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無知に「知」を与え、喜ぶ。
「遅筆宣言」をしばしば出す作家の本を読み漁っていた頃がある。
締め切りのないブログという遊びに遅筆なんて関係ないことだが、ここ数日キーボードが重い(=筆が重い)。指が思うように滑らない(=筆が滑らない)。前エントリーのコメント欄で近年おフランスのお子達が好んで使うGros mots(グロモ、軽いスラング)会話や携帯メール用略語などを知って、この頃筆も便箋も持たない私には「キーボードが重い」というのが今世紀風なのかなあ、などと思ってムフフと笑ってみたり。

なぜここ数日筆を持つ(←手段が何でアレやっぱりこれがしっくり)気になれないのかというと、先週からずーっとトップニュウスの
Les caricatures de Mahomet   レ・カヒカチュール・ドゥ・マホメ
「預言者ムハンマドの風刺画」について考察して何か書き記してみたい、と欲しているものの、この件に関する世の中の日々の流れは急流で私のツルツル脳が追いつかない。私は聖職者ではないから頭ごなしに「そりゃ、いかんよ」とも言えない。どうもこの件を語るには宗教や政治、法律、歴史(美術史、生活史、社会史など)、国家など丸に近いほどの多面体それぞれにスポットライトをあてて考察する必要があるようだ。そう思ってインディアナ・ヂョーンズの猿脳料理のようにパッカンと我が頭蓋骨の蓋をとって脳味噌を眺めてみると、宗教、政治、歴史、国家など全てに薄っぺらたい内容しか登録されていない。宗教上の預言者の風刺について語るにはあまりに無責任な量と質である。それでも
う~ん、何か書いてみたひ。でもぉ、知識なさすぎ。
の煩悶のモンモモンが我が脳と心で数日続いているように思う。偶然にも先週末、Banania という俗世における風刺画についてのニュウスが流れたのは「ムハンマドの風刺画」について考えるための前座としては最高のトピックスであったことは間違いあるまい。しっかしなあ、ムハさんはイスラム教における最高預言者(同時に最敬礼)だものなあ。

週が明けたのでこれから今週末まで、フランスのテレビは毎日のように公開生討論番組が流れる。おそらく今週の討論番組のほとんどはムハさんの風刺画についてになるだろう。ちなみに昨日月曜日だけで2本、これについての公開生討論番組が放映された。もう数日、識者の意見を見聞しながらツルツル脳なりにムハさんの風刺画について考えて、煮詰めてみようと思う。猿脳料理を思い出すのぉ。


さてさて数日前、知ろうとしなければ知れない。 などと「Memento mori (死を想え)」に絡めて書いてみたりした。日本ビトたるものこうして生きていると、しばしば「あなたの座右の銘は何ですか?」などと聞かれることもあるが、私はそもそも「その日暮らし」なので座右の銘なんぞ考えずに人生の半分以上を終えてしまったのだよ。それでも「座右の銘」について脳内収納庫を整頓してみるとどうも
私にはまだ「知る喜び」がある
という一文が私にとっての座右の銘なんぢゃないかな、と思う。

この言葉を知ったのは学生時代の文学概論の授業。確か火曜日の夕方4時頃から始まる授業だった。私は英米文学専攻なのにこの授業は仏文学の教授によるものだった。彫の深い整ったお顔に、ちょっと長めの灰色のお髪(ぐし)、お身の回りはCD社製しかお召しにならないなど、ミーハー女子大生の印象に残らざるをえないオーラやら風貌を備えた先生だった。毎週西日傾く時間になっての授業に入ると彼は身体を右に傾けて、左肘を机について手のひらに頬を乗せるという独特な座り方と独特なぼそぼそとした口調で話し始める。そうさなあ、ピアニストのグレン・グールドのCDジャケット・・・あんな感じ。仏文学の先生とはああいうものなのか、とにかく彼の雰囲気と語り口に飲まれ、いつのまにか田舎女子大生の私は週に一度の彼の授業を待ち遠しく思うようになった。好奇心で彼について調べると仏文学者であり、哲学者でもある。音楽やら美術評論家でもあったり、ご自身で撮影した写真と共にエッセイ集なども出したりなんかして。授業が進むにつれて、彼のこうした多種多彩な肩書きと共に、ご生家が代々お茶事(ちゃじ)を継ぐ歴史ある家系であり、そういう家の長男として生まれたご自身が仏文学やら西洋史、哲学を学ぶに連れてカトリックに傾倒するも、「家」あって気持ちよく思いのまま思想に傾倒できないという悶々が一年間の授業でずっと語られていたような記憶もある。彼がプルーストを熱烈に愛するのもわかる気がする。

