっぱ女性の才や力って武家の誕生のせいでどんどん弱められるというか、内に籠るよう仕向けられてしまった気がしてなりません。再び平安中期以前の女性の強さが日本に蘇ることはあるのでしょうかしら。

と、ココ数年、四次元のブログ世界を徘徊していては土左日記の冒頭と女学校時代の古文の先生が教えてくださったこの日記が誕生した伏線の話題をやたら思い出していたワタクシ。

というのも、ツルツル脳の私には理解に至らないままなのが、ご自分は美しくエレガントになりたいと公開で宣言しているのに、そのブログに書き綴られる日本語が漢なンですわ。そう、男なのです。どうしてそういう印象を私が筆者に対して持ってしまうのか拝読していてもしばらく気づかなかったけれど、ようやくわかったのは漢字が多いというか、(日本の)女性らしくない漢字使いをなさる。例えば、「ございます」を「御座います」と充てたり、「ごきげんよう」に「御機嫌よう」と表したり。それはまるで歌舞伎の女形さんはたまたお水の世界の方のよう。ああ、お目にかかったことはありませんから、もしかしたらそのブログの筆者は実は女性ではなく男性なのかもしれません。日本語の文章はまこと不思議なもので漢字の使い方、充て方を間違えると、その言の葉の表現者についてごっつい、いかつい印象がまとわりついてしまいます。紀貫之さんが漢文の才がバリバリであってもなぜかな遣いを選んだのか、ご自分の才をなぜわざと引いたのか。女性のようなたおやかな丸みある印象を醸し出す文章でご自分が見聞した世の中を描き伝えたかったからでしょうね。漢文でも情景描写はできなくもないのに、それでもひらがなを文章に散らばすことを選ばれた。確かに現代文学でも記事でも漢字が多いとゴツゴツした岩のイメージに近くなります。ひらがなを上手に使うことで岩は丸く、手に取りやすい石となります。なるほどねぇ。

そんなことをココ数年、つらつら思い巡らしている私がしばらく好んで視聴しているのが「プレバト」の俳句でして、先生が漢字の充て方、ひらがなへの書き換えなど読み手がどう想像を広げていくのか、それを書き手の伝えたいこととどう合致させていくのかを俳句の添削を通して教えてくださる。先生は時に漢字はやはり読み手に誤解を与えかねないとおっしゃる。もちろん、逆に、雄々しいバックグラウンドならばひらがなを漢字に換えれば効果ありとなります。俳句でもブログのような場所でも、読み手にどのような印象を与え、想像を広げさせるのかは発信者のチカラなのでせう。

つくづく漢字、ひらがな、カタカナがあり、凝り固まった文法ではなく、倒置や省略あっても通じる日本語は美しいし、それらの使い方、用い方について使い手の自由意思やら意志が重んじられることもすばらしいです。でも、そのせいで文才やら文章のセンスがそれぞれの個性のひとつになってしまう。誰一人として同じ重さにはならないという神秘。善くも悪くも日本人に生まれ育った運命だか宿命に、でお・ぐらあしあす。

今世紀に入ってからずっと日本國の外で生活している私の日本語はどうなのだろう?とこの頃よく考えるようになりました。

オノ・ヨーコさんが長く日本を離れ、NYCにお住まいだったことで、学習院女子部育ちの彼女の日本語は美しいよ、とウワサが私の耳にも届いていたりもしますが、そんなことを思っていたら、数日前のゆりやんレトリィヴァちゃんの「昭和の女優」やらドラマ「トットちゃん!」の徹子さんのお話っぷりが脳内滑走してしまい、笑いが止まらない・・・あたしゃ、爆笑ヨーグルト婆さんですわ。結局、オチはそこですか・・・。

美しい日本語が恋しや、ほーやれほ。

ゆりやんの「昭和の女優」、見直そうw 
ぢゃなくて、本棚から美しい日本語を見つけだそうではありませんか。三島さんや太宰さんの小説での女性の台詞はまっこと美しい。昭和の、原節子さんやら久我美子さんを思い出しては重ねる感じ? とかなんとか書き連ねつつ、身の程知らずの自分と向き合い、泣けるわな。あのお話のテンポや発声はそう簡単に身に付かぬ。けど、ゆりやんの「昭和の女優」モノマネに「もしかして私も身につけられるかしら?」と勇気付けられるわね。うふふ。


le 15 décembre 2017, Ninon






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by ma_cocotte | 2017-12-15 21:45 | 『?』なたわ言 | Comments(0)
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