ある日、彼の授業中。もう窓の外は暗かった記憶がある。いつものゆるく右に傾いた肘鉄ポーズで突然彼が「現在の日本におけるプロテスタントの宗派数をあなた方はご存知ですか?」と私たち学生に尋ねた。いちおうその学び舎はプロテスタントなんだけれど、必ずしも学生は信者ではないから皆、返事もしなかった。彼特有の間を置いた後、「・・・58」とぼそりと数字を挙げ、再び独特の間を置いて
あなた方にはまだ知る喜びがある。すばらしい。
と、聞いてるこちらがこっぱずかしくなるほどキザに彼はつぶやいた。授業後、「A先生、格好いいよね?キザだよね?」などとキャピキャピはしゃぎながら駅に向かう裏道を歩いたことを今でも思い出せる。

当時は先生がおっしゃった言葉より彼の雰囲気に飲まれちゃったけれど、あの授業で彼は
無知は恥ずかしいことではない。知る喜びがあると思え。
無知が求め欲しがる知を自ら与えよ。
とおっしゃった。無知が求めていることを知りつつそれを拒んで無知を貫くのは良くないことなのだそうだ。・・・と書いている自分がこんがらがってしまう論であるが、どなたか哲学者が残した言葉なのだろうか?たとえそうだとしても私にとっては今もいつも世々に至るまで我が恩師の生きた言葉である。しかも齢を重ねれば重ねるほどこの言葉を実行することで喜びを実感できる。無知を恥じたらヒトはそれまでなんだ、本当にそう思う。


先週2月に入ってすぐ、ヒロさんの「ヒロさん日記」で「ゲーテの自然観察:シュタイナーが推奨する「直観的思考」を拝読したが、
「直観的思考」とは「対象物と同一になるまでの直観」
なんだそうだ。対象物と我が身が同一になるまで恋に恋焦がれてその思いを昇華すると直観または客観的思考が生まれる、なんて知ってしまうとまだまだ私はさらっと上澄みを知る喜びまでで満足している。でも実は我が無知はそんな上澄みぢゃ満足なんてしておらず、我が無知が欲求する何かには私がもっとディープに探究して無知に潤いと喜びを与えねばならないのだろう、と反省した。そして私の無知が欲しているものは私の周りのそこにもここにも、ほら、あそこにもゴロンゴロン転がっている気がしてきた。あたしゃ肉厚なのに精神は思いっきり薄っぺらたいよなあ・・・。 先日もちらりと書いたが、ヒトは死の瞬間まで「知る喜び」を持ち続け、無知に知を与えることが小さな者、凡人(である私)の最良の生き方なのかもしれない。
・・・というわけで、預言者マホメットの風刺画について調べてみるか。
どっこいしょ。

le 8 février 2006, Jacqueline
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by ma_cocotte | 2006-02-08 00:23 | 『?』なたわ言 | Comments(41)
Commented by M@s@sumi at 2006-02-08 01:08 x
m@_cocotte様、今晩は。

わたくしは○庭○男先生の著書を何冊か読んだことがあるだけで、実際にお会ひしたことはありませんが、○庭先生はそんなに気障な方だつたのですか。う~ん。わたくしが抱いてゐたイメージとは違ひますね。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 01:29
■M@s@sumi さま、うわああああああああ、ば、バレたか???
私は先生と於夕食もご一緒しましたですよ。
ワインの美味しい店に行きましょう、と代官山で先生が贔屓になさっている
お店でした。私生活もこだわりの方でしたよ。洋服の嗜好だけでなく、
飛行機はAFのみ利用なんてこだわりも持ってらっしゃいました。
Commented by tnk_atk at 2006-02-08 02:25
こんにちはー
やっとこさテレビがうちで見れるようになったら、このニュースばかりでうんざりです・・・
風刺画に対して宗教への冒涜だと怒りを表してデモを(法で定められた方法で)起こしたり、不買運動を行うのはある意味表現の一部だと私は思うのですが、現状のように”デモ”もまともに出来ず、タダの鬱憤ばらしの暴動と化してしまうようなレベルでは・・・同じ土俵で話し合えませんよね。

デンマークの国旗とスイスの国旗が勘違いされたとか(似てる^^;)、デンマークの大使館が見つからないからオランダなどの西ヨーロッパの大使館を攻撃したとか、あまりにもレベル低すぎです。。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 02:49
■tnk_atkさま、スイスもやはりこのニュウスばかりですか?
連日トップニュウスなのはいいけれど、日に日にあらぬ方向に向かっている、
つまり暴動や国旗放火などは納得しがたい抗議行動ですね。
私も実はそのあたりも気にして傍観しているところです。こういう行動を
起こしてしまうと、「だからああいう風刺画を書かれてしまう」という循環
ロジックになってしまうので、良い歩み寄りどころか決裂になってしまう
のでは?

宗教抜きにして法治国家の観点から見れば、やはりデンマークで
起こったことなのでデンマークの法に従うのが正論のように思います。

なーんていろいろ考えている最中でござんす。
いいなあ、テレビ・・・。うらめしや。
Commented by winter_mute at 2006-02-08 03:45 x
こんばんは(と書くべきかこんにちはと書くべきか迷うところですが)。
今回の御題は二つですね。
①ムハンマド風刺画事件
②無知の知について

まず、①から片付けてしまいます。私は文化多元主義者ではなく多文化共存主義者ですので、国家および各文化共同体間で一種の協定を結んだと仮定し、安定を担保する装置としての国家および中間団体を、攻撃するものに対しては断固とした対処が必要と考えています。ですので、この事件の発端となったイスラム教徒による批判は許容できますが、その後の暴力沙汰は明らかにイスラム文化を他文化に強要する濫用行為として厳しく取り締まらなければなりません。過去のイスラム帝国に対するノスタルジーと現在の惨めな状況の落差が生み出した大衆のルサンチマンを政権担当者や宗教指導者・テロリストが安易に利用していることが原因なのでしょうね。

次に②ですが、私は一時期、孔子に傾倒しておりまして、子は概要次のようなことを述べておられたそうです。
「分からないと悩む人々に対して教えることはできる。だが、悩みもない人々に施す手はない。」
私は至言だと思います。

では、長くなりましたが、これにて失礼いたします。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 04:05
■winter_muteさま、フランスの冬時間は日本時間から引くことの
8時間です。もう陽も沈んでしまったので「こんばんは」がいいのかなあ。

①ですが、ほんっとーに多面過ぎてひとつにまとまらないので、パリ暴動
の時のようにいくつかテーマ分けするのがいいのかもしれませんね。
識者の意見を聞いていてもドメスティックなデンマークとドメスティックな
国に住むイスラム教徒の意見の相違ではないか?というものもありまし
た。携帯電話やインターネットなどがあるゆえに他国への伝達が早すぎ
たりしたのも災いしているかもしれません。元々噂好きなところがありま
すしね(これは文盲率が下がることで改善される事項だと思いますが)。
私も抗議行動の手段を選ぶべきだと思いますし、デンマークという法治
国家下での事件であることも本当は暴動を起こす前に知らねばなら
ないことだったと思います。

②の孔子曰く・・・は二者の場合ですね。私もそう思います。
石頭を溶かす手段は私にはない・・・私のインスタント格言。
本文は私の思考の循環においてなので、無知を恥じずに無知に知を
与えて我が身の財産にしたいですね。
Commented by papillon-e at 2006-02-08 13:56
ma_cocotteさま

難しい話ですね。デンマークでは9月に掲載されて、デンマーク国内にいるイスラム教徒に既に抗議され、掲載した新聞社が謝罪したと聞いているのですが、なんで数ヶ月後にこのような事になったのかよく理解できません。11月にノルウェーの新聞が掲載したそうな・・・。「言論の自由」「表現の自由」との事で欧州諸国が掲載したそうな・・・。島国の田舎に住む者には自分たちの国の概要もいまいち解らなくなって来ているのに、遠くはなれた大陸の状況を察知するなんて至難の業のように思えてしまいます。ma_cocotteさんの見解をかいま見せていただきながら、脳垂れしてきている私の頭にチョツプをいただきたく思います。
 
Commented by papillon-e at 2006-02-08 13:57
文字が多過ぎて・・・・続き
デンマークは福祉国家で税金はベラボーに高い。普通に生活するには問題ない。だけど、若者の失業率が多い。移民でいろんな国の方が入ってくる。イスラム教の難民も多い。皆が生活保護を受けている訳でもないだろうが、多くの予算がデンマーク国民でなく移民にあてられる。昔ほどデンマーク国民も「私達は困っている人を助けれるし、それは悪い事ではなく、同じ人として出来る事が大事」と考える人が少なくなってきているのかもしれません。これもアメリカのケーブルテレビの影響なのか?(前はアメリカのテレビドラマはほとんどなかったそうな)よくわかりませんが、友人が「最近の若いもんは文句ばっかり言って損得ばかり考えているように思うのよ」と言ってたのを思い出します。でも、何でデンマークの新聞社はあの風刺画を掲載しようと思ったのだろう?で、どこまで許されると考えていたのだろう?で、なんでノルウェーが掲載したのだろう?経過を知るともっと見えてくる事があるのでしょうね。
ma_cocotteさん。これも「知る喜び」ですよね。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 14:06
■papillon-eさま、風刺画の話は難しいです。
下にBanania の件を書きましたが、俗世のことであっても双方の歴史や
価値観、心理を考えての結果です。今回の件は宗教が絡むので更に複雑です。
日本では欧州のキリスト教の見解とまとめられていますが、こちらでは
デンマークはプロテスタント国であり、カトリック主流のフランスとの観念
が異なる、と主張する識者もいるようです。

そーんな難しいことでなくても、母国の同胞にメールやら電話で語った
件が歪曲したり、深刻さを増してしまっって海外での暴動につながって
いる、という話も流れていました。

もうちょっと眺めてみますね。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 14:13
■papillon-eさま、この事件に関係なくデンマークという国を見てみると
「単一宗教国」とまず呼んでいいそうです。そしてスカンジナヴの小国で
近年移民は受け入れていてもドメスティック要素が強い。ああいうことを
書いてもバレない、大したことがない、という意識がデンマーク側にあった
のではないか?という話も出ています。

航空会社(SAS)やイケア、VOLVOでもわかるようにスカンジナヴィア
諸国は各国共同出資のケースが多々あるので、新聞の挿絵もノルウェー
と提携していたのではないかしらん?

亜米利加のケーヴルはTPOによって多分にプロヴァガンダ的になる
ことがあるので日本ビトはちょっといぢわるな目を持って眺めるくらい
が良いバランスのように思うこともあります。イラク開戦時は本当に
そう思いました。
Commented at 2006-02-08 16:21 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-08 16:47
■16H21鍵さま、温かいメサージュをありがとうございます♡
この風刺画の問題、Monde entier がどういう区分なのか、法治
国家のあり方やら果ては通信手段に至るまで考えさせられっぱなし
です。
パリの暴動の時と同じですよね。母国を異国になぞらえて居心地の
良い空間で生き抜こうとするヒト。第三者は冷静だから法治国家や
その事件が発生した土壌を重んじる。そこからしてもう水と油ですよ、
この件は。

もしエントリーするとしたら新聞には決して載らないコップの底の
オランジナのカスみたいな話(そこが美味しい)にしたいです。どはは。
Commented by 笹団子 at 2006-02-09 00:12 x
この騒動、イランの核開発問題で国連安保理付託浮上と同じタイミングですね。 何かつながっているのでしょうか?

イランの「紅衛兵」が官製デモを展開しているのもタイミングが良すぎると思います。(もちろん、それだけが要因ではないでしょうが)

宗教問題と一緒にするのは無理があるかも知れませんが、かつて日本の風俗サービス店が「トルコ」から「ソープランド」に変わった話を思い出しました。 そうなるまで駐日トルコ大使の粘り強い努力があったのでしょう。 血の気の多い連中もこれくらい大人になってほしいですね。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-09 00:31
■笹団子さま、これから冬季オリンピックが始まる直前に憂鬱な事件
ですね。
イスラム教を国教とする国の方々がこの件について「甘い」と単純に
思うのは当然です。が、忘れてはならないのは事件が発生したのが
イスラム教がマジョリティではない、ということですよね。このあたりを
暴動が起こっている国では国民に伝える必要があると思います。

抗議行動が暴動や破壊活動、はたまたイタリア人神父殺害のような
事態になるのはムハンマドさんが望んでいる言動ではないと思う・・・
のが私の意見です。

挑発した、だから報復・・・とは言っても報復の方法や手段がにゃあ・・・
ぶつぶつ。
Commented by Hiro-san@ヒロさん日記 at 2006-02-09 07:47 x
こんにちは。私は深い考えをもっておりませんが、まず問題の風刺画をみてやろう、という「ゲーテの自然観察」の精神で、拙ブログに風刺画を張りつけました。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1329604
Commented at 2006-02-09 09:02
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-09 12:33
■ヒロさんさま、拝見いたしました。
この件、本当に難しいですね。
昨晩イスラム教について調べていたら簡単に眠れたのに、今朝はそれが
原因で午前4時に目が覚めてしまいました。
考えているうちに世界中で関連事件が起きるので「かけっこマリちゃん」
な私は追いつけません。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-09 12:40
■09H02鍵さま、私にとっては他人事ではありますが、あの界隈は
よく散歩していたので、印象深い美しい校舎が消えてしまうのは寂しい
思いで一杯です。卒業生の方々のコメントのやりとりも拝見しましたが、
アッサムがもうない!? ショックぅ・・・あそこのカレーが好きでした。

鍵さんのご母校のことですから、新校舎も欧州風中庭を持つ魅力的かつ
安全性ばっちりの建物に変身することでしょう。期待しています。
Commented by miki3lotus at 2006-02-09 12:49
え?アッサムがもうないと?知りませんでした・・・しょっくっ
私はあそこの紅茶とチーズケーキが・・・カレーも美味しかったのに。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-09 13:04
■mikiさま、あの路地を曲がってアッサムから山の上に抜ける道は
なんか良かったですよね。右手(M大M治)には東京の遠望が見えて、階段を
数段下りるとアッサムで。天井近くから入る西日が心地良かった。
浜田病院そばのレモンⅡはまだあるのかなあ・・・なんて心配になって
きました。あそこのランチは本当に美味しかった。

こんなノスタルジィもたまにはいいものですね。

そういえば日仏会館は恵比寿に引っ越しておしゃれな近代建築ビルです。
Commented by miki3lotus at 2006-02-10 00:12
日仏がえびすに・・・お茶の水はどんどんかわるぅ〜〜〜

レモン、あるのでしょうか?キンカ公園と言ったかな(確か前にもこの話が出たようですが)そして山の上。アテネフランセはまだちゃんとあそこにあるのかしら???だんだんどうなっているのか心配になってきました。
次に東京に帰るときは訪ねてみようかと思います。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-10 00:46
■mikiさま、御茶ノ水の日仏が恵比寿に引っ越してもう10年近く経つかも。
恵比寿の三越の先、一つ目の信号角です。ここのカフェが美味しいらしい
ですよ。そしてフランス関連の図書館の蔵書は充実しているそうです。
昔の日仏会館とは似ても似付かぬガラスの近未来っぽい建物です。

御茶ノ水界隈、心配になってきました。アテネのみが残るなんてことも
なさそう?反対側の神田須田町の粋な界隈は大丈夫でしょうか。
mikiさん、笹巻きけぬき寿司は・・・・? あの独特な甘酢、懐かしい。
Commented by miki3lotus at 2006-02-10 10:25
笹寿司のあの香り、大好きなのですじつは。
2年後には近代化された文化学院も出来るし、それこそアテネだっていつまでもあのままではいないのでしょうね。きっと。
地下のカフェテリアはかなり入り浸っていたので・・・勉強はあまりしなかったのですが・あそこの大きな窓から見える景色が大好きでした。
Commented by ちびこ at 2006-02-10 13:32 x
ma-cocotte様、皆様こんにちは?
笹寿司おいしそう。
それにしても、オリンピックの最中にこのイスラム君の事件。
オリンピックの方にだけは飛び火しないで欲しいですね。
選手の方々は何年もかけてこの日の為に必死で練習して
この日を迎えるわけだし。
私は日本人であるにもかかわらずロシアのスルツカヤ選手
を応援しています。
そして、ma-cocotteさんは学生時代にお洒落な先生の授業を取られてたんですね。なんか素敵。
私の学生時代にはそんなにお洒落な先生はいなかった(涙
日仏会館ってNHKの外国語講座の広告でしか見た事が無い。
移転前の日仏会館って、やっぱりお洒落だったんでしょうか?
私は学生時代お洒落なカフェでなくて、
行きつけのところは餃子の王将か、からふねやでした。
日仏会館みたいなのは京都大学の側に藤田会館?とかが
あったと思う。
お洒落とは程遠い食い意地命の関西の学生でした。
今日クレープ作ってみます。
そば粉のクレープ上手く出来るかな?
Commented by ma_cocotte at 2006-02-10 15:00
■mikiさま、アテネフランセを思い出してみると独特な建築だし、ほぼ
山頂とは言え道側が坂、裏側は山の斜面のようなところに建っていません
でしたっけ?私は大正浪漫っぽいものや昭和初期の文化が好きなので
消えてしまうのは残念というか不安さえ感じてしまいます。

地下のカフェテリアは現在、Lina's Sandwich が入っているのでは?
フランスのサンドイッチチェーンです。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-10 15:07
■ちびこさま、神田の「笹巻きけぬき寿司」はぜひ一度。
日持ちするお寿司ですし、品のいいサイズなのでご進物にもいいですよ。
スッピルバーグの映画やらトリノオリンピック開催と同時期にこういうこと
が起きるのはお祭りを逆撫でする不安現象だと思います。暴動などを
見ているとエネルギーの発散手段にしか見えないので、変なところで
エネルギーを消化しようとしないでほしい、と願うばかりです。

恩師A先生はダンデーですよ~。
著作もかなり出ていますが、読んでいるこちらが照れる文章を書きますわ、彼。

御茶ノ水にあった日仏会館は線路際の絶壁に建っていて、つたの絡まる
さっぱりした建物でした。舞台があったのですよ!
京大そばの藤田会館に近いのは東大赤門そばの学士会館別館かなあ?
ここのカフェもクラシックゥで良かったですよ。
Commented by panache at 2006-02-10 17:47 x
はじめまして、マココット様
懐かしい話題についつい出てきてしまった・・・

アッサムはもう10年以上前には無かったような気がします。
私も学生時代によく入り浸ったものですから、何年ぶりかに界隈を歩いた時、無くなっていることに愕然といたしました。
レモンもすっかり様変わりしており、イタリアンレストランもどきに身をやつしております(T^T)
アテネは健在ですが、寄る年波には抗えず、にゃんとなく荒廃した空気を漂わせておりますのは、○脳な経営者のせい・・・とか・・・巷のウワサでございます。
あ、けぬき寿司もまだありますです。

イスラムの熱狂をみますと、そのおしつけがましさと無理性ぶりが、ついつい私どもの隣国の方がたを思わせて、私の思想は停止状態に陥ってしまいますです。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-10 18:05
■panacheさま、はじめまして。
私はアッサムがあった北西向きの路地が好きでした(遠い目)。
御茶ノ水駅の千代田区側の昭和の面影を残す雰囲気がなんとも。
肩の力を抜いて歩けるとでもいいましょうか。
レモンⅡがイタリア~んですか?私はあそこのランチメニュが好きだったのに。
キッシュとフルーツジュースのセット!!

私は飯田橋の日仏贔屓だったのでアテネは何かの用(確か本購入)で
寄ったきりでしたが、日仏の雰囲気とはまたツボの違うアカデミアな雰囲気
がいいなあ、と思ったりもしました。

風刺画の件ですが・・・どっちもどっちな小学生男子の喧嘩系になりつつ
ありますね。ただし、事件の元は欧州内のデンマークである、ということ。
これを忘れてはなりませぬ、です。
Commented by 7sept at 2006-02-10 21:31 x
なんとなつかしい名前アテネフランセ アベセも知らなかった私の行ったとこ お仲間は皆大学でフランス語文学科出恐ろしく出来ちゃうの たまたま数年後その中の一人が巴里に来ました あんなに凄いフランス語は本の中にありました全然しゃべれない劣等性の幼稚フランス語のわたしの後ろにくっついて歩いていました 語学は机だけではだめなのねその人がそういいました  
やはり その中に入っていかないと理解はできないのかも ま・ここっとさまが爆弾発言するんじゃないかと ヒヤヒヤドキドキしておりました だってやりかねないんだもの さすがの我らがマドンナも遅筆 結構結構ゆっくり煮詰めてください楽しみに待っております ただ煽って事を荒立てるマスコミとは違う う~むとうなる オランジナのカスまっております
>>風刺画の件ですが・・・ただし、事件の元は欧州内のデンマークである、ということ。これを忘れてはなりませぬ、です。<<< そこですよ!私は事の発端がデンマークだった また再熱の発端が ノルウエーだった ここに凄い衝撃を受けたのです 北欧?!! なんで? 日本より何ぼも近いすぐそこなのに知らなかった じわじわとせまりくる恐怖印象です
Commented by ma_cocotte at 2006-02-10 22:25
■7septさま、大丈夫ですよ。私のプチ&ツル脳ぢゃ理屈を書いても屁
ですし。
先ほど載せたエントリーにも書きましたが、事件の経緯についてイスラーム
の方々が抗議するのも納得できますが、手段がなあ・・・ちょいっとなあ・・・
ですよね。鬱憤を晴らすのはこれに連動せんとも良いわけで。恐怖を
与えて相手を黙らせるという手段は良くありませんよ。(と、ガキ大将になり
そうな子供に言う台詞ですね)。
Commented at 2006-02-10 23:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by miki3lotus at 2006-02-10 23:40
あの界隈の話をし出すと、麦とろまで食べたくなります。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-11 00:37
■23H39鍵さま、お手数おかけして申し訳ありませんでした。
お察しのとおり後者に送付したようです。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-11 00:40
■mikiさま、麦とろやクラシックな西洋菓子やおそば、あんこう鍋、
紙焼き、揚げ饅頭・・・ロシア料理やイタリアーンもありました。
食べ物ではないけれどレモンの油絵の具の臭いを嗅ぎに行ったり、
丸善でぼーっと立ち読み、主婦の友で雑貨探しなんて楽しみも
ありました。(遠い目、うっとり)
Commented by miki3lotus at 2006-02-11 11:22
懐かしいことばかりです、あの界隈は。井上眼科の辺りが新しくなって、残念かと思ったけれど、行ってみたら、そんなことはない、やはり昔のようにお茶の水だったし。やはりその精神が続いているので、ビルは新しくなってもそこに集まるものは同じなのでしょうね。
私の母校もおそらくそうなると思います。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-11 16:04
■mikiさま、おお!井上眼科側の坂道も趣があって好きです。石塀はあのまま!
眼科の斜め前のサーモピレーという紅茶屋さんが仲間内で流行った時期も
ありました。千代田線に通ずる駅ビルは私にとってはおさぼり場所でした。
ニコライ堂もたまにサボって寄っていました。当時、無料で
聖堂内を拝見できる時間帯があり、荘厳な内部に圧倒されつつ、静か
な祈りの場を利用させていただきました。
元々中大や明大、日大などバンカラ系の学び舎が多かったせいか
千代田区なのに下町のざわめきを感じる一角でしたね。
駅前はパチンコ屋だし(爆笑。
Commented by miki3lotus at 2006-02-12 12:03
お茶の水は本当に変わっているところです。高校の3年間だけでなく、その前の5年間、踊りにかようので通り過ぎていましたが、そのころの可愛い学生の私には、あんみつやでのところてんと、駅前の丸善、元禄すしが精一杯でした。高校に入って初めてレモンを知り、初めて飲んだレモンスカッシュ、忘れもしません。そしてそのレモンにあった、フランス製の予定表やら。もの凄く違う世界のもののように感じました。
私のフランスに対するあこがれが、そこで爆発した感じです。そして極めつけは高校2年の時に見た、映画「天井桟敷の人々」そしてマルセル・マルソウの舞台。モダン・ダンスではなく、パント・マイムをやろうと真剣に考え始めたのもそのころ。フランス語も勉強するのに、かなり力を入れ、学校でのフランス語だけではもの足りず、アテネまで行き始めたのもそのころ。それがなぜ今ニューヨークに???なのですが・・・
ま、それも成り行きですね。はい。

それにしてもこの風刺画の問題はだんだん広がりつつあるようですね。日本のあねは建築士のような・・・
Commented by miki3lotus at 2006-02-12 12:07
つづき:
そしてニコライ堂。
あの坂のニコライ堂に行く手前に友達の家がありました。今はないのですが。そして、私がとても大事にしていた友達はニコライ堂の奥の墓地に眠っています。一度だけしかお墓参りにはいっていませんが、又そのうちに行きたいとも。

一度トライしてみたい(未だにまだなのですが・・・)と思っていることには、あの千代田線をあがってJRに行くところにでている屋台のおでんやさん。どうもいつも美味しそうな香りがしておりました。今もいるのでしょうか?もし次回、行っていたら迷わず、座って熱燗におでんなのですけれど。一人だって気にしません。中学生の頃からずーーーーーーーーーーっと思っておりました。
Commented by ma_cocotte at 2006-02-12 18:39
■mikiさま、ニコライ堂の敷地内に墓地があるのですか?
存じませんでした。ニコライ堂と日大病院の間の坂道(三井海上に向かう)、
道の両側がいろんな大学の学部が混ざり合っているだけでも面白い
空間ですが、あの坂をロシア正教の独特な装束の神父さまが歩いて
らっしゃったりしてますますい空間ですよね。文化学院側とまた異なる
雰囲気。
あそこは小さな空間ごとに独特な雰囲気を醸し出しているので不思議です。
橋を渡れば湯島聖堂や神田明神・・・本当に面白いですね。

駅前のおでん屋さん!レモンの並びのお店群は千代田区とは思えませんよね。
それとmikiさん、医科歯科の正門前に出る下着屋さんを覚えてらっしゃい
ますか?ズロースが売っているお店です・・・。
Commented by miki at 2006-02-13 13:09 x
思い出しました。その下着やさん。私は買ったことはございませんが・・・時々、なにやら訳の分からないものも売っていたような・・・

後は、聖橋の東大病院行きのバス停の所から見るお茶の水駅が好きでした。そこをこしていったところ辺りに(湯島の方)知り合いのオフィスがあり、そこに行くと良く一緒にお昼を食べに言ったお店(これはしっかり忘れましたが)も美味しかったのを覚えています。

う〜〜〜ん、お茶の水はやはり青春のまっただ中でした。(遠い目になります)
Commented by ma_cocotte at 2006-02-13 14:39
■mikiさま、おおっ、丸の内線に乗り換えるために橋を渡ってすぐの
正門にあの下着の露店。戦後すぐからあるのかしら?なんて想像したり
したものです。お昼前の焼き芋屋さんも懐かしい。
聖橋側は絵になりますよね。私は橋からニコライ堂側を眺めての緩く
うねった坂道の流れが好きでした。実際、運転してあそこを通るのも気分
良かったです。

湯島から本郷にかけては裏道にも美味しいお店が点在していました。
私はその日の気分で仕事に使う郵便局を分けたりして気分転換(いや、
サボリ)していました。ひひひ。主婦の友社の雑貨屋さんも久しぶりに
覗いてみたくなりました。
